つぎはぎ仏教入門 の商品レビュー
「仏教は哲学なんです」 こんな事を聞いてから、そのあといろんな人が仏教を口にするもんだから仏教に興味を持った。 確かにブッダが悟った事柄は哲学的だけど、今身の回りにある仏教観は哲学な感じはしない。輪廻転生とか極楽浄土とか。 どうしてかと思っていたら、これはインドから日本に伝わ...
「仏教は哲学なんです」 こんな事を聞いてから、そのあといろんな人が仏教を口にするもんだから仏教に興味を持った。 確かにブッダが悟った事柄は哲学的だけど、今身の回りにある仏教観は哲学な感じはしない。輪廻転生とか極楽浄土とか。 どうしてかと思っていたら、これはインドから日本に伝わる中で哲学が宗教に変わったということらしい。 私の知る限り、宗教は人間が死の恐怖から逃れるために人間が作り出したものだと思う。じゃあ、仏教の生みの親ブッダは死の恐怖にとらわれる人々を端から眺めて、何を悟ったかというと、 「怖がっても怖がらなくても必ず死ぬ、生まれ変わりとかあの世とかは無い」 と悟り、そんなどうでもいい事は気にしなくなったそうな。 厳密に言うと、有があるから無がある訳で、ブッダはそのどちらの唯物性をも否定してただの現象だとしているらしいけど、詳しくはよくわからない。要は自我がもたらす恐怖とか欲望とかから解放されたらしい。 だがしかし、一般ピープルにそんなこと言っても何の救いにもならないから、ブッダの没後、後世の人々が仏教を宗教チックにアレンジしたらしい。死んでもどこかに行けるから信じて、と。 ブッダみたいに必死に考えて悟れば幸せになれるの?とか思ったけど、仏教の目的は「悟り」なんで幸福を求める自体筋違いだなと気づいて、どのように生きても死ぬということには変わりはないのに、私という自我は何をジタバタしているのかと気が抜けるのです。
Posted by
読み易く、解りやすい。釈迦の教えがなんなのか、その後仏教がどう変遷していったのかが、よくわかる。仏教が『覚り』の宗教なのは分かっていたけど、『覚り』って何なのか?どうすれば『覚り』を得られるのか?我執を捨てれば良いのかい?うまいもんも喰いたいし、勿論、人生はエンジョイしたいし、釈...
読み易く、解りやすい。釈迦の教えがなんなのか、その後仏教がどう変遷していったのかが、よくわかる。仏教が『覚り』の宗教なのは分かっていたけど、『覚り』って何なのか?どうすれば『覚り』を得られるのか?我執を捨てれば良いのかい?うまいもんも喰いたいし、勿論、人生はエンジョイしたいし、釈迦が自分の教えは衆生には理解されないからって思ったのはもっともだよね。凡夫は救われないね。
Posted by
仏教の宗祖は釈迦、しかし釈迦は「お経」など残さなかった。仏像を拝む習慣もなかった。では、釈迦の教え=仏教の確信はなんなのか、ということがテーマ。 仏教をほんとうに勉強した人からは、本書のように「大乗・小乗」で切り分けること自体がすでにアウト!らしいが、素人の身としては理解しや...
仏教の宗祖は釈迦、しかし釈迦は「お経」など残さなかった。仏像を拝む習慣もなかった。では、釈迦の教え=仏教の確信はなんなのか、ということがテーマ。 仏教をほんとうに勉強した人からは、本書のように「大乗・小乗」で切り分けること自体がすでにアウト!らしいが、素人の身としては理解しやすい。日本の仏教にはあまりいいイメージがない自分ではあるが、著者の解説する「初期仏教」はなかなかスッキリとして魅力的だと思った。それは、「覚り」の教えであり、輪廻を含む迷妄から脱するための現実的なノウハウである。「神のもとで永遠なる命が得られる」なんてとんでもない、「我はそもそも有限であり、我はそもそも実態がない」と説く。ああ、なんてスッキリ! 「あまりいいイメージがない」のは、仏教についてではなく、仏教をとりまく制度や人間が気に入らないのだな、と明確にできただけでも、読んでよかった本。
Posted by
仏教の基本的なことが知りたくて買いました。 呉智英さんといえば儒教が専門なわけですが、その門外漢からの視点が逆にこの本をわかりやすくしていると思います。 すばらしい入門書。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
仏教徒ではない著者があくまで知識という観念で仏教を解説する本。 仏教の本は初めてだったので、詳しく書いていきます。 著者は仏教は釈迦の時代では仏像もなく経典も無いことに、気づかない事、それをあえて伝えない日本仏教界を批判している。 また、仏教は現代の弱点を克服できる可能性を持っているとする。 仏教とは、事故が覚ることを目的としている、極めて論理的な学問ともいえる宗教だ。釈迦の言うそれは初期仏教といい、数や九年後、初期仏教の流れをくんだ小乗仏教、大衆向けの大乗仏教と別れ、更に地域ごとにさまざまな枝分かれをした。 著者は初期仏教を知った上で諸々の宗派を知るべきだと説く。初期仏教を純金の指輪にたとえ、派生した宗派を純度10%だったり、20%だったりの指輪と考えたらいいという考え方だ。