生きていく民俗 の商品レビュー
拙い感想書くのも憚れることから、 裏表紙に記載のあらすじを丸パクリします 海の民、山の民、川の民、村の民、町の民。 それぞれの職業との関わりとその変遷、またお互いの交流・交易のありようとその移り変わりの実態を、文献渉猟、徹底したフィールド調査、そして鮮明な記憶をまじえながら解...
拙い感想書くのも憚れることから、 裏表紙に記載のあらすじを丸パクリします 海の民、山の民、川の民、村の民、町の民。 それぞれの職業との関わりとその変遷、またお互いの交流・交易のありようとその移り変わりの実態を、文献渉猟、徹底したフィールド調査、そして鮮明な記憶をまじえながら解明していく、生業の民俗学の決定版。 差別・被差別の民俗学とも深く結びついてゆく。 このとおりの内容です
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社会に生業が生まれ、家業となり、やがて職業へと移り変わる。 そんな大きな流れを描いた本。 いつの間にか持っていたイメージのいくつもが、本書によってくつがえされた。 印象的だったのは、かつていたという押し売りのこと。 自分は「サザエさん」の中でしかその存在を知らない。 今話題...
社会に生業が生まれ、家業となり、やがて職業へと移り変わる。 そんな大きな流れを描いた本。 いつの間にか持っていたイメージのいくつもが、本書によってくつがえされた。 印象的だったのは、かつていたという押し売りのこと。 自分は「サザエさん」の中でしかその存在を知らない。 今話題なのは「押し買い」だが、押し売りもその手の「悪徳業者」「詐欺業者」だと思ってきた。 ところが、本書によれば、かつては相互扶助のようなものであったらしい。 自給自足でやっていけない土地で、凶作が起こったりすることで流浪の民が生まれる。 乞食になることをよしとせず、食べ物などをめぐんでもらう形ばかりの対価として、粗末であっても品物を置いていく。 富める者は貧しい者を助けるのが当たり前という発想の贈与=交換だったというのだ。 十分なのかはわからないが、貧しい人の誇りにも配慮した社会のありかたなのではないか、と感じた。 イメージが大きく変わったといえば、農業者も漁業者も、かつては移動しながら生活していたということも挙げられる。 たしかに、漁業者については、季節によって魚がいる場所がかわるから、それを追って住居も変えるのは言われてみれば納得する。 農業者の方も、出稼ぎが多い。 男性だけでなく、女性も、子どもも。 昭和の「出稼ぎ」のイメージだと、農閑期=冬に都会の工場に働きに行くという感じだが…。 土地にもよろうが、田植え、養蚕など、年中何かしらと出ていく。 それだけ自分の土地だけでやっていけなかったということだ。 農業者が報われないと感じていたのは今に始まらないことだったようで、特に女性に強くそれが内面化されるとう指摘にも、ぎくっとする。 女性が流出すると、集落の人口が減少する。 現在の状況は、急に成立したわけでなく、明治以前から用意されていたということか。 そのほか、どう一人前になるかという話も面白かった。 漁業者となるには、海のあらゆることを知らなければならない。 毎日海に行き、学ばないと一人前になれない。 学校へ行っている暇はないということだ。 商人の方も、厳しい修行を経る。 こちらは特に具体的に詳しく説明されていた。 大きな流れが書かれているのだが、そこはさすがの希代のフィールドワーカー、あちこちの集落の個別的な状況を通して語られる。 巨視的にも、微視的に読むこともできる、一冊で何度でもおいしい本といえそうだ。
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積読消化。「第一章 くらしのたて方」まで読んで放置したようだった。最初から読み直す。 サブタイトルの通り、民俗学的観点からの日本の職の推移がわかる。おもしろい。書かれたのが60年前だと言うことを差し引いても。
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読了して、民俗(学)というのは、理想ではなく現実だという思いを強くしました。宮本常一「生きていく民俗」、生業の推移、2012.7発行(1965.2刊行、1976.5文庫化)。長い間、女の勤め口といえば、小学校の先生か女工か女中くらいのもの、大半の娘は家にいて嫁に。(でも、農家には嫁に行かぬ) 戦後、有名大学卒業という条件はあるものの、男女とも、職業が自分の好みで自由に選ばれるようになった。でも、大会社は小会社に、中央官庁は地方官庁に、官吏は一般民衆に、優越感を抱き、職業による貴賤感はいまだ根強い。
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「みんなの民俗学」を読んでからまた民俗学づいている。 民俗学の本、読んでるととても楽しい。なにか知識として身についている気は特にしないが、きっともっと大事な何かが身についているはず! 民俗学って、「普段の生活」が時間が経つと「学問になる」というのが面白いと思っている。いっそのこと...
「みんなの民俗学」を読んでからまた民俗学づいている。 民俗学の本、読んでるととても楽しい。なにか知識として身についている気は特にしないが、きっともっと大事な何かが身についているはず! 民俗学って、「普段の生活」が時間が経つと「学問になる」というのが面白いと思っている。いっそのこと、今この瞬間が既に民俗学の対象になりうるわけだし。 この本は江戸から昭和あたりの人々の暮らしー農民、出稼ぎ、行商、丁稚奉公、女性の仕事など、なんかよく見るテーマから、物乞い、被差別職業、人身売買など、おおっぴらに語られなさそうなものも研究対象の一つとして平等に紹介しているのがとても良い。 ただ、それぞれ一つのテーマを別々に紹介していくというより、「すべてが繋がっている」ように説明してくれるので理解しやすい。 あとは昔は良かったみたいな風潮あるが、昔のクソなところは本当にクソというのはちゃんと理解しておかなきゃとはやはり思う。昔はなにより人の命が軽すぎた。 また、日本の古い言葉は漢字の読みも含め、今の観点から見直すととてもエモいので覚えていきたい。 かもじ: カツラ 販女 (ひさぎめ): 魚売りのこと 杣 (そま):古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと オーレン:黄連という生薬? 塩飽諸島 )しあく) 香川県 雑喉場 (ざこば) 大阪 水分 (みくまり) 特牛 (とつこい)
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むかしの人がどのように働いて、どのように生きてきたか、働き方の移りかわりと生活の移りかわりを紐づけながら追いかけた宮本常一の本です。 それぞれの時代、それぞれの地域の人々が、その時代その地域に合わせてなんとか食いぶちを作ってしぶとく生きてきたのだというのが印象的でした。昔からそう...
