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命もいらず名もいらず(下) の商品レビュー

4.1

29件のお客様レビュー

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2024/10/12

「 ——腹を立つるは、道にあらず候。  十五のときに立てた修身二十則のひとつに、そんな項目を入れた。もし、日々、そのことをおのれに言い聞かせて生きてこなかったら、鉄舟は、このとき、腹をたてて覚王院を斬り捨てていたにちがいない。  鉄舟は、どんな無礼な相手にも、腹を立てない修養がで...

「 ——腹を立つるは、道にあらず候。  十五のときに立てた修身二十則のひとつに、そんな項目を入れた。もし、日々、そのことをおのれに言い聞かせて生きてこなかったら、鉄舟は、このとき、腹をたてて覚王院を斬り捨てていたにちがいない。  鉄舟は、どんな無礼な相手にも、腹を立てない修養ができていた。」 「 ——わが身がかわいい。  それが人の本性であろう。  だからこそ、他人の身になって考えるのが大事なのだ。」 なかなかできることではないが、見習いたい精神の持ちようだ。幕末の激動の時代に腰を据えて生きた山岡鉄舟、その生き方にはやはり学ぶべきものが多い。

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2024/07/30

こっちが恥ずかしくなるくらい真っ直ぐな生き方に、憧れと呆れが混在。全生庵は近くまで行ったのに寄らなかったので、機会を作りぜひ行ってみたい。2024-035

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2023/11/23

「行動力」が信頼を得る 山岡鉄舟が江戸無血開城を命を賭け西郷隆盛の敵本陣へ出かけ交渉し、江戸(徳川家)を守った。歴史では勝海舟とあるが鉄舟の明治維新政府への貢献度は高く、明治天皇からの信頼を勝ち取るなど鉄舟の信念「礼節を持って誰でも会い全力で取り組む」全ての行動力にあった、と読め...

「行動力」が信頼を得る 山岡鉄舟が江戸無血開城を命を賭け西郷隆盛の敵本陣へ出かけ交渉し、江戸(徳川家)を守った。歴史では勝海舟とあるが鉄舟の明治維新政府への貢献度は高く、明治天皇からの信頼を勝ち取るなど鉄舟の信念「礼節を持って誰でも会い全力で取り組む」全ての行動力にあった、と読める。寝る暇もなく誰よりも素早く行動に移せる気迫力の鉄舟で圧倒させられる。 「信頼」とは「行動力の結果」なのだ。

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2023/04/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

江戸城の無血開城を西郷隆盛と話をつけて成し遂げた人物。勝海舟かと思いきや彼の活躍があってこその無血開城らしい。 物語は彼の幼少期から死に至るまでの一生を描く。ここで描かれているのは、まっすぐな気持ちを持ち続けた男子の一生だ。無血開城などの業績が出るまでは、剣術の修行に勤しみ、書道の修行と禅の修行と、一生懸命にやっているのは伝わった。が、結果的にそれらが世のためになったから良かったものの、一歩違えば遊んで暮らしただけなのではなかったか。それを見越した上での、父親からの自分のために生きろだったのかは、よくわからなかった。

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2022/07/25

江戸城は無血開城になった。無血開城は勝海舟と西郷隆盛の会談が有名である。しかし、その前に山岡鉄舟が駿府に行き、西郷隆盛と会談しなければ成立しなかった。無血開城の条件も鉄舟と西郷の談判で大枠が定まっている。鉄舟が江戸無血開城の最大の功労者と言えるのではないか。勝を中心に描く作品では...

江戸城は無血開城になった。無血開城は勝海舟と西郷隆盛の会談が有名である。しかし、その前に山岡鉄舟が駿府に行き、西郷隆盛と会談しなければ成立しなかった。無血開城の条件も鉄舟と西郷の談判で大枠が定まっている。鉄舟が江戸無血開城の最大の功労者と言えるのではないか。勝を中心に描く作品では鉄舟は勝の使い走りのようになりがちであるが、鉄舟は慶喜の使者として西郷と会談した。

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2022/04/03

幕末から明治の時代を下から支えていた山岡鉄舟については、この本で初めて知った。その真っ直ぐで揺るぎのない人となりを描いた前編は小説としては少々退屈ですらあるが、それこそが鉄舟を表しているのだろう。倒幕、明治維新となって時代が動いていく後編で物語も大きく展開していくと、小説も動き出...

幕末から明治の時代を下から支えていた山岡鉄舟については、この本で初めて知った。その真っ直ぐで揺るぎのない人となりを描いた前編は小説としては少々退屈ですらあるが、それこそが鉄舟を表しているのだろう。倒幕、明治維新となって時代が動いていく後編で物語も大きく展開していくと、小説も動き出すような感じで読みやすくなった。同じ時代を描いた青天を衝けと登場人物はかなり重なるが大河ドラマには山岡は出てこない。財界の人ではなかったということか。

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2021/04/10

幕末から明治かけて活躍した山岡鉄舟の話。 勝海舟、高橋泥舟と並び幕末の三舟と呼ばれているが、あまり知られていないし自分自身も名前ぐらいしか知らなかった。 西郷さんや坂本龍馬のように特別大きなことを成し遂げたというわけでは無いが、世の中が激変する中でぶれない軸を持ちひたすらに自己研...

