アグルーカの行方 の商品レビュー
タイトルで中身の想像が大体ついてしまう本ですが、とは言え面白いのは、著者が同じようなルートを実際に旅すること。説得力は物凄くあるし、ルポは引き込まれるような面白さがあります。 しかし、著者の探検はフランクリン隊のそれとは違って、大義は無いのではないか。国の威信をかけて新たな貿易...
タイトルで中身の想像が大体ついてしまう本ですが、とは言え面白いのは、著者が同じようなルートを実際に旅すること。説得力は物凄くあるし、ルポは引き込まれるような面白さがあります。 しかし、著者の探検はフランクリン隊のそれとは違って、大義は無いのではないか。国の威信をかけて新たな貿易路である北西航路を開拓する探索と、そのトレース。大変な冒険なのは文章からも、途中に挟まれた写真(いや、やっぱ写真があると違う!)からも感じられるのだけど、そこに危険を承知で行くのか、と思うと何だか切ない気持ちになります。 フランクリン隊の真相的な何かに迫るかというと、彼らの不可解な行動(船を放棄して、また戻る?)も別に解決されてはいなくて、途中のお墓を網羅していく訳でもない。 フランクリン隊のエピソードも、著者の訪れる場所に合わせて効果的なタイミングで挟んでくるなぁと思うものの、ちょいと狙いすぎな感覚。ストーリーが途中から読めてしまうような勿体なさを感じました。 でも星は4つ。面白いからです! 小さなアラの探しどころなんて、どんな本にもいくらでもあって、そんなものは「実際に行った、やった」ことの迫力の前にはすっ飛ぶのです。 肩の力を抜いた探検ものがあってもいいのかなと思ったり。
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探検家としてとんでもないことを成し遂げていることに加えて、ライターとして非常に優秀。 フランクリン隊はなぜ全滅したのか、アグルーカたちはどこへ行ったのか、それを自分たちの冒険とパラレルに見せていく演出はすごく上手い。 ただ歴史を順に語っていくのではなく、自分の足で実際に足跡を辿...
探検家としてとんでもないことを成し遂げていることに加えて、ライターとして非常に優秀。 フランクリン隊はなぜ全滅したのか、アグルーカたちはどこへ行ったのか、それを自分たちの冒険とパラレルに見せていく演出はすごく上手い。 ただ歴史を順に語っていくのではなく、自分の足で実際に足跡を辿っているだけに、その経験から生まれる言葉に説得力がある。 巻中の写真には、過去の探検家がともに歩いているような臨場感さえ感じた。 同行者の荻田氏とのやり取りがライトに描かれているだけに、大変だった苦労しただけではない、冒険の過酷さがよりリアルに感じられたように思う。 空白の5マイルの次に読んだのがこの作品だが、本作の方がずっと好きな作品です。
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1840年代、英国のフランクリン隊が北極圏の北西航路を開拓するために、129人、2隻の軍艦で旅立つが、行方不明となり出発後10年近く経ったのちに全滅したことがわかる。その後の調査や隊員に遭遇したイヌイットの言質より、隊員の無数の白骨や墓、遺品などが発見された。しかし、最後の隊員が...
1840年代、英国のフランクリン隊が北極圏の北西航路を開拓するために、129人、2隻の軍艦で旅立つが、行方不明となり出発後10年近く経ったのちに全滅したことがわかる。その後の調査や隊員に遭遇したイヌイットの言質より、隊員の無数の白骨や墓、遺品などが発見された。しかし、最後の隊員が、どこまで辿り着き、志半ばで力尽きたかはいまだに謎である。 本書では実際に北西航路を歩きながら2ヶ月かけて踏破する過程を経てその仮説を提示する。 過去と現在を交互に描く手法、極地探索におけるGPSの意味合い、なぜ危険な旅を続けるのか。 読み応えのある、非常に面白い本でした。船戸与一、高野秀行、そして角幡さんと、早稲田の探検部に興味を抱く。
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21世紀における冒険家”角幡唯介”が送る傑作冒険ドキュメンタリー。 1845年、英国は北極経由でアジアに抜ける交易路を確保すべく、ジョン・フランクリンを隊長とする探検隊を北極圏に送り込む。 幾多の不運に襲われたフランクリン隊は、乗組員192名が全員死亡。しかし、隊の分裂・カニバリ...
21世紀における冒険家”角幡唯介”が送る傑作冒険ドキュメンタリー。 1845年、英国は北極経由でアジアに抜ける交易路を確保すべく、ジョン・フランクリンを隊長とする探検隊を北極圏に送り込む。 幾多の不運に襲われたフランクリン隊は、乗組員192名が全員死亡。しかし、隊の分裂・カニバリズムの横行など凄惨な事態を目の当たりにしつつも、たくましく生き残った生存者が南へ生き延びた記録が、当時の文献やエスキモーの証言から浮かび上がる。 その名は「アグルーカ」。 角幡は「アグルーカ」がその目で見たであろう極限状態に置かれた人間・極北の厳しい自然の景観を追うべく、北極探検の専門家"荻田"と共に氷で閉ざされた世界をゆく。彼らのトンデモナイ冒険がシリアスに、コミカルに描かれる。 「決まった時間に決まった電車に乗り、決まったコンクリートの建物に吸い込まれていく」そんなサラリーマン生活の埒外にある彼らの行動は、凝り固まった頭脳に風穴を空けてくれるはず。通勤時間におすすめの一冊です。
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1845年、英国から出発した、北西航路(カナダの上の方を通って、アジアへ抜ける航路)を探す探検隊・フランクリン隊。全隊員が死亡したといわれる。 著者はこのフランクリン隊遭難の足跡を辿りながら、北極圏を旅する。 極限の寒さの中を旅するとは、えらいことだ。そして、そんな世界で日...
