災害と妖怪 の商品レビュー
柳田国男の遠野物語とリンクしつつ、災害と妖怪の繋がりを紹介していて面白かった。不思議な存在である「人」が、何か印象に残った。
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日本を襲う震災の数々。 柳田国男の「遠野物語」を辿り、妖怪を通しての災害伝承を読み取ってゆく。 数十年、数百年に一度襲ってくる大地震や大津波、数年おきに必ずおとずれる大雨や氾濫、飢饉。 それら震災への怖れ、死者への弔い、被災体験の記憶のために、多くの怪異伝説が生み出されてきた。...
日本を襲う震災の数々。 柳田国男の「遠野物語」を辿り、妖怪を通しての災害伝承を読み取ってゆく。 数十年、数百年に一度襲ってくる大地震や大津波、数年おきに必ずおとずれる大雨や氾濫、飢饉。 それら震災への怖れ、死者への弔い、被災体験の記憶のために、多くの怪異伝説が生み出されてきた。 今ではユーモラスだが、死者と結び付けられた存在であった河童。 山の怪異であった天狗。 洪水によりもたらせる死と、しかし水が運んできた新たな木材は土の入れ替えという再生でもあった。 地震を起こすといわれる鯰、神の使いとされた狼。 神に捧げものをするという習慣について。人間や動物を捧げる場合、そうだと分かるように体に傷をつけた。それが徐々に神に近い物、神の声を聞くものの目印とされたなど。 柳田国男の一節に「およそこの世に、『人』ほど不思議なものはない」というものがある。 人は苦難や不思議を人に伝えようとして妖怪伝説になったのか、それなら妖怪伝承をひも解いてゆくと未来への手掛かりが見つかるのではないか…ということで結ばれている。
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100年に一度の災害では覚えている人などいないはず 災害を封じ込めるための動物たち 河童/天狗/鯰/狼
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あとからもう一度読み返したい。 昨今の妖怪ブーム、悪いことではないけれど、自分なりに『妖怪とは何か?』を確認して見たかった。河童や天狗、山犬。昔話で読んでいた。最近は仕事で関わっている方から山犬のことも少し聞いた。まだ目を通しただけなので、もう一度、腰を据えて読みたい。
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柳田国男の遠野物語から妖怪と災害、伝承について考える興味深い本。遠野物語は私は読んだことがないけど、引用文があるので訳がわからない状態にはならない。 災害があったとき、妖怪のせいだと言われ伝えられてきた。災害が起こらぬよう祭事やお供えなども残っているところもまだある。 単なる...
柳田国男の遠野物語から妖怪と災害、伝承について考える興味深い本。遠野物語は私は読んだことがないけど、引用文があるので訳がわからない状態にはならない。 災害があったとき、妖怪のせいだと言われ伝えられてきた。災害が起こらぬよう祭事やお供えなども残っているところもまだある。 単なる物語ではなく、災害に対する対策のようなものが含まれていて神や妖怪は説明するのに適していたり、心の中に何らかの説明で納得できる答えや、そこから安心感を見出すこともできるのかなと思った。 また水害については蛇抜けについても書かれていて今回広島の土砂災害を考えた。ニュースで見たけど家を建てては危険な場所だった。他にもこういった土地はたくさんあるそうで、当時は災害などで言い伝えられた地名だったのに今ではどんどん変わってしまい忘れ去られるようになっている。 私もこの本を読んでて、自分の住む土地や実家の土地、近くの川山池の言い伝えや、過去の土地がどう変わってきたか、土地名が変わってきてないか、調べたいなぁと思った。そういう意識を持つような本である。
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震災後書かれた本。 非常に面白い。 天狗も河童もなんとなく納得。もっと読みたい。もう一回読む。 しかし、河童はいるんだがなぁ。
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お化けや幽霊が見えるという感覚が被災者を悩ませているという報道が、震災の直後から目についた。震災で多くの死に直面した被災者にとって、幽霊の出現は心の傷の表れだという見方もあり、宗教界は教派を超えてこの問題に取り組んでいた。 著者はこの報道を契機に、民俗学者柳田国男(1875-...
お化けや幽霊が見えるという感覚が被災者を悩ませているという報道が、震災の直後から目についた。震災で多くの死に直面した被災者にとって、幽霊の出現は心の傷の表れだという見方もあり、宗教界は教派を超えてこの問題に取り組んでいた。 著者はこの報道を契機に、民俗学者柳田国男(1875-1962年)が著した『遠野物語』や『妖怪談義』などを読み解きながら、本書で日本の災害伝承を紹介しようと思い立つ。なぜなら、『遠野物語』の中には、報道とそっくりそのままの幽霊譚が記されているからだ。 自然災害が多い日本では、天災を含む自然の力を神の力と同一視し、畏れ、敬ってきた。そして人々は、その経験や知恵を妖怪などに置き換えて、後世に伝承してきた。本書は、妖怪譚や怪異譚の読み直しにより、災害と人間との関わりを民俗史の観点から新たに照射する試みである。 河童と座敷わらしは、元々は同じもので、「零落した神」らしい。日本の近代は、こうしたものたちをアスファルトとコンクリートで埋めて発展した。今から元には戻れないが、そうした歴史がつい何十年か前の日本にあったことは知っていていい。
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●:引用、→:感想 ●災害や怪異現象について「できるだけきまじめに」考えていきたいと思う。その資料としては柳田の『遠野物語』と『妖怪談義』『一目小僧その他』を中心にした。 →『遠野物語』99 津波にさらわれた妻がかつての恋人と海から戻ってくる話は知っていた。東日本大震災から1年...
●:引用、→:感想 ●災害や怪異現象について「できるだけきまじめに」考えていきたいと思う。その資料としては柳田の『遠野物語』と『妖怪談義』『一目小僧その他』を中心にした。 →『遠野物語』99 津波にさらわれた妻がかつての恋人と海から戻ってくる話は知っていた。東日本大震災から1年くらい経った頃、不謹慎と思いながらも”大震災 幽霊”でググったら、”はじめに”に載っている平成24年1月18日付け「産経新聞」(WEB版)に出会った(他はほぼ2ch系)。 →あちこちと論点が行き来している。大震災関連の記述を期待していたが、海を歩く幽霊=海坊主などわずかだった。まだ、生なまし過ぎるのだろう。 ●民俗学という学問はほんらい、日常ばかりではなく「非日常時」も積極的にとりあげていたはずだのに、その意志があまり受け継がれているとはいえないという宮田登さんの指摘をもとに、自分なりの「災害フォークロア」を書くことができないものかと思ったのである。近代日本の知識人の災害観、民衆観を綴った前著にたいして、実際の民衆は災害をどのように受け止め、「妖怪」というものが民衆の心象を最もよく解き明かすものではないかと考えた。 →白髪水、海の神様が人間に捕まった眷族を取り戻すために、村を津波が襲う話。=崖の上のポニョ
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厳しい現実と戦い折り合いを付けた豊かで貧しい営みの流れがあったんだろう。 遠野物語は読んでいるので、 悲しみを癒す力のひとつに物語力もあるのだと思いました。 幽霊や怪異は心を持つ人だからこそ感じるのかもしれないのだから。 日本の世界の言い伝えや昔話は豊かで面白いです。
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「遠野物語」をはじめとした柳田の作品や主張を引用しつつ、日本における災害のありようを考えた本。柳田に詳しくなくとも読める。普段民俗学関連の本を読まない人にもオススメ。
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