神道はなぜ教えがないのか の商品レビュー
今を生きる日本人だからなのか、それとも自分の思考がそうなだけなのか、そもそも日々の中で「信仰」なんてものは頭の中にこれっぽっちも浮かばない。 でも本書の中で書かれてる「神道=ない宗教」と捉えると、確かに自分の心の中にも「ないものがある」ような気がしてくるから不思議。それぐらい...
今を生きる日本人だからなのか、それとも自分の思考がそうなだけなのか、そもそも日々の中で「信仰」なんてものは頭の中にこれっぽっちも浮かばない。 でも本書の中で書かれてる「神道=ない宗教」と捉えると、確かに自分の心の中にも「ないものがある」ような気がしてくるから不思議。それぐらいでいいのでしょう。 対する「仏教=ある宗教」というのも対比としてわかるし、その派生のようなその他の「ある宗教/新興宗教」が自分には胡散臭く映るのも納得できる。 そして、神道と仏教の両方が混ざり合うような歴史の中、時の都合で「神仏習合と神仏分離」を経て現代まで「それっぽい信仰のようなもの」が受け継がれていると考えると、どちらかだけのような感覚は到底持てそうにないし「現代人=無宗教」な感覚になっているのも道理のような気がする。 「神道=ない宗教」がすごく日本的に思える自分も無宗教ではないのだと感じるし、決して多くの日本人も無宗教ではないのだと思えてくる。
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このタイトルを見たとき「ほんとにそれ疑問」と思いました。進学した学校がたまたま神道系だったこともあり(知らずに進学)、神道や国学については多少知識がありましたが。 神仏習合やまた分離そのものについてやどうしてそんなことが起きたのかなどという歴史や時代背景的なことについては全く知識がありませんでした。また、ずっとという程ではないにしても折々疑問を感じていたこともあり興味を持って本書を手に取りました。 メインの考え方として本書の中では神道は「ない宗教」という定義がなされそれを軸にしたかのような章立てで進められていきます。 この「ある宗教」「ない宗教」という考え方が自分にはとてもわかり易く感じられました。 納得感があるといいますか。 なぜ「ない宗教」と言えるのかということを「ある宗教」代表(?)のような仏教と対比したり時代の流れとともに考察したりイスラムやキリストなどの宗教も引き合いしながら順々話が展開していきます。そのたびに「確かにないわ」と思わさせられました。 神道は宗教ではなく祭祀であるのでは、と本書の中にもでてきますが、そう考えたら初詣や七五三を神社でしてる人がキリスト教式で結婚式を上げ葬式を仏式でやったりお盆や墓参りでお経をいただくのもちょっと納得でした。(私は、ですが。万人の納得感は難しいでしょう)キリスト教を信仰している人には全くなんの納得も得られず逆に不可解が募るかもしれません。(そもそもキリスト教徒は本書を手に取らないでしょうね) 第10章に出てくる出雲国造の話は衝撃でした。現代においてもそんな風に生きてる日本人が居られるとは…。決められた火を使って自分で料理して自分だけでそれを食すはまだしも、喪に服さず?水葬される?すごい。その池にはそうすると代々の国造の…とか色々想像してしまいました。 各章が適度な長さで読みやすく興味のある人には面白い一冊だと思います。 これだけわかりやすいのは著者が様々な宗教について造詣が深い宗教学者であるからでしょう。
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神道には開祖も宗祖も教義もなく、もとは神殿もなく、岩陰で祭祀を執り行い、火が好きで、神々はいるけど天地創造はしてなくて(天地創造後の高天原から出てきた)という「ない宗教」。だから「ある宗教」である仏教とカニバらず、神仏習合がなし得た。神主は坊主と違って専門じゃないし、そもそも救済...
神道には開祖も宗祖も教義もなく、もとは神殿もなく、岩陰で祭祀を執り行い、火が好きで、神々はいるけど天地創造はしてなくて(天地創造後の高天原から出てきた)という「ない宗教」。だから「ある宗教」である仏教とカニバらず、神仏習合がなし得た。神主は坊主と違って専門じゃないし、そもそも救済とかない。もはや宗教かどうかも怪しい。だから明治政府に天皇と合わせ利用された。 あれだな、心の所作ってやつだな。
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タイトルの質問に対する回答は書いてない。 神道は「ない宗教」だということが繰り返し書いてある。 教祖がいない、教えがない、布教しないという「ない宗教」であることが、仏教やキリスト教やイスラム教と比べたときの神道の特徴だというが、ユダヤ教やギリシャ神話との比較はしないというご都合主...