むかしの人がどのように働いて、どのように生きてきたか、働き方の移りかわりと生活の移りかわりを紐づけながら追いかけた宮本常一の本です。 それぞれの時代、それぞれの地域の人々が、その時代その地域に合わせてなんとか食いぶちを作ってしぶとく生きてきたのだというのが印象的でした。昔からそうであったようにこれからの仕事のありかたも移りかわっていくのだろうと思え、読み終えて労働感が柔軟になった気がしました。
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「家職・家業がしだいに姿を消して、子が親の職業を継がなくなり、出稼ぎから解放されると初めて、近代化したと言えるのであろうが、まだ遠い距離がある」と結ばれている。1965年頃らしいのだが、すでにそんな時代がとうに来てしまっているのだった。
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日本の経済史と産業史を地方を見聞して歩いた経験を持ってまとめようとしたもの。農村で完全に自給自足ができなかったことからいろいろな生業が生まれた。その中で、忌み嫌われるがなくてはならない生業の一部が差別の対象となったことなども記されている。 『民俗のふるさと』の下巻のようなつもりで...
日本の経済史と産業史を地方を見聞して歩いた経験を持ってまとめようとしたもの。農村で完全に自給自足ができなかったことからいろいろな生業が生まれた。その中で、忌み嫌われるがなくてはならない生業の一部が差別の対象となったことなども記されている。 『民俗のふるさと』の下巻のようなつもりで書かれたとのこと。 宮本常一が社会を見つめる視線は温かいなぁと感じる。
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2012年改訂版復刊(初版1965年)。著者は武蔵野美術大学教授。 副題「生業の推移」が本書の体を表わす。つまり、各種職業の史的変遷について、著者のフィールドワークとそこから導出される過去の生業の原風景に依拠しつつ解説を加える。 達意の文章か、読み易いからか。その理由は不明だが引き込まれるものがある。例えば、ある漁民の形成例と生活に関し、漁民化の淵源(島での鼠の大量発生と作物の壊滅)と成立過程の説明に際し、熊野との繋がり、釣糸の技術革新、漁法の種類、とれる雑魚を山民に売却する女行商も併せ説明していく。なのに明快。多様な情報を縦横無尽に駆使する様は凄い。 また、農耕用の牛馬の賃貸借が「山」(貸主)と「里」(借主)との間で多く見受けられたとのこと。牛馬は高価で、必要なのは田起こし等の農繁期の一時期のみという点が考慮されたようだ。 また、いわゆる農民が職業民全体の3分の2、他の漁民・商業民・職人が残3分の1という解読には成程の感。
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時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して...
時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して多くの人が食や経済やらに関して、不安・生き難さを感じているのではないかと想像する。 チャールズ・アイゼンシュタインは「聖なる経済学」の中で、人々に分離感やエゴ意識が高まり、疲弊していく社会を救う考え方として、贈与経済の有効性を述べている。これによればマネー経済は領域を縮小させることになるのだが、それはかつて日本で行われていた暮らしに近いものがありそうに思える。 また、オーストラリアで生まれた持続的な農業を主とした暮らしを実践するパーマカルチャーは、しばしば、日本の江戸期に見られる循環型の社会と比べられる。 この本では、中世・江戸期・昭和30年頃までの日本における経済と暮らしを「生業の推移」としてまとめられている。1965年刊。かつての日本の暮らしを再確認したいと思って手にした。 結果を言うと、明治初期の人口3500万くらいだと、うまく自給できるところも7割くらいあるが、その他3割は物々交換やマネーを介した交換経済が中心であったこと。それも安定的なものではなく凶作も起きるし、出稼ぎや人身売買などもあるし、人が食べていくためには生業も固定的ではなく、いろんな変遷があったことが分かる。江戸時代万歳といった簡単な話ではない。 今の時代は確かにマネーでいろんなものが代替できて、職の自由もあるのだけれど、かえってマネーに縛られることが多くなり、貧富の格差に対する感覚も以前に比べ広がっているとされている。人件費よりも安い化石燃料で機械化され、出荷時期をずらしたことが付加価値とされる今の農業がいつまで成立するものか。 これからの社会のあり方がどう変わっていくのか深く考えさせられる。 一文だけ理想的な自給社会像の例を紹介しておく。 【鹿児島県大島郡十島村宝島】鍋釜鍬鎌のような金具類、材木以外は自給できた。砂糖、塩、タバコ、イモ焼酎、バショウ繊維、生糸、船などは自給した。造船や鍛冶の仕事は技術を持った人が行い、頼んだ人はその間、船大工や鍛冶屋の畑仕事をするという労働交換であった。 島内では金銭は必要なく、島で生産できないものを購入するために砂糖やカツオブシを鹿児島まで行って売った。財産も平均して他人の生活をうらやましがることもなければ、その世界はまさに天国であるといっていい。古い時代にはこのような集落が本土にも広く分布していたと思う。 ・・・まるで、「懐かしい未来」のラダックだ。
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