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男の絆 の商品レビュー

3.8

17件のお客様レビュー

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2012/02/23

固定概念というものが、がっちりと自分の中にあることに気付かされました。 「やったか、やらないか」での線引き。 ヘテロセクシズムの呪縛。 考えるまでもなく、当然のように、さりげなく、してしまっている差別。 意識できないほどの深みで、どうやらわたしも差別主義を持ってるらしい。 時...

固定概念というものが、がっちりと自分の中にあることに気付かされました。 「やったか、やらないか」での線引き。 ヘテロセクシズムの呪縛。 考えるまでもなく、当然のように、さりげなく、してしまっている差別。 意識できないほどの深みで、どうやらわたしも差別主義を持ってるらしい。 時々は視点を変えて、自分の中味を再走査してみないといけないようです。風通しをよくして、固まらないようにしなくちゃなー。 (女性と「ボーイズラブ」の章は、ちょっと違うなと首を傾げつつ読んだことは書いておこう。ここでこういう思い込みをしてしまっているということは、まあ、他の章も丸呑みにしてはいけないようだねって感じです)

Posted byブクログ

2011/12/29

今まで読んだこの系統の本の総まとめって感じの印象。けど、「男の絆」から「人々の絆」へというフレーズにはホントに同感。とういうか、もともと外部に敵を作ることでしか「絆」という言葉はあり得ないし、もうこの国にそんなことしてる余裕もないと思う。明治以降に、もしくは戦後のある特定の期間に...

今まで読んだこの系統の本の総まとめって感じの印象。けど、「男の絆」から「人々の絆」へというフレーズにはホントに同感。とういうか、もともと外部に敵を作ることでしか「絆」という言葉はあり得ないし、もうこの国にそんなことしてる余裕もないと思う。明治以降に、もしくは戦後のある特定の期間に作り上げられたイメージをそのまま引きずる、その自明性の壁を越えないのは日本の最大の難点でもあると思う。 僕らは変わって来た。そして、これからもこのマイノリティを迫害する社会を変えていけるはずだ。だって、変化してきたことこそがこの国の伝統であり、歴史であるから。 (「べき論」ではこの国は変わらないので)あとは淘汰されるきっかけができていけばなぁと思う(まぁそれが難しいんやけど)。 「「友情」とか「恋愛」とか「男色」の差なんて、曖昧なものなのですから。」とはホントにその通り。 時代というかその文脈によって線引きが変わるだけ。 もう一度勇気を出して新しい線引きしてみようよ、ヘテロセクシズムにどっぷりの人達よ。 って感じの本やった。 確かに、この国、硬直化し過ぎやねん。

Posted byブクログ

2011/11/15

ジェンダーについて、やわらかくとっつきやすく語っている。深みや厚みというよりも、若い人たちが考えるきっかけになるといい、という期待。

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2011/11/10

「男との女の友情は成立するか」とかいう話の前に、「男の友情」って何よ、っていうお話。 江戸時代 武士同士の同性愛 ↓ 廃れる ↓ 武士以外の男同士の同性愛 ↓ 廃れる ↓ 明治時代 「互いを高めあう関係」としての男色@男性エリート社会(cf.「ヰタ・セクスアリス」) 但し、違法...

「男との女の友情は成立するか」とかいう話の前に、「男の友情」って何よ、っていうお話。 江戸時代 武士同士の同性愛 ↓ 廃れる ↓ 武士以外の男同士の同性愛 ↓ 廃れる ↓ 明治時代 「互いを高めあう関係」としての男色@男性エリート社会(cf.「ヰタ・セクスアリス」) 但し、違法(お互いの承認があったとしても) ↓ ボアソナード「好ましくないが法律で罰する必要はない」(cf.14世紀フィレンツェ、親族でない少年とふたりきりでいたら同性愛セックスをしたものとして罰する) ↓ マスコミによる同性愛バッシング(美少年を守れ!) + 女学生の急増 ↓ 中央公論連載【男女学生交際論】 「恋愛」(as訳語of love, amour)聖←→俗「恋、愛」 「恋愛」(燃え上がるものとしての)非日常←(断絶)→日常「結婚生活」 (明治日本は離婚大国。今の3倍。家族の都合で結婚。妾も普通) 福沢諭吉「肉交と情交の別」(→「やったか、やってないか」) ↓ 「恋愛→結婚→家庭」とスムースにつながる幸福のモデルの登場 近代家庭成立条件  1.夫、父が1家庭分稼げる  2.男が家庭と独立した場所で稼いでくる  3.女は家庭で家事をする →これが現実的にできるようになったのは大正になってサラリーマンが一般化してきてから。明治は基本みんな農家で、2がそもそも無理。 ↓ 昭和・平成でも。ただし、1.2.が不可能になってきて3.も無理になってきている。 「ミソジニー」現象。女性を恋愛や性欲の対象としてしか見ることが出来ず、人格を持った社会を構成する人間として見れない現象(らしいのだが、恋愛の対象として人格を考えずに見れるのかよくわからん) 「社会」=「男の絆でできている人間関係」=「女性には立ち入れない」 ↓ BL(鑑賞する側に回る)

