それでも、読書をやめない理由 の商品レビュー
紙の本、電子書籍、それぞれ利点があると思います。自分に合った読み方が選べるようになり、読書法の選択肢が増えたとも考えられるかもしれません。
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図らずも、村上春樹訳の「グレート·ギャツビー」を読み進めている所だったので、思わぬネタバレを食らってしまったのは、ご愛敬。しかし、当方がタイトルから、若しくはパラパラと数ページ試し読みして想像していた内容とは少しズレていた。もう少し深く、読書から得られる何かを、文章を書くことを本...
図らずも、村上春樹訳の「グレート·ギャツビー」を読み進めている所だったので、思わぬネタバレを食らってしまったのは、ご愛敬。しかし、当方がタイトルから、若しくはパラパラと数ページ試し読みして想像していた内容とは少しズレていた。もう少し深く、読書から得られる何かを、文章を書くことを本職にしている人間から教授してもらえるかと思っていたので少し肩透かしを食らった。要は、私は昔から本の虫なんだけど、最近SNSとか、インターネットとか、ブログとかに誘惑されちゃってなかなか本の世界に没入できないんだよねー、やばくないー?って内容だった。ある意味では親近感が沸いた。著者は、何故没入できないのか?という内容をあらゆる観点から書いてるのだけど、わざわざ長々文章に書かなくたって分かるじゃないか。この世界は情報に溢れすぎているし、本の世界よりも魅力的なことが次々に出てきているからだ。私はもっと深く読書の深淵を覗けると思っていたので少し残念な部分もある。けれども、著者の読書量は確かにすごく、様々な引用にはハッとさせられることも少なからずあった。かくいう私はというと、インターネットそのものに辟易してきて、今は少しそういったものから距離を置こうとする段に差し掛かっているので、没入できないという著者の意見と対立する部分もあった。また、電子書籍に私は懐疑的な所があるので、私の好きな作家がそれについてどう考えているのかは興味がある。
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もっとわかりやすい「本好きあるある」エッセイを期待してしまった。気軽に読んで読書家の仲間入りしたり気分になれるかと。ところがほとんど馴染みのないアメリカ文学中心の難しい引用ばかりで読むのが辛かった。わたしはギャツビーすら読んでいない。 本と読者との新しい関係の可能性がフェイスブッ...
もっとわかりやすい「本好きあるある」エッセイを期待してしまった。気軽に読んで読書家の仲間入りしたり気分になれるかと。ところがほとんど馴染みのないアメリカ文学中心の難しい引用ばかりで読むのが辛かった。わたしはギャツビーすら読んでいない。 本と読者との新しい関係の可能性がフェイスブックで垣間見れた話は面白かった。 読書の公共的な部分が私的なものになったというくだりも興味深かった。本棚から持ち主の人となりが伝わらないじゃないかと。 そんな危惧からさらに10年、電子書籍はずっと普及してかなりのラインナップになったし、ブクログ を使っているわたしたちは本棚を他人に見せびらかしている。
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読書論は好きなので読んでみた。 多くの本から、読書に関する名言が引用されている。 メールやツイッター、ブログなどは、断片的な情報を気軽に消費してしまう。 読書には余裕が必要。本と向き合う直接的な時間経験に加え、物語の中の時間も経験できる。 「様々な思考や記憶をテクノロジーに肩代...
読書論は好きなので読んでみた。 多くの本から、読書に関する名言が引用されている。 メールやツイッター、ブログなどは、断片的な情報を気軽に消費してしまう。 読書には余裕が必要。本と向き合う直接的な時間経験に加え、物語の中の時間も経験できる。 「様々な思考や記憶をテクノロジーに肩代わりさせることで、わたしたちは知的活動を外在化させている。だが、精神と魂が求めるのは、内面性なのだ。」けれど、本の感想さえも、こうして外在化させてしまっている。投稿したあと、私の中に何が残っているだろう。 「キンドルの本は所有者が死ねば、ともに死んでしまう。」のは初めて気付いた。紙の本なら古書として生き残れるのに。せめて、Amazonのアカウントを誰かに相続させることはできないのだろうか。
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200ページのほぼ全てにおいて、『読書』に関しての様々な考察が綴られている。『読書』を自分の経験をとおして、自分が読んできた著者の言葉をとおして、あるいは自分の息子が本に向き合う姿をとおして、あるいは読書し経過する時間との関係性を感じながら、はたまた読書している自分自身の姿を俯瞰...
200ページのほぼ全てにおいて、『読書』に関しての様々な考察が綴られている。『読書』を自分の経験をとおして、自分が読んできた著者の言葉をとおして、あるいは自分の息子が本に向き合う姿をとおして、あるいは読書し経過する時間との関係性を感じながら、はたまた読書している自分自身の姿を俯瞰しながら。そのときどきに映し出される『読書』の多様で深みのある魅力を語り尽くしている。 読み終えた今、この本を振り返っても、よくもこれだけ『読書』だけをテーマにして語り続けることができるものだと思ってしまうし、最後まで読み終えかつ、★を5つけてしまうほどに、心の奥深くに共感がコダマする文章が素晴らしかった。 それを思うと著者デヴィッド・L・ユーリンの筆力だけでなく、翻訳した井上 里さんの言葉の選択が見事に著者の意図に調和して美しかったのだとつくづく感服してしまう。 著者がこの本を書き終えたときに掬いとった『読書』の姿を引用しておきます。 『わたしたちが物事に向き合わないことを何より望んでいるこの社会において、読書とは没頭することなのだ。読書はもっとも深いレベルで私たちを結びつける。それは早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら一瞬のうちに情報が手に入るこの文化の中で、読書をするには自分のペースで進むことが求められるからだ。 時間をかけて本を読むというこの考えは、いったい何を意味しているのだろう? もっとも根本的には、それによって私たちはふたたび時間と向き合う、ということだ。 読書の最中には、私たちは辛抱強くならざるを得ない。ひとつひとつのことを読むたびに受け入れ、物語に身をゆだねるのだ。さらに私たちは気づかされる。この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだ、と。 世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から一歩退いてみることによって、私たちは世界そのものを取り戻し、他者の精神に映る自分の姿を発見する。そのときわたしたちは。より広い対話に加わっている。その対話によって自分自身を超越し、より大きな自分を得るのだ。』
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文学は死んだ、とノアはいった。 だから、本なんてもう読まないんだ、と。 隠していたものが露わにされる衝撃を感じながら、わたしは気づいた。つまり、わたしも、ノアが間違っているとは思えなかったのだ。 感情のDNAを変えてしまう本の力 カート・ヴォネガットが、文学とは観客自身が楽譜...
