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日本の路地を旅する の商品レビュー

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2018/04/25

私が通っていた小学校には同和地区がなかったため、被差別部落という言葉すら知りませんでした。中学生になったとき、1学年に10人はいるかいないかの割合で、英数国の主要3教科の授業だけ別室で受ける生徒がいる。促進学級と呼ばれるそのクラスでは、被差別部落出身の生徒が先生と1対1で授業を受...

私が通っていた小学校には同和地区がなかったため、被差別部落という言葉すら知りませんでした。中学生になったとき、1学年に10人はいるかいないかの割合で、英数国の主要3教科の授業だけ別室で受ける生徒がいる。促進学級と呼ばれるそのクラスでは、被差別部落出身の生徒が先生と1対1で授業を受けていました。親が十分な教育を受けられなかった影響が子どもにも及び、いわゆる勉強のできない子どもたちの遅れを取り戻すいう理由で。 路地とは、被差別部落出身の作家・中上健次が部落を表現するために用いた言葉。本書の著者もやはり大阪の被差別部落出身で、日本中の路地を巡る旅を続けています。 保育園に行くのが嫌で路地から脱走を試みたりする幼少時代の話には笑みもこぼれますが、その先は当たり前のことながら重い。性犯罪を起こして逃亡した実兄についても隠すことなく書く著者。路地出身だということを堕落の免罪符にしたくないという意志が見て取れます。著者自身は差別を受けたことがないというものの、「生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりもどう生きていくかが重要。どんな地域や社会的階層の生まれであろうと、その人の可能性を信じるしかない」、この言葉が路地出身でない者から発せられたら、何もわかっちゃいないくせにとなるでしょう。淡々と書かれているだけに、心を揺るがす本。

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2018/02/24

知らない世界でどんなことなのかを知りたかった。都会に住んでいると分からない世界だけど、小さな世界ではとても大きな根強い問題なのだと思う。

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2017/12/11

「路地」とは作家中上健次氏のいう「被差別部落」である。東日本に居ると実感が持ちにくいが、部落問題は東洋のカーストと称され差別が遺恨とその後の特権を生んだ、戦後社会に蔦のように絡み付く問題であった。昨今、世代交代が進み良くも悪くも風化しつつある路地を筆者は巡る。筆者自身が「路地」で...

「路地」とは作家中上健次氏のいう「被差別部落」である。東日本に居ると実感が持ちにくいが、部落問題は東洋のカーストと称され差別が遺恨とその後の特権を生んだ、戦後社会に蔦のように絡み付く問題であった。昨今、世代交代が進み良くも悪くも風化しつつある路地を筆者は巡る。筆者自身が「路地」である更池出身であり、旅情気分で淡々と路地を訪問しているようで神経を抉り取られるような思いで自らのルーツに向き合っていることが読み取れる。 『血縁』の章は綺麗事一切なしの剝き出しの現実がそこにあり哀しさと美しさが残る。敗残者として南西へ逃避していった兄と向き合ったとき、現実は劇的な事など起こりようもなく無味乾燥で酷薄なものなのであろう。客観を保つことが難しい自身の深淵な傷を眺める、ドキュメンタリーの何たるかがこの章に込められている。 おまけで西村氏のあとがきがなかなか面白い。

Posted byブクログ

2022/03/19

のっぴきならない境遇と矛盾を抱え社会から逸脱してしまうものに、シンパシーといくばくかの憧憬を覚えてしまう。ヤクザ、在日、風俗嬢、そして部落。 被差別部落出身である著者の、部落を旅し、つなげる道程を綴った力作には3.5点をつけたい。 文章はさほどにうまくないが、肉体性はある。感性...

