震災死 の商品レビュー
なぜここまでの被害が出たのか、どうすれば被害を少なくする事ができるのか、そこまで突き詰めない限り人災は無くならない。
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先日読んだ『遺体 震災、津波の果てに』に通じる作品。津波による犠牲者の遺体を中心に置き、検死医、遺族、消防団員、自衛隊関係者、救助犬調教師などを取材している。どちらか?と比較すると、『遺体 震災、津波の果てに』の方が良書ではあるが、こちらも新たに考えさせられる内容ではある。 ...
先日読んだ『遺体 震災、津波の果てに』に通じる作品。津波による犠牲者の遺体を中心に置き、検死医、遺族、消防団員、自衛隊関係者、救助犬調教師などを取材している。どちらか?と比較すると、『遺体 震災、津波の果てに』の方が良書ではあるが、こちらも新たに考えさせられる内容ではある。 特に、災害救助犬「レイラ」についての章や、自衛隊の活動についての章は読んでよかったと思うところ。 震災の後、「津波てんでんこ」という言葉があることを知ったけれど、この本を読んでまたこの言葉が頭に浮かんできた。 まずは各々が“憂う”こと。そうして自分の命は自分で守ること。「1000年に一度の災害だからこんなに多くの犠牲が出ても仕方がない」と割り切ってしまうのではなく、また防災を政府や自治体任せにするのではなく、生き抜く努力を各々がすることが大切なのだろうと思う。
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美談で語られることが多い震災における死に、ご遺体の状況や死に様から美談ではすまされない死の実態に迫っていた。多くの人が決死の覚悟でいたわけではなく、気づいたときに「そんなはずでは…」と突如、死に直面させられたのではないかというのは深くかんがえさせられた。生死の別れ目の 怖さをであ...
美談で語られることが多い震災における死に、ご遺体の状況や死に様から美談ではすまされない死の実態に迫っていた。多くの人が決死の覚悟でいたわけではなく、気づいたときに「そんなはずでは…」と突如、死に直面させられたのではないかというのは深くかんがえさせられた。生死の別れ目の 怖さをである。 死ぬのも嫌だし、遺されるのも嫌だ。 「自分の命は自分で守る」命に対する一定の責任は持たなければならない。
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東日本大震災の多角的な証言集として、読む価値はある。ただ後半は「この震災から学ばねばならない」というトーンが前面に出すぎて鼻に付いた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
著者が週刊ダイヤモンドに連載していた、「震災死」にまつわる色んな関係者へのインタビューと、それに対する著者の視点でのまとめ(反省や今後への提言等)が書かれた珍しい形式の本。 似た内容に「遺体」があるけど、こちらはもう少し広い観点での取り扱い。 ただ、既読(記事などで)の内容が結構多かったので、新しく何か知るということはなかった。 また、著者の「まとめ」とか「提言」のようなものが、ちょっとくどい気もしてきたが、それは自分がボランティアに通っていたから現地を知ってるせいなのかもしれない。 全く現地を知らない人が読めば、役立つのかもしれない。 が、全体的に、提言内容が少しレベルが低い気がした。 (誰でも思いつくような感じの内容が多いように感じる) 結果として、本自体の印象が薄くなってしまっているのが残念。
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報じられなかったことも含め、事実を把握し、未来のためにどう生かすか。 かわいそうな被害者、で思考停止してはいけないということ。 仲介役であるメディアのありかた。
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想定外という言葉で思考停止しないで、被災地であったこと、被災地の今を直視し、今後どのように行動すべきかを考えさせてくれる。検死した医師、遺族、自衛隊、警察官、学者、ジャーナリスト、消防団、政治家が、どのように被災地での死に向き合ったのかを20の事例を紹介しながら、課題を整理してい...
想定外という言葉で思考停止しないで、被災地であったこと、被災地の今を直視し、今後どのように行動すべきかを考えさせてくれる。検死した医師、遺族、自衛隊、警察官、学者、ジャーナリスト、消防団、政治家が、どのように被災地での死に向き合ったのかを20の事例を紹介しながら、課題を整理している。本の中でも、遺族の想いがやはり一番重く感じた。復興や支援などを考える際に、被災者や遺族がどう思っているのかを聴いていくことが必要と感じた。また、被災者地震が伝える被災や津波の状況など、学んだり、後世へ伝えていくのが大切と思えた。
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ハンドマイクを握り締めた姿のまま、遺体となって発見された消防団員。 防災無線で避難の呼びかけを続け、津波の犠牲となった自治体職員の 女性。彼ら・彼女らの死を「美談」として取り上げるメディアが多い。 しかし、美談だけで終わらせていいのか。何故、多くの人が犠牲になった のか...
