ラテンアメリカ五人集 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
ラテンアメリカ文学の作家5名による短篇と詩合わせて7篇を収録。 ホセ・エミリオ・パチェーコ「砂漠の戦い」(安藤哲行訳) マリオ・バルガス・リョサ「小犬たち」(鈴木恵子訳) カルロス・フエンテス「二人のエレーナ」(安藤哲行訳) オクタビオ・パス「白」(鼓直訳) 「青い花束」(野谷文昭訳) 「正体不明の二人への手紙」(野谷文昭訳) ミゲル・アンヘル・アストゥリアス「グアテマラ伝説集」(牛島信明訳) M・バルガス・リョサの「小犬たち」とO・パスの「青い花束」が特に好き。この2篇は物語として比較的読み易く、理解し易かったかもしれない。 反対にパスの「白」とM・Á・アストゥリアスの「グアテマラ伝説集」には全く歯が立たなかった。シュルレアリスムというのかマジックリアリズムというのか、翻訳による原文からの隔絶なのか、ラテンアメリカ文学はほぼ初心者である自分には早過ぎたのだろうか? 改訂にあたり版権の都合で本作から除かれたというシルビーナ・オカンポの「鏡の前のコルネリア」を読んでみたい。
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ラテンアメリカ少年の小説2作 というわけで、ラテンアメリカ五人衆の文庫より、パチェーコとリョサの作品を。どちらとも少年時代をその生の声に語らせることに成功した作品。 パチェーコ「砂漠の闘い」はタイトルだけ見てブッツァーティみたいな雰囲気か?と思ったけど、全然関係なく?メキシコシ...
ラテンアメリカ少年の小説2作 というわけで、ラテンアメリカ五人衆の文庫より、パチェーコとリョサの作品を。どちらとも少年時代をその生の声に語らせることに成功した作品。 パチェーコ「砂漠の闘い」はタイトルだけ見てブッツァーティみたいな雰囲気か?と思ったけど、全然関係なく?メキシコシティ下層地域(多分)の息遣いが味わえる。少年が友達の母親(アメリカナイズされた)に恋するという筋。結局ずっと後になって、その女性は自殺したということを旧友から聞かされるのだが…1940年代後半から50年代前半のメキシコシティ風俗も、日系移民やアメリカ文化との関係など含めて追体験できる楽しい小説だけど、語り手自身は語っている現時点でどこにどんなふうにいるのだろうか?そこが謎のまま。兄貴のことは書いてあるのだけれど…パチェーコは自分は初の作家だけど、どっちかというと詩の人みたい。 で、リョサ「子犬たち」大作群の前。だけどもう語り口、構成と内容が渾然一体となったリョサの作風は完成してる、そんな感じ。こっちはペルーはリマのワルガキどもの追体験。4人の少年ともう一人、犬に男の一番大事なところを咬みきられてしまった少年との成長(或いは未成長)の物語。読んでて最初は4人の他に語り手の少年いるのかと思ってたけど、語り手というより4人の少年の声がこだましあう音響空間のただなかに、読者は立っているのでした… (2011 10/13) 「ラテンアメリカ五人衆」より引用2つ それは単なる予兆、単なる前奏、事前の快感に対する単なる制限だが、だからこそやがて、行為そのものに変わる。 (p138) フェンテス「二人のエレーナ」より。この短篇の筋は、結婚した妻のエレーナと、その母親の(同じ名前の)エレーナ二人を愛する男、というもの。それが土台にあって、そこに(1960年代の)映画とかアメリカ黒人運動とか(この文章で書かれている)ジャズなどが入り込んで溶け合っている、そんな感じの短めの短篇。で、この文章・・・なんか前に挙げた「本能による漂流」そのものってな感じ。人間における「本能による漂流」は文化(高いの低いのひっくるめて)? 僕は宇宙とは巨大な信号のシステムであり、森羅万象の間で交わされる会話であると思った。僕の行為、コオロギの鳴き声、星のまたたきは、この会話の中にちりばめられた休止と音節と語句にほかならなかった。僕が音節であるのはどんな言葉だろうか。