エクソフォニー の商品レビュー
多和田葉子さんは 1993年に芥川賞を受賞した著名な作家なのだが 私は恥ずかしいことに 多和田さんの存在を 「2018年の全米図書賞翻訳部門を受賞」 のニュースをネットで見て初めて知ったのだった。 多和田さんは早稲田大学でロシア語を学び ロシア(当時ソ連)ではなく ドイツ(当時...
多和田葉子さんは 1993年に芥川賞を受賞した著名な作家なのだが 私は恥ずかしいことに 多和田さんの存在を 「2018年の全米図書賞翻訳部門を受賞」 のニュースをネットで見て初めて知ったのだった。 多和田さんは早稲田大学でロシア語を学び ロシア(当時ソ連)ではなく ドイツ(当時西ドイツ)に留学。 以来30年以上ずっとドイツに住み 日本語とドイツ語で作品を創り続けている。 Exophonyとは 「母語以外の言語で文学を書く」という意味。 サブタイトルのように 多和田さんは朗読会や講演などを行うために 世界各地を旅しているわけだが その度に母語と非母語について 考え 感じ 新たな捉え方に挑戦し続けている。 一文学者の紀行文として楽しみながら 目からウロコのような「多和田式」捉え方に 刺激を受けることができる一冊だ。 多和田さんを ノーベル文学賞に最も近い日本文学者と 言う人もいるが 彼女の活動を辿れば納得がいく。
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虚構というのは嘘ではない 物事を捉える枠組み 言語の助けを借りて建物の柱や壁を作ること 生きていく上での方向感覚を身につける
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日本語とドイツ語の2ヶ国語で著作をあらわす筆者が、これまで訪れた世界の街での経験に寄せて、創作意欲や表現方法を語るユニークな本。 多国籍クリエーターたちのエピソードが面白く、また、幼少時に住んでいたわけでもない国に意図的に定住し、その国のことばで作品を出す動機が深い。 「ことば」...
日本語とドイツ語の2ヶ国語で著作をあらわす筆者が、これまで訪れた世界の街での経験に寄せて、創作意欲や表現方法を語るユニークな本。 多国籍クリエーターたちのエピソードが面白く、また、幼少時に住んでいたわけでもない国に意図的に定住し、その国のことばで作品を出す動機が深い。 「ことば」をオールにして世界に漕ぎ出し、世界を見つめる姿勢が徹底している。兎角ヒトはあれこれ欲張ってしまうが、定点に構え、じっくり数十年かけて物事を見極めようとすることの重みを感じた。
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『言葉と歩く日記』を読んでから、こちらを読んだ。 第一部はその本の趣向にちょっと似ていて、作家活動の傍ら世界をめぐる中で、さまざまな言葉に触れて思うことが述べられている。 第二部はドイツ語にフォーカスした内容。 こちらの方が内容が濃いし、面白い話もあるのだけれど、残念ながらドイツ...
『言葉と歩く日記』を読んでから、こちらを読んだ。 第一部はその本の趣向にちょっと似ていて、作家活動の傍ら世界をめぐる中で、さまざまな言葉に触れて思うことが述べられている。 第二部はドイツ語にフォーカスした内容。 こちらの方が内容が濃いし、面白い話もあるのだけれど、残念ながらドイツ語が分からないので、ピンとこないところもあった。 さあ、いよいよこの人の小説や詩を読まねば…。
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ヨーロッパと日本の言語を巡る状況を概観するとともに、いろんな物事が統一とか硬直に向かっていくことを危惧し、それとは全く逆の瑞々しい価値観を提示している。外国語を学び、外国語と母国語の間で考えることで、一つの文化を相対的に見ることができる。ここからはかなり教訓的な考えを取り出せるだ...
ヨーロッパと日本の言語を巡る状況を概観するとともに、いろんな物事が統一とか硬直に向かっていくことを危惧し、それとは全く逆の瑞々しい価値観を提示している。外国語を学び、外国語と母国語の間で考えることで、一つの文化を相対的に見ることができる。ここからはかなり教訓的な考えを取り出せるだろう。だが本書の特徴はいたるところに言葉遊びが散りばめられていることだ。この本はただ有意義なだけでなく、たたずまいそのもので芸術を表している。
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ドイツ語でも創作をしている著者の、『言葉』を巡るエッセイ。 第一部では著者がシンポジウムや取材などで訪れた都市を軸に、第二部では主にドイツ語についてがテーマになっている。 書いてあることは面白いが、あまり新鮮な話題が無かったのが残念。
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エクソフォニーというのは聞き慣れない言葉だが、副題にある「母語の外へ出る」という意味合いの筆者の造語であるようだ。多和田葉子は、在独30年に及ぶようだが、その間に日本語で小説やエッセイを(芥川賞の『犬婿入り』他多数)書く一方、ドイツ語でも創作活動を続ける(ドイツでの受賞も多数)ス...