後世になるほどややこしく、教理と離れ、一神教化していると批判する。 現代において世俗主義にはっきりと対立できる思想は宗教のみ。ただ、それに怠惰な因習と化した日本現代仏教は力不足であり、初期仏教の本分に立ち返らない限り、対立は不可能だ。 基本的に著者は最も古いといわれる「阿含経典」を推している。 「愛」は現代日本を悪化させている。西洋から渡ってきた概念であるが、キリスト教的価値観で土台が作られていない日本では愛は即、執着へと変貌し、醜いものへと変わる。愛=慈悲である。そう考えなければ、空虚な愛が更に日本人を蝕んでいくことになる。 また、自我が肥大していると言う。自己愛とも撮れ、本当の自分を強迫観念のごとく求めようとする。自我を捨てる事を目的とする仏教は、ひとつの答えになるのではないだろうか。 ただ、初期仏教は、資本主義とあまりにも相性が悪い。釈迦自身、出家した乞食のような存在だ。そんな乞食ばかりの国が成り立つはずも無い。問題は多い。 著者が言いたいことは、今の仏教界は初期仏教に立ち返り、今こそ現代の闇を払拭する力を発揮するべきだ、ということである。 仏教にはとてつもない力が秘められている。それを仏教界のみならず、ひとりひとり考えていこう、と提唱する本である。
Posted by
印象に残った文章 「上に立つ者が上から目線であるのは当然ではないか。それのどこがいけないのだろう。」 「「させていただく」私はこの卑屈さに強い違和感と嫌悪感を持った。それに対抗できる思想として仏教があるのかもしれない。」 「釈迦は人類史上最古最高の思想家の一人であり、宗教者として...
印象に残った文章 「上に立つ者が上から目線であるのは当然ではないか。それのどこがいけないのだろう。」 「「させていただく」私はこの卑屈さに強い違和感と嫌悪感を持った。それに対抗できる思想として仏教があるのかもしれない。」 「釈迦は人類史上最古最高の思想家の一人であり、宗教者としても極めて優れた人物であると思う。それは、親や妻子を平然と捨てる釈迦であり、若者たちをかどわかす危険人物として町の人たちに罵られる釈迦である。」 個人的に、仏像なんてものに関わるため、非常に参考になる。
Posted by
仏門のアウトサイダーだからこその冷徹な記述。そもそも仏教の教義とは、その教義が歴史の中でどういう変容を遂げたか、現代の仏教が抱える矛盾などを鋭く指摘しておりおもしろい。そもそも世俗を超越した仏教を処世術として吹聴する言説への厳しい批判には共感。
Posted by
@MAKOTOKASHI さん こんにちは。ことしの読み初めは呉智英の『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房)です。仏教の専門家でない著者が、蛮勇を振るって仏教書や歴史書などを読み、知りえたことをつぎはぎしてみると、かえって仏教が概観でき、核心が現れてくる、と「はじめに」にあります。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
20120110読みたい 聞きかじった内容:現代の葬式仏教は仏教本来の教えからかなり姿を変えている。祈ることで救いを求める他力本願な宗教ではなく、自分がよく生きるための心の有り様を説くのが仏教(思い通りにならぬものは、ならぬものと受け入れる等)で、とても知的な宗教である。 20130616読了 一度目はざっと読み、二度目にじっくり。仏教関係の用語に馴染みがないので二回さらった。釈迦に内在した大乗と小乗の葛藤、日本で姿を変えた大乗仏教と本来の仏教との違いなど、流れが分かりやすい。●新発見。日本で仏と言われるものは大きく3つに分かれること。いくつも仏が存在する論理操作。密教、浄土宗・浄土真宗、日蓮宗、禅宗の特徴(いずれも初期仏教とは別物)。などなど知識の整理に有益だった。●大乗と小乗を大学教授に例えて説明しているのがおもしろい。ふと、実存派のニーチェを思い出して思想的に近い部分があるんじゃないか?と思ったら、トーキングヘッズでニーチェやショーペンハウエルは仏教に強い関心を持っていたと著者が言っていた。●仏教で「愛」は否定的な意味。俗人は子どもへの愛を克服できないと詠う山上憶良の歌。たしかに愛は固執と表裏一体だよなと思う。●葬式仏教として成熟すべしという激励が印象的だった。
Posted by
そうなのだよ。仏陀は人間であり極めた人間なのだ。 だからその哲学と思想になるべく直接触れたいと考える。葬式仏教と揶揄され、そこからの脱皮を図ろう、社会に存在感を知らしめるためには・・等々の下らぬ論議をしている現在の仏教教団は根源を問わなければいけない。 シンプルに根源を見る事が大...
そうなのだよ。仏陀は人間であり極めた人間なのだ。 だからその哲学と思想になるべく直接触れたいと考える。葬式仏教と揶揄され、そこからの脱皮を図ろう、社会に存在感を知らしめるためには・・等々の下らぬ論議をしている現在の仏教教団は根源を問わなければいけない。 シンプルに根源を見る事が大事なんだと共感。
Posted by