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私のいない高校 の商品レビュー

3.2

43件のお客様レビュー

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2012/12/25

 虚構性がとても高いのは、この高校の集団。いかにもありそうだけど、あまりリアルじゃない。生きてる感じが伝わってこない。

Posted byブクログ

2012/11/24

なんともおぞましい小説。“私”や“物語”の不在がおぞましいのではなく、それ以外の事象(≒出来事)があまりにも満ち足りており、それが定型句による記述のみで成立することに戦慄した。『私のいない高校』は“ページをめくる”という行為が内包している物語への期待や欲望を悉く裏切る。だからこそ...

なんともおぞましい小説。“私”や“物語”の不在がおぞましいのではなく、それ以外の事象(≒出来事)があまりにも満ち足りており、それが定型句による記述のみで成立することに戦慄した。『私のいない高校』は“ページをめくる”という行為が内包している物語への期待や欲望を悉く裏切る。だからこそ、ページをめくる行為をやめられない。これがたとえばスマホでスクロールしながら読む形式だったら多くの人間が頓挫したであろう。 二巡する意義のある小説。一巡目は奥付にぶちあたるまで、物語を期待し続ける。いわゆる小説が好きな人ほど、その呪縛から逃れられない。しかし、二巡目はそうはいかない。どんな景色が待っているのだろうか、今からワクワクしている。という期待すらも破壊されるのかもしれない。

Posted byブクログ

2012/07/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いつストーリー性がでてくるかと思いながら読み進めていたが、最後まで学校の日々の生活がつづられていくだけだった。途中からはとばしとばし何とかページに目を通した、というかんじ。こういう小説もあるんだあ。ちょっと私にはわからない。

Posted byブクログ

2012/07/19

主人公たる私がいないという意味なのか、「私のいない高校」は不思議な空気を持った小説、日記である。あえて言うなら留学生を気にしながら菊組担任の先生が日常を過ごしている。修学旅行というトピックスはあるが特に何ということもない。そして、読んでいる私がその菊組にいるような気にさせられる。...

主人公たる私がいないという意味なのか、「私のいない高校」は不思議な空気を持った小説、日記である。あえて言うなら留学生を気にしながら菊組担任の先生が日常を過ごしている。修学旅行というトピックスはあるが特に何ということもない。そして、読んでいる私がその菊組にいるような気にさせられる。そのクラスの一人としてそこにいるのが何の違和感も無く受け入れられる。、、、という変わった読書体験をした。

Posted byブクログ

2012/07/13

 第1回の三島由紀夫賞受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だ。これが面白く、以来、三島由紀夫賞受賞作が気になっている。『新潮7月号』で第25回の三島由紀夫賞受賞作が発表されており、早速、この受賞作を読んでみた。  帯には「わからない愉しさ」「主人公のいない青春小説」、さ...

 第1回の三島由紀夫賞受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だ。これが面白く、以来、三島由紀夫賞受賞作が気になっている。『新潮7月号』で第25回の三島由紀夫賞受賞作が発表されており、早速、この受賞作を読んでみた。  帯には「わからない愉しさ」「主人公のいない青春小説」、さらには、「これまで読んだ中で、もっとも不可解な小説」という豊崎由美氏の書評の引用もある。  この作家の小説は初めて読む。読み進めるのが辛い。語り手という中心が無いことから来るものだと感じる。末尾で、実在する教務日誌に刺激を受け、これを改変・創作した作品であることが明かされている。学校内部の世界に忍び込んだ作家は、いつの間にか自分が消えていることに気付いたらしい。学校という空間は主体が消滅する場所である。集団に呑み込まれる恐怖を本能的に感じ取る感受性の強い生徒は、「私」を守るために不登校になる。哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』の中で、近代の権力構造をパノプティコン(一望監視装置)に注目して分析している。人間は、この装置の中で、絶えず見られているという視線を感じながら、やがて自分で自分を監視する者へと変質する。社会全体が監獄同様に、俯瞰する視線の張りめぐらされた空間となりつつある。監視カメラに馴れた私たちは、実は、すでに監獄の中にいるのではないのか。一望監視装置の偏在する社会の中で、「私」を取り戻すことはいかにして可能か。これが現代社会の課題なのかもしれない。(現在、問題となっている大津市の中学校でのいじめ事件も、こうした文脈の中で捉え直し、学校や教育委員会、警察、さらには社会そのものの中に、いじめを生む構造が内包されているのではないかと疑ってみる必要もありそうだ。)  話を元に戻そう。私は、この小説を、ある種の「哲学小説」として読んだ。哲学にはどんな語り口があってもいいし、小説はどんな方法も許される。しかし、私には哲学的思考を表現するための方法として、小説という表現形式はいかにもまどろこしく感じられた。(もっとも、こんな風に、あれこれ考えさせられたのは、この小説を読んだからで、感謝はしているのだが・・・)