その言葉を誰が誰に向かって話しているのだろう。 (p177) こちらはパスの掌編「青い花束」から。これと次の「正体不明の二人への手紙」は散文スタイルで、パスがシュルレアリスムの影響下にあったころの作品。「青い花束」では、こんなことを考えていると追いはぎ?にあい、目玉をくりぬかされそうになる。追いはぎは青い眼が目的だったそうだけど、パスはそうではなかったらしい。言葉は仮に聞いていたとしてもわからない、ということかな。 「正体不明・・・」は正体不明・・・何をいっているのかな、と読んで行くとまったくわからない。 そして、パスがインドなどの影響を受けた次の時代の詩作品「白」・・・これもよくわからない・・・んだけど、上下に詩が分れている上の部分は男女の交わりをストレートに詠んでいるのかな。下は神話的な部分。 この「白」という作品がこの文庫のちょうど真ん中あたりにあることもあって、これを境にして「二人のエレーナ」の現代の恋愛とその下にある(フェンテス作品には必ずある、と思われる)神話構造が、裏返しとなって、先のパスの掌編2つ、そしてアストゥリアスの「グアテマラ伝説集」へと神話が表になっていくのかな?そう考えたりもした。そうすると「正体不明の二人」とは「二人のエレーナ」・・・? うーむ、出来過ぎた・・・ (2011 10/23)
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砂漠の戦い(ホセ・エミリオ・パチェーコ/安藤哲行) 小犬たち(マリオ・バルガス=リョサ/鈴木恵子) 二人のエレーナ(カルロス・フエンテス/安藤哲行) 白(オクタビオ・パス/鼓直) 青い花束(オクタビオ・パス/野谷文昭) 正体不明の二人への手紙(オクタビオ・パス/野谷文昭) グアテ...
砂漠の戦い(ホセ・エミリオ・パチェーコ/安藤哲行) 小犬たち(マリオ・バルガス=リョサ/鈴木恵子) 二人のエレーナ(カルロス・フエンテス/安藤哲行) 白(オクタビオ・パス/鼓直) 青い花束(オクタビオ・パス/野谷文昭) 正体不明の二人への手紙(オクタビオ・パス/野谷文昭) グアテマラ伝説集(ミゲル・アンヘル・アストゥリアス/牛島信明) 著者:ホセ・エミリオ・パチェーコ(Pacheco, José Emilio, 1939-2014、メキシコ・メキシコシティ、作家)、マリオ・バルガス・リョサ(Vargas Llosa, Mario, 1936-、ペルー、小説家)、カルロス・フエンテス(Fuentes, Carlos, 1928-2012、パナマ、作家)、オクタビオ・パス(Paz, Octavio, 1914-1998、メキシコ・メキシコシティ、詩人)、ミゲル・アンヘル・アストゥリアス(Asturias, Miguel Ángel, 1899-1974、グアテマラ、小説家) 訳者解説:安藤哲行(1948-、岐阜県、ラテンアメリカ文学) 訳者:鈴木恵子、鼓直(1930-、岡山県、ラテンアメリカ文学)、野谷文昭(1948-、神奈川県、ラテンアメリカ文学)、牛島信明(1940-2002、大阪志、スペイン文学) 解説:豊崎由美(1961-、愛知県、書評家)
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もはや、ブラックマジックだけではないということを多様な作家のショーケースで見せてくれる。とはいえ、その錯綜するイメージの立ち上がらせ方には固有の力を感じる。 魔法などというものは、そう、ここにもあるものなのだ。
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現代のラテンアメリカの代表的な5人の作家の短編集。解説にあるように短編がその未知の作家を「手っとり早く知」る方法であるかは疑問。短編と長編は呼吸が違うだろうから。とはいえ、珠玉の5篇。ラテンアメリカの複雑で混沌とした社会、環境はそこで育つ作家にとっては最低最高(/最高最悪)のバッ...