エクソフォニーというのは聞き慣れない言葉だが、副題にある「母語の外へ出る」という意味合いの筆者の造語であるようだ。多和田葉子は、在独30年に及ぶようだが、その間に日本語で小説やエッセイを(芥川賞の『犬婿入り』他多数)書く一方、ドイツ語でも創作活動を続ける(ドイツでの受賞も多数)スーパーバイリンガルな作家である。本書は、そんな彼女の言葉をめぐる、いわば思索的エッセイといった趣きのものだ。ここには様々な地が登場するが、それらの地域性は必ずしも重要ではなく、筆者はその本質においてはコスモポリタンな人だと思う。
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軽やかで読みやすい。母語の外に出つつ、その言語にこだわるのでもなく、あくまで境界を楽しむことを、実践している。母語/外国語を問わず言葉を大切にすること、いろんな言語に触れることの歓びにあふれている。 単調な語学の勉強に嫌気が差しそうになったときに読み直したい一冊。 「ハンブルク...
軽やかで読みやすい。母語の外に出つつ、その言語にこだわるのでもなく、あくまで境界を楽しむことを、実践している。母語/外国語を問わず言葉を大切にすること、いろんな言語に触れることの歓びにあふれている。 単調な語学の勉強に嫌気が差しそうになったときに読み直したい一冊。 「ハンブルク」が特に興味深かった。88頁。 「 わたしがハンブルクに来たのは一九八二年のことだが、当時のわたしの耳は今のわたしの耳とは違っていたと思う。ドイツ語はすでに日本で勉強していたものの、聞き取りの能力はなかった。辞書を引きながらなら、かなり難しい本でも読めたし、文法も単語も分かっているから、こちから言いたいことは言えるが、相手の言うことが聞きとれない。赤ん坊の逆である。赤ん坊なら本は読めないし、まだしゃべれないが、人の言うことはかなり分かる。わたしが自分から一方的に作った文章は文法的に正しくても、理屈だけで組み立てたものであるから、音楽的流れはなかった。そのうちに、だんだん相手の言っていることが、すいすい耳に入ってくるようになってきた。それは、個々の単語や文節が聞き取れるようになってきたということの他に、全体の流れが音楽的につかめてきたということだろう。 」
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「90年代を代表する文学はどんな文学かと聞かれたら、わたしは、作者が母国語以外の言語で書いた作品、と答えるのではないかと思う」 と言い切る多和田葉子氏の著作で、解説は英語を母語としながら日本語で捜索活動を続けるリービ英雄氏。 『エクソフォニー』という表題は耳慣れないが、副題は「...
「90年代を代表する文学はどんな文学かと聞かれたら、わたしは、作者が母国語以外の言語で書いた作品、と答えるのではないかと思う」 と言い切る多和田葉子氏の著作で、解説は英語を母語としながら日本語で捜索活動を続けるリービ英雄氏。 『エクソフォニー』という表題は耳慣れないが、副題は「母語の外へ出る旅」。 そうなれば本書のテーマは明らかだろう。 要するに「母語を相対的にとらえる」ということになるのではないか。 我々は当たり前のことだけれど母語に依拠して生きている。 それはつまり、母語の世界観を前提にした考え方やものの見方しかしていないということだ。 筆者の多和田氏はそうした我々の「思い込み」を突き崩そうとしているように思われる。 だからこそ、多和田氏の投げかける問題は、我々の生きた方の問題として切実に迫ってくるのではないかと思う。 非常に刺激的な本で、とてもおもしろかった。
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日本語を母国語に持ちながら、ドイツ語でも小説をものしている著者が、「母語の外へ出る旅」を語るエッセイ集。元来、僕は言語は思考の枠組みを変える(ので、第二言語を喋っているときは性格が変わる)という説の信奉者であり、様々な思考の枠組を手に入れるために様々な言語を学ぶのは良いことだと考...
日本語を母国語に持ちながら、ドイツ語でも小説をものしている著者が、「母語の外へ出る旅」を語るエッセイ集。元来、僕は言語は思考の枠組みを変える(ので、第二言語を喋っているときは性格が変わる)という説の信奉者であり、様々な思考の枠組を手に入れるために様々な言語を学ぶのは良いことだと考えている。しかし、この著者は単に新しい言語を手に入れるに留まらず、母国語と第二言語、そしてそれらの境界についての思索をさらに深めていく。二つの言語の境界線上では、日本語を母国語としたドイツ語話者に特有の Japanisch Deutsch が誕生し、言語表現はさらに豊かなものに……。
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