のっぴきならない境遇と矛盾を抱え社会から逸脱してしまうものに、シンパシーといくばくかの憧憬を覚えてしまう。ヤクザ、在日、風俗嬢、そして部落。 被差別部落出身である著者の、部落を旅し、つなげる道程を綴った力作には3.5点をつけたい。 文章はさほどにうまくないが、肉体性はある。感性が鋭いというよりも、強い。なにより被差別部落出身の著者だからこそ、日本の影をフラットに、日常として映し出すことに成功した。 ただ、各地の部落の状況は、ほぼ同一の印象。 発祥は、部落が武士とともに(皮革や刑罰執行のため)その地に連れられてきたというパターン。 いまではほとんど一般住宅地と見分けがつかない(地方都市の街の景色はどこもほとんど同じだが、そうして画一化することで、こうした日本の闇も消されていくのだな)。 人へのインタビューにしても、「差別は現在はさほどでもない。昔はあった。これからはなくなるだろう。」と判を押したように言う。 しかし、こうした情景描写の中にも、 ・全国の路地の人々の交流が、現在に至る肉(近江牛)や皮革の産業分布につながっていること ・弾左衛門の存在と後継者の選び方(まるでダライ・ラマのよう) ・浄土真宗を振興する人が多いこと。悪人正機説にいかような痛切な思いをかけていたか。胸に詰まる。 ・犬肉を食していた戦前、吠える犬の口につばを吐き捨てだまらせ捕獲する犬とり名人の話。 ・万歳という被差別部落の芸能が漫才のルーツだったこと。 ・稼ぎの上前を撥ねる弾左衛門は「乞食の閻魔様」と揶揄されていたこと。 ・江戸時代から武士を中心に獣肉は食されていたこと。 ・吉田松陰の万人平等の考えに、エタと寝た高須久子の影響があったこと。 ・三味線の音は犬皮はソリッドで猫革はまろやか。猫は国産の方が質が良い。 ・全国の城下町には必ずと言っていいほど路地があること。 など、この本でしか知り得ないような発見があり。 加えて、貴賎の差はあれど、やはり日常と非日常をつなぐものとして、天皇と被差別部落の類似性は面白い。芸能というのも、本来そういうものだ。 そして、知識よりももっと彼の個性が光るのは、ある種のうらぶれた感性。 たとえばp197-203の、別府の温泉街での一夜はまるで泉鏡花かつげ義春のようだ。生臭い老婆女将と隣室の生気のない声、場末感あふれるストリップ。 P168の犬の口につばを入れて捕獲する名人の話。 最終章の沖縄、首里城と安仁屋村の近しさと朱さと兄の哀しさ。 熊本の被差別部落出身の若きヤクザとの交流も良かった。 こうした民話のようなリアリズムが、知識としての被差別部落の話より染み渡る。 その意味では、解説の西村賢太の言葉通り、かれは私小説家的なのだろう。 それにつけても、路地という表現はなんと的確なことか。被差別部落の背負う悲しさ、猥雑さ、暴力性、そして目抜き通りとの結節をイメージさせてくれる。路地という奥深い言葉を世に膾炙しただけでも、著者の功績は大きい。

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2017/09/09

この本は、かなり、面白かった。昔から部落問題が言われていたが、それらが、日本の地方の暮らしに深くかかわっていて、今は、平穏に見えるかその土地も身分、家、部落などのしがらみの中で、生活してきたとわかり、今の寂れた地方の底流にあるものが見えた気がした。しかし、その場所を本から特定して...

この本は、かなり、面白かった。昔から部落問題が言われていたが、それらが、日本の地方の暮らしに深くかかわっていて、今は、平穏に見えるかその土地も身分、家、部落などのしがらみの中で、生活してきたとわかり、今の寂れた地方の底流にあるものが見えた気がした。しかし、その場所を本から特定して、地図で、確認したいと思っても、取材される側に遠慮をしているのか、不正確にしか書かれていないので、場所が特定できない場合が多かった。また、見方が若干、被差別再度よりと思える部分も感じた部分もあった。犯罪者、犯罪に関する部分などが、個人的にそのように感じた部分も一部あったように思った。後は、訪ねて行ったが、いなかったときに、引っ越し先に行って、その話を聞くなど、もう少し、掘り下げてもらいたい部分もあったが、あの的ヶ浜にある旅館に長期滞在している中年女性の話、この旅館の様子などの記述は、素晴らしかった。また、路地を訪ねて旅をするうちに、日本の地方の古い、裏のことを探っているようで、面白かった。また、もう少ししたら、路地、部落のことも、わからなくなると思うので、記録を残す意味でも、いい本と思いました。面白かったです。夢中で、読みました。

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2016/05/22

上原善広氏の「日本の路地を旅する」(2012.6)を読みました。東京下町路地裏散歩が好きな私は、その延長の本と思って図書館で借りましたが、全く違った本でした。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品です。被差別部落のことを「路地」というそうで、最初にそう呼んだ人は作家の中上健次氏だそう...

上原善広氏の「日本の路地を旅する」(2012.6)を読みました。東京下町路地裏散歩が好きな私は、その延長の本と思って図書館で借りましたが、全く違った本でした。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品です。被差別部落のことを「路地」というそうで、最初にそう呼んだ人は作家の中上健次氏だそうです。全国に路地は6000以上あるそうですが、著者は13年かけて500以上の路地を巡り歩き、この作品を刊行されたそうです。路地の哀しみと苦悩、路地の過去と現在を描いた作品です。

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2016/02/21

日本中に点在する「路地」と呼ばれる非差別部落と、その痕跡を辿る旅。自分の周りではほとんど話題にならないテーマだったため、大変興味深く読んだ。 北は北海道から南は沖縄まで、タイトル通り幅広く日本各地を取材している。著者の上原氏自身も大阪の部落出身であるため、このような取材が可能だ...