現代のラテンアメリカの代表的な5人の作家の短編集。解説にあるように短編がその未知の作家を「手っとり早く知」る方法であるかは疑問。短編と長編は呼吸が違うだろうから。とはいえ、珠玉の5篇。ラテンアメリカの複雑で混沌とした社会、環境はそこで育つ作家にとっては最低最高(/最高最悪)のバックボーンではないか。 個人的に共感したのは、ホセ・エミリオ・バチェーコ「砂漠の戦い」、カルロス・フエンテス「二人のエレーナ」。 バチェーコの淋しげな語り口は読むタイミングを選ばせられるけれど、個人的にどうしても引きずり込まれるツボがある。友人の母親に淡い思いを抱いた少年は、思い詰めて、とうとう学校を抜け出して会いにゆき、それがばれて精神病院にまで送られてしまう。彼の母親もだが、父親もひどい。「父はしかりさえ」せず、昔の物理的な事故のせいかなにかで「この子は普通じゃない」という[p37]。まわりはみんな「自分の物差し」で彼をはかっていた。まわりは彼をおかしい、狂っているというようにあつかうけれど、彼はただ「好きです、と彼女に言っただけ」[p43]。彼が彼女に会いに行き、告白したときの彼女の対応がオトナ(ちなみに俺と同い年…)。やがてその友人の母親は…… ラテンアメリカでは作家自身が自身を積極的にまわりから「狂っている」「あたまがおかしい」とみなされていたと描く感じがする。そうであっても、とか、いや違う、まったくお門違いとかいいたいわけでもないだろうが。 「二人のエレーナ」は、何気ない物語なのだが、自分の妻の母親のエレーナと話す体験が不思議な感覚にさせる。短編の呼吸が過不足ない心地よさだった。終わりが美しいね。母親のエレーナの話した箪笥[p144]がさりげない伏線だったなんて。 バルガス=リョサは「緑の家」を読んでからだろう。オクタビオ・パスは「青い花束」は良かった。「グアテマラ伝説集」はまた別のタイミングで。
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砂漠の戦い」がとても心に残る。一番好き。「青い花束」もいい!初リョサでしたが「子犬たち」の怒涛のように溢れる言葉の数々も面白い。でもお話はかなり痛みを伴いますが。詩はスペイン語でないとすごさは半減という気はするけれど、圧倒される。グァテの伝説は神話・伝説好きの私でも全く頭に入って...
砂漠の戦い」がとても心に残る。一番好き。「青い花束」もいい!初リョサでしたが「子犬たち」の怒涛のように溢れる言葉の数々も面白い。でもお話はかなり痛みを伴いますが。詩はスペイン語でないとすごさは半減という気はするけれど、圧倒される。グァテの伝説は神話・伝説好きの私でも全く頭に入ってこなかった。文字を追っていたのみ。ただ、ラテンアメリカ全般がカトリック信者という皮をかぶっても、土着の信仰心・宗教観こそが彼らにとっての日常という気がしました。最後の豊崎由美のエッセイは要らないと思う。何ゆえにあれを?残念に思います。
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日本ではあまり馴染みのないラテンアメリカの作家5人による短編中編が収められたもの。5人とも、ノーベル文学賞とスペイン語圏文学の文学賞であるセルバンテス賞のいずれかまたは両方を受賞した実力派。たまにはこういったものを読むのも刺激になります。少年の話2編と、神話は興味ぶかかったです。...
日本ではあまり馴染みのないラテンアメリカの作家5人による短編中編が収められたもの。5人とも、ノーベル文学賞とスペイン語圏文学の文学賞であるセルバンテス賞のいずれかまたは両方を受賞した実力派。たまにはこういったものを読むのも刺激になります。少年の話2編と、神話は興味ぶかかったです。でも神話は、なかなかイメージがわなかったので、絵本で読んでみたいと思いました。詩は、、、字面を追ってみたものの、まったく理解できず。自分の浅さが残念でした。
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この文庫本は1995年に刊行されたものの改訂版で、オカンポの作品がフェンテスのそれと置き換えられているだけである。旧版を持っているのに、間違えて買ったのだ。 従ってフェンテスの「二人のエレーナ」以外は再読である。 20世紀最後のほうで、日本にもラテンアメリカ文学のブームがやって来...
