親鸞 激動篇(下) の商品レビュー
下巻では、関東に居を移した親鸞が念仏の教えを人びとに広めていく姿が描かれます。 京都以来の因縁である黒面法師との対決を巧みに配するなど、エンターテインメント小説としての完成度は高いと感じました。また、後の善鸞義絶事件への布石と思われるエピソードもあちこちに見られて、続きが気にな...
下巻では、関東に居を移した親鸞が念仏の教えを人びとに広めていく姿が描かれます。 京都以来の因縁である黒面法師との対決を巧みに配するなど、エンターテインメント小説としての完成度は高いと感じました。また、後の善鸞義絶事件への布石と思われるエピソードもあちこちに見られて、続きが気になる構成になっています。このあたりに、宗教者としての親鸞以上に、小説家としての著者の意向が強く感じられるところではありますが、ともあれ楽しんで読むことができました。
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越後でのゆるめの生活、施療院をはじめるが為政者の交代とともに親鸞は脇へ、さらに鉄杖の自殺、法然の訃報。関東からの勧誘をうけて移動。関東での生活の終盤は恵信の帰越後、そして浄寛の死。京に戻る決意をするところまで。 激動篇と名がついているものの、あまり激動ではないように感じる。布教的...
越後でのゆるめの生活、施療院をはじめるが為政者の交代とともに親鸞は脇へ、さらに鉄杖の自殺、法然の訃報。関東からの勧誘をうけて移動。関東での生活の終盤は恵信の帰越後、そして浄寛の死。京に戻る決意をするところまで。 激動篇と名がついているものの、あまり激動ではないように感じる。布教的な活動はほとんど描かれず、親鸞の内面と政治的な動きや敵味方分かれてのスパイというかニンジャ合戦的なアクションが面白い。とはいえ、楽しく物語りを追うだけでそれなりに親鸞の考えが的確に理解できるしくみになっている。理解する、というのと信心するというのは全くの別モンだということも実感できるのが面白い。そんなんでええんか?親鸞っ!!とツッコミたくなるほどかなり良いキャラです。完結編が楽しみ。
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ちょっと中だるみ感あり。もちろん親鸞その人がぶれまくっていてもいけない訳で、その信念の部分が動かせない以上、突拍子もない展開は望むべきでないのは分かる。ただ、降りかかる災難とか、それに対しての行動変容とか、結構なパターン化に陥っている気が… あと細かい部分だと、各章の結びで、ほと...
ちょっと中だるみ感あり。もちろん親鸞その人がぶれまくっていてもいけない訳で、その信念の部分が動かせない以上、突拍子もない展開は望むべきでないのは分かる。ただ、降りかかる災難とか、それに対しての行動変容とか、結構なパターン化に陥っている気が… あと細かい部分だと、各章の結びで、ほとんど同じ文章でくくられているところ、複数箇所ありません?なんか気になっちゃいました。
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親鸞の俗っぽいところに共感を感じさせる。 人に、南無阿弥陀とは何か、を問われ、また自分にも問い続ける。完結篇は、京が舞台。歴史に名を刻むべく行いが見られるはず。
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友だちに借りた五木寛之の「親鸞」を読んでいますと、 親鸞が説法の中で、当時、庶民の間で流行った歌、 つまり今様(いまよう)を詠い出すシーンがあります。 調べてみますと、これは梁塵秘抄の中に収められている歌なんですね。 その梁塵秘抄は後白河法皇が巷で歌われている歌が このまま廃れ...
