教科書の中の宗教 の商品レビュー
日本のおもに倫理の教科書で扱われる宗教について論じた本。同じ著者の「世界の教科書でよむ〈宗教〉 (ちくまプリマー新書)」を併せて読むとより理解が深まる。 日本は政教分離制を取っており、教科書では特定の宗教に肩入れすることなく「中立・客観」的に各宗教を扱っていると、当然のように思...
日本のおもに倫理の教科書で扱われる宗教について論じた本。同じ著者の「世界の教科書でよむ〈宗教〉 (ちくまプリマー新書)」を併せて読むとより理解が深まる。 日本は政教分離制を取っており、教科書では特定の宗教に肩入れすることなく「中立・客観」的に各宗教を扱っていると、当然のように思い込まれていたが、実はそうでもないぞということが書かれている。 宗教教育は、宗教色の強い順に、「宗派教育」「宗教的情操教育」「宗教知識教育」の三つに分類される。公教育で「宗教的情操教育」を行うか否かが新学習指導要領の争点だったらしいが、それ以前から「宗教的情操教育」どころか「宗派教育」的な記載が教科書に存在していることを筆者は指摘している。 本書では、日本の教科書における宗教記述の偏りや、海外の教科書におけるさまざまな工夫が述べられたのち、公教育で宗教をどう扱うべきかという議論に踏み込んでいく。そもそもさまざまな宗教を中立的に扱うということが、さまざまな立場の人たちにとって本当に中立なのか?という問いもあり、興味深かった。 ちくまプリマー新書のほうを読んでいるときにも感じたが、教科書というものは、決して正しい知識を中立の立場で書かれたものとは限らず、各国の政府が自国民にどのような考えを持ってほしいかということが強く反映されるものなので、どういった価値観に基づいてそれが書かれているのかということは、常に気をつけないといけないと感じた。
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宗教学者として高校の倫理教科書の執筆に関わった経験には、かなりモヤモヤとしたフラストレーションがあったものと推察される。そのモヤモヤを世界の宗教教育に関する知見を元に分析したのが本書であるといえるが、ここに、日本の公教育においてどのように宗教を教える(考えさせる)べきか、正解が明...
宗教学者として高校の倫理教科書の執筆に関わった経験には、かなりモヤモヤとしたフラストレーションがあったものと推察される。そのモヤモヤを世界の宗教教育に関する知見を元に分析したのが本書であるといえるが、ここに、日本の公教育においてどのように宗教を教える(考えさせる)べきか、正解が明らかにされているわけではない。それで、第6章末尾のような結論になるのだろう。著者同様、自分もモヤモヤしたが、その結論に納得したことに意味があるのであろう。
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日本の教科書における宗教の扱われ方の諸問題。 宗教を知識として伝えるにしても、価値中立的にはできない。編纂側の価値が出てしまう。「伝える」ことの限界か。考えさせることはもとより、感じさせることも大事ではないか。 理想型があるわけではないが、「いつのまにか」「無宗教」ではなく、...