1845年、英国から出発した、北西航路(カナダの上の方を通って、アジアへ抜ける航路)を探す探検隊・フランクリン隊。全隊員が死亡したといわれる。 著者はこのフランクリン隊遭難の足跡を辿りながら、北極圏を旅する。 極限の寒さの中を旅するとは、えらいことだ。そして、そんな世界で日々暮らしている人々がいるということもまたえらいことだ。
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壮絶な北極探検記。なにより筆者が同年代というところに驚く。精神力、行動力、大胆さ、計画性、洞察力、感受性、すべてが羨望の対象。ジャコウウシを撃って食料にするところは、読んでいて辛くなるような記述だったが、極限状態では人も動物も弱肉強食の序列に組み入れられる現実があるのだと突き付け...
壮絶な北極探検記。なにより筆者が同年代というところに驚く。精神力、行動力、大胆さ、計画性、洞察力、感受性、すべてが羨望の対象。ジャコウウシを撃って食料にするところは、読んでいて辛くなるような記述だったが、極限状態では人も動物も弱肉強食の序列に組み入れられる現実があるのだと突き付けられた。リアリズムに貫かれた文章は、開高健を思い起こす。淡々と語られるユーモアもいい。
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探検、冒険、未踏の地といった派手な惹句にとどまらない記憶に刻まれる記録と著者の生々しい感情の動きがある。過去の探検隊の足跡を追いながら、現代社会における「冒険」の意味やあり方を考えさせる。ひとたび読み始めると、日々の細々した仕事からの疲れやこだわりが吹っ飛び極北の地で白い息を吐き...
探検、冒険、未踏の地といった派手な惹句にとどまらない記憶に刻まれる記録と著者の生々しい感情の動きがある。過去の探検隊の足跡を追いながら、現代社会における「冒険」の意味やあり方を考えさせる。ひとたび読み始めると、日々の細々した仕事からの疲れやこだわりが吹っ飛び極北の地で白い息を吐きながらひたすら歩き続ける人の姿に夢中になる。なぜこんなに人は冒険に取りつかれるのかという謎と、過去の探検隊にまつわる謎がオーバーラップしていき、いつの間にか引き込まれてしまう。
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現代にこのような冒険をやっていることに驚いた。極地探検の 奥深さ、厳しさを知った。アグルーカへの尊敬、敬愛の念がよくあらわれている。フランクリン探検隊の軌跡を実査で解明した、命がけの渾身の一作。
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1845年、英国から極地探検に出発したフランクリン隊129名全員死亡。 著者・角幡と北極探検家・荻田泰永はその軌跡を辿る旅に出発する。 103日間、1600キロの極地探検。 何故そこまでして・・ 著者・角幡さんは、自身が(何故?)という思いを抱き続け極地を行く。 角幡さんが探検を...
1845年、英国から極地探検に出発したフランクリン隊129名全員死亡。 著者・角幡と北極探検家・荻田泰永はその軌跡を辿る旅に出発する。 103日間、1600キロの極地探検。 何故そこまでして・・ 著者・角幡さんは、自身が(何故?)という思いを抱き続け極地を行く。 角幡さんが探検を終える時、私が抱く(何故?)も綺麗に回収されていた。フランクリン隊の軌跡。もう少し追ってみたくなった。 冒険家の思いに少しだけ寄り添えた気がする。
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アグルーカとは北極のイヌイットたちが、かつて北極にやってきた勇敢な男たちを呼んだ名称である。本書はそう呼ばれた男たちのうち、1840年代に129名もの隊員全員遭難という悲劇を招いたフランクリン隊の行方をたどった記録である。それは、零下何十度という酷寒の中、103日、1600キロに...
アグルーカとは北極のイヌイットたちが、かつて北極にやってきた勇敢な男たちを呼んだ名称である。本書はそう呼ばれた男たちのうち、1840年代に129名もの隊員全員遭難という悲劇を招いたフランクリン隊の行方をたどった記録である。それは、零下何十度という酷寒の中、103日、1600キロに及ぶものであった。位置を知るGISや地図、最新の装備を備えていたとは言え、結局のところは橇、スキー、そして足を使うしかなかった旅がどれほど過酷のものかは想像して余りある。食料の備蓄はあるとはいえ、途中で牛や鳥を殺し、魚、鳥の卵を捕獲して食べる。狼や北極熊という脅威も常に潜んでいる。なにしろ、フランクリン隊は、隊員がつぎつぎと死んでいく中で、最後はお互いを喰らいあうカミバリズム(=人食い)までやったほどである。角幡さんは途中でGISも緊急の電話も置いていく。それは、これらを使っていては究極の冒険とは言えないと思うからである。昔、本多勝一が、道のあるところを歩くのは登山ではないという言い方をしていた。ある夏、北海道であったバイクの青年は、「どこまで」と尋ねると、「この道のつづく限り」と答えた。本当の冒険、旅とはそのようなものを言うのだろう。角幡さんはかつて、チベットの秘境、ツアンポー峡谷で生死の境をさまよい生還した人である。そんな体験をした人間にとって、生死の境を歩む旅というのは、いつまでもやめられないものなのであろう。体がうずくのである。そして書いたのが『空白の五マイル』で、それはいくつもの賞をかっさらった。自らの旅程と、先人の旅行記をまぜながら、あるときは現実をあるときは過去に滑り込む手法は本書でも存分に生かされている。それが一種独特の角幡唯介の世界を形づくっているのである。
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