砂の本 の商品レビュー
未踏の地アルゼンチンからの綴りの為、 実話、であると想像し読む楽しみが持てた。 南米を訪れれば、このような摩訶不思議が日常の側にあるのだと。 でも、自分の分身との会話で起こる齟齬、世界会議についての追究心、 あの薄暗い家にはどんな魔物が住んでいるのかとのぼんやりとした疑問、は...
未踏の地アルゼンチンからの綴りの為、 実話、であると想像し読む楽しみが持てた。 南米を訪れれば、このような摩訶不思議が日常の側にあるのだと。 でも、自分の分身との会話で起こる齟齬、世界会議についての追究心、 あの薄暗い家にはどんな魔物が住んでいるのかとのぼんやりとした疑問、は 時代と場所を越えて通ずる感覚。 ひとつまみのぞくぞくする感覚が、耽美な迷宮を彩っています。
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ボルヘスの小説は砂と同じように掴みどころがない。ポストモダンというサラサラした砂の欠片に紛れ込んだ一片の物語を吸いこむのは人か獣か。
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夏の間に読んでしまったのですが、砂がいっぱいあるところに行くので連れて行きました。目が覚めたら、この本に新しく289ページが出現しているとか、大笑いした145ページのフレーズを読み返そうとしても永遠に見つからないとか(ひそかに)期待していましたが、いくらかのページに海水の沁みをつ...
夏の間に読んでしまったのですが、砂がいっぱいあるところに行くので連れて行きました。目が覚めたら、この本に新しく289ページが出現しているとか、大笑いした145ページのフレーズを読み返そうとしても永遠に見つからないとか(ひそかに)期待していましたが、いくらかのページに海水の沁みをつけ、栞のように砂を挟んだだけで、いまのところなんの変哲もない文庫本のふりをしています。 ボルヘスについてはいいたいことがたくさんあってまた無駄に長たらしくなるので、ひとつだけ。 砂のたくさんあるところって勝浦なんですけど、そこのテルムマランパシフィークといういかしたネーミングのタラソ施設では、仕掛けのある海水プール、アクアトニックに入ったり、いろいろなトリートメントを受けられます。そのひとつにピシーナリラクセーションがあるのですが、これがなんとも不思議体験なのでありますよ。 海水の浮力に身を委ねる、といいましょうか、首と足首にそれぞれ浮き具をつけて水面にただ浮かぶだけなんですけど。全身脱力して目を閉じて海水の揺らぎを感じていると、きっと「羊水のなかってこんな感じなんだろうなぁ」とおもうわけです。あまりに気持ちがよくて、30分のうちの大半、寝てしまうんですが、眠りに落ちる前に、目を閉じていても天窓から漏れる光の感じとかはわかるんです。水の動きのままに流されていくと色の感じも変わります。薄い灰色がかった青、青緑、それと赤紫ですね、感じたのは。 そこでふと、ボルヘスは晩年失明して、そのようすを明るい霧がかかったような青と緑の世界というふうに表現していたことを思い出しました。 胎児の頃、まだ視力が完全でないとき、もしかしたら光や空気の流れを感じて、見えない目で色の変化を見るとやはりそのように感じるのかもしれません。 ボルヘスが閉じ込められていた世界は、決して闇ではなかったとおもいます。闇ではなかったことがときには彼を苛み、ときには彼に救いをもたらすこともあったでしょうか。 人がうまれて年をとり老人になっていくにつれてむしろ幼児に近づいていくことはよくいわれます。ボルヘスは小説のモチーフに好んで円環をとりあげますが、人生そのものが歪んで、無限の大きさをもつ環であって、若い頃の自分と遭遇したり、二度と同じ日が訪れないように二度と同じ本のページが開かれることはないのでありましょう。 ・・・いや、わかりません。なにひとつ確証はありません。 ちょっとこちらのサイトでもご覧いただいて、仄かに明るい青と緑の迷宮をさまよってみてはいかがでしょう。 The Book of Sand : http://artificeeternity.com/bookofsand/
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ラテンアメリカの文学は何時も難解だか、表題作の「砂の本」は、イメージがくっきりと浮き上がってくる。本を読む、迷宮の中で遊ぶ。思いがけない想像力に翻弄される。そんな楽しみに満ちている。
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本の頁というのは、そのまま時間を可視化した束であるといえるでしょう。頁の一枚一枚はとても薄いのに、気づけばしっかりとした手応えが右手側に積み重なっている。書き手の時間。読み手の時間。物語に流れる時間。そして、この本が成立するために必要だったあらゆる本のための時間。書物はそれ自体が...
本の頁というのは、そのまま時間を可視化した束であるといえるでしょう。頁の一枚一枚はとても薄いのに、気づけばしっかりとした手応えが右手側に積み重なっている。書き手の時間。読み手の時間。物語に流れる時間。そして、この本が成立するために必要だったあらゆる本のための時間。書物はそれ自体が時間の立体構造的な迷宮です。 表題の「砂の本」は時にアラビックな情緒ただよう魔術的短編集ですが、これを書いたとき著者はほぼ盲目だったといいます。真っ黒ではなくもやに覆われているという盲目の世界は、まさに夢現の境のようなのでしょう。そこから編み出された物語は、幻想譚でありながら異様なほどの説得力を持っていて、なおさら奇怪。 各話は時間軸さえ跳躍・交差しつつ、しかしキーワードやアイテムによってどこか繋がり、共鳴している。出典として紹介される多彩な文献も、もはやどこまでが本当なのやら。有史以来人間がなさずにいられなかった「知の蓄積」=書物の圧倒的な歴史さえ感じてため息が出ます。知の砂地獄へようこそ。
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ラテンアメリカの文学、復刊の3冊目。 カテゴリとしては、幻想文学に入るのだろうか。それにしては、いやに生々しい実感を伴う。色彩感は少ない。 (2011.7)
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