ハンドマイクを握り締めた姿のまま、遺体となって発見された消防団員。 防災無線で避難の呼びかけを続け、津波の犠牲となった自治体職員の 女性。彼ら・彼女らの死を「美談」として取り上げるメディアが多い。 しかし、美談だけで終わらせていいのか。何故、多くの人が犠牲になった のか。2011年3月11日に、被災地では何が起こっていたのか。それを 検証せずには前に進めない。 三陸沿岸は日本でも有数の津波多発地帯である。津波に対する避難 訓練も日常的に行われ、津波対策としては立派な防潮堤・防波堤も 備えていた。 それが却って、津波に対する考えを甘くしていたのではないかとの 問題提起をしている。「想定外」。この1年、散々聞かされて来た言葉 だ。しかし、いくら想定を見直してもそれはあくまで一定の目途でしか なく、想定が安全基準ではない。 「(第2次世界タン世以降)66年間、平和であったから、政府や国民が、 ”憂いなければ備えなし”の意識になっている。本来、危機管理は ”備えあれば憂いなし”であるべきなのだが、政府も国民も憂えてい ないから、備えない」 「憂えていないから、備えない。備えていないから、(危機に)気がつか ない。気がつかないから、(一段と)備えない」 元自衛隊のヒゲの隊長こと、参議院議員・佐藤正久氏の言葉に胸を 突かれる。遺族のひとりも言っていた。「平和ボケだった」と。 あの日、どうしてあれだけの犠牲者が出たのかの検証を怠っては いけない。そんな問題提起をしている本書なのだが、この人の文章って 読んでいると時々イラッとするのは何故だ?
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吉田典史著 「震災死」(生き証人たちの真実の告白)を読む 死という厳粛な事実と真正面から、立ち向かい、遺体を、科学的に、検視報告なり、医師・歯科医師・警察・消防団・自衛隊・潜水士・心理学者などの証言を、こまめに、検証・分析して、死因の究明(圧迫死、外圧死、凍死、窒息死、即時死後硬...
吉田典史著 「震災死」(生き証人たちの真実の告白)を読む 死という厳粛な事実と真正面から、立ち向かい、遺体を、科学的に、検視報告なり、医師・歯科医師・警察・消防団・自衛隊・潜水士・心理学者などの証言を、こまめに、検証・分析して、死因の究明(圧迫死、外圧死、凍死、窒息死、即時死後硬直などの事実)を通じて、そこから、見えてくる「防災」想定を設定すること自体の問題点、防災意識の油断の指摘と、今後の防災対策への提言へと、進んでゆく。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に於ける能動的意思の有無の重要性や、心のフィルターのコントロールの説明や、突然の「暴力的死別」により、心の中に生まれた「自責の念や怒り」、「複雑性悲嘆」、「統合された悲嘆」、「悲嘆と受容の表裏一体性」、「開き直りの必要性」に関する科学的な説明と分析は、確かに、「千年に一度」、「未曾有の災害」とか、「想定外」という言葉だけで、「思考停止」を伴ってしまう議論に、対峙していて、貴重である。遺体を、暴力的に破壊されたモノとして、客観的にみることにより(報道、表現の在り方に対する疑問)、防災意識のオオカミ少年的教訓を、改めて、考え直そうとする視点は、全国紙のマス・メディア報道とは、一線を画していて、斬新な視点である。死臭で臭覚を麻痺してしまった災害救助犬(レイラ号)の実話、自衛隊員による「実弾を使わない戦争」、自衛隊の在り方(軍隊と災害救助派遣という便利屋)に関する問題提起、更には、消防団の待遇、組織の在るべき姿、又、犠牲となった団員への不十分な補償の問題、「職責を果たした」という美名の下での客観的な真実へ、迫ろうとする力への無言の圧力と無念さ、等、確かに、そこには、「備えあれば、憂いなし」ではなくて、「憂えないから、危機意識がなく、備えなし」という事実に、改めて、考えさせられる。「絆」とか、「がんばろうニッポン!」等という言葉とは裏腹に、この国には、無責任な風潮や無邪気さが、同居していて、「人と人とが支え合う意識が、すごい速さで、壊れて行きつつある」、そうした国の内部崩壊の危機を、著者は、敗戦や原爆の語り部の必要性と同時に、「記憶の風化」を恐れ、真摯に訴えている。石巻の大川小学校のように、何故、多くの死者が出たのか、未だに、多くの謎が残されており、それらの検証が、不十分であるとも、、、、、。そうした検証無くして、被災者を支えること無くして、今後の防災計画も復興もあり得ないし、国の再生もないと、著者は、犠牲者の遺体や多数の行方不明者に、替わって、訴えているように、感じられる。3月11日を前に、1年前と1年後は、自らの意識の中で、どのような変化が起こっていたのであろうかを、改めて、問われているようである。
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