幕末から明治かけて活躍した山岡鉄舟の話。 勝海舟、高橋泥舟と並び幕末の三舟と呼ばれているが、あまり知られていないし自分自身も名前ぐらいしか知らなかった。 西郷さんや坂本龍馬のように特別大きなことを成し遂げたというわけでは無いが、世の中が激変する中でぶれない軸を持ちひたすらに自己研鑽を極めた結果、明治天皇から全幅の信頼を寄せられ西郷さんや勝海舟をはじめ、多くの人に慕われる人生となった。 特筆すべきは自己の精神を高めることにこだわり、在家ながらも極みに達したことにある。幕末となると武士といえども戦乱から遠のきぬるま湯に浸かっている者がほとんどであったが、山岡鉄舟は武士の精神を保ち続け、武家政治が始まった頃に興った禅宗を極めることで無事の精神を貫いたと言えるのではないか。 この精神を引き継いでいるのはもしかしたらスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクなのかもしれないと思った。

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2020/09/17

鉄舟は徳川慶喜の意向を受け、命がけで敵陣へ乗り込み、西郷隆盛と直談判します。 江戸無血開城への道を開き、後に明治天皇の侍従にも任用されました。 しかしそれでも生活は変わらず、ひたすら剣と禅と書に生きます。 師のもとで大悟し、全生庵を建立し、精神満腹を貫いた鉄舟の、51歳の生涯を描...

鉄舟は徳川慶喜の意向を受け、命がけで敵陣へ乗り込み、西郷隆盛と直談判します。 江戸無血開城への道を開き、後に明治天皇の侍従にも任用されました。 しかしそれでも生活は変わらず、ひたすら剣と禅と書に生きます。 師のもとで大悟し、全生庵を建立し、精神満腹を貫いた鉄舟の、51歳の生涯を描きます。 感銘を受けました。

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2020/08/19

★3.5 山岡鉄舟の生涯を綴った上下巻。 実に長編だった。特に下巻は鉄舟や、色んな人達の想いをじっくり噛みしめるように読み進めた。 自分の思うところを、突き詰め突き詰め、苛烈なまでに突き進んでいく姿は、良く…も悪くも? (旦那としての鉄舟は、勝手すぎる!と、つい現代の感覚でイラ...

★3.5 山岡鉄舟の生涯を綴った上下巻。 実に長編だった。特に下巻は鉄舟や、色んな人達の想いをじっくり噛みしめるように読み進めた。 自分の思うところを、突き詰め突き詰め、苛烈なまでに突き進んでいく姿は、良く…も悪くも? (旦那としての鉄舟は、勝手すぎる!と、つい現代の感覚でイラついてしまったり) けれど鉄舟はじめ、人を想う気持ち、志高く信念を持ち生きること、また、純粋に国の為命を掛けて奮闘した人々が、当時は多く存在していたということ。 それぞれが自分の役割を全うしようとする姿には、本当に本当に頭が下がる。尊敬します。 今の自分の在り方を問いたくなる。 最後は無駄に感傷を引きずることのない、きっぱりさっぱりとした、山岡鉄舟に相応しい幕引き。 激動の新時代を生き抜いた人間の一生が、確かにここにあり、共に駆け抜けた、と思わせる読後感だった。

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2019/11/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

山岡鉄太郎の話だ。 鉄太郎は、まっすぐだ。まさに、鉄のごとくに強靭で、意志が強く、そして素直である。 そもそも人の間に垣根はない。垣根を作るのは自分で、また、壊すのも自分だ。垣根と思えば垣根、石の壁と思えば石の壁、何もない野原と思って進めばよいのだ。北辰一刀流の玄武館があるお玉が池に行くのをためらっていた山岡に剣の師である井上清虎が言った。 山岡は、自分を戒めるために20ヶ条の教を書いている。その最後に、自分の心に恥じるかどうかだけが生きる規準である、と締め括っている。 大勢の見物人が押し寄せる名所の桜などちっともありがたくない。たとえ、人に知られずとも、ひっそり咲いている山桜の方が気高く美しい。そんな心持ちの山岡だ。大事に臨んで、何より大切なのは、冷静沈着な心である。 名を揚げるのは所詮、他人の評判を気にすることであろう。そんなものにこだわっていては、人間の器が小さく縮こまってしまう。大事なのは他人の評判ではなく、自分の信の気持ちだ。どこまでも本気であれば、他人がなんと批判しようと、春風のように聞き流すことができる。そう思っていた。 自分のためになり、人のためになることをせよ。それが、山岡の父の遺言だった。自分を捨てきって他人のために生きるのは難しい。だから、とことん本気で、自分のためになって、なお、他人のためになることを行う山岡だった。名を惜しんで死んでみせて満足なのは当の本人だけだろう。死ぬのは簡単。しかし、死に急ぐのは愚の骨頂だ。汚名を着て生きてやり抜くのは辛い。どちらが本当の武士の道か。浪士を束ねる役になった清川、山岡は、命も捨て、名も捨て、最後まで役目を果たすと心に決めたのだ。名を惜しむというのは、武士として悪いことではないが、名を惜しまない、という心を聞くと、そちらの方が、心のありようとしては遥かに潔い気がする。名などいらぬ、と思えば、ありとあらゆる呪縛から解放されて、自由に、ただ目的に向かって突進できる気がするのだ。 ただ、その時、その場で全力を尽くす。それだけが、山岡の信条であり、思想である。凄まじい生涯、まさにその言葉がぴったりの山岡鉄舟だった。 全二巻

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