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空白の五マイル の商品レビュー

4.2

88件のお客様レビュー

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2024/04/24

4/1読み始め 新年度にふさわしいスタートになるのか 1回目にツアンポーを攻略したと思ったら2回目挑んでた なかなか読み切らず どっちもいろんな難あり死にかけながら空白の5マイルに挑む 山登りもいいなあ、なんて思うけど絶対にツアンポーには登らない

Posted byブクログ

2024/03/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ようやく読書の時間を取れるようになってきたため再開。 二部構成、各6章-2章構成 探検家の魂のノンフィクション自叙伝 ・メインストーリー チベットのツアンポー峡谷にある、 前人未踏の空白の五マイルを日本の探検家が単独で踏破を試みる。 ・サブストーリー 途中、角幡氏の回想シーンと、ツアンポー・チベットの案件にまつわる歴史的叙述のシーンがある。 ・構成 基本的には角幡氏の探検中のシーンがほぼありのまま語られる。 ・特に印象的な場面など p.177 当然のことだが、滝には地元の人たちから呼び習わされてきた名前があった。〜米国人が思い入れたっぷりに名付けた「ヒドゥン・フォール・オブ・ドルジェパグモ」でも、中国人たちが無機質に命名した「蔵布巴東瀑布群」でもない、「ターモルン滝」という美しい名前があったのだ。 p.112,113 息子はどこかに流れ着いたら、そこで修行をするんだと答えたという。そこはチベットの有名な聖地なんだ。それが2人の間に交わされた最後の会話だった。『今になって思うと、どこかに流れ着いたらというのは、死後の世界のことを言っていたのかなとも思う。今でもあの言葉の意味を考えることが多いんですが、行く前からある程度の覚悟はあったのかなと思います。』 エピローグとあとがき全部 ・気づき 1.究極の追体験 何かを追体験できる、というのが読書の魅力の一つだと思うが、そのような追体験のうち、何かしらは自分が共感できるものだったり、イメージしやすいものだったりする。 ただ、この本はそこが全く異なっていた。 角幡氏が体験した全ての出来事が、常軌を逸したものであり、私自身では到底真似することが不可能で、イメージさえも難しい領域にあるものだった。 ゆえに1文1文読むのにとてつもなく体力を使ったが、その分だけ無知(未知)の世界の広がりを感じることができた。 2.自分の行動の意味づけをすること 彼が敢行した探検行為は、周囲からすればどういう意味があるのか疑問に感じるし、実際私も読んでる途中になぜこんな死のリスクを冒してまで冒険をしているのか…?という気分になった。 角幡氏自身も探検途中にその意味するところを突き詰めきれてはいなかったのではないか。 というのも、今なぜそれに取り組んでいるのか、その時々では本能的・直感的に分かってはいるものの、それを言語化するよりも先に体が行動しているからだと思う。 言語化・意味づけをせずにやり過ごしてしまった体験は風化してしまい、せっかくの貴重な体験でさえも問答無用で錆びついてしまう。自分の血肉となるべき経験を無価値にしてしまうのは勿体無い。 しかし、そうは言っても簡単に自分の行動の意味づけを行うことはできないようで、角幡氏もあとがきの部分で、全てを書き記すことはできていないと書いている。 分からなければ何度も重ねて意味づけをする必要があるようだ。 3.文の構成 本書の内容はとんでもない出来事の連続ではあるが、割と最後の方は慣れてきて、若干単調に感じてくる。というのも、本書の位置付けが最初に提示されず、読み手が迷子になってしまうからでは?と感じた。最後の最後で本書の位置付けが明示され、その背景で書いたのね、と納得はできるが、その情報なしだと、どんな素敵な秘境があるのだろうと期待しながら読み進めるので若干面食らう。 構成として、この冒険に何の意味があるのだろう、と疑問を抱かせる点では本書の構成がエピローグで伏線回収的になっていいのかも、と思ったりもしたが、最初に位置付け明記した方が親切とも思った。

Posted byブクログ

2024/02/24

ノンフィクションといえば良いのか、若者の成長物語とも言えそう。死ととなりあわせの冒険に赴く人々の気持ちが、最後につぶやくように記されており、ために冒険者は続き、それを我々は追体験したいのかもしれない。 文章は平易で読みやすく、感情移入も容易。 「冒険は生きることの意味をささやきか...

ノンフィクションといえば良いのか、若者の成長物語とも言えそう。死ととなりあわせの冒険に赴く人々の気持ちが、最後につぶやくように記されており、ために冒険者は続き、それを我々は追体験したいのかもしれない。 文章は平易で読みやすく、感情移入も容易。 「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」

Posted byブクログ

2024/04/04

2011年7月27日のブログより (内容) チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いった...