文学は死んだ、とノアはいった。 だから、本なんてもう読まないんだ、と。 隠していたものが露わにされる衝撃を感じながら、わたしは気づいた。つまり、わたしも、ノアが間違っているとは思えなかったのだ。 感情のDNAを変えてしまう本の力 カート・ヴォネガットが、文学とは観客自身が楽譜を演奏できる唯一の芸術だと語ったことがある。
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デヴィッドユーリン「それでも、読書をやめない理由」 http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b228676.html … 読んだ、んーまあまあかな。読書行為自体についての問いかと思ったら、現代における文学の存在意義への考察だった。で結論が、小説を読む...
デヴィッドユーリン「それでも、読書をやめない理由」 http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b228676.html … 読んだ、んーまあまあかな。読書行為自体についての問いかと思ったら、現代における文学の存在意義への考察だった。で結論が、小説を読むことは人に内省を促す、という極めて普通のオチ(つづく 著者が文芸批評家で、息子の国語の宿題をとおして現代における文芸の意味を考察する、という設定は良いのに勿体ない。どうせなら小説だけじゃなくノンフィクションや論評も含めて、SNS経由で記事やテキストに誘導されることも加味しつつ、なぜ人はそれを読むのか、という考察を読みたかった(つづく または電子書籍と紙書籍とで読書体験から受ける影響の違い、とか。まあこれはサンプル僅少だから無理か。個人的には、脳は紙書籍のほうに活発に反応する、という現在の研究結果を先に進めて、驚くほど柔軟な脳が、今後電子書籍に慣れると紙書籍と同レベルの反応をするのか、というのを知りたい(おわり
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―――――――――――――――――――――――――――――― たいていの場合、彼らとの対話は非常に興味深かった。ところが、最高の時間を持てたときでさえ、どこか物足りない気分になった。本を読んだときの親密さや内面性が感じられない。40 ―――――――――――――――――――――――...
―――――――――――――――――――――――――――――― たいていの場合、彼らとの対話は非常に興味深かった。ところが、最高の時間を持てたときでさえ、どこか物足りない気分になった。本を読んだときの親密さや内面性が感じられない。40 ―――――――――――――――――――――――――――――― 本を読むにはある種の静けさと雑音を遮断する能力が必要だ。 シンプソンは本を読むのをやめたといっているわけではない。むしろ、まるで時間が早送りのように過ぎていくこの時代に、本を頼りに時間の急流から身を引き、現在から距離を置こうとしている。そうすることで、本来の人間のありようを取りもどそうとしているのだ。46 ―――――――――――――――――――――――――――――― 「彼らがふつうに使える言葉は、日常生活に必要な決まり文句だけなのだ」53 ―――――――――――――――――――――――――――――― これこそが、わたしの注意散漫の本質だ。どんなときも、世界があまりにも手近にあるのだ。思いついたその瞬間にEメールをチェックできる。98 ―――――――――――――――――――――――――――――― わたしたちは、自分たちが今まさにそのただ中にいる問題さえ解説を求めたがるのだ。今まさに自分たちが主役である世界についてさえ、ことこまかに知りたがる。 四年間の任期の半ばも過ぎていないというのに、どうして大統領としてのオバマを評価できるだろう?不確定要素もあれば、理解できないこともたくさんあるのだと認める余裕などあるのだろうか?102 ―――――――――――――――――――――――――――――― フェイスブックは、役に立たない細かい情報を洪水のように流すことで、忘れることを不可能にしてしまった。そのため記憶することも不可能になった。実際、記憶とは忘却に置き去りにされた物語である――過ぎゆく時間に無用の細部をはぎとられ、なおも残った本質的なものが記憶だ。 フェイスブックにおいては、過去は決して癒されない傷となり、したがって、意味のある経験の傷跡になることはない。108 ―――――――――――――――――――――――――――――― いってみればテクノロジーの安息日を作れ、というわけだ。110 ―――――――――――――――――――――――――――――― 結局のところ、何かと注意が散漫になりがちなこの世界において、読書はひとつの抵抗の行為なのだ。192 読書はひとつの瞑想的行為となる。そこには瞑想に伴う困難と恩寵のすべてが含まれている。193 ――――――――――――――――――――――――――――――
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何のための読書なのか 時代とともに 読書の方法は変わる ネットの環境によって、読書とは⇒本を読むことから変化する 著者の(記述の)追体験ではなく、自分の体験とする。記憶ではなく、共有すること モノとしての本はきっかけづくりとして役立っているのだろう
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インターネットを含めたノイズの多い時代、読書はどうなっていくのかということを考察している。 結論としては、ひどくありきたりなところに落ち着いている。「人は、読書することをやめない」ということだ。
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