重い障害を生きるということ の商品レビュー
星5では足りない。★★★★★★★★★★ 福祉は「社会復帰に役立ち、社会への見返りが得られる人が対象」であり、また、医療は「病気を治すためや軽減するためにするもので、治らない障害に医療はいらない」という考え。ゆえに「障害が重くて社会の役に立たない者には国の予算は使えません」などと...
星5では足りない。★★★★★★★★★★ 福祉は「社会復帰に役立ち、社会への見返りが得られる人が対象」であり、また、医療は「病気を治すためや軽減するためにするもので、治らない障害に医療はいらない」という考え。ゆえに「障害が重くて社会の役に立たない者には国の予算は使えません」などという時代があった。 それが児童福祉法改定によって初めて重症心身障害児が法律で認められることになったのが1967年。このスタートラインに立つまで、どれだけの障害児とその家族たちが虐げられ厄介視され、不遇に苦しんできたかを思うと胸が苦しくなる。 しかしこれは健常者こそ目を背けずに読むべき本。 ✎︎______________ 日本において「心身に重い障害のある」子どもたちへのとりくみは、その子らと接して放置できない気持ちになった人たちが、困難を切り開き社会や国に訴え、渾身の努力をしてきたことによる。 ✎︎______________
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人間は元々弱い存在で、だからこそ同じ人間同士で共感したり、分かち合ったりしてここまで歩んできました。 にも関わらず、時にそういったことを忘れ、社会的弱者に対して排除につながるような考え方を持ってしまっている自分がいることに気づかされました。
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重度障害者への医療福祉に長年従事し、施設設立にも携わった医師による手記。 以下、本書の「はじめに」より。 びわこ学園では、心身ともに重い障害のある子や成人が生活し、必要な医療と介護を受けている。 障害の程度は、身体的には「ねたきり」の人が多く、知能的には「ほとんどなにもわからな...
重度障害者への医療福祉に長年従事し、施設設立にも携わった医師による手記。 以下、本書の「はじめに」より。 びわこ学園では、心身ともに重い障害のある子や成人が生活し、必要な医療と介護を受けている。 障害の程度は、身体的には「ねたきり」の人が多く、知能的には「ほとんどなにもわからない」と言ってもよい状態の人も多い。 見学に来られる方は、あまりの障害の重さに息を詰め、言葉なく立ち尽くされていることがある。 それは、その人たちの人生で、出会ったことも想像したこともない姿ではないかと思うのである。 こころに立ち現れてくる気持ちを自分でもつかめず、その気持ちをどう表現したらよいかわからず、感想や意見を述べることができない様子であるが、それでよいのではないかと思う。 この経験が、その人の人生になんらかのかたちで影響があるかもしれないということでよいのだと思う。 過日、外国のグループでの見学があった。 その人たちは「かわいそうに」と表現していた。 日本人のグループでも、重い心身の障害で生きている姿を「かわいそう」と思い、そのように言葉にする人もあり、別に違和感はなかった。 だが、よく聞いてみると、「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそうだ」という意味であった。 では、この人たちに医療をおこなわず、生活の介助をせず、死に委ねるのがよいのかということになる。 それは違うであろう。 だが、このように根本的には改善の余地がないように思える重い心身の障害のある人が、人生を生きていることがほんとうに幸せなのか、という問いが残る。 本書を執筆しようと思ったのは、多くの方に「重症心身障害」の状態で人生を生き、生活している人たちのことについて知っていただきたいのと、「ほんとうに、生きているのが幸せなのだろうか」という自分自身の問いでもあることに答えたいと思ったことからである。 それは、人が「生きるということ」について、また人の「生きる喜び」、人の「生きがい」などについて考えていくことになる。 それは、人間というのはどのような存在なのか、どのような生きものなのかということ、さらに社会の在りようにも広がっていくと思うのである。
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まずは、第一歩。あのような事件が起きた今、障がい者を本当に尊いと考える第一歩になりました。知らないということは恥ずかしい。逃げていてはダメ。命を考えさせられる本。
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前半は重度心身障害児がどのような「感じ方」をしているのかを多くの事例を基にして記述している。 中でも保護者から離れることの不安や恐怖を入所から14時間で亡くなった事例を挙げながら説明している部分では、いのちの儚さと周囲のかかわりの重要性を感じた。 後半は重度心身障害児施設を築き上...
