ドゥルーズの哲学原理 の商品レビュー
一読しただけでは、読後において不明なモノが増えるばかりであるもの仕方ないのだろう。 1章で述べられる哲学研究のスタンスに則った叙述のありようは、著者本人に関しても単なる翻案家という踏み越えるべき領野の先にあって 研究者としての業績の築き方がかくあるべきであると提示するような内容...
一読しただけでは、読後において不明なモノが増えるばかりであるもの仕方ないのだろう。 1章で述べられる哲学研究のスタンスに則った叙述のありようは、著者本人に関しても単なる翻案家という踏み越えるべき領野の先にあって 研究者としての業績の築き方がかくあるべきであると提示するような内容に感じられた。 より身近に感じられるテーマの著作もあるようだが、人文における探究の道の奥深さを感じられたことの意義は、その内容自体を嚥下するに至らずとも1冊の本に立ち向かうことを力強く後押ししてくれる。
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40%くらいしかおそらく理解できなかったが、 國分先生の記述はやはり分かりやすい。 とても参考になった。
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政治的なドゥルーズと非政治的なドゥルーズがいる、みたいな冒頭から、ええええ?と驚く。 多分、わたしは「政治的なドゥルーズ」という理解しか、なかったな。これまで、読んだドゥルーズの入門書や概説書でも、だいたいそんな感じだったので、自分の理解がそんなにずれてないつもりだった。 著...
政治的なドゥルーズと非政治的なドゥルーズがいる、みたいな冒頭から、ええええ?と驚く。 多分、わたしは「政治的なドゥルーズ」という理解しか、なかったな。これまで、読んだドゥルーズの入門書や概説書でも、だいたいそんな感じだったので、自分の理解がそんなにずれてないつもりだった。 著者は、ドゥルーズは基本ある哲学者について語っていて、その語っているのが、自分の哲学なのか、語っている哲学者なのかは判然としない、そして、ドゥルーズと、ドゥルーズ=ガタリを連続性をもって捉えるのは違うとある意味当たり前のことを主張する。 それはそうだよね、と思って、読み進めていくと、わたしの前には全く読んだことのないような哲学者ドゥルーズがあらわれてくる。が、正直、この哲学者はなにを問題にしているかすら理解できない、他者なんだよね〜。 知っていると思っていることがひっくり返るスリルがあると同時に、自分にとってはあまり関係ないことを気にしている哲学者という感じもあって、なかなか読み進められない。 と細かい議論は???であるが、とりあえず読み進め、いよいよドゥルーズとドゥルーズ=ガタリの関係について議論している4章になって、わからないなりに、おお!と目がさめる感じ。 さらに、5章は、フーコーの権力論に対するドゥルーズの批判、そしてドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイデプス」「千のプラトー」に展開して、とてもエクサイティング。 なるほど、そういうことを言っていたわけね、と「哲学原理」にもとづいて、一貫したものとして、頭に流れ込んでくる。 はやく「ドゥルーズ=ガタリの哲学原理」がでるといいな〜。
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本書において著者は、ドゥルーズのヒューム研究を手がかりに、彼の思想の歩みを規定する「超越論的経験論」という概念についての検討をおこなっています。この点にかんする著者の議論はクリアだと感じました。カントの超越論的自我をめぐっては、ストローソンが経験的自我と超越論的自我の自己同一が証...
本書において著者は、ドゥルーズのヒューム研究を手がかりに、彼の思想の歩みを規定する「超越論的経験論」という概念についての検討をおこなっています。この点にかんする著者の議論はクリアだと感じました。カントの超越論的自我をめぐっては、ストローソンが経験的自我と超越論的自我の自己同一が証明されていないという批判をおこなっていますが、本書における超越論的経験論はいわばこのストローソンの問いを経験の次元へと反照することで、経験の領野における超越論的自我の編成についての考察をおこなうものだといえるのではないかと思います。 著者は、ドゥルーズのフロイト解釈にも同じ問題を認めるとともに、『シネマ2』などを参照しながら、カント的な「理念」と、ベルクソンらの論じる習慣、あるいは初期のドゥルーズの中心テーマだった「反復」とのあいだにも、相互反照の関係を見いだそうとしています。そのうえで、ドゥルーズが構造主義をどのように受容したのかという問題へと筆を進めていきます。「構造」とはいうまでもなく「一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する」ものを意味していますが、ドゥルーズが問おうとするのは、そうした構造と反復との相互反照関係を、フーコーのような「影踏み」とは異なる観点から映し出すことだったと著者は解釈しています。著者は、ドゥルーズの『フーコー』に検討を加え、フーコーもけっきょくのところ、ミクロな権力関係とその現われである「ダイヤグラム」の二元論的な図式を乗り越えることができなかったとしたうえで、「欲望のアレンジメント」という観点からドゥルーズが上述の問いへ切り込んでいったと論じられています。 なお本『差異と反復』や哲学史研究で知られるドゥルーズと、政治的実践を論じるドゥルーズ=ガタリとの関係という大きな問題設定のもとで、ドゥルーズの思想が読み解かれているところに、本書の特色があります。わたくし自身はドゥルーズの著作では『意味の論理学』がもっともおもしろいと感じており、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』はまったく理解できなかったのですが、本書を読むことでガタリとの共著を読み解くための視座を教えられたように感じました。
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全て読むのに三週間ほどかかったけど、一ページも飛ばさずに読み切ったことに達成感を覚え、また自信もついた。 と同時に最初から最後までずっと感じていたのは、國分さんの文章力の高さと、僕ら非専門家が多数を占める読者に対しての配慮の多さ。 文章を最後まで自明性に押し込まず、定義したあとに...
