人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか の商品レビュー
抽象的に考える事のメリットが分かりやすく理解出来た。 ぼんやりと頭を空っぽにしている時に良いアイデアが生まれた事を何度か経験した事があるが先入観のない無の状態からしか良い発想は生まれないのだろう。常識を疑う事から習慣化していきたい。周りに流されない自分の意見や価値観をしっかり持ち...
抽象的に考える事のメリットが分かりやすく理解出来た。 ぼんやりと頭を空っぽにしている時に良いアイデアが生まれた事を何度か経験した事があるが先入観のない無の状態からしか良い発想は生まれないのだろう。常識を疑う事から習慣化していきたい。周りに流されない自分の意見や価値観をしっかり持ちたい。 多数派の一般的な人が考えない事を思いつき内省してこれから大事に育てていきたいと感じた。
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色々なものを抽象的に捉える人は、日頃から、抽象的にものを見ているから、頭の中に、それらがぼんやりとした広がりをもって収まっている。ぼんやりとしているため、他のものとリンクしやすい。なんとなく、あれが近そうだ、どことなく似ていないか、というように連想され、紐を手繰り寄せるように、頭...
色々なものを抽象的に捉える人は、日頃から、抽象的にものを見ているから、頭の中に、それらがぼんやりとした広がりをもって収まっている。ぼんやりとしているため、他のものとリンクしやすい。なんとなく、あれが近そうだ、どことなく似ていないか、というように連想され、紐を手繰り寄せるように、頭の中から引っ張り出されることになる。 発想をする以前にも、この種の連想を繰り返しているので、なんとなく関連のあるものが「近く」に置かれ「似ている」ものとして認識されている。だから、 いざというときに取り出せるのである。 自分が得た情報を、別の情報と照らし合わせたり、理屈を考えて、どうしてこういったものが伝わってきたのだろう、といちいち考える人も少ない。そんな暇はないのかもしれない。しかし、ちょっと考えてみれば、「これはできすぎている」「嘘かもしれない」と疑うことができるはずだし、その情報の陰に隠れている動機、相互関係といったものを類推することもできる。真実はわからなくとも自分なりの解釈を持つことで、ものの見方は変わってくる。自分なりのものの見方を持っていることが、 客観性や抽象性を育てる。 客観的思考、抽象的思考というのは、客観的な見方、抽象的な見方によって始まる。目で見る見方でなく、頭の中でどう捉えるのかということだから、ちょっと違う面を想像してみたり、奥にありそうな見えない部分を想像してみたりする、というのは視点や視野を切り換える感じに似ている。 このへんすごく共感した、日頃していることを言語化されてる感じがした。 そしてこれを贈ってくれるのが彼女らしいなと思った。
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読んだ感想としては、文体から結構めんどくさそうな人だなぁという気がした。でもそういう人が1番抽象化能力高そうだなぁと思いつつ読み進めていったら、最後にこんな文書をながながと読んでくれた人は読み切れたというだけで抽象的思考の素養があると言われた。わろた。
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抽象的に考えることを、意識して訓練していこうという話。 人の脳はぼんやりとさせておくと、色々関連づけてアイデアを生み出す性質がどうやらあるようだ。具体的にしすぎた言葉は特定の物に囚われてしまう。 ぼんやりする技術を持ちたい。
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抽象思考についての本なので、内容も抽象的になりがち。いや、それが悪いとは思わない。そんな一冊。実はかなり難しい本かと。
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ずいぶんぼんやりしたタイトルだなあと思ったら、そういう内容だからなのかな。でも本人的にあんまり納得してなかったんでは?という感じのあとがきで微笑ましい。 意地悪を言えば、昔からこだわらないことにこだわってるよねあなたも、という感じなのだが、そこも込みで微笑ましい。
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「抽象的思考」をするにはどうすればいいか、という話から、広く人生についてまで書かれた本。 前半の抽象的思考については、なるほどね、と思いつつもあまり響かなかったが、後半の著者の人生に対するフラットな姿勢に心動かされました。 結局死にゆく人生なのだけれど、自分なりに楽しんで生き...
「抽象的思考」をするにはどうすればいいか、という話から、広く人生についてまで書かれた本。 前半の抽象的思考については、なるほどね、と思いつつもあまり響かなかったが、後半の著者の人生に対するフラットな姿勢に心動かされました。 結局死にゆく人生なのだけれど、自分なりに楽しんで生きればいいじゃないか、という温かく背中を押してくれるような考え方に、あくせく毎日を送る自分をなんだか許せる気がしました。 自分なりの「庭」を作りながら、心穏やかに生き、そして死んでいきたいと思います。
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抽象思考の重要性、方法論についての本だった。 物事を抽象的に捉えることでパーツ化され他の思いもよらないことと関連付いて全く新しい発想に繋がること。一朝一夕に役立てることは難しいけど心がけて身に付けたいと思った。 庭の話、イングリッシュガーデンということで、なんとなく「裏庭」を思い...
抽象思考の重要性、方法論についての本だった。 物事を抽象的に捉えることでパーツ化され他の思いもよらないことと関連付いて全く新しい発想に繋がること。一朝一夕に役立てることは難しいけど心がけて身に付けたいと思った。 庭の話、イングリッシュガーデンということで、なんとなく「裏庭」を思い出した。 最後の一文が優しく、思わず微笑んでしまった。読破してよかった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。 多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。 「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。 そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。 例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。 事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。 本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。 現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。 昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。 社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。 著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。 著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。 著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。
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