人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか の商品レビュー
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具体的 抽象的 ストレスの主原因というのは、自分の思い込み 全てが無に帰す 人生を楽しむためには、虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。 つまりは、もしも明日死ぬなら、と考えられる人は、もしも永遠に生きられる...
具体的 抽象的 ストレスの主原因というのは、自分の思い込み 全てが無に帰す 人生を楽しむためには、虚しさと親しみ、明日死ぬと思って毎日行動することだし、また、永遠に生きられると想像して未来を考えることである。 つまりは、もしも明日死ぬなら、と考えられる人は、もしも永遠に生きられるなら、とも想像できるということである。抽象的思考が、このように人の「大きさ」というものを膨らませる。これがその人の「器量」になる。 ガーデニング 緩急の振幅が思考を刺激する 自分に都合の良いものだけを引用して自分の意見を主張し、それに反対する意見に対しては、「なにも知らない奴」として、情報不足だと処理する人 非国民 軍国主義の国 庭付きの頭 いっちょう‐いっせき【一朝一夕】《一日か一晩か、の意から》わずかな期間。短い時日。「これほどの大事業は―には成就しない」
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[抜粋+感想] 具体的に考えるよりも、客観的≒抽象的に考えれば、その考えの応用が効く、というお話。一例として、北方領土問題が取りあげられています。 北方領土問題に対する、非関係者の意見です。ユニークな意見ですが、筋が通っています。筋を通さないで議論するのは怖いですね。本来あるべ...
[抜粋+感想] 具体的に考えるよりも、客観的≒抽象的に考えれば、その考えの応用が効く、というお話。一例として、北方領土問題が取りあげられています。 北方領土問題に対する、非関係者の意見です。ユニークな意見ですが、筋が通っています。筋を通さないで議論するのは怖いですね。本来あるべき姿を考える前に自分の意見や人の意見に流されるのは慎みたいところです。 「お互いの国で、その島が相手の領土だと主張する学者(専門家)を探す。少なくとも、その学者は、自国の利益を棚上げにしているだけでも、普通の人より客観的だろう。マスコミには、こういう人の意見はけっして紹介されない。マスコミもまた客観的ではない証拠である。 さて、お互いの国から、そういう学者を出しあって、会議をさせるのである。それぞれが、「この島は、貴方の領土です」という議論を戦わせることになる。それを公開して、両方の国のみんなで見ると良いだろう。」p.10 領土問題にしても、「あんな島、向こうにやれば良いではないか」という意見を、僕は何人かから直接聞いた。しかし、そういう意見を、マスコミはけっして伝えない。何故だろう? 日本人だったら、絶対に言ってはいけないことなのだろうか。 ロシアの学者で、北方領土は日本のものだと主張している人がいる。これを知ったときには、「ああ、ロシアというのは、さすがに先進国だな」と僕は思った。成熟した社会であれば、いろいろ意見が出て、それを公開できるはずだし、冷静に、喧嘩腰にならずに、議論ができるはずなのだ。それができないのは、僕には「遅れている国だな」としか思えない。 (中略) もちろん、僕は日本人だから、「あの島が日本のものだったら良いな」とは感じる。でも、そんな希望で話をするわけにはいかない。注意をしてもらいたいのは、「願い」を「意見」にしてはいけない、ということだ。 (中略) なんでもみんなで多数決を取る、というのは考えもので、それぞれの専門家が考える方が間違いがない。原発反対の人が多いから原発は廃止すべきだ、という数の理論は成り立たない。それが成り立つなら、税金は安い方が良いということになるし、領土は、人口の多い国のものになるだろう。 大勢の「感情」を煽って、声を大きくすれば社会は動く、という考え方は、民主的ではなく、ファシズムに近い危険なものだと感じるのである。戦争だって、国民の多くの声で突入するのだ。「国民の声を聞け」というが、その国民の声がいつも正しいとは限らないことを、歴史で学んだはずである。」p.55
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考えていることに近づけば近づくほどわからなくなる場合、とっても主観的かつ具体的になってることが多い。最終的なアウトプットが具体的なものであっても、客観的、あるいは、抽象的な視点というものを忘れずに持ってなければならない。いや、ならないというよりも、そのほうが思考しやすい。……的な...
考えていることに近づけば近づくほどわからなくなる場合、とっても主観的かつ具体的になってることが多い。最終的なアウトプットが具体的なものであっても、客観的、あるいは、抽象的な視点というものを忘れずに持ってなければならない。いや、ならないというよりも、そのほうが思考しやすい。……的なことが書いてあったように思える。 目から鱗が落ちるってほどではないんだけど、この思考の仕方はなかなか訓練が必要みたいだ。(本の中にもそんなことが書いてあった)ふとした時に、忘れた時に、頭がカチカチーっとなってる時に、何度も読みたいなあと思った。 あとは、単純に読み物としても面白い!