全て読むのに三週間ほどかかったけど、一ページも飛ばさずに読み切ったことに達成感を覚え、また自信もついた。 と同時に最初から最後までずっと感じていたのは、國分さんの文章力の高さと、僕ら非専門家が多数を占める読者に対しての配慮の多さ。 文章を最後まで自明性に押し込まず、定義したあとに説明を書くという作業を終盤まで続けているのは凄いと思った。とにかく単純にすごく面白かった。 内容的には、ドゥルーズ=ガタリ辺りからなかなか理解が追いつかなくなった。特にフロイトが大なり小なり絡んでくる箇所は難解だった。 結局、理解が多少追いついたと思った箇所も『気ままな願いの受け皿』として理解してしまっているのだろうけど、それでもドゥルーズを明確に、あるいは精緻に理解しているのが何人いるのかと考えると、そこは今は気にせず、学び続けようと思った。
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労作。 読解と背景説明が恐ろしく丁寧。書いていて馬鹿らしくならないのだろうかというぐらい丁寧。 ドゥルーズがガタリと共著を書くに至った思想的経緯をたどる。 構造主義を乗り越えるまでの長い道のり。 (追記:そう、彼の哲学の「生成」をたどる作業だというのが、非常に画期的だと思う。...
労作。 読解と背景説明が恐ろしく丁寧。書いていて馬鹿らしくならないのだろうかというぐらい丁寧。 ドゥルーズがガタリと共著を書くに至った思想的経緯をたどる。 構造主義を乗り越えるまでの長い道のり。 (追記:そう、彼の哲学の「生成」をたどる作業だというのが、非常に画期的だと思う。)
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ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリとをしばしば混同してきたDz研究に対して、Dz→Dz=Gという理路を解そうとした書。 丁寧に辿るという意味では新しいのかもしれないが、 別段新しいドゥルーズがそこにあるわけではない。 「欲望」が人間の中心にある、ということは特に問題はないのだが、そ...
ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリとをしばしば混同してきたDz研究に対して、Dz→Dz=Gという理路を解そうとした書。 丁寧に辿るという意味では新しいのかもしれないが、 別段新しいドゥルーズがそこにあるわけではない。 「欲望」が人間の中心にある、ということは特に問題はないのだが、それをリードする方法が「精神分析」というのでは、危うさを感じるところではある。 確かめようもないファンタジー的な装置になっていて、 どうしてという妥当性の検討ができないようになっている。そして何よりもそのために非常に機械的なロジックで構成されてしまう。 これは、Dz→Dz=Gという道筋をつけることが本書なので、核心たるDz=G論は次回作に先延べになっていて、 國分さんの論の全体はまだわからない。
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『暇と退屈の倫理学』などを読んで、他の著作も読んでみようと思って手に取ったが甘かった さっぱりわからん 勉強してからもう一度読んでみる
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何しろ哲学書というものを読破した事がなかった僕にとっては読み応えがありすぎた。一つ一つの用語の意味から辞書で引きながら読まないと文意を理解できない。さらには、その背後には膨大な哲学史的背景がある。しかし、哲学に対しては大きな興味を持った。そしてドゥルーズが提起した問題、「人々は何...
何しろ哲学書というものを読破した事がなかった僕にとっては読み応えがありすぎた。一つ一つの用語の意味から辞書で引きながら読まないと文意を理解できない。さらには、その背後には膨大な哲学史的背景がある。しかし、哲学に対しては大きな興味を持った。そしてドゥルーズが提起した問題、「人々は何故自ら抑圧されることを欲するのか」ここに大きな興味を持った。
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第Ⅰ章、自由間接話法的ヴィジョンーー方法、、ヒューム 第Ⅱ章、超越論的経験論ーー原理、、カント、ライプニッツ 第Ⅲ章、思考と主体性ーー実践、、ベルグソン 第Ⅳ章、構造から機械へーー転回、、フロイト、ガタリとの共著 第Ⅴ章、欲望と権力ーー政治、、フーコー 哲学史を復習しながら、ド...
第Ⅰ章、自由間接話法的ヴィジョンーー方法、、ヒューム 第Ⅱ章、超越論的経験論ーー原理、、カント、ライプニッツ 第Ⅲ章、思考と主体性ーー実践、、ベルグソン 第Ⅳ章、構造から機械へーー転回、、フロイト、ガタリとの共著 第Ⅴ章、欲望と権力ーー政治、、フーコー 哲学史を復習しながら、ドゥルーズについて少し分かった様な気になる、とても優れた入門書だと思います。第Ⅳ章はちょっと頭に入りにくく、何を言ってるのか分からないところが多かったです。それでも、この内容!感動しました。
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