エクソフォニー の商品レビュー
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日独両言語で小説を書いていることは知っていたが、読むのは今連載中の新聞小説が初めて。てっきりバイリンガルなのだと思っていたが、大人になってから習得したのだと知って興味がわいた。新聞小説は初めてドイツを訪れた時の著者がモデルの作品だということだ。もともと「外国語を習得した人」に強いあこがれがある。言葉に触れているのが好きで特に目的もなくちまちまだらだらと語学学習も続けているが、ただの一言も「話せる」ようにはなっていない。いつか外国語が意味をなして脳内に流れ込んでくるという状態にかなわぬ夢と知りつつ勉強まがいのことから離れられないでいるのだが、「努力」はしていないので夢のままである。だから母語以外の言語で文学作品を生み出すという神の領域の所業をやってのけている人の言語に関するエッセイはとても刺激的だった。全くわからない言葉を話す人と通訳を介して対話するとき、相手とのの関係の中で意味だけが存在しないという不思議な状態や、体の部分や動植物を含むドイツ語の慣用句を著者が聞いたときにドイツ語を母語とする人とは違う部分を切り取って考察する等々、実に興味深く読んだ。「ひとはコミュニケーションができるうようになるとコミュニケーションばかりとるようになる」というところにもうなづける。 2003年刊の単行本を図書館で借りた。
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言葉に真摯に向き合っている筆者が、旅行先のエピソードからの想起に端を発して自身の言語論を展開していく。 その言語論は実際に行動に移す中で獲られたものだから、読んでいてとても小気味よい。 読みやすい文章だけど、手を止めてゆっくり読みたくなる本。
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「エクソフォニー(exophony)」 聞き慣れない言葉だが、「母語の外に出た状態一般」、そして「母語以外の言語で文学を書く現象」を意味するらしい。 日本語とドイツ語で創作活動を続けてきた著者の多和田葉子さん。 様々な言語文化と接する中で見えてきたもの、感じたことを鋭い洞察力...
「エクソフォニー(exophony)」 聞き慣れない言葉だが、「母語の外に出た状態一般」、そして「母語以外の言語で文学を書く現象」を意味するらしい。 日本語とドイツ語で創作活動を続けてきた著者の多和田葉子さん。 様々な言語文化と接する中で見えてきたもの、感じたことを鋭い洞察力で文字に起こしている。異なる言語の視点を持つことで、日本語を客観的に見る機会が得られることに気付かされる。 ドイツ語の言葉遊びも面白い。
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閔さんの喋り方が好きだった。姜さんの相槌が好きだった。2人の発音が好きだった。カフェでおじさんにうるさいと怒られた時、「図書館じゃないのにね」と言った閔さんの表現が好きだった。 今の私の話し方はこの2人の影響をもろに受けていると思う。「〜ですねぇ〜」のねを強く言うとか、「あー」と...
閔さんの喋り方が好きだった。姜さんの相槌が好きだった。2人の発音が好きだった。カフェでおじさんにうるさいと怒られた時、「図書館じゃないのにね」と言った閔さんの表現が好きだった。 今の私の話し方はこの2人の影響をもろに受けていると思う。「〜ですねぇ〜」のねを強く言うとか、「あー」という相槌とか、カ行とかも? 母語が韓国語で、日本で働くために日本語を覚えた2人の日本語。それに影響されて母語の話し方が変わる日本語を話す私。エクソフォニーという状態ではないが、自分の言葉に外国人の言葉を取り入れていく、こんな楽しい経験はない。 韓国ドラマを見過ぎて、「イエー」という返事(恐らく丁寧なはい)を使うようになった。韓ドラを一気見している時は、耳だけはエクソフォニー!それで心地のいい言葉を捕まえて、これは外国語として使う。これも楽しい経験だ。 潜在的に自分の話している言葉を変えたいと思ってる。イタリアで英語を話すよりも成田で税関と話す方が、自意識過剰になって嫌な気分になった時も、自分のアイデンティティはもしかしたら日本語では表せないのかもしれない!だから、韓国語が母語の人の日本語にときめいたり、外国語の表現を使いたくなる。 そういう意味でも、母語の外に出る旅はすごく魅力的に感じて、読んでて楽しかった。 あと、言葉遊びの芸術性を説いてくださってたのは、救われた。
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「母国語の外へ」という意味を持つこのタイトル。だが、本当に「母国語の外へ」出られるのだろうか。あるいは「異国語の内へ」留まり続けることや、「母国語と異国語の間で」迷い続けることはできないのか。多和田葉子の筆致は難しいところはなく、スマートで伸びやかに、少しも堅苦しさを感じさせず著...
「母国語の外へ」という意味を持つこのタイトル。だが、本当に「母国語の外へ」出られるのだろうか。あるいは「異国語の内へ」留まり続けることや、「母国語と異国語の間で」迷い続けることはできないのか。多和田葉子の筆致は難しいところはなく、スマートで伸びやかに、少しも堅苦しさを感じさせず著者のアクティブなフットワーク/足取りを通じてそうした思考実験にこちらを誘う。私は英語(お粗末な次元だが)と日本語が精一杯なのだけれど、そんな私でも母国語と異国語に多和田のように常に違和を感じ、考え続けることが思考を鍛えるのかと思う
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多和田葉子が世界の様々な都市に滞在した時の体験をもとに綴った「ことば」をめぐるエッセイ.ソローキンと山田詠美のやりとりが微笑ましい.
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エクソフォニーとは母語の外に出た状態一般を指すそう。移民ではなくとも外国語で書く人がいる。意思疎通のために独自言語として進化したというわけでもない。日本語とドイツ語で本を書く著者の母語の外を巡る紀行文であり、言葉に対するエッセイ。母語しか扱えない(それもたまに危うい)身としては、母語と外国語の狭間を生きる感覚がどういうものなのか、体感できないゆえに羨望を覚える。思索は尽きない感じがした。
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母語と文学は一致しなくてもよい自由でよいのだと考えるようになった。 言葉の音の響き、外国語として言葉に触れるときの発見がみずみずしく書かれていた。
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内容は皆様のレビューの通り… 著者の戸惑い、好き嫌い、イラつきもはっきりと書いてあって楽しい。 (この文を書く間に「イライラ」の語源を調べずにはいられなくなる)
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フランス語がわからない著者がその環境に10日間ほどいたときの、夢の話が興味深かった。"ちょっと空気が震えただけで、泣いたり、喚き散らしたり、人を殺したくなる"という一文の凄み。ぐっとくるを通り越してなんかもう、ウッとなった(もちろんいい意味です)ここからもいい...
フランス語がわからない著者がその環境に10日間ほどいたときの、夢の話が興味深かった。"ちょっと空気が震えただけで、泣いたり、喚き散らしたり、人を殺したくなる"という一文の凄み。ぐっとくるを通り越してなんかもう、ウッとなった(もちろんいい意味です)ここからもいい意味で、わりと怒りを感じるところに人間味を感じた。 そのほかにもいいなあとじわじわ感じるところが多々あり、ほかの方も感想に書いてらしたけれど、多和田さんの言葉に対するこだわりや真摯さを感じられる。言葉えらびがすてきで、くり返し読みたくなる文体でした。読んでよかったです。
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