日本の教科書における宗教の扱われ方の諸問題。 宗教を知識として伝えるにしても、価値中立的にはできない。編纂側の価値が出てしまう。「伝える」ことの限界か。考えさせることはもとより、感じさせることも大事ではないか。 理想型があるわけではないが、「いつのまにか」「無宗教」ではなく、「選び取った」「無宗教」にも力点を置きつつ、宗教を侮蔑しない態度をどう養うかが求められると感じた。 ちくまプリマ-の同著者のものとは重なる部分が少なく、併せて読んで良かった。 ・哲学史の概説書で,ソクラテスやプラトンを批判しているものはどれぐらいあるだろうか。キリスト教や仏教も同じ。 ・現在、国際的・学界的には「バラモン教」という呼称は不適切とされており、「ヴェーダの宗教」等の表記に変わっている。 ・20世紀後半には、学界では「アニミズム」は差別語とみなされている。 ・一般論としては、相違点も共通点も両方示すのが「比較」。だが、日本の教科書でおこなわている「対比」するという行為は、序列化・ステレオタイプ化という差別的権力の発揮になりやすい。 ・宗教に見られる勝利主義史観への反省。 ・「政教分離」はジェファーソンが書簡で用いただけ。 ・聖教新聞を示唆する話し。 ・倫理や現代社会の教科書は「宗教は本質的に愛の教え」と説き、他方、地理の教科書は世界の宗教紛争を取り上げ、「宗教の違いはよく対立の原因になる」と論じる。その間をつなげる教育が必要。 ・正しい宗教を一つだけ学びたい人と諸宗教を教養として学びたい人の中間点とはどのような教育になるのか。重要なのは教科書の記述がどのような価値観に基づいているか意識すること。
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公平な筈の倫理の教科書やらなにやらで、何気に、無批判に宗教教育が行われている日本の現実。しかもその内容が極めて一面的であると。 良書だ。 ただ、どうでも良いので途中で止めた。
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※このレビューにはネタバレを含みます
一般的に「政教分離的」・「価値中立的」であると思われている、日本の教科書における宗教記述の問題点を指摘した本。著者は旧学習指導要領下の社会科(特に高校倫理)教科書の記述を実際に取り上げて、その記述が宗派教育的である(教科書が特定の宗教を勧める形になっている)、宗教差別的である(勝利主義史観に基づいて宗教が序列化されているなど、差別や偏見を内包している)という二つの問題点を示し、その原因を考察している。そしてその上で海外での宗教教育の事例を紹介し、今後の宗教教育の為の改善策を提案している。 本書は、日本の公教育における宗教教育を考える上で重大な問題提起の書と言える。一般に学問や基礎教養のスタンダードとされている教科書の宗教記述に多くの問題が見られるという指摘は衝撃的であり、(著者自身の経験に基づく)原因の考察は決してこの問題が一元的なものではないことを示している。海外の事例や事情を幅広く紹介しているのも長所であり、宗教をどう考えるか、これからの宗教教育をどうするかを考える上で大いに示唆を与えてくれた。 その中でも個人的に大いに考えさせられたのは、「異文化理解の文脈で何故宗教を学ぶのか」ということであった。宗教の知識を学ぶことの意義としてはよく「知らないとトラブルの原因になる」という説明がされがちだが、著者はこのような危機感を煽る説明は宗教への先入観に繋がりかねないと指摘している。単に知識を有することが直接「寛容」に結びつかない以上、宗教教育を通してどのような「異文化理解」を志向しているのか(例えば、著者は宗教教育の意義を「他者の尊重」としている)をはっきり言語化しなければならないという主張は大いに賛同できるものであった。
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非常に読み甲斐のある一冊です。 日本の教科書における宗教のとりあげられ方を、おもに倫理のテキストを中心に解説しています。 また、世界史などでは、宗教が民族の対立要素になるといいながら、倫理では宗教は「愛」の教えである、というある種の矛盾を「つなぐ」存在が公教育に存在していないこと...
非常に読み甲斐のある一冊です。 日本の教科書における宗教のとりあげられ方を、おもに倫理のテキストを中心に解説しています。 また、世界史などでは、宗教が民族の対立要素になるといいながら、倫理では宗教は「愛」の教えである、というある種の矛盾を「つなぐ」存在が公教育に存在していないことの問題点を指摘しています。 後半では、世界各国での宗教の教科書をとりあげ、宗教に対する一方的な見方をもたせないための工夫、苦心についてもとりあげ、日本との違いを鮮明にしています。 実際に倫理の教科書作りに携わったこともある著者の苦悩、思いも深く伝わってきます。 もう一度、改めて読み直してみたいですね。
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くわしくはこちらhttp://blog.livedoor.jp/gull_antibiotic/archives/10205920.html
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我々社会科教員は宗教を教える際、言葉を選びながら生徒たちに伝えなければいけないことは当然ですが、我々が知識のよりどころとする教科書自体に問題があるとするのが本書です。本書では高校の教科の中で最も宗教を扱う「倫理」の教科書をもとに問題を提起しています。本書ではまず問題点を2つ「教科...
