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空白の五マイル の商品レビュー

4.3

91件のお客様レビュー

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2021/12/22

彼の作品は既に読んで一定の評価をしていたつもりだったけど、栗城史多さんと勘違いしていたことが判明。改めて彼の作品を初めて読んだのがこの作品。結果として彼の作品を読み漁ることに繋がった。僕が好きなポイントは彼の表現と作品の構成。とてもしっくり来て、読んでいて分かりやすいし引き込まれ...

彼の作品は既に読んで一定の評価をしていたつもりだったけど、栗城史多さんと勘違いしていたことが判明。改めて彼の作品を初めて読んだのがこの作品。結果として彼の作品を読み漁ることに繋がった。僕が好きなポイントは彼の表現と作品の構成。とてもしっくり来て、読んでいて分かりやすいし引き込まれる。この作品もツアンポー渓谷の悪路に呆れ、よく生還出来たと思った。出来過ぎた内容に創作が入っているのではと感じる部分もあったけど、彼がエッセー等で書いた内容を読んでそうではなさそうだと思い、改めて作品の構成力が良かったせいだと感じた。極夜行と合わせて素晴らしいノンフィクション作品だと思う。

Posted byブクログ

2021/08/01

筆者が「空白の5マイル」と呼ばれてるチベットの峡谷を単独探検した本。 私自身探検本は好きなんだけど、読むと内容に引きずられてズーンと落ち込むことになりやすいから、あんまり頻繁には読まないし、今回もそれなりに覚悟の上で読んだけど、いやあ面白かった。舞台となるツアンポー峡谷に挑んでき...

筆者が「空白の5マイル」と呼ばれてるチベットの峡谷を単独探検した本。 私自身探検本は好きなんだけど、読むと内容に引きずられてズーンと落ち込むことになりやすいから、あんまり頻繁には読まないし、今回もそれなりに覚悟の上で読んだけど、いやあ面白かった。舞台となるツアンポー峡谷に挑んできた人の歴史、筆者の2度の挑戦。どれも迫力がすごい。2度目の探検の時の生死の境目のとこなんて、探検って極限だよなあと思った。 筆者の文章もすらすらと読ませるもので興味深く最後まで読んだ。こういう本があるから、こんな普通の私でもツアンポー峡谷に行けるんだね。

Posted byブクログ

2021/05/06

おもしろかった。ツアンポー峡谷のこと知らなかったけど、命懸けの冒険がすごかった。体力と気力と勇気と。あと知識量。そのサバイバル感は生きてるってひりひりしそう。文章と一緒にもっと写真も見てみたかった。

Posted byブクログ

2021/05/02

チベットにある大河ツアンポー川の秘境探検記。 この小説を読むまでは、こんなに壮大な大河がアジアにあるなんて知りませでした。 チベット高原を西から東へ横断しヒマラヤ山脈からインドに向かって南下する全長2900キロの大河ですがその流域に100年以上前から探検家達が幾度も目指したツ...

チベットにある大河ツアンポー川の秘境探検記。 この小説を読むまでは、こんなに壮大な大河がアジアにあるなんて知りませでした。 チベット高原を西から東へ横断しヒマラヤ山脈からインドに向かって南下する全長2900キロの大河ですがその流域に100年以上前から探検家達が幾度も目指したツアンポー峡谷で前人未到の”空白の5マイル”といわれる秘境が存在するという。 この小説はその秘境を目指した元朝日新聞記者の単独探検記で、著者は2009年冬にこの秘境を再び目指す為に朝日新聞を退職してまで挑戦する熱い気持ちと行動力に魅せられます。 現代は手軽に誰でも世界中旅行が出来、ガイド本は溢れ、グーグルではNET上でどんな場所でも衛星画像が見れる時代に地図を頼りに自分の体力と感覚だけで探検を実行した著者に共感を覚えました。 物語の最後で胸に響いたシーンがあります。 それは未開放地域に無許可進入で公安に拘束された際の尋問で旅の目的の一つに理想郷”ベユル・ペマコ”を探したかったと話す著者に地元警察官は理想郷とは物質的に何かがある訳では無く本当の信仰心を持っていなければそこ行っても何も見えないのだと語った言葉に感動しました。

Posted byブクログ

2021/04/30

チベットのツアンポー峡谷にある地図にない空間に挑む若き青年のノンフィクション・ルポ。 新聞記者の経験もある著者なので、読ませるし、読みやすい。 冒険・探検物が好きなら是非オススメの本です。 ヤル・ついにはシャングリラが…。著者はたどり着けるのか⁉︎

