日本文化の論点 の商品レビュー
ソフトウェアでなくハードウェア(インフラ)を輸出する 都市と地域文化の有名無実化 ゲーミフィケーション
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※このレビューにはネタバレを含みます
経済的、社会的に日本は疲弊・衰退してしまったが、本当にすっかりだめになってしまったのか、という問い立てに対し、筆者が「オタク文化が育んだ想像力にこそ、現実を変革する力があり、現代の日本が武器とするべきはそこだ」というようなことを論じていく、というような内容。「昼の世界」(経済力など)が衰退した「失われた20年」の裏側では、「夜の世界」が着実な成長を遂げていたのだ、という感じ。 面白く読んだ箇所も決して少なくはないけれど、論じ方としてはやや荒っぽい印象を受けた。言葉の定義が雑(インターネットという言葉が、ネット上のコミュニティを指すのか、提供するサービスを示すのか、どのサービスまでを含むのかなどが曖昧)な一方で、(ないしそれゆえに)異なる文脈においても、言葉の中身を再定義しなおすことなしに議論を進めていくので、結局言葉遊びに過ぎないように思えた。 個人的には、実証主義的な方法論が取り入れられていないところに、不満を感じる。全てに根拠や資料を示すべきだとは思わないけれど、何かしら確かな情報に依拠している訳でもないのに、断定調で意見を述べることが多すぎる。推論をあたかも事実であるかのように提示しながら、そこに推論を重ねていくので、言っていることのところどころは頷けても、諸手を挙げて賛成できない場合が多い。もっとも、これは学問によって作法が異なるのかも知れないけれど。 また、筆者のいう、現実を変える力を持つような「夜の世界」の想像力は、インターネットを筆頭に様々な例が登場するけれど、実のところ一番言及したかったのはアイドル(特に、というより厳密にはAKB48)についてなのではないか、と感じる。一章まるまるAKBについて、特にそのシステムに関して熱く語っているけど、それだけにとどまらず、その影は別の章でも時折ちらつかされる。読み終わってみれば、「日本文化の」論点といっておきながら、AKBに収束するような構成になっていたのではないか。場合によっては少し無理にアイドルに言及するせいで、少し各章の軸や論理展開がブレてしまっているように思った。 更にもっともっと個人的な関心に基づいた話をすると、AKBについて言及する箇所で軽く触れられる百合への解像度が低すぎる。別にそこが「女性が女性を性的に消費した(この表現がそもそも引っかかるけど)」決定的な契機でも代表例でも特例でもないし、AKBで二次創作をした女性が「普段はBLを受容していた」とは一概には言えないだろうと思う。二次創作を楽しむ女性をBL読者にひっくるめてるのか、ちゃんと書き手(読者は無理だろう)がそれ以前に描いた作品を精査した上でいっているのか。前者なら定義が雑だし、ちゃんと精査したのであれば、せめてその旨を書くくらいはして欲しい。1ページにも満たない文量だけれど、自分はここでもげるほど首をひねった。
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AKBの章の熱量が他と違いすぎる。文化論というより、AKBのシステム論が主題のようでしたが、非常によく分かった。 握手券単体で売ればいいやん、と思っていた私が浅はかでした。
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宇野さんの『日本文化の論点』を読む。当たり前だけど、新書ということもあり『ゼロ年代』のような重厚な筆致で構成されているわけではない。情報社会論とサブカル批評を往復しながら、現代文化批評を行う試みとあとがきになるように、さすがAKB48の全体構造に関する分析は流石すぎた。
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昼の世界と夜らなの世界の分析から現代日本 文化を切る。(1)地理を規定している。オタク文化が秋葉原を塗り替えた。特定の都市文化が規模の文化を生んだ最後は裏原宿。 (2)新宿、渋谷で乗り替えて、一時間かけて都心に通うライフスタイルが取れるのは、専業主婦の奥さんがいたから。戦後的サラ...
昼の世界と夜らなの世界の分析から現代日本 文化を切る。(1)地理を規定している。オタク文化が秋葉原を塗り替えた。特定の都市文化が規模の文化を生んだ最後は裏原宿。 (2)新宿、渋谷で乗り替えて、一時間かけて都心に通うライフスタイルが取れるのは、専業主婦の奥さんがいたから。戦後的サラリーマンのライフスタイルが東京を西側に延ばした。
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サブカルチャーの分析を通して、現代日本の置かれている状況と将来の展望をおこなった本です。 とくにおもしろく読んだのは、東京という都市とメディア消費の関係を論じた第2章です。東京では、所有コストと道路事情のために自動車中心の生活が不便になっており、そのために鉄道依存のライフ・スタ...