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【動機】森博嗣なので。タイトルがアレなので。 【内容】抽象化おじさん。 【感想】下品なまえがきに書かれている「客観」という言葉の使い方が自分の感覚とズレていて本の余白をハテナで埋め尽くしたくなったけれど、見下しながら我慢して読んでいるとだんだんハテナも溶けていって、らしい浮遊感を...
【動機】森博嗣なので。タイトルがアレなので。 【内容】抽象化おじさん。 【感想】下品なまえがきに書かれている「客観」という言葉の使い方が自分の感覚とズレていて本の余白をハテナで埋め尽くしたくなったけれど、見下しながら我慢して読んでいるとだんだんハテナも溶けていって、らしい浮遊感を味わえた。そしてどちらかというとこっち(抽象)側である自分にとって、鋭い戒めの言葉も得られた。
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抽象的な考え方ってこういうものじゃないの?っていう本。 こういう本は好きだ、こういう本はなかなかないと思う。 森博嗣のやさしい文体とやさしい語彙がいい。 抽象的な考え方も、具体的な考え方もできればええよなあ。 一回読んだだけでは身についた気はしないので、ぜひとももう一度読みたい本...
抽象的な考え方ってこういうものじゃないの?っていう本。 こういう本は好きだ、こういう本はなかなかないと思う。 森博嗣のやさしい文体とやさしい語彙がいい。 抽象的な考え方も、具体的な考え方もできればええよなあ。 一回読んだだけでは身についた気はしないので、ぜひとももう一度読みたい本です。
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最初から最後まで抽象的…私には程遠い感じ、だけど読んでとりあえずはよかった。身にはつかなそう…頭の中に庭をつくらないとね。
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具体的、論理的な考えだけじゃなくて、抽象的な考えもしてみようよって作品。 いまこの作家さんはどこに住んでいるんだろ。北海道か東北辺りかな。
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ミステリー作家(引退?)の森博嗣の書。 考え方のハウツー本ではなく、『もうちょっと考えてみよう』と勧めるだけの本なのだが、・・・さすが森博嗣っ!森博嗣ならではの言い回しが心地よかった。 著者としてはタイトルに『抽象思考の庭』を考えられていたとのことが「あとがき」に書かれている。...
ミステリー作家(引退?)の森博嗣の書。 考え方のハウツー本ではなく、『もうちょっと考えてみよう』と勧めるだけの本なのだが、・・・さすが森博嗣っ!森博嗣ならではの言い回しが心地よかった。 著者としてはタイトルに『抽象思考の庭』を考えられていたとのことが「あとがき」に書かれている。 この本では、具体的に考えることからはなれて、抽象的な思考をすることの大切さが述べられている。 ただし、抽象的思考は、論理的思考や具体的行動とセットにならなければ問題を解決をできないのだけれど、この三つのうち抽象的思考のみが手法が存在しないため教えること、学ぶこと、伝えることが難しいと述べておられる。 なんでもかんでも具体的に考え、具体的な情報に触れることに価値が置かれるように思われるけども、そこから離れて抽象的に考える勇気も必要だと思った。なによりも、面白いかもしれない。 後半、森博嗣が、趣味の庭いじりから得られた発想について述べられている点が面白かった。 ---------------- 内容(amazonより) 熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのに―。「疑問を閃きに変えるには」「“知る”という危険」「決めつけない賢さ」「自分自身の育て方」等々、累計一千三百万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには?一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。 ---------------- 第1章 「具体」から「抽象」へ アイデアはどこから来るのか / 「見えるもの」が既に偏っている 第2章 人間関係を抽象的に捉える 決めつけてはいけない / 奥深い人、浅はかな人 / 「友達」を抽象的に考える 第3章 抽象的な考え方を育てるには なにが「発想」を邪魔しているか / 普通のことを疑う / 自分でも創作してみる 第4章 抽象的に生きる楽しさ 「方法」に縋らない / なにもかも虚しい? / 自由のために働く 第5章 考える「庭」を作る 自分で自分を育てるしかない / 「知ること」に伴う危険 / 「決めない」という賢さ (「目次」より抜粋) ----------------
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我々は常に情報洪水に浸り、具体的な事象や物事に簡単に触れただけで、すぐに「知った」「学んだ」「考えた」という錯覚に陥り、本当に大事な「本質」を見落としてはいないだろうか?「頭の中の庭いじり」、常に疑い、検証し、自分の頭で掘り下げて深く考える癖を養っておきたいものだ。
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