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大学教育について の商品レビュー

4.5

32件のお客様レビュー

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2018/10/13

翻訳が出ているのを知らなかった。大学教育を受けていないミルが説教するのも不思議な感じがするが、その分、理想の教育について語れるのかもしれない。

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2017/12/06

大学の中だけの事に限らず、 人間が人生で生きる上で非常に重要なもの、それは教養だ。 仕事をする上での専門技術も、それを人の役に立て、世の中を今までよりも良くする為にという素養があってこそ活きる。 それを養うのが、教養だ。 広く自分の専門分野でない事も、その分野の要点や本質を...

大学の中だけの事に限らず、 人間が人生で生きる上で非常に重要なもの、それは教養だ。 仕事をする上での専門技術も、それを人の役に立て、世の中を今までよりも良くする為にという素養があってこそ活きる。 それを養うのが、教養だ。 広く自分の専門分野でない事も、その分野の要点や本質を深く理解することは、人生を生きる上での武器となる。 一生をかけて学ぶことは 重要であり、楽しいことだ。

Posted byブクログ

2017/07/03

目次:凡例、序 広義の教育と狭義の教育、一 大学教育の任務、二 文学教育、三 科学教育、四 道徳科学教育、五 道徳教育と宗教教育、六 美学・芸術教育、七 結び

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2016/04/18

大学は職業教育の場ではない。では何を学ぶ場なのか。日本が明治維新を向かえるまさにそとのき、スコットランドでかのジョン・スチュアート・ミルが、学生選出の名誉学長就任講演として、大学教育の原点と理念を既に話し尽くしている。これは大学に入学した学生、そしてあまりにも経営・商業主義的な部...

大学は職業教育の場ではない。では何を学ぶ場なのか。日本が明治維新を向かえるまさにそとのき、スコットランドでかのジョン・スチュアート・ミルが、学生選出の名誉学長就任講演として、大学教育の原点と理念を既に話し尽くしている。これは大学に入学した学生、そしてあまりにも経営・商業主義的な部分に偏りすぎている現在の大学教育に関わる全ての人々が一度は読むべき、そして心に刻んでおくべき内容だと思った。原文のJ.S.ミルの英文自身が長文かつ難解であるようだが、訳文があまりにも直訳調で、日本語としては読みにくいのは難点であるけど。この就任講演は3時間程度に渡ったようで、よっぽど意識の高い学生でなくては寝てしまうかもしれない。今の日本では。

Posted byブクログ

2016/01/30

【内容】 教養の意義。 1867年スコットランド最古の大学へ名誉学長として就任した際の講演内容を収録。 喩えるなら、教養は知性の土壌を豊かにし、専門や社会生活という花に芯を与えます。 【類別】 演説。 高等教育、その教養課程について。 本書目次に基づいて構成内容分野を以下に示し...