日本中に点在する「路地」と呼ばれる非差別部落と、その痕跡を辿る旅。自分の周りではほとんど話題にならないテーマだったため、大変興味深く読んだ。 北は北海道から南は沖縄まで、タイトル通り幅広く日本各地を取材している。著者の上原氏自身も大阪の部落出身であるため、このような取材が可能だったのだろう。ちなみに日本には今でも6000か所の路地が存在するらしい。 路地の中でも解放運動が盛んな地域と、逆に「寝た子を起こすな」という言葉の通り、出身や境遇を隠したがる地域も多いそうだ。上原氏が行った取材の中でも、地域や人によってそのリアクションは様々であった。 テーマが根深いだけに寝た子を起こすような行動に、時には罪悪感を感じながらの旅だった事が作品中から読み取れるが、自分の生い立ちや、実兄が起こした犯罪についても赤裸々に描くことで、自身への折り合いを付けていたのだろうと思う。

Posted byブクログ

2016/01/13

著者が、日本の「路地(=被差別部落)」を巡り歩いた記録をまとめたノンフィクション作品。大半部分が雑誌『実話ナックルズ』に連載されたもので、2009年に発刊(2012年文庫化)され、2010年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。 著者は自身が大阪・更池の「路地」(被差別部落...

著者が、日本の「路地(=被差別部落)」を巡り歩いた記録をまとめたノンフィクション作品。大半部分が雑誌『実話ナックルズ』に連載されたもので、2009年に発刊(2012年文庫化)され、2010年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。 著者は自身が大阪・更池の「路地」(被差別部落を最初に「路地」と呼んだのは和歌山・新宮の「路地」出身である中上健次氏)の出身であるが、全国500以上の路地を歩き続け、かつ「路地」の人々と機微に触れるコミュニケーションを積み重ねてきた。そして、自ら「路地を書くにあたって、あらゆる角度から検討した。技術的にはもちろん、“心情的”にも手直しを繰り返した。心情的というのは、路地は残念ながら出身者でないとわからない独特な繊細さをもつため、その点の配慮が必要なのである」と語る繊細さをもって、本書を世に出したという。 著者によれば、自身の訪れた「路地」の人々の思いは、今や、年齢や地域などにより区々であり、著者はそのひとつひとつについて強く肯定も否定もせず、自らが見た「路地」の風景とともに淡々と記している。しかし、終章では、「路地の歴史は私の歴史であり、路地の悲しみは、私の悲しみである。私にとって路地とは、故郷というにはあまりに複雑で切ない、悲しみの象徴であった」と語っており、「路地」を訪ねる旅は、自身と、犯罪を起こして沖縄の離島に逃れ住む実兄のアイデンティティを求める、壮絶なものであったのだろう。 また、著者は「私はどんな悪いことであっても、路地が取り上げられるのは良いことだという“信仰”をもっている。日本人の心の闇、隠されてきた文化を明らかにすることで、日本人そのものが明らかにされると思うからだ」とも語っており、私は本書で初めて路地のことを詳しく知ったのだが(30年以上前の義務教育で「同和」について学んだことはあったが)、そうした観点からも本書の持つ意義は大きいと言えるのだろう。 (2015年7月了)

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2018/11/04

「フクシマ差別」という言葉があるが、いつ聞いても不可解だ。 なぜかって、フクシマ差別される人は、2011年3月11日より前は差別の対象となる要素は何ひとつなかった。なのにある日突然、福島県境が差別を受ける対象となる土地への線引きに変わり、「放射能がうつる」などの忌避の対象となって...