前半は重度心身障害児がどのような「感じ方」をしているのかを多くの事例を基にして記述している。 中でも保護者から離れることの不安や恐怖を入所から14時間で亡くなった事例を挙げながら説明している部分では、いのちの儚さと周囲のかかわりの重要性を感じた。 後半は重度心身障害児施設を築き上げた、小林提樹、草間熊吉、糸賀一雄の生い立ちや施設が出来るまでのあらましを延べている。 脳がなくても、周囲の働きかけによって「笑う」。 多くのハウツーが出回る現在の特別支援教育に携わる物として、子どもと接する際の大切な視点を確認することができた。
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重症心身障害児施設に勤務している医師によって執筆された、タイトル通り重い障害をもった子が生きるとはどういうことなのかを論じた本。 ネットでこの本のレビューを見ると、某知事が物議を醸す発言をしたこととこの本の内容を結びつけ、知事を批判している方が多いが、私も正直なところ、本書に...
重症心身障害児施設に勤務している医師によって執筆された、タイトル通り重い障害をもった子が生きるとはどういうことなのかを論じた本。 ネットでこの本のレビューを見ると、某知事が物議を醸す発言をしたこととこの本の内容を結びつけ、知事を批判している方が多いが、私も正直なところ、本書に記されている子達の症状を読み始めたところ「知事がそう思ってしまうのも無理も無いのではないか」と感じていた。読み終えた今も、「命は大切な物」という倫理を分かってはいるのだが、これが正しいあり方なのか、自分がこのような子を授かったときにはどうするだろうかと、心のそこから納得できないでいる。 とはいえ、患者とその家族と密接な繋がりである医師であるからこそ伝えられる言葉は、健常者が受ける医療にもつながるものがあり、大変ためになる。 「障害のある人にとっては、医療というのは病気を治したり障害を軽くするために存在するのではなく、本人から生活を奪う存在になっているのではないか、ときには人権を侵害しているとの実感をもった(医師の心無い発言に傷ついた親、入院している病院の保母・患者の声を聞いた時の感情)」 「人間の精神は、理由の分からない耐え難い不安と恐怖にさらされたとき、自らの身体を殺してしまうことによって、終息させることがああるという恐ろしくも尊い事実であった(入院してきた子が親から離されてから数時間で亡くなってしまったときを振り返り)」 「移動のままならない重い身体障害のある人達は、過去の実際の経験。つまり「記憶の現在」が貧しく、現在を生きることの貧しさ、寂しさに繋がっているのではないかと考えるのである(臥床状態にある人は平面の二次元世界に存在しており、三次元で物事を捉えるということが難しい。また、同時に時間の経過を感じにくく、思い出も少ないのではと推測した際に)」 意識がない、とされた子が医師や看護師との触れ合いを通して「表情」を見せるようになったり、頻繁にお見舞いに来れない父親が来たときは少し身体を強ばらせるなど、「快適な環境をつくることと人とのふれあい」が施される側と施す側のお互いに生きやすい社会を作っていける、という趣旨の文章を最終章に載せている。三人の偉大な人物の創った施設で、今日も慌ただしくも穏やかな時間が流れているのだろうか。 自分用キーワード びわこ学園 抱きしめてBIWAKO(重症心身障害児施設の新築移転費用を調達するために行われた運動) 障害焼け跡論(医療は火事の最中のような「病気」に対しては出動して病気を治そうとするが、燃え尽きて「障害」になったら出動しないのではないか、という考え) 点頭てんかん コーヒー残渣様嘔吐 後弓反張(筋肉が緊張し弓なりの姿勢になること) シーシュポス 水頭無脳症 カクテルパーティー効果 グラスゴー・コーマ・スケール 閉じ込め症候群 滑脳症 誤嚥性肺炎 小林提樹(島田療育園の創設者の一人) 草野熊吉(秋津療育園の創設者) 糸賀一雄(びわこ学園の創設者) 大島の分類(大島一良という人物が作成した重症心身障害の分類表) 不随意運動(アテトーゼ、ヒョレア、ジストニアなど) ノーマライゼーション(デンマークのバンク・ミッケルセンが提唱) 水蛭子
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重い障害のある人たちに「生きているの意味があるのか」なんて ちゃんとかかわったことのある人なら絶対に言えないと思うけど、 経験のない人にそう言われてしまったときに 感情論でない説得力のある答えは難しいかもしれない。 そんな問題を決して主観や感傷ではなく、 医学の立場から冷静に、いろんな事例を交えながら書いてくれている。 重い障害のある人を大事にするとは、「いのち」を大事にすることである。 自分がその当事者でなくても、本当はそんな社会であってほしいと思うから、 びわこ学園の新築費用を集めるために、多くの人々が琵琶湖の周りを囲んだ。 そこに著者は、人類の進化の中で避けられない障害を背負った 「人類戦士」たちの生きていく意義を見る。 いのちがある限り苦しみもあるし、反対に「快適さ」=喜びもある。 重い苦しみの中でも、丁寧なケアによって快適さを得ることができるし、 快適さを与えることができる。 ケアする人が得られる癒しや生きがいというのも、ただの自己満ではない気がするなあ。
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とても優しい視点を感じる本。 ただ優しいだけではなくて息を飲むような重い障害に、毅然と対処しようとする優しさ。 重障害を抱え、自らの身体能力ではただ生存することさえ難しい人たち。神経や筋肉が発達しないために動くことはおろか姿勢を保持することもできず、呼吸をすることですら体力を消...