【内容】 教養の意義。 1867年スコットランド最古の大学へ名誉学長として就任した際の講演内容を収録。 喩えるなら、教養は知性の土壌を豊かにし、専門や社会生活という花に芯を与えます。 【類別】 演説。 高等教育、その教養課程について。 本書目次に基づいて構成内容分野を以下に示します。文学教育(言語、古典文学)。科学教育(数学、自然科学、論理学、生理学、心理学)。道徳科学教育(倫理学と政治学、歴史哲学、経済学、法律学、国際法)。道徳教育と宗教教育。美学・芸術教育。 【源流】 関連が様々に多いため、下記の他は割愛。 訳者注によれば数学の節はデカルト『方法序説』第2章に強く結びついています。 【着目】 とある理由から文学教育へ40頁ほども紙幅を費やしており、これは演説内容全体の約3割を占めています。ちなみに科学教育は30頁強。 頁39、翻訳についての箇所はある意味で痛烈です。 頁60において基礎的な知識の欠如がもたらすものを「無知ゆえに不信感をもつという状態と、盲目的でしかもほとんど見当違いの確信をもつという状態とをただ繰り返すことになるでしょう」と表現しています。教養こそが社会的精神安定性の受け皿である、といった思想を背景に見ました。 論理に関しては頁78「自分が正しく思考しているかどうかを知りたければ、自分の考えを言葉にしてみればよいでしょう」と述べており、表現行為の一側面を、すなわちその行為過程に論理形式が含まれる点を指摘。また、頁81「論理的訓練を受けていない人が、自分自身の経験から正しい一般的結論を引き出そうとするときほど、どうしようもない無能ぶりが明らさまになることはありません」として、論理訓練を受ける利点のひとつに"誤った一般化行為の回避傾向実現"を挙げています。 頁97-98、学問もあくまで道具の一種なのだから用いる人間次第、といった趣旨の立場を示しています。 頁108で宗教や倫理基準に関する幾らかの具体例を挙げた後に「そのような倫理体系のなかで、長所のないものは一つもありません。他の体系の信奉者によって学び取られるものがないものは一つもありません」とした点は、同著者『自由論』の一部大意"異なる意見がある(≒多様性がある)からこそ、それらによって更に優れた意見が生まれる"に通じています。 頁117、教養を大別すれば3種「知識と知的能力」「良心と道徳的能力」「美学・芸術」であり、その並びは演説に沿っています。ここで演説全体に目を向けると、話題が滑らかに接続する構成が見え、ある種の美しさを感じました。 頁128-130が美と善の関連等について。ふわふわしましょう。芸術の定義を行っていますけれども1割程度の同意を差しあげることしかできませんでした。 頁134、著者によれば次世代不可避の大事業にて遂行報酬が得られると考えないのが望ましく、しかし「人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感ずるようになる」という「利害を超越した報酬」は得られます。それは人生を豊かにし、生涯高まるものです。 【備考】 このレビューは第6刷に依拠しています。

Posted byブクログ

2016/01/27

大学で学ぶ学生がぜひとも読むべき著作。大学の本質的な役割が良く分かる。政策考えるときも、この原点は頭に入れておかなくては。

Posted byブクログ

2015/08/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 われわれの目的は、自然と人生について大局的に観る正しい見方を学ぶことであり、われわれの実際の努力に値しないような些細なことに時間を浪費することは怠惰であることを心に銘記しておきましょう。(p.30)  進歩とは、われわれのもつ意見を事実との一致により近づけることです。われわれが自分自身の意見に色づけされた眼鏡を通してのみ事実を見ている限り、われわれはいつになっても進歩することはないでしょう。しかし、われわれは先入観から脱却することはできないのですから、他の国民の色の違った眼鏡をしばしばかけてみること以外にこの先入観の影響を取り除く方法はないのです。そしてその際、他の国民の眼鏡の色がわれわれのものとまったく異なっていれば、それが最良であります。(p.38)  ある人間の知性と他の人間の知性とを区別する根本的でもっとも特徴的な点は何でしょうか。それは証拠となるものを正しく判断できる能力です。われわれが真実を直接目にする範囲は非常に限られています。つまり、われわれが直覚、あるいは、昔ながらの用語を用いれば「単純理解」によって知りうるものはきわめて限られており、したがって、価値ある知識を得ようとするならば、直覚以外の証拠に頼らざるをえないのです。(中略)知的な弱点の根幹をなす欠陥を矯正するか緩和することこそが、知的教育のもっとも重要な部分となります。(p.65)  真の健康状態と疾病の状態とを理解することの重要性、つまり、一度失ったならばどんなに根気よく時間をかけ費用をかけてもなかなか回復しないことが多い身体の健康状態を獲得・維持する方法を知ることの重要性を考慮すると、衛生学の基本的な知識と、さらに臨床医学のある程度の知識でさえ、一般教養のなかで授けられるべきです。(p.84)  労苦が関心を圧倒しそうになる最初の難関を突破し、そしてある時点を通り過ぎて今までの労苦が楽しみに変わるようになると、もっとも多忙になる今後の人生においても、思考の自発的な活動によって、また日々の経験から学んだ教訓を通じて、知らず知らずに精神的能力はますます向上していきます。もし諸君が青年時代の勉学において究極の目的を見失わなければ――この究極の目的に向かって行われるからこそ青年時代の勉学は価値があるのですが――、少なくともそうなることでしょう。では、この究極の目的とは何であるかと申しますと、それは、自分自身を「善」と「悪」との間で絶え間なく繰り返されている激しい戦闘に従軍する有能な戦士に鍛え上げ、人間性と人間社会が変化する過程で生じて解決を迫る日々新たな問題に対処しうる能力を高めることであります。(中略)そのような目的がわれわれの胸中にあることで、われわれは絶えず高度な能力を働かせるようになり、また年を経るとともに蓄えてきた学識や能力をいわば精神的資本と考えるようになります。(p.131)