Posted byブクログ

2021/03/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む 角幡唯介(かくはたゆうすけ)著 集英社 2010年11月22日発行 面白い本だった。まだ2月半ばだけど、今年読んだ中では一番。ただし、2010年の本(2010年、開高健ノンフィクション賞受賞作)。 チベットの首都、ラサから東へ500キロほどのところにある(ヒマラヤ山脈)ツアンポー渓谷は、“世界一大きな”渓谷と言われ、謎とされてきた。数々の探検家をはねつけ、その命を奪ってきた。1924年、英国のウォードがついに1000メートルの岸壁を越え、探検家としては初めて渓谷の無人地帯を突破。それでも最後に入れなかった区間がある。そこは「空白の五マイル」と呼ばれ、ツアンポー川の圧倒的な水量と険しい地形が、ナイアガラなみの大滝があるとの伝説を生み、1990年代以降、世界の探検家たちの目標となった。 実際は五マイル、約8キロではなく、22キロの未踏地区に、ウォード以降入り込んだのはアメリカ人。1993年に幻の滝(ただし大滝ではなかった)を発見した人、さらに、そこに行った人。しかし、それは「空白の五マイル」のほんの一部。そして、ほぼ全容を解明したのが、日本の若者、著者の角幡唯介だった。外国人として世界初、しかも、単独探検だった。 早稲田大学探検部OB、4年のときにツアンポー渓谷に行き、次はその奥地に行くことを心に決めたものの、1998年に中国政府の規制で入れなくなった。6年かけて卒業したが、就職せず、土木作業員などのアルバイト生活。しかし、26才の時に朝日新聞の新卒採用に合格、入社までの半年が最後のチャンスだと思い、2002年暮~2003年にかけて許可もなしに現地へと向かった。 役人に賄賂を渡しながら取り締まりを逃れ、現地ガイドと別れて単独探検に入った途端、滑落して死を覚悟。目に映る映像がスローモーションになっていたそうだが、偶然にも途中で松の木に引っかかり九死に一生を得る。そこに松の木があることが不思議な場所だったらしい。 結局、ガイドの家に世話になりながら、3回の探検を行い、空白の五マイルのほぼ全容を解明。やはり大滝ではなかったが、新たな滝も発見、さらに、圧迫されたチベット人の宗教上の約束の地とされている「ペマコゥ」を彷彿とする巨大洞穴も発見した。 2009年、朝日新聞を辞めて、再び単独探検。しかし、これは失敗。失敗どころか、死の寸前まで行く。それも、餓死。食糧が尽き、地図でたどり着いた村が廃村になっていた。そこには、中国による統制に翻弄される山岳民族たちの運命も垣間見える。 著者は、この後にこの本を書いたことになる。 自身のチャレンジの記録の間に、それまでのツアンポー渓谷における探検の歴史が語られているが、これがなかなか読みごたえあり。こういうのは、単なる枚数稼ぎが多いが、著者は元新聞記者だけあって、簡潔に要点を伝えている。もっと詳しく説明してくれてもいいのに、と思えるほどだった。 とくに、1993年、NHKの番組制作を兼ねた日中合同の大規模遠征隊において、世界で初めてツアンポー川をカヌーで下るという企画が立てられた。そこに参加したのが、早大カヌー部OBの二人だったが、一人が行方不明になった。それは、NHKの映像を見ると、技術的に彼より未熟なもう一人が流されるのを助けようとして自分がツアンポー川の怒気の犠牲になったことが分かるが、そういう美談よりも、彼は出発する前に友達など親しかった人に会っていて、この本の著者がそういう人に取材した中で、彼は本当は行きたくなかったが行かざるを得ない状況だったことが分かり、なぜ彼は就職もせずカヌーをやり続けたか、という分析を自分に照らし合わせながら語っているところに、とても感じ入るものがあった。 そして、本のエピローグは、人はなぜ探検をするかという再考になるのだが、最後に「探検は終わらない」などという安っぽい言葉ではなく、「長い旅は終わったのだ」で締めくくっているのがなかなかニクい。

Posted byブクログ

2021/01/30

探検家の著者にとって最初の本格的な探検であるツアンポー峡谷の探査に関するノンフィクションだが、それだけでなく、ツアンポー峡谷に関する探検や発見の歴史と、著者の少し年長の日本人のカヌーイストがこの激流で遭難した事件が織り交ぜられていて、飽きさせない。そこには、単なる探検家ではなく、...

探検家の著者にとって最初の本格的な探検であるツアンポー峡谷の探査に関するノンフィクションだが、それだけでなく、ツアンポー峡谷に関する探検や発見の歴史と、著者の少し年長の日本人のカヌーイストがこの激流で遭難した事件が織り交ぜられていて、飽きさせない。そこには、単なる探検家ではなく、新聞記者の経験もあって人に読ませる文章を書くという作家としての力も発揮されている。 著者のツアンポー峡谷の探検は、2002年と2010年の2回にわたっており、2002年は空白の五マイルと呼ばれた地位を探索し、新たな発見を成し遂げている。これに対し、2010年は、空白の五マイルを目指しつつも、この峡谷を取り巻く手つかずの自然のままの山や谷を積雪や霧などの悪天候に悩まされつつ単独で移動するものの、予想外に行動を阻まれ、最後は食料の欠乏によって遭難死する手前まで追い込まれたことが冒険のハイライトとなった。探検としては失敗なのかもしれないが、この生死の境の瀬戸際まで行ったことが著者の感覚や思考を深め、その後の数々の探検や著作に活かされていると思うと、まさに著者の探検の原点なのだろう。 著者は2011年の東日本大震災のときには極北の地に探検に行っていたと別の本で読んだ。ツアンポー峡谷での限界ぎりぎりの踏査行の翌年には北極探検をしていたということだから、著者の探検に対するエネルギーの強さを思い知る。 ところで、肝心のツアンポー峡谷での生々しい活動については、岩場の登攀の経験もなく、登山や山岳そのものに対する知識が不足していて、残念ながらその詳細な叙述をうまくイメージに転換できなかった。それでも、人を寄せ付けないような急峻な岩壁がそこにあり、道具と技術でそこを上り下りする肉体の躍動は伝わってくる。