サブカルチャーの分析を通して、現代日本の置かれている状況と将来の展望をおこなった本です。 とくにおもしろく読んだのは、東京という都市とメディア消費の関係を論じた第2章です。東京では、所有コストと道路事情のために自動車中心の生活が不便になっており、そのために鉄道依存のライフ・スタイルが当然になっていると著者は言います。押井守が「距離と時間が置き換わっている」と指摘したように、東京という都市は地理的な距離の関係によってではなく、鉄道でのアクセス時間によって捉えられるのが、当たり前になっています。さらに著者は、都市が文化を育むという時代はすでに過去のものとなり、オタクの聖地となった秋葉原に代表されるように、文化的な想像力によって都市の意味が与えられるという現象が生じていることに注目しています。 「日本文化最大の論点」と銘打たれた第6章は、著者のAKB48論です。ところで著者は『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)の中で、東浩紀のサブカルチャー批評に対する批判をおこない、セカイ系の作品や美少女ゲームに見られるセクシュアリティの問題を指摘していました。一方本書では、「アイドルについて性の商品化と切り離して考えることはできない」と述べた上で、「商品化される性の中に、資本主義のダイナミズムを逆手にとってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだ」と主張しています。具体的には、メンバー間のいわゆる「百合営業」にセクシュアリティの多様性を見いだそうとしているようです。 ただ、美少女ゲームを享受することとアイドルの「百合」関係を享受することとの間に、どのように明確な違いを見いだすことができるのか、本書を読んだ限りでははっきりと見えてきません。著者はAKB48の主要メンバーが出演した『マジすか学園』が女性のボーイズ・ラブ読者に支持を受けたという事実を指摘していますが、男性ファンによる「百合営業」消費について著者はどのように考えているのか、少し気になりました。
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非常に「もったいない」本。着眼点にハッとさせられる文章がいくつもあった。でも、掘り下げ不足で十分に展開できていない。勿体ない。もっとも、元が「語り起こし」であることを考えれば、それも致し方ないのかもしれない。ならば、この堅苦しいタイトルは何とかできなかったのか。勿体ない。また(た...
非常に「もったいない」本。着眼点にハッとさせられる文章がいくつもあった。でも、掘り下げ不足で十分に展開できていない。勿体ない。もっとも、元が「語り起こし」であることを考えれば、それも致し方ないのかもしれない。ならば、この堅苦しいタイトルは何とかできなかったのか。勿体ない。また(たぶん読者へのサービスとして書かれているであろう)著者の身辺雑記的なエピソードが面白くない。思うに、それは内容が面白くないのではなく、書かれている内容と文体の齟齬、読者との距離の測り間違いの問題のように思う。勿体ない。で、最終章で「AKB=現代日本文化最大の論点」とちょっとイタイことを言い、その割に、最初の章で広げた大風呂敷的キーワード〈夜の世界〉のイメージが最後まで結像しない。困った。見得を切るべきところで切らず、おかしなところでこれみよがしに切っているので、どこまでが本気かわからない。…と、ここまでの文章を読み返すと、貶してばかりの感想になってしまってますが、くり返すと「ハァ?」と思う部分以上に「ハッ」とさせられる部分は多く、一読の価値あり。たとえば、ネットに文化生成の場としての役割を奪われることで、建物の収容容積(ハード的な価値)だけが求められることになっていく都市空間。あるいは、動物的反応と市民意識を繋いできた「アイロニカルな大きな物語」が失墜していく中、「ソーシャルメディアを前提とした大きなゲームともいうべきモデル」を軸に、問い直しを迫られている「正義/悪」。これらのことを最も的確に論じることができるのは、この人だと思ってる。だからこそ、勿体ない。傑作になり損ねた「もったいない」本。
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たしかに、筆者のいうように、ネットが社会や文化の在り方を変えていくのだろう。 そして、その変化は楽しみな部分もある。 サブカルというたちばから、社会を変えようという姿勢も、悪くないとは思う。 ただ、東京中心の、ある特定の階層の人の感覚だなあ、と思う部分が多々ある。 確かにいつの...
たしかに、筆者のいうように、ネットが社会や文化の在り方を変えていくのだろう。 そして、その変化は楽しみな部分もある。 サブカルというたちばから、社会を変えようという姿勢も、悪くないとは思う。 ただ、東京中心の、ある特定の階層の人の感覚だなあ、と思う部分が多々ある。 確かにいつの時代も、ある一部の人が覇権を握ってしまい、それが普遍的なものだと言い張ることはある。 この人は、どこまでそれを自覚しているのだろう。 そのあたりがわかりかねて、どうも読みながら落ち着かなかった。
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メディアでもよく出ている批評家宇野さんの本です。 クールジャパンやAKB48など日本の現代文化を取り上げる内容になっています。 自身の体験談を踏まえ、説明しており、平易で読みやすく、著者の主張も明確な気がします。 今後のコンテンツの考え方には共感することも多く、読めました。ただ...