Posted byブクログ

2013/06/14

大学論の中では、古典教育・科学教育をともに知的教養の主柱としたことで、ある種のバランスが取られていると見えるかもしれない。しかしながら、当然ではあるが、本書には非常に強力な政治的態度、人間・社会観がいたるところで顔を出している。キーワードは必要性、あるいは中身の曖昧な「真理」。ミ...

大学論の中では、古典教育・科学教育をともに知的教養の主柱としたことで、ある種のバランスが取られていると見えるかもしれない。しかしながら、当然ではあるが、本書には非常に強力な政治的態度、人間・社会観がいたるところで顔を出している。キーワードは必要性、あるいは中身の曖昧な「真理」。ミルの世界観には決して、ニューマンが語るような「自己目的としての知」は登場しない。読み込めばかなり、好き嫌いが別れるだろう。

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2013/05/06

一般教養教育とは、学生がすでに個別に学んできたことを包括的に見る見方と関係づける仕方を教えるとされていますが、その最終段階においては諸科学の体系化、すなわち人間の知性が既知のものから未知のものへと進むその進み方についての哲学的研究が含まれている。 古典研究は学生たちが卒業後、古...

一般教養教育とは、学生がすでに個別に学んできたことを包括的に見る見方と関係づける仕方を教えるとされていますが、その最終段階においては諸科学の体系化、すなわち人間の知性が既知のものから未知のものへと進むその進み方についての哲学的研究が含まれている。 古典研究は学生たちが卒業後、古典文学の傑作を容易に読みこなすことができるように十分に行われるべき。 一生を通じて、人間の知性が最も活発に働き続けるのは、真理を探究するときです。我々は絶えず、ある何等かの事柄について何が本当に真実であるかを知る必要があります。

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2012/12/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

はあー短い本なのに時間なくてだいぶ読むのかかってしまった。 でも頭のいい人はいるもんだなぁと感じた。 こういう風にいろんな学問について語るのが可能なのは、これが19世紀であったからなのか、それとも、ミルが真に偉大(ミルが偉大な思想家であるということは否定のしようがないが)な知識人であったことのあらわれなのか。どっちなのだろう。 この本は、日本の大学にありがちな「学部閥」とでもいうようなカルチャーに慣れてしまっているとすごく違和感を覚える著作であると思う。でも、個人的には大学ってこうあるべきだと思う。 この本は入学してすぐの日本の学生には向かない本だと思う。なんというか、先生からの押しつけがましい「お言葉」になってしまいそう。むしろ、2年生以降、自分の専攻が少しずつ見えてきて、物事を考えるのが面白くなり始めた時に読むと、本当に面白く読めるのではないか。 自分は、そう考えると読むのは遅すぎたが、今このタイミングであっても非常に読むことが出来て良かったと思う。 Edward Saidの『知識人とは何か』は学者になる人へ向けられたメッセージであると考えるなら、この『大学教育について』は学生へ向けられたメッセージである。もともとが講演であるということもあって、読みやすいのも非常によかった。今度は『自由論』を読まなきゃ。

Posted byブクログ