2011年7月27日のブログより (内容) チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこに流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。 第8回開高健ノンフィクション賞受賞作。読み始めて先ず、3世紀前にも”プラント・ハンター”なる職業があったという事実に驚いた。未開の地に咲く珍しい植物を採取したり種を自国に持ち帰り売って生計を立てる仕事だ。それだけ、先進国は昔から未知なる大陸や植物に目を付け憧れ、自然がもたらす大きな価値を知っていたということか。ドキュメンタリーには苦手意識があるが、とても読み易い文章で、最後まで飽きることなく読むことができた。開高健ノンフィクション賞に相応しい作品だと心から思う。 彼の挑戦は学生時代の2002年と仕事を辞めて挑んだ2009年の2回。良くぞ生還できた。生命をかけてまで冒険する彼らを突き動かす原動力となるものは一体何なのか。角幡が最初にかの地に向かう数年前、日中合同で組織された探検隊の隊員であった同じ大学の人物がこのツァンポー川で遭難し、亡くなっていた。武井氏は先を漕いでいた後輩のカヌーが転覆し後を追いかけて遭難しているが、本書の中の一章にこのカヌーイスト、武井義隆氏について追悼した文章が紹介されていた。 『あの時僕は本流に向かった君の本能的、直感的な判断に大きな感動を覚えました。そこに義隆君の勇気と偉大な人格を見たからでした。君はカヌーを通じて自然を考え、自分を見つめ、自らの人間性を高め、そうした体験の中から自然界の法則を識り人格を高めていったのですね。君の気高い精神は不滅です。あなたにとって冒険は「生きていくための新たな道を開く大きな扉」だった』。更に角幡さんは下記に続く文章を書いている。 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/af/0e325ff6733166b2e5f81767afab43b4.jpg たぶん、冒険者と呼ばれる彼らは、私たちが営む日常の生活に満足できないのだろう。普通に起きて飯を食べ会社に行き、家庭を持つような平穏な一日は、生死をかけて生きる瞬間瞬間をつないで生きた者にはぬるま湯にしか写らないのではないか。平凡な生活を長く続けるのは不可能で、生きている感覚を感じとれなくなるのではないだろうか。高見に登った人々には孤独な闘いが与えられ、それを貫く生き方を選ぶ厳しく険しい道しかないのではないかと思える。 映像で「極夜」を観てもやはり同じ感想を持った。

Posted byブクログ

2023/11/21

読後の脱力感が半端ない。 一人旅が好きで、単独登山も(かつてだけど)、冬山もやっていた自分(角幡さんの足元にもおよばないが)にとっては、共感するところが多かった。 情景だけでなく心の動きも見事に描写され、読みながらハラハラさせられた。 最後のことばより。 どこかに行けばいいとい...

読後の脱力感が半端ない。 一人旅が好きで、単独登山も(かつてだけど)、冬山もやっていた自分(角幡さんの足元にもおよばないが)にとっては、共感するところが多かった。 情景だけでなく心の動きも見事に描写され、読みながらハラハラさせられた。 最後のことばより。 どこかに行けばいいという時代はもう終わった。どんなに人が入ったことがない秘境だといっても、そこに行けば、すなわちそれが冒険になるという時代では今はない。 濃い緑とよどんだ空気が支配する、あの不快極まりない峡谷のはたして何が、自分自身も含めた多くの探検家を惹きつけたのか。歴史の中に刻みつけられた記憶の像は、地理的な未知や空白などといった今や虚ろな響きのする言葉の中にあるのではない。自然の中に深く身を沈めた時、見えてくる何かの中にこそあるはずだ。 今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい。 パソコンの画面を開きグーグル・アースをのぞきこめば、空白の五マイルといえどもリアルな3D画像となって再現される時代なのだ。そのような時代に昔と同じやり方で旅をしても意味がない。 単独行で、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄することが私の旅にとっては重要な要素だった。丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある。 極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に向かう。 命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との燃峙という要素しか残らないだろう。冒険者は成功がなかば約束されたような行為には食指を動かされない。不確定要素の強い舞台を自ら選び、そこに飛び込み、その最終的な責任を受け入れ、その代償は命をもって償わなければならないことに納得しているが、それをやりきれないことだとは考えない。 リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。 死が人間にとって最大のリスクなのは、人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。 ツアンポー峡谷の旅を終えたことで、私は生きていくうえで最も大切な瞬間を永遠に失った、ともいえる。

Posted byブクログ

2024/01/29

心が震えた。 著者の角幡さんに、そして同様にツアンポー川の激流に挑んだ武井さんに同じ人間とは思えない凄みを感じた。探検家とは何という生き物なのか。 彼らは自らも知らない「業」によって突き動かされている。 探検に挑み半ば意識的に己の命を死地に晒し、し...

心が震えた。 著者の角幡さんに、そして同様にツアンポー川の激流に挑んだ武井さんに同じ人間とは思えない凄みを感じた。探検家とは何という生き物なのか。 彼らは自らも知らない「業」によって突き動かされている。 探検に挑み半ば意識的に己の命を死地に晒し、しかし全身全霊でその死に抗う。 ツアンポー川に挑み亡くなった武井さんの口癖が強く脳裏に残った。 「ちゃんと生きてるか」

Posted byブクログ

2023/09/30

今更ながら角幡さんの初期の作品を読了。 最近の作品に比べて粗削りさや若さも感じるけれど、既に、到達主義的な探検感から、探検の深淵のようなところへ向かって行っているのも感じられて面白かったです。 この探検からさらに歳月が流れ、現在のツアンポー峡谷では、どのように人々の営みがあるのか...