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2011/09/25

男の絆とか男の友情って、さも美しく崇高なものかのようだけど、実はどれだけ仲がよくても手をつないだり温泉旅行に行ったりするのは普通じゃないことになってしまう。猥談や酒や女を媒介にさせないと関係が回らなかったりする。そんなの変だよなーとずっと思っていたから、この本が新聞の書評欄で紹介...

男の絆とか男の友情って、さも美しく崇高なものかのようだけど、実はどれだけ仲がよくても手をつないだり温泉旅行に行ったりするのは普通じゃないことになってしまう。猥談や酒や女を媒介にさせないと関係が回らなかったりする。そんなの変だよなーとずっと思っていたから、この本が新聞の書評欄で紹介されていたのを見たとき、ぜひ読んでみたいと思った。 さて、読んでみると……半分が明治時代の学生の実態。それによると明治初期は硬派の証が男色とされていたらしい。その後、女子教育が芽生え「女学生」というものができることで男子学生の恋愛対象(妄想上も含むんだろうけど)は女学生へと移る。それにつれて男色が異端視され排除される方向に進んだ。ということは男の絆は男女の仲に脆くも負け去る程度のものだったということだ。一方で「同性愛」という語が生まれ、異端視されながらも男の絆を追い求める男たちの道ができたという理解でいいんだと思う。 だから、本当の男の絆って、今でいう同性愛的なところにあるのであって、だから普通を気取る男たちは「男の絆」という言葉上や表層を神聖なものとしながらも、男の絆にならないごまかしをしないといけないというわけ。 正直なところ、その後、今までの変遷の記述が薄いので、なぜ今のゲイ像がマッチョだったり、それでいながらキャピキャピしていたりしているのか(実態はそうなんだけど、テレビとかでは相変わらずオネエキャラしか出てこないのも「マッチョ=男らしい」という構図が危うくなるから求められないんだと思う)というあたりがわからなかったのが残念。 だから、前半よりもむしろジェンダーや男性学的な視点に立って「『男の絆』から『人々の絆』へ」と題した終章にこの本の真価があると思う。男であり、女である前に人なんだからね。

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2011/08/18

ジェンダーとセクシャリティーの問題を、女性やセクシャルマイノリティーの側からではなく、あえて彼らを締め出してきた男性の側から描き出す斬新な解説本。著者も男性で、視点も使い古されたジェンダー論から離れた新鮮なもので、とても面白かった。 臭いものに蓋をするのは楽かもしれない。資料があ...

ジェンダーとセクシャリティーの問題を、女性やセクシャルマイノリティーの側からではなく、あえて彼らを締め出してきた男性の側から描き出す斬新な解説本。著者も男性で、視点も使い古されたジェンダー論から離れた新鮮なもので、とても面白かった。 臭いものに蓋をするのは楽かもしれない。資料があまり残っていないのもそういう理由か。でも、時代時代に常識や世論という枠に押し込められて息苦しさを感じながら生きていた人々が確かに存在していた、もしくは存在していることを忘れてはいけない。

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2011/07/14

すべての人にとって、生きやすい社会をという趣旨に賛成! 明治から大正、昭和に至る男色、同性愛の変遷を語りながら、差別問題に切り込む。考えさせられた。

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