大津波と原発 の商品レビュー
自分は生態学のトレーニングを受けているので、 放射性物質が、自然界の物質循環系や代謝系になりのをよく知っている。 だから、その文明史的な意義も。 他方、必ずしもそうでない方もおられるのだね。 (だから、「こういうことを誰も言わない」というフレーズになる) 確かに、世の中問題だ...
自分は生態学のトレーニングを受けているので、 放射性物質が、自然界の物質循環系や代謝系になりのをよく知っている。 だから、その文明史的な意義も。 他方、必ずしもそうでない方もおられるのだね。 (だから、「こういうことを誰も言わない」というフレーズになる) 確かに、世の中問題だなぁ。
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70年しか経っていない。 私達が最初に手に入れたテクノロジーである「火」でさえ未だに完璧にはコントロール出来ずにいる。 にもかかわらず、70年の歴史しかないテクノロジーを完全にコントロール出来る筈など決してない。
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花泉図書館。 科学の進歩を否定しているわけではない。ただ、人間がコントロールできる限界を知れ、と。人知の及ばないものをしっかりと恐れる気持ちを忘れるな、「驕るな、日本人」ってこと。 生態圏エネルギー 生態圏以外からのエネルギー⇒原子核 「原子力」=「神」説。 誰一人責任を...
花泉図書館。 科学の進歩を否定しているわけではない。ただ、人間がコントロールできる限界を知れ、と。人知の及ばないものをしっかりと恐れる気持ちを忘れるな、「驕るな、日本人」ってこと。 生態圏エネルギー 生態圏以外からのエネルギー⇒原子核 「原子力」=「神」説。 誰一人責任を取れない技術。ずっともやもやしていたものが、ハッキリとしてきた感じ。 一神教的思考と神仏習合。 聖域を崇める、畏れる。 「原発を止めると経済が滞る、それでもいいのか?」というフォーマット的原発推進者の意見。 【人の命の話をしているのに、そこに金を持ち出すな】 まさにコレ。イデオロギーの硬直化は教育(というかある意味での洗脳)の果たしてきた役割も大きいよね。 結局4年前の反省も何もなく、原発再稼働しちゃいましたね。外交・経済・内政などなど様々なファクターが複雑に絡まった「原子力ムラ」はなかなか解すことはできないのかもしれないけれど「誰かがやらなきゃ」なんだよね。
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日本は第七次エネルギー革命に、ある種の挫折を体験して、そこから別の道に入っていったという方向を開いていかなきゃいけないし、これはぼくらがやっておかなければいけないことだと思うんです。(p.62)
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原発を通して見えた国の問題を、思想論から捉えるというもの。 思想を簡単に考えれば、日本人のモノの考え方、発想の仕方というところだろうか。 具体的にどう展開するかの実践を、どの方向に持っていくか。
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東日本大震災以降、いろいろな文筆家、思想家がいろいろな本をだしているどれ一つとして読むに価しない本はない。 これも宗教学者の中沢新一とフランス思想研究科の内田樹ともうひとりはよくしらない平川さんの鼎談である。平川さんは聞き役なので中沢新一と内田樹の考え方がよくでていると思った。 原子力発電は一神教という考え方は面白いが、そこに本質があるというのはちょっと無理があると思った。でもそれはもの毎のとらえ方としては十分ありうるし、参考になる。一神教とだとん喝破しても現実社会の動きに反映されないのだ。政治家が、東電がそれで立居振舞を変えるとは思えない。 思想家という人たちは それで世の中を変えようとしているのだろうか。中沢新一が緑の党を立ち上げるといっていたが、本当に立ち上げるものは政治活動をしないとなっている。 そうなのだ。大江健三郎も立候補しないし、中沢新一も立候補しないみな泥沼に足をつっこまないのだ。あくまで高踏派ということなんだろうか。 理想論を振りかざし財政赤字を招いた美濃部知事もいらないが、産業界からの声に屈する政治家もいらない。やはりビジョンを示しつつ一歩を踏み出すことのなんてむずかしいことか。 ちょっと脱線したが、まぁ 面白い本です。鼎談をテープおこしにしようという気持ちは大いにわかる。
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東電の対応とか、マスコミの報道とか、私の中にもやもやとわだかまっていた疑問が氷解していく思いでした。原発の賛否を論ずる前に読むべし! 「一刻も早く出版することを優先しました」的な祖父江慎さんの思い切った装丁がまたステキ。手を抜いているってことじゃあ、ありません。そこまで計算されているのかな?ってことです。
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(以下引用) わかったのはさ、新しいテクノロジーを持ち込むとき、そのたんびに「これは完全無欠の素晴らしいエネルギー源だ」って話をするということ。そしてぼくらはそのつどころっと騙されてきたってこと。火力にシフトするときは水力はハイコストで、無駄の多い発電方法かということがうるさく言...
(以下引用) わかったのはさ、新しいテクノロジーを持ち込むとき、そのたんびに「これは完全無欠の素晴らしいエネルギー源だ」って話をするということ。そしてぼくらはそのつどころっと騙されてきたってこと。火力にシフトするときは水力はハイコストで、無駄の多い発電方法かということがうるさく言われた。原子力にシフトするときは火力発電はいかにハイコストであハイリスクな発電方法かということが言われた。だから次になにが来ても、太陽光でも地熱でもバイオマスでも、絶対それは「完全無欠なエネルギー源だ」って鳴り物入りで喧伝されるとぼくは思うよ。新しいテクノロジーを導入するときはさ、そのテクノロジーのマイナス面というか、それに随伴してくるさまざまなコストとかリスク・ファクターについては考えたくないんだよ。(中略)テクノロジーの未来予測については、人間は必ず安全性を過大評価し、コストを過小評価する。人間とは「そういうもの」なんだよ。いつも言ってるようにさ、それって属人的な資質の問題じゃないんだよ。構造的に必ずそうなるの。(P.27) 電力会社が「『万が一』ということに備えまして」って言ったら、「あ、じゃあ、『万が一』が来ると思ってるんだな」って反対派は言うでしょう。そう言われちゃうと推進派としては「『万が一』もありません」というふうに言わざるを得ない。(中略)リスクに対して「備えをなにもしていない」ということによって、安全