今更ながら角幡さんの初期の作品を読了。 最近の作品に比べて粗削りさや若さも感じるけれど、既に、到達主義的な探検感から、探検の深淵のようなところへ向かって行っているのも感じられて面白かったです。 この探検からさらに歳月が流れ、現在のツアンポー峡谷では、どのように人々の営みがあるのかも知りたくなりました。

Posted byブクログ

2023/08/02

チベットの奥地に、ツアンポー渓谷があり、人類未踏の「空白の5マイル」と呼ばれる場所がある。そこを目指す冒険ノンフィクション。 ノンフィクションを読んでいる。その中の一冊。 冒険心をくすぐられるが、段違いの熱量を持った著者が何度もツアンポー渓谷に挑み、時には危険な目にあっても実際...

チベットの奥地に、ツアンポー渓谷があり、人類未踏の「空白の5マイル」と呼ばれる場所がある。そこを目指す冒険ノンフィクション。 ノンフィクションを読んでいる。その中の一冊。 冒険心をくすぐられるが、段違いの熱量を持った著者が何度もツアンポー渓谷に挑み、時には危険な目にあっても実際に行かないと得られない経験を積む様が、スリルと少しの羨ましさを持って読む。実際にツアンポー渓谷に行ってみたいとさえ思う。

Posted byブクログ

2023/06/09

チベット自治区の北東部に世界最大級の峡谷があるという。そのツアンポー峡谷は、ヒマラヤを源流とする大河の激流に削られて何度も湾曲し、ついには峡谷のどこかで忽然と消えてしまうのだという。河の上流と下流の標高差を考えると、どこかに未発見の巨大な滝があるとの伝説もある。大河が山中で消えて...

チベット自治区の北東部に世界最大級の峡谷があるという。そのツアンポー峡谷は、ヒマラヤを源流とする大河の激流に削られて何度も湾曲し、ついには峡谷のどこかで忽然と消えてしまうのだという。河の上流と下流の標高差を考えると、どこかに未発見の巨大な滝があるとの伝説もある。大河が山中で消えてしまうなんてことがあるのか? 21世紀の現代では航空写真や3Dマップのおかげで未踏未開の地はほとんどなさそうだが、峡谷の影になる部分は航空写真では分からず、空白の「5マイル」と呼ばれるエリアが依然として存在していた。 そういった探検の事前説明が丁寧にされているので、なぜ筆者がこのエリアを目指したのか理由の一端がわかる構成になっている。 読んでみると、想定していた環境といろいろ違う。 ヒマラヤの近くでの探検だから夏の暖かい時期の探検かと思ったら、冬なのだという。ヘビやヒルを避けるためだとか。 雪山を越えるのかと思うとヤブ越えだったりする。 正式な政府許可無しでの探検ということで、探検と同じレベルで警察や当局の障害がある。 探検の意義は何か、この本で何を訴えたかったのか、それは筆者自身にも容易に考えを整理できるものではないらしく、淡々と探検の記録が綴られていて、それがリアルに感じる。 もともとは一冊の探検本からの憧れが出発点だったということで、純粋な冒険心や好奇心から来る探検だったのだろう。 マネしたいとは思わないけど、読んでいるだけで自分も冒険しているような気持ちになれた一冊だった。

Posted byブクログ

2023/05/27

角幡青年がツアンポー峡谷にのめり込むきっかけの一つになった、キングドン・ウォードの「ツアンポー峡谷の謎」を二日前に読了して続けて読んだ。もっとも先に「空白の5マイル」を読み始め、これは先にウォードを読んどくべきと思いしばらく置いといたものである。 そもそも題名が良い。この本を買...

角幡青年がツアンポー峡谷にのめり込むきっかけの一つになった、キングドン・ウォードの「ツアンポー峡谷の謎」を二日前に読了して続けて読んだ。もっとも先に「空白の5マイル」を読み始め、これは先にウォードを読んどくべきと思いしばらく置いといたものである。 そもそも題名が良い。この本を買った時点では、ツアンポー?だったが少し読み始めたら俄然引き込まれた。 20世紀後半生まれの著者は遅れてきた冒険家で、本人も言っているように重箱の隅を突くようなことしか、世界初とか新発見みたいな事はないかもしれない。 作者は2回(偵察を含めると3回)チベットに入っているようだが、最後のチベット行きが作品に深みを与えている。個人の熱量がすごい人なのだが、生死を分ける状況下心の中の葛藤動きが読者をも熱くささる。 読んだのが文庫だったので、写真等が残念である。 また、贔屓にしたい作者が増えた。

Posted byブクログ