タイトルの質問に対する回答は書いてない。 神道は「ない宗教」だということが繰り返し書いてある。 教祖がいない、教えがない、布教しないという「ない宗教」であることが、仏教やキリスト教やイスラム教と比べたときの神道の特徴だというが、ユダヤ教やギリシャ神話との比較はしないというご都合主義。その他、祖先や世界の始まりを教える主教は世界各地にあると思われるが、それには一切触れない。浅い本である。
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神道というのは宗教なのか? 寺にも神社にも初詣に行くのはなぜか? なんとなく日本人と神道との関係に疑問があり、島田裕巳ならわかりやすく解説してくれるだろうと思って手に取った。神仏習合がなぜうまくいったのか。島田は「ある宗教」としての仏教にちょうどよかった「ない宗教」という神道とい...
神道というのは宗教なのか? 寺にも神社にも初詣に行くのはなぜか? なんとなく日本人と神道との関係に疑問があり、島田裕巳ならわかりやすく解説してくれるだろうと思って手に取った。神仏習合がなぜうまくいったのか。島田は「ある宗教」としての仏教にちょうどよかった「ない宗教」という神道という読み解きを本書で示す。仏教と違い、神道は本来、下々の生活には踏み込まなかった。祭りや儀礼の執行者にすぎなかったし、神社はあれど神主はいないということも普通だった。神は人々のなかになく、山や神社といった空間に存在するものだった。それが戦後国家神道としての役割を失ってあらたに都市に出てきた人間の冠婚葬祭を司るようになっていく。神道というのは「昔からかわらない」顔をしているが、時代とともに変化を重ねてきているものだという理解を得た。
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知っているつもりで知らなかった神道のことを分かりやすく勉強できた。 他の宗教にはあって普通のものが神道にはことごとくない。 逆に、そんな神道を知ることで宗教の本質の理解に繋がるのではないだろうか。
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●キーワードは「ない宗教」。開祖も、宗祖も、教義もないから、神道は仏教とも共存できた、ということらしい。
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なぜ教えがないのか、という問いに対しての答えより、神道史のおおまかな解説が大部分であったような気がする。 興味深く読むことができた。 普段は格別に意識せずとも、神道は生活に深く根付いており、宗教として考えた際にあまりにもその輪郭がぼやけている。 だが、神社に行くのである。 救...
なぜ教えがないのか、という問いに対しての答えより、神道史のおおまかな解説が大部分であったような気がする。 興味深く読むことができた。 普段は格別に意識せずとも、神道は生活に深く根付いており、宗教として考えた際にあまりにもその輪郭がぼやけている。 だが、神社に行くのである。 救いを求める者もいるかもしれないし巡礼者もいるかもしれないが、それよりも、ただ、普段の生活の中の感謝や平安を願うために。 それに神社は答えてくれる。(当然神様も)
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・日本には、火を用いた火祭りというものが実に多い。他の国にも火祭りがないわけではないが、火そのものが神聖視されるような祭りはほとんどない。そこに、日本の祭りの特徴を見出すことができる。さらには、日本人の宗教観の特徴を見出すことができる。重要なことは、火のような自然物がそのまま信仰の対象となっていることだ。 火というものには、浄化の働きがあると考えられている。したがって、正月行事のなかには、どんど焼きのように、正月の飾りなどを燃やす儀礼が含まれている。 ・神倉神社のゴトビキ岩のように、岩自体が神聖視されている場合もあるが、神聖な空間や神話の物語に共通しているのは、巨大な岩が作り出す透き間、何もない空間が重要な意味をもち、そこが祭祀の場となっていることである。 そして、岩によって閉じられた空間は、伊邪那美命が赴いた黄泉の国のように、私たちが日々の暮らしを送っているのとは違う異界であり、異世界を構成している。 「古事記」において、黄泉の国がはっきりと地下にあるとされているわけではないが、黄泉平坂を下っていくという点で、地下にあるものと考えることができる。 一方で、神々の住まう高天原は天にあるとされている。それは、日本の神道に限られないことで、どの民族においても、神は天にあるものとされている。 神々が天に居るのであれば、その天に向かって祭祀を行うべきである。ところが、多くの場合、祭祀は岩陰で行われる。陰で行うということは天の神々から見られないように、わざとその姿を隠して祭祀を行っていると見ることさえできる。
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