我々社会科教員は宗教を教える際、言葉を選びながら生徒たちに伝えなければいけないことは当然ですが、我々が知識のよりどころとする教科書自体に問題があるとするのが本書です。本書では高校の教科の中で最も宗教を扱う「倫理」の教科書をもとに問題を提起しています。本書ではまず問題点を2つ「教科書が、意図的ではなく結果的に、特定の宗教的信仰を受け入れさせようとしてしまっている」問題と「教科書がある宗教を他の宗教より優れているとしたり、逆にある宗教に対し差別的な偏見を示している」問題(「はじめに」より)と提起しています。そして本書の目的を「道徳教育の是非や宗教的情操教育の是非を論じるのではなく、そういった論争の前提の部分に、知られざるゆがみがあることを示す」とされています。 まず第一の問題点について、著者はある教科書で仏教については「ブッダの教えはあなたにとって大切な指針になる」という価値判断を下して生徒にそれを受け入れさせようとしているのに対し、キリスト教については「キリスト教はこう考える。キリスト教はこうである」とは書いているが「イエスの教えにあなたも学ぼう」というスタイルにはなっていないとのことです。さらにイスラームの記述は距離感のある、淡泊な扱いであるとされています。以上はとある教科書の例ですが、他の教科書でも特定の宗教の教えを人類普遍の教えのように書かれている個所があり、本来中立であるべき教科書として問題ではないかと述べています。そしてこの原因として「つまるところ、倫理の科目は、宗教そのものを理解する場ではなく、道徳教育のために宗教を題材として利用する場になっている。(44頁)」としています。また後者の問題点についても、「イエスやブッダを偉大な先哲として描こうとすればするほど、相対的にユダヤ教徒ヒンドゥー教は貶められるというしくみ(66頁)」と指摘しています。 こうした日本の教科書の問題点は、上記の「倫理という教科の特性」だけでなく、日本人である生徒は「特定の宗教の信者ではない」というのが前提となっているのではないでしょうか。また「生きる力」が学校教育の主題となって久しい今日、倫理という教科が持つ意義は大きいものです。「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」というのが当然視されている現在、先哲の考えから生きる指針を伝えるのは有意義なことです。例えば仏教の持つ無常観、キリスト教の持つ隣人愛、イスラームの持つ弱者への救済などから学ぶことは大きいでしょう。学校教育で倫理を教える以上、「宗教」を扱えばそこに「中立性」が問題となるのは避けて通れないというより、100%客観的に教えることは無理なのではないでしょうか。また、現在倫理を教えるのが倫理を専門とする公民科の先生より、地理や日本史、世界史を専門とする地歴科の教員が多いというのも問題を深めています。教科の特性上どうしても宗教紛争や歴史における宗教対立、特定の宗教が起こした悲劇を教えなければいけません。それが(宗教に慣れ親しんでいない)生徒たちに宗教に対する偏見を助長してしまうことは目に見えています。少しでも偏見を持たないよう、前述のように言葉を選んで教えてはいますが、100の言葉も宗教に起因する事件の映像一つで吹き飛んでしまいます。 私は日本人は決して宗教に無関心であるとは思っていません。ただ、宗教への関わり方がキリスト教やイスラームとは違うから、それらを「宗教的態度の典型」と考えている人にとっては無関心に映っているに過ぎないのではないでしょうか。だからこそ「宗教」を教える方法・態度を我々教員は真剣に考えなければ行けません。
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誰かに特定の宗教を強要しよう、という志向は持っていませんが、政教分離とか、教科書で宗教を扱わない、なんてことは出来るわけないし、それが中途半端だから、日本はこんな軸のない国になってしまったのだとよく思います。 教科書が宗教差別を内包するということ。そして、中立など虚構で、意識して...
誰かに特定の宗教を強要しよう、という志向は持っていませんが、政教分離とか、教科書で宗教を扱わない、なんてことは出来るわけないし、それが中途半端だから、日本はこんな軸のない国になってしまったのだとよく思います。 教科書が宗教差別を内包するということ。そして、中立など虚構で、意識して説明しなければならないということ。でも「学問」レベルではなく、家庭や地域などの問題かな、なんて気もします。旗幟鮮明にするほうが、ほんとはいいのだろう。子どもにこういうことが説明できるようになりたい。少しきっかけになると思う。
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おもしろいが、p.153あたりではけっきょく「創価学会」という名前を出せないわけね。欧米礼賛な感じだっし、なんで日本の教科書がそうなっているのか、っていうのの考察が足りなくて、ちょっと独善的なところがある。
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