この文庫本は1995年に刊行されたものの改訂版で、オカンポの作品がフェンテスのそれと置き換えられているだけである。旧版を持っているのに、間違えて買ったのだ。 従ってフェンテスの「二人のエレーナ」以外は再読である。 20世紀最後のほうで、日本にもラテンアメリカ文学のブームがやって来て、私もボルヘス、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサ、プイグなどいろいろ読んだものだ。 一般論を言うと日本人はもともと南アメリカとはつきあいが浅く、そちらの風物は我々にはあまりなじみがないという感じが強い(少なくとも私には)。ラテンアメリカの文学を読んでも、そこには情景描写は少ないから、書かれている光景の具体的ディテールは浮かんでこない。人物たちの心理は普遍的なものだろうが、その背景がどうもよくわからないし、彼らの生活の様子もちょっとイメージできない。 おおむねラテンアメリカ文学は人物の言動をポンポン連射するように記述を重ね、尖ったような乾いた描写の嵐が目の前に飛び込んでくる印象。そして、そうした事象をめぐる(作者の)思想などはほぼ全く表現されることがない。従って、表層的な、シニフィアン的なクラスターによって織り出されたタペストリーのような印象がある。 この本の中で最も印象的なバルガス=リョサ(ペルー)の「子犬たち」は、犬に急所をかまれ去勢された少年が、恋愛することもできずに不幸な人生を送るという、至って可哀想なストーリーなのだが、主人公の友人たちの台詞がリズミカルに隙間なく連なり、ガヤガヤと騒がしいまま、アップテンポで駆け抜ける。 このざわめきと、カラッとした感触、「内面の深層」に潜ることなく、陽光のもと、めくるめく事実の継起が大河を成していく感覚は、ペルーあたりの風土や文化、気質から来るものだろうか。 「私小説」に見られるような日本的湿り気とは全く違う「他者の世界」であり、この世界はとても興味深く、刺激的である。
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かつて文庫で出ていたものを一部作品を入れ替えて復刊した一冊。 ラテンアメリカ文学を気軽に味わえるよき入門書ではなかろうか。 やはり注目はマリオ・バルガス=リョサだろうか。 私自身彼の作品を読みたくて買ったようなものだ。 「小犬たち」を読むと若さとコンプレックスという、青春...
かつて文庫で出ていたものを一部作品を入れ替えて復刊した一冊。 ラテンアメリカ文学を気軽に味わえるよき入門書ではなかろうか。 やはり注目はマリオ・バルガス=リョサだろうか。 私自身彼の作品を読みたくて買ったようなものだ。 「小犬たち」を読むと若さとコンプレックスという、青春にありがちな切なさが込み上げてくる。 コンプレックスのせいでそのまましょうもない大人になってしまった人は多いことだろう。 それが性的なことであるならばなおさら深い。 普通の大人になった小犬との対比がまた一層憂愁を感じさせる。 個人的には「小犬たち」を含めた最初の2作が面白かった。 幼少期を扱った作品を序盤に並べたのはいい編纂だと思った。 しかしあとの作品はなかなか感受するのが難しかった。 オクタビオ・パスは特に(多才な人だというのは認めるが)。 軽く文庫でラテンアメリカ文学を幅広く体感したい人は是非。
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ラテンアメリカ文学の魅力を手軽に味わえる意味では取っつきやすいが、中身はずっしり重い。 フエンテスのグアテマラ伝説集は、これぞラテンアメリカというべき豊穣な色彩の嵐。 ただ、その世界を本当に味わうには、読み手にイマジネーションの力量が求められるように思う。一定の心構えが必要か?
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