Posted byブクログ

2012/07/15

三島賞受賞と聞き、手にした一冊。 淡々とした地味な作品だが、教諭の使命や責任がヒシヒシと伝わってくる。 タイトル通り「私」と云う人物が不在。 退屈と面白さが同居する変な作品だ。 同時に自らの高校生活を思い返してしまう。男女比4:1の鴉のような教室だったけど(苦笑) 登場する修学...

三島賞受賞と聞き、手にした一冊。 淡々とした地味な作品だが、教諭の使命や責任がヒシヒシと伝わってくる。 タイトル通り「私」と云う人物が不在。 退屈と面白さが同居する変な作品だ。 同時に自らの高校生活を思い返してしまう。男女比4:1の鴉のような教室だったけど(苦笑) 登場する修学旅行先も広島・山口は同様だったので、実に生々しい! 学童から学生と呼ばれる身になっても、学校生活や団体、協調性がどうにも苦手な生徒であった私にとっては、実に厭な汗が流れる作品であった。 嗚呼、当時の教諭方、めんどっちい生徒で申し訳ないッ! 作品世界にのめり込むより、反省を促されてしまった。

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2012/06/11

 カナダから留学生を迎えた高校の1年を淡々と追う学年日誌のような小説。登場人物の感情は、一人として書かれず、それなりの事件も、学校行事もたんたんと記録されていく。そこが「私」という個人のいない「高校」という事か。  なかなかストーリーの中に入りにくかった。それでいて、読み続けさ...

 カナダから留学生を迎えた高校の1年を淡々と追う学年日誌のような小説。登場人物の感情は、一人として書かれず、それなりの事件も、学校行事もたんたんと記録されていく。そこが「私」という個人のいない「高校」という事か。  なかなかストーリーの中に入りにくかった。それでいて、読み続けさせる作者は、実はなかなかの力量なのか。次にも期待。

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2012/12/31

ああ、『四十日と四十夜のメルヘン』の人か。へー 日誌。架空の日誌。小説っていうか物語とは言えないけど、この臨場感たまらない。バカリズムの架空日記とかもこの仲間?ちょっと違うか。 わたしは人の日記を読むのが好きだったことを思い出した。日記とか記録とか。 ナタリーはカナダへ帰った?菊...

ああ、『四十日と四十夜のメルヘン』の人か。へー 日誌。架空の日誌。小説っていうか物語とは言えないけど、この臨場感たまらない。バカリズムの架空日記とかもこの仲間?ちょっと違うか。 わたしは人の日記を読むのが好きだったことを思い出した。日記とか記録とか。 ナタリーはカナダへ帰った?菊組のみんなは受験?修学旅行たのしかったね。

Posted byブクログ

2016/01/17

読む前にネタバレしておくことをオススメ(笑)ある高校で起こるエピソードが時系列順に淡々と、ほとんど同じウェイトで描かれていく。登場人物には徹底的に固有名詞が与えられ(巻末には人名一覧まである)、心情・情景描写も精巧なリアリティをもって書かれる。しかし、主観であると考えられるのは「...

読む前にネタバレしておくことをオススメ(笑)ある高校で起こるエピソードが時系列順に淡々と、ほとんど同じウェイトで描かれていく。登場人物には徹底的に固有名詞が与えられ(巻末には人名一覧まである)、心情・情景描写も精巧なリアリティをもって書かれる。しかし、主観であると考えられるのは「担任」のはずなのに、それさえも3人称で書かれる。では、物語を俯瞰しているのに完全なる人名一覧に登場しない「私」はいったい、誰なんだろうか。フィクションでもドキュメンタリーでもないこの文章は、いったい何?ひたすら…不思議な本だった。

Posted byブクログ

2012/05/20

「WEBきらら」著者インタビュー (http://bit.ly/MwJNgB)とセットで読むと、 より深く味わえる。 個人的にハマりそうな作家。 過去の作品を読んでみたい。 2012 年 第 25 回三島由紀夫賞受賞作品。

Posted byブクログ