日本人へ 危機からの脱出篇 の商品レビュー
”日本人”が外から見た”日本”ほど示唆に富んだものはない。 以下引用~ ・勝ち続けながらも、一方では譲りつづけたのである。 ローマが主導して成り立った国際秩序でもある。 「パクス・ロマーナ」とは、この哲学の成果であった。 ・要するに、「実力」には、客観性などないのである。「ヤ...
”日本人”が外から見た”日本”ほど示唆に富んだものはない。 以下引用~ ・勝ち続けながらも、一方では譲りつづけたのである。 ローマが主導して成り立った国際秩序でもある。 「パクス・ロマーナ」とは、この哲学の成果であった。 ・要するに、「実力」には、客観性などないのである。「ヤレル!」と思った瞬間に、「実力」の方も上がってくる。 ・楽天とユニコロという日本では誰でも知っている会社が、日本の中でも社内では英語オンリーと決めたと知ったときには、御冗談でしょうと一笑に付したものだった。 ・・・想像力を自由に羽ばたかせたいと思えば、母国語にまさるものはない。 ・指導者に求められる資質は次の5つである。 知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。 ユリウス・カエサルだけが、このすべてを持っていた。
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震災のこと、日本の政治、イタリアの政治など、すっきりしない世の中が何故すっきりしないのか、すっきりさせる為の方法などが、ギリシャ・ローマ等の歴史から語られています。 たまに同意しかねる意見も有りましたが、塩野先生の本質を見る鋭い洞察力には頭が下がります。
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20131110 歴史を理解すると今が見えるのだろう。説得力のある提言に聞こえるのも歴史上の事実の裏付けがあるからなのだろう。賢者は歴史から学ぶ。
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文藝春秋で連載されている,塩野さんの「日本人へ」というエッセイをまとめた3冊目の作品です。東日本大震災前後の時期の作品がおさめられているので,地震の前後で変わった日本を取り巻く状況に思いを巡らせながら読んでいました。 イタリアや日本を取り巻く状況は変わっているのですが,その変...
文藝春秋で連載されている,塩野さんの「日本人へ」というエッセイをまとめた3冊目の作品です。東日本大震災前後の時期の作品がおさめられているので,地震の前後で変わった日本を取り巻く状況に思いを巡らせながら読んでいました。 イタリアや日本を取り巻く状況は変わっているのですが,その変化の中でも,塩野さんが主張されている内容は過去から大きくは変わっていないなと思って読んでいました。「ローマ人の物語」でのローマや,「海の都の物語」でのヴェネツィアのように,総合力をいかにして発揮するかということと,大きな問題に対しては,安定した基盤が必要という塩野さんの基本的な考え方は,いつの時代でも変わらないと思いますし,変化の大きい時代では,より重要なことだと思います。
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いちばん格好イイお姉様のひとり、塩野七生氏による文藝春秋のコラム集第3弾。2010年5月号から2013年10月号までというから、ずいぶん最近のものが収められている。 イタリアの多くの歴史を俯瞰し、どっぷり浸かって書き進めた著作が示す通り、彼女の現代を見る目は、冷徹で鋭く、それでい...
いちばん格好イイお姉様のひとり、塩野七生氏による文藝春秋のコラム集第3弾。2010年5月号から2013年10月号までというから、ずいぶん最近のものが収められている。 イタリアの多くの歴史を俯瞰し、どっぷり浸かって書き進めた著作が示す通り、彼女の現代を見る目は、冷徹で鋭く、それでいて熱い。イタリアと日本をただ比較するのとは違い、特質にあった対処法や指針を明確に示しているところに多くの共感が集まるのだろう。 そして、ここに彼女の作家としての特質が見て取れる。 すなわち、小説家ではない、というところに尽きるように思う。 塩野氏の評価と讃辞を集めてあまりあるカエサルを主人公とした小説を、なぜ彼女は書かなかったのか。 本来、歴史書であれば、誰かに肩入れすることなく、冷徹に、事実のみを、という姿勢が必要なのだろう。そこへ行くと、先述の通り、カエサルへの肩入れは尋常ではないし、同時代人として有名なキケロに対しては、あれれというほどに情けなさを浮き立たせた書きぶりが「ローマ人の物語」ではみてとれる。 このスタイルをデビュー当時に司馬遼太郎が評して曰く「歴史小説でも歴史研究でもないその中間」とのこと。人のいない道を突き進んだのである。それすら、娘時代の自信のなさからくる悪あがきの結果に過ぎないのだから、がんばって欲しいという、「若者たちへ」のエール。この方の年齢を考えれば、もしかしたらわたしだって「若者たち」に入れてもらえるのかも知れない。 様々な事柄について書かれているため、わたしのレポもとりとめもなく流れていくおしゃべりになったが、このことは一つ書き加えておこう。 日本人の英語教育も、どんどんと早期化していくようだが、イタリアに住んで長い塩野氏とて、やはり思考は母国語である日本語で行うのがいちばんだという。すなわち、母国語の豊かさが、思考の豊かさになるというもの。 言語そのものが豊かであると共に、その習得具合の豊かさもまた、思考を支える一柱となる。日本語以外――会話に不足のないイタリア語を話すことですら、ストレスになるのだともいう。 別に外国語習得が必要ないといっているのではない。ただ、以前の日本のように、足元の豊かさを見失い、踏みにじるようなことがないように、とだけ気をつけたいと思ったのである。 他サイトより転載
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Kindle版を待つか悩む。イタリアと日本の政界のことと、大震災が中心。塩野七生の意見が常に正しいわけではもちろんないが、現代・日本のせせこましい考えも古代・ローマとか中世・ヴェネチアとか出されると、まあそんなもんかもなあ、となる。比較対象はより広くもちたいものですのう。
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