「フクシマ差別」という言葉があるが、いつ聞いても不可解だ。 なぜかって、フクシマ差別される人は、2011年3月11日より前は差別の対象となる要素は何ひとつなかった。なのにある日突然、福島県境が差別を受ける対象となる土地への線引きに変わり、「放射能がうつる」などの忌避の対象となってしまう。差別される当人には原因はないし、差別の元となる科学的根拠も全く存在しないのに、である。 このフクシマ差別現象に私は部落差別と同根のものをみる。部落差別も、歴史的社会的な身分差別を起源として確かに土地に一種の境界線が引かれ、差別される者が住む一帯として、作者がいうところの“路地”が存在していたのは事実。 だが異論覚悟で言うと、フクシマ差別と同様に、部落差別も、土地への線引きが問題の根源ではない。逆にそれに固執してしまうと、物事の本質を見誤ってしまう。フクシマ差別、部落差別、その他の差別…問題の根源は土地にはなく人の心のなかに存在する。それぞれの人が心がなかで土地に線を引き、そのなかに関与する特定の階層を忌避するという、心の問題ではないか。 そうするとこの本の路地への旅は、差別の根源に迫るという面から言えば充分なものとは思えず、いわゆる新日本紀行的な満足度で終わってしまっている感がする。部落差別の土地を歩き、人と会い、そうすることで部落差別を1つの根として、フクシマ差別はなぜ起こるのかということや、ハンセン病回復者が医学的にも法律的にも解放されたはずなのになぜ差別は起こるのかといった、差別というものの正体や根源を見出してくれること(まさに中上健次がその著述によって成そうとしていたもの)をこの本に期待していたのだが…正直、自分のノスタルジアを探して歩いて終わってるかのような残念な思いが残った。 昔は日本中にあった、駅前の活気ある商店街を想像すれば、わかりやすいと思う。八百屋、肉屋、魚屋といった商店がアーケードに並び、コロッケを揚げるにおいや駄菓子をもった子どもの声であふれるような商店街は、ほんの一部は今も昔のまま残っているかもしれないが、ほとんどが郊外の大型複合店舗に取って代わられ、現在は閉じられたシャッターが多くを占める。だから、そのほんの一部残る商店街を探し当て、話を聞き、往時の姿を追い求める… それだけでは商店街というもの、ひいては日本の小売業が抱える問題には迫ることはできない。 また、著者が会った路地出身者の一人は「俺は部落出身で被爆者でしょ、もう敵なしですよね。まさにサラブレッド」と言っているが、福島県の田舎で貧しい農家に生まれて身体に障害を負うなど幾重の苦しさを味わった野口英世が「俺は超貧乏な農家出身で障害者でしょ、もう敵なし」とかそんな卑下したものの言い方って人前で絶対にしなかったと思うし、そんな感情をもっても何も前に進まないとわかっていたはず。何か、路地に生きる人たちの、自尊感情とは正反対のベクトルの向きの、ことさら卑下した感情が至る所に現れてきて、路地のほんの一面だけを拡大し強調したかのような、いびつな印象のみが残ってしまった。路地の問題って、路地出身者でなく、路地で生きた経験のない者にとれば永遠に蚊帳の外の問題で交わることは出来ないの? この本からはそんな思いまで起こされてしまう。 以上、かなり厳しい書き方になったが、これは上原さんのライターとしての可能性を評価しているから。この本には路地に生きる者として、差別がなくなったという建前が取り巻く現在も現実にななめ下を向きながら生きてきた(あるいは生きざるをえなかった)人が多く登場する。それらの人は路地に生まれた上原さんだから“同胞”として生の声を伝えたのだと思う。血の通った路地の者たちの一言一言が集まり、その結果、差別というものの一側面に迫っている。それは間違いない。(2013/4/14)

Posted byブクログ

2022/06/01

「被差別部落が"路地"とも称されることは、これまで全く知らなかった」 「そうした予備知識がなく本書のタイトルを眺めた場合、或いはこれを気のいいお散歩エッセイ風の内容に思う人も少なくないように思う」 僕のことだ。楽しい路地散歩だと思い込んでいた。タイトル...

「被差別部落が"路地"とも称されることは、これまで全く知らなかった」 「そうした予備知識がなく本書のタイトルを眺めた場合、或いはこれを気のいいお散歩エッセイ風の内容に思う人も少なくないように思う」 僕のことだ。楽しい路地散歩だと思い込んでいた。タイトルで本を選ぶと、こういうことが起こる。ただ、楽しい散歩は、言わば毒にも薬にもならないかもしれないが、この本は毒にも薬にもなるのだ。解説にも、やはりそう書かれている。 薄れつつあるとはいえ、結婚のときには必ず問題になるという"路地"のこと。まだ差別が強かった時代の記憶を持つ人もいる。路地とそれ以外の交流も進んでいて、場所としての路地は消えつつある。そういう路地を旅する本。 著者も路地出身者である。あちこちを訪ね、地元の人も知らないような路地を探し、話を聞く。傷口に塩を塗るような行為だと悩み、動けなかった時期もあるという。解放運動派と、寝た子を起こすな派に大別される路地がある。だがきっと、答えは二者択一ではないように思う。著者は路地から逃げたい、路地に戻りたい、そういう気持ちを矛盾せずに持ち合わせていたようだ。

Posted byブクログ