わたしの名は赤(上) の商品レビュー
トルコ初のノーベル賞作家オルハンパムクの代表作。 様々な登場人物の独白によってまさに細密画やモザイク画のように物語が紡がれていく。死者や野良犬、絵に描かれた一本の木や貨幣までもが雄弁に語る。壮大な歴史絵巻であり人間ドラマでありサスペンスでもあり。 イスラム世界における芸術または世...
トルコ初のノーベル賞作家オルハンパムクの代表作。 様々な登場人物の独白によってまさに細密画やモザイク画のように物語が紡がれていく。死者や野良犬、絵に描かれた一本の木や貨幣までもが雄弁に語る。壮大な歴史絵巻であり人間ドラマでありサスペンスでもあり。 イスラム世界における芸術または世界観というべきものを垣間見る。自分とは全く違う人生を追体験するという読書の醍醐味を堪能できる一級の小説である。 おじ上がヴェネツィアの絵画に出会った時の衝撃、「わしは自分が他人とは別の異なった存在だと感じてみたかった」という告白。アラーこそ全てというイスラム世界において純粋な人間性が表出してくる瞬間。偶像を禁じたイスラム世界で絵を描くこととは。信仰の苦悩と矛盾をも言い当てている。遠近法や陰影法にしてもそこに思想があること、平面的な絵画にも意味があるのだと初めて知った。 さすがノーベル賞作家の代表作、読み応え十分。訳も素晴らしい。おじ上の死ぬシーンは上巻のハイライト。2件目の殺人も起こり物語はさらなるカオスへ。下巻に続く。
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トルコ作家は初めて読んだ。ノーベル賞作家だけど、ミステリーとして読めて面白かった。読み返したら、伏線とかあるのかも。 細密画を語るにもイスラム教の価値観は避けられず、知らなかった世界も垣間見れて新鮮。絵画やイスラム文化に全く興味がないと、しんどいかも。
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一人称で、人が入れ替わり立ち替わり語るという形式で、オスマン帝国の歴史に疎いこともあり、最初はなかなか頭に入ってこない。語り手は死人だったり、金貨だったりもする。 絵師を殺したのは誰なのか?という謎解きもあり、カラとシェキュレの恋物語もある。 上の真ん中くらいまで読むと、キリ...
一人称で、人が入れ替わり立ち替わり語るという形式で、オスマン帝国の歴史に疎いこともあり、最初はなかなか頭に入ってこない。語り手は死人だったり、金貨だったりもする。 絵師を殺したのは誰なのか?という謎解きもあり、カラとシェキュレの恋物語もある。 上の真ん中くらいまで読むと、キリスト教世界の写実画とオスマンの細密画の対比が浮かび上がってくる。昔の名人の画を忠実に写すこと、人物の個性を出さずに描く細密画の理念はイスラム教の反偶像主義に裏書されており、個人の人生を一枚の絵に描き出そうとするキリスト教の画とは相容れない考え方であることがわかってくる。 細密画に描かれた人物やモノに順番に焦点を当て、それぞれが語ることに耳を傾けている、そんな印象を受けた。
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ー 「絵や挿絵、美麗な書物に耽溺するあらゆるハーンや王、皇帝たちの関心には三つの季節があるのだよ。はじめの季節には、物おじせず夢中になって、心惹かれる。そして、他人に見せるためや、名声のために絵を求める。 最初の季節で絵についての見識を深めたなら、第二の季節には自分好みの絵を描...