とても優しい視点を感じる本。 ただ優しいだけではなくて息を飲むような重い障害に、毅然と対処しようとする優しさ。 重障害を抱え、自らの身体能力ではただ生存することさえ難しい人たち。神経や筋肉が発達しないために動くことはおろか姿勢を保持することもできず、呼吸をすることですら体力を消耗する。思考や感覚が朧ろで外界を捉えられず、すべての刺激に混乱と恐怖をきたす。 そういう人たちにとって、生きているとはどういうことなのか。彼らを生かしているとはどういうことなのかを静かに、真摯に考えている。 障害とは、人類が脈々と子孫を残し進化したりしなかったり無数の取捨選択の上での試作品なのだ、と著者は言っています。すでに彼らは闘って、何らかの痕を遺してきたのだと。 この考えがこの本の目玉だと思う。 これを読んで泣きそうになりました。 著者は世界を捉えられない人でも、太陽のしたで開く花のような原始的な気持ち良さを感じることはできる。その反応はとても細やかで、いつもは強ばっている筋肉が僅かに和らいでいるというような反応かもしれないけれど、それを与えてあげられるように思いやるのが重障害者への介護ということだと言います。 もしも私に障害があったらこの先生のもとで勇気をもらいたい。 もしも身近に障害を持つ人がいたらこの人のように接したいです。 ちょっと整理しきれていないけれど、これが感想。
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重い障害を生きることはどういうことなのか。 また彼らをとりまく環境の変化など、福祉の歴史についても書かれている。 近江学園の創設者である糸賀一雄の「どのように重い障害があろうと、人間は同じである」という言葉は一見当たり前のことのようだが、本当にこの言葉の意味を理解できているのか...
重い障害を生きることはどういうことなのか。 また彼らをとりまく環境の変化など、福祉の歴史についても書かれている。 近江学園の創設者である糸賀一雄の「どのように重い障害があろうと、人間は同じである」という言葉は一見当たり前のことのようだが、本当にこの言葉の意味を理解できているのか私自身、自信が持てない。 頭で分かっていても体験的にはゼロであるがゆえ、実際に障害者と接した時に本当の意味で理解できるのではないかと思う。 糸賀氏は障害者であれ人間は同じということを、体験的に嫌というほど感じさせられたのではないかと思う。 それゆえ、この言葉には言葉以上の重みを感じた。 障害者にたいする理解がもっともっと進めばいいなと思う。
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私も小児科医として、マイノリティの中のマイノリティが、いろいろな事情で(医学的ハイケアの必要性、家族の問題、高齢化など)自宅で過ごすことが出来ない人たちと、その子達のために奮闘する療育センターのスタッフをを知っているので、この領域の医師が、「岩波新書」に書を著したことに敬意を表する。(多いのは、マイナー出版社からの自費出版が多いので) 重心と呼ばれる子達にも宿る感情や感覚を医師として鋭く観察し、さらに全国の療育施設の成り立ちの歴史をわかりやすく説明している。 障害のある子を守るとする、わりとありきたりのお涙頂戴的文体とは一線を画した良著である。
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