メディアでもよく出ている批評家宇野さんの本です。 クールジャパンやAKB48など日本の現代文化を取り上げる内容になっています。 自身の体験談を踏まえ、説明しており、平易で読みやすく、著者の主張も明確な気がします。 今後のコンテンツの考え方には共感することも多く、読めました。ただ、結構焦点が独特な気もして、大衆向けというものではなさそうな気がします。挑発的な内容にもなっているので、著者に対するアンチも多数いる気もしてしまいます。 最後の帰結が、AKB48になっているのが、どうも疑問で仕方ありませんでした。ここに力を入れすぎていて、「うーん」という感じが否めません。 個人的に横山由依推しは、同意見ですが... あと、著者のリトル・ピープルの時代は読みたいなと思ってかなり月日が経ちました。
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気鋭の評論家、宇野常寛氏によるポップカルチャーの論点を抽出しつつ、現代日本社会を論じるという時代の地図を描き出す入門書的な書籍でございます。視点が斬新で宇野氏の発言はとても読んでいて面白かったです。 本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏による現代文明批評を新書という形にし、入門書とい...
気鋭の評論家、宇野常寛氏によるポップカルチャーの論点を抽出しつつ、現代日本社会を論じるという時代の地図を描き出す入門書的な書籍でございます。視点が斬新で宇野氏の発言はとても読んでいて面白かったです。 本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏による現代文明批評を新書という形にし、入門書という形でまとめたものです。僕が宇野氏を知るきっかけとなったのはいまや国民的アイドルグループとなったAKB48について、『ゴーマニズム宣言』などでも知られる小林よしのり氏らとともに、熱く激しい論戦を繰り広げていた様子を動画投稿サイトなどで目にしたからでございました。さらに宇野氏は自費出版で批評雑誌を主宰、刊行しながら自らを『政治評論からAKBまで』と称し、多彩な評論活動を展開されている方だということを本書を通して理解いたしました。 僕自身もサブカルチャー畑出身の人間ですので、宇野氏の紹介する「特撮もの」(仮面ライダーやウルトラマンetc)を自分なりに見ていたつもりではありましたが、正直な話、ここまで深くは見ていなかったことをつくづく思い知らされ、 「まだまだ修行がたりんなぁ」 と反省してしまいました。 冒頭のほうで掲げられているとで見る日本というお話はとても面白かったです。これは宇野氏の友人の社会学者である濱野智史氏がおっしゃったことなのだそうですが、続に『失われた20年』を生きる現代の日本社会とその狭間で蠢く、ソーシャルメディアや動画投稿サイトなどのネット文化のガラパゴス的な発展は自分もまたその恩恵を受けている人間の一人として、とても共感することが多かったです。 さらに自らが高田馬場に拠点を構えているということで、東京という街全体が「距離」ではなくて「時間」に置き換わっているというくだりは僕自身も東京で生活をしていた時期がありますので、その辺のことはとてもヴィヴィッドであり、皮膚感覚で理解ができました。さらに、宇野氏自身が得意とする音楽や特撮から日本の社会やコミュニケーションを論じたあと、本書の真骨頂である『AKB48と日本文化』に入っていくのです。 正直なところ、僕はAKB48については、「広く浅く」というスタンスで、宇野氏のようにCDを何枚も買っては足しげく「握手会」に通ったり「総選挙」で票を投じているわけでありません。『あ、あの娘はいいナ』というメンバーは若干名こそいても、宇野氏が積極的に応援し、更には自らの主催する雑誌の表紙にまで起用した横山由依ちゃんのような存在はいないわけであります。 俗に「識者」と呼ばれる人間がそれこそ口角泡を飛ばして語られる話題が「AKB48」という「事実」が例えようも無く知的に面白いのです。だからこそ僕は2006年当時、付き合いのあった人間から幾度と無くAKB48の公演に誘われておりましたが、そのときは全く興味が無かったので適当な理由をつけては断り続けて現在に至るという経緯を非常に後悔し続けているのかもしれません。もしも、あそこで彼女達の公演に足を運んでいたとしたら、メジャーになる前の彼女達の貴重な瞬間に立ち会えていたのでしょうし、もしかすれば宇野氏とAKBグループについて熱く語りあえていたのかもしれません。返す返すも残念です。 しかし、彼女達のドキュメンタリー映画は見ているので、本書で紹介されているエピソードを読んでも『あぁ、あの話か』という理解はでき、彼女たちが有名になるまでのプロセスがかつてのアイドルとは一線を画す形であったのだと言うことは良くわかるような気がするのでした。最後に、我々は宇野氏や濱野氏がおっしゃるように古いとあたらしいが存在する中に生きているのでしょう。個人的にはその両方を行き来しつつ、日常を送っていると認識しておりますが、他者から見た僕はに属している人間なのでしょう。おそらく。 僕は宇野氏とはまた別のアプローチで「見えないもの」を「観る」ようにはしているつもりですが、僕と宇野氏の違いを挙げるならば、アニメ、ゲーム、アイドルの「濃度」が低い代わりに「文学」と「宗教」さらに「哲学」や「金融・経済」などの視点が入っているのかもしれないと、読み終えた後にそんなことを思いつつ、この文章をしたためております。
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