友だちに借りた五木寛之の「親鸞」を読んでいますと、 親鸞が説法の中で、当時、庶民の間で流行った歌、 つまり今様(いまよう)を詠い出すシーンがあります。 調べてみますと、これは梁塵秘抄の中に収められている歌なんですね。 その梁塵秘抄は後白河法皇が巷で歌われている歌が このまま廃れてしまうのをおそれ、書き留めたものだとされています。 また、万葉集は詠み人知らずや防人の歌なども文字を知らない人たちが歌ったものを 大伴家持などが書き留めたものだとされています。 詩人、安東次男は 『この時代の歌は、現代のように目で読むために作られた歌ではない』 何度も口に出し繰り返しているうちに このような歌が出来上がったと述べておられます。(安東次男「百人一首」より) 口頭伝承という言葉がありますが、 文字をない世界では人から人へ言い伝えるしかありませんでした。 やがて、人が文字を使うようになり大変便利なりました。 でも、文字だけでは伝えきれないイントネーションや「間」などは やはり人と人が直に接触し、口頭であれこれ伝えるのが一番でしょう。 さらに、ことばだけでなく、朝の挨拶仕方や茶碗や箸の上げ下げ、 着物の着方からたたみ方など礼儀作法や身の処し方まで口頭で伝承されてきたのです。 少し大げさに言えば、これが日本文化ではないと思っています。
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越後から常陸の国へ。 ここでも安定に安住することなく日一日を生き抜いて行く。 降りかかる難局を親鸞は自らの手で解決したことがないやん? ていうレビューを散見するが、親鸞のフォロワーが能力を発揮しているのであり、それこそが親鸞の人徳であろうと思う。
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うーん、要は私には合わなかったということか。 念仏の論争はなるほどなと思って面白かったけど。 きっとこの本の魅力は「親鸞の人間くささ」なのだとは思うけど、私にはそこが合わなかった。結局は家族を犠牲にし自分のやりたいようにやってるだけだし、色んな困難に合うけど、自分で何ひとつ解決し...
うーん、要は私には合わなかったということか。 念仏の論争はなるほどなと思って面白かったけど。 きっとこの本の魅力は「親鸞の人間くささ」なのだとは思うけど、私にはそこが合わなかった。結局は家族を犠牲にし自分のやりたいようにやってるだけだし、色んな困難に合うけど、自分で何ひとつ解決してない。恵信や周りの人々に助けられての「親鸞」なのに、何を偉そうにと穿った見方をしてしまう。高僧な親鸞とはいえその境地に辿り着くまでは「ただの人」だということか。
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前作「親鸞」で、念仏がご法度になり、妻の恵信の実家がある越後に流刑の身になった親鸞が、そこでまた強烈な人物と出会い、自分の信念を試され、また常陸の国に招かれて、関東に念仏を普及させる話だ。 南無阿弥陀仏を唱えれば、どんなに極悪非道な人も浄土へ行ける。ただそれのみを信じる。ま...
前作「親鸞」で、念仏がご法度になり、妻の恵信の実家がある越後に流刑の身になった親鸞が、そこでまた強烈な人物と出会い、自分の信念を試され、また常陸の国に招かれて、関東に念仏を普及させる話だ。 南無阿弥陀仏を唱えれば、どんなに極悪非道な人も浄土へ行ける。ただそれのみを信じる。まさに、「信じるものは救われる」である。ただ、それを逆手にとり、もっと悪い事をすれば、救われる、と説く輩もあらわれる。そこが念仏の解釈の恐ろしい点だ。 出会いと別れ、そして再会。人生は、そんな事の繰り返しで、成り立っているんだなって、これを読んでいて、つくづく思った。それから、親鸞はいろんな困難に遭うが、すべて自分で解決してきてないな、誰かの助けを常に借りてたな、と読み終わって気がついた。
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越後に流された親鸞が河原坊の招きで関東へ行きそこで念仏を拡げる。法然亡き後の京での念仏の廃れを聞き、再度上京するまでの話。 その間にいろいろな人との出会いや、恵心との夫婦喧嘩などの話が有る。 宗教ぽい話は少ないが、所々に挟まる念仏に対する論争は、面白い。
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エンタメ小説として読んだが、素晴らしく面白かった。 大河ドラマとかになりそう。 完結編ではどうなるのか楽しみ。 神がかりとか偶然的なものに対して、エンタメだから・・と読む人もいるだろうが、五木さんはそういうものを否定せずむしろ大切に考えている部分がある。 穢れとされる女性が神が...
エンタメ小説として読んだが、素晴らしく面白かった。 大河ドラマとかになりそう。 完結編ではどうなるのか楽しみ。 神がかりとか偶然的なものに対して、エンタメだから・・と読む人もいるだろうが、五木さんはそういうものを否定せずむしろ大切に考えている部分がある。 穢れとされる女性が神がかりになり救うという、天照大神的なイメージも面白かった。
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