ー 「絵や挿絵、美麗な書物に耽溺するあらゆるハーンや王、皇帝たちの関心には三つの季節があるのだよ。はじめの季節には、物おじせず夢中になって、心惹かれる。そして、他人に見せるためや、名声のために絵を求める。 最初の季節で絵についての見識を深めたなら、第二の季節には自分好みの絵を描かせるようになる。 絵を眺めるという真摯な喜びを学び、名声もおのずと高まり、死してのちも語り継がれるような事績をこの世に残そうと、それに見合った書物を集めはじめるのだ。 しかし人生の秋が訪れる。もはや、いかなる皇帝もこの世における不死には興味を示さなくなる。この場合の不死とは、続く世代や子孫たちの記憶に留まるという意味合いだ。しかしな、細密画を愛する君主たちはわしら絵師に自らの名を記させ、あるいはその事績を綴らせた書物によって、もとよりこの世における不死を獲得しているのだよ。だというのに老齢を迎えると、此岸ではなく彼岸での不死まで望むようになり、そのためには細密画が邪魔だと考えるようになる。 わしを悲しませ、苛立たせるのはまさにこのことよ。サファヴィー朝のタフマースブ王は自らも名人絵師として、若い時分には細密画工房で過ごしたというのに、死期が近づくや工房を閉鎖し端倪すべからざる腕前の絵師たちをタブリーズから遠ざけた。作らせた写本は散逸し、後悔の念に苛まれたという。なぜ人々は、絵画が天国の門への妨げとなるなどと考えるのだろうか?」 ー 読んだことのないタイプの新感覚な作風。 面白いけど、ミステリなのかな?第二の事件も起きたからミステリなんだろうけど、いったいどうなるんだ…。 続きが気になる。
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うーん。。。性描写が多過ぎる。読んでいけない気がしている。他の作品も読み進められなくて、こっちならどうかなと思ったのだが。 イスラム文化での絵の考え方の違いと言う点で見れば興味深いのだけど、不要な性表現(に思える)に出くわすたびにまたかってなって興醒めしてしまう。
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テーマは近代?個性の尊重を是とする欧米的な価値観のオルタナティブを示すことか?長かったが、まだ設定変更という感じがする。 最後にシェキュレという女性がポストモダンになっていくのが不思議。
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文学作品で、作風になれるまでに時間がかかり、言葉の選び方や描写の仕方、比喩なども理解は2割もできていないくらいだが、翻訳自体は読みやすかったのでパムクの世界観に触れることができた。 タイトル通り、「わたしの名は〇〇」「わたしは〇〇」という題で章が分けられていて、ミステリーではあるものの推理するのは難しかった。 それよりも、イスラム美術のなかの細密画や、オスマン帝国期の職人たちの神に対する考え方、西洋美術の遠近法の流入などの芸術と宗教の関係性であったり、主人公?の男女の恋愛模様の描写が印象に残った。 殺したのは誰なのか、下巻ではもう少し話がすすんでくるのか楽しみ。 ルネサンスについての前提知識が少なく、もう少し西洋の美術に対しても理解があれば、絵師たちの恐怖や反感などに思いを馳せれたので、そこは自分に残念。 難しい分読み応えはある。
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『藪の中』in イスタンブール。 そこに芸術論と文明論が差し込まれている。モザイク画を見ているような印象を受けるのは、語り手が章ごとに異なるから。 もしかしたら登場人物全員、実は挿絵の中に描かれた絵で、写本の読み手に話しかけている、という趣向の小説なのかも。 この作品が成功しているのは、作中で語られる「一人称視点」の問題が構成とストーリーの両方に深く関係しているからだと思う。 小説において「三人称」は「神の視点」、「一人称」は「個人の視点」というのは論を待たないだろう。この小説では一つの出来事が「一人称」で語られるために、いつまで経っても真実が明らかにならない。それぞれの人物に、それぞれの真実が存在するように書かれているからだ。まさに絵画で言う「遠近法」の技法が、この作品のミステリーを多層構造に仕立てている。しかも、その「遠近法」は、魅惑的であると同時にイスラム世界の絵画観を破滅に追いやる禁術だとして語られ、その禁術をめぐって殺人が繰り返されていく。 とストーリーや仕掛け、文明観や芸術論と読みどころは満載なのだけれど、いかんせん、登場人物たちの興味関心がシモすぎて食傷気味。なので、⭐︎4つ。『千一夜物語』が最初に西洋に紹介された時はほぼポルノ扱いだったって何かで読んだ気がするけど、わざとそういう印象になるようにしてるのかなぁ?西側(西欧近代小説を聖典と崇める近代作家の作品をお手本として読まされている、大多数の現代日本人含む)の価値観で読むとそうなるでしょ?的な問いかけ?? 下巻を読んでもうちょっと考えてみよう。
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カラとシェキュレの恋愛と殺人、イスラムにとっての絵とは?が同時並行で綴られている。 下巻で物語は急に動く。
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著者は2006年にノーベル文学賞を受賞したイスタンブール在住、本作はその代表作で、1951年、雪のイスタンブールを舞台に殺された細密画師の謎を追うミステリー。また、カラという男性と、若い寡婦・シェキュレの恋愛小説でもある。 各章「わたしは○○」という形式で、名を隠した犯人、カラ、...
著者は2006年にノーベル文学賞を受賞したイスタンブール在住、本作はその代表作で、1951年、雪のイスタンブールを舞台に殺された細密画師の謎を追うミステリー。また、カラという男性と、若い寡婦・シェキュレの恋愛小説でもある。 各章「わたしは○○」という形式で、名を隠した犯人、カラ、シェキュレ、絵師たち、それに死体、犬、馬、色彩の赤などが語り出す手法が特徴。 ただ、イスラム絵画、風俗、文学等の予備知識がないと、なかなか理解しがたい箇所が多い。 筋道もわかりづらく、作品の持ち味を味わうことはできなかった。
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