Posted byブクログ

2020/12/27

感想はあとがきに尽きる。 やったことに社会的価値はないし、主義主張がないから印象も弱く、何度も死にかけているのに蛋白な文章がスリルを削いでしまっている。 物足りなさはあるけども、自分の価値観を貫く人の物語にはこれが合っているのかもしれない。

Posted byブクログ

2020/12/07

辺境作家高野秀行氏との対談集『地図のない場所で眠りたい』にて、本著者がこの作品の裏話を語っており興味を持った。 自己の挑戦に過去の冒険家との記録を交互に重ねる構成が効いていて、それがどれだけすごいことかをただ説明されるより深く理解できた気がする。 ツアンポー峡谷の最狭部にある巨大...

辺境作家高野秀行氏との対談集『地図のない場所で眠りたい』にて、本著者がこの作品の裏話を語っており興味を持った。 自己の挑戦に過去の冒険家との記録を交互に重ねる構成が効いていて、それがどれだけすごいことかをただ説明されるより深く理解できた気がする。 ツアンポー峡谷の最狭部にある巨大な岸壁「門」こそ越えられなかったけれど、ほとんど踏破できていたのでは? 少なくとも過去の探索者が複数人でも中途で挫折していたのを、著者は単独で全体像の把握までこなすという偉業は達成している。 それでも納得できず、二度目に挑戦した際、不運に見舞われ峡谷踏破より生きることに舵を切った場面からはもう一気に読まざるを得ず。 死ぬ一歩手前で辿り着いた村が、中共の政策により廃村にされていたという箇所では、読むこちらまで絶望的な気持ちになった。 そこから生還方法を見付けた箇所は、あの伏線をここで使うのか、とまるでよくできた小説を読む感覚。 それが現実だというのだから、本当に奇跡のよう。 高野秀行氏と違って、真顔で冗談を言っているような一文、二文があり、笑っていいのかどうかと迷うところも。それでもやはり、記録文学として最高峰に位置すると思う。名作。

Posted byブクログ

2021/02/20

鬱屈としたstay home期間、どこにも行けず、行き場を失ったエネルギーをどうにか発散出来ないものか...と手に取ったのがこの冒険記だった。 ツァンポー峡谷と聞いても、チベットの方に存在する程度の知識しか僕は持ち合わせていなかったが、筆者の精緻な表現で、力強く雄大な自然を鮮明...

鬱屈としたstay home期間、どこにも行けず、行き場を失ったエネルギーをどうにか発散出来ないものか...と手に取ったのがこの冒険記だった。 ツァンポー峡谷と聞いても、チベットの方に存在する程度の知識しか僕は持ち合わせていなかったが、筆者の精緻な表現で、力強く雄大な自然を鮮明に頭の中で思い浮かべながら、読み進める事が出来た。 気になり、ネットでツァンポー峡谷とはどのような場所か調べてみる。そこに出てくる急峻な山々、水量の多い川の激流など、改めて作者の冒険の過酷さに思いを馳せた。 エピローグに印象的な言葉があった。「冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。私たちは常に別々の方法論、アプローチで、それぞれに目的をかかげていい人生を希求している。(中略)冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」隣合わせに死を意識する事で、逆説的に"生きる"意味を考えさせられる。でもその答えは自立で考え出さないといけない。あくまで考えるキッカケを与えてくれるに過ぎないのだ。 僕は恐らく、冒険に出てまでストイックに生きる意味を考える事はしないだろう(冒険に対する憧憬は、男としてそれなりにあるけれども)。コロナ禍に於いて、漠然とした将来や、人生について考える機会は少なくなかった。"一生懸命に日々を生きる"事でしか、自分は何者で・将来どう生きていくか・人生の意味が見えてこない(歳月を経て、事後的にではあるかもしれないが)と考える。作者の様な熱量・エネルギーを持って、日々を、自分の命を燃焼させられたら...。激動の時代に身を委ね、僕も冒険している。それでも、ただ流れに身を任せるだけではなく、たまには立ち止まってアレコレ考える事も忘れずに。(2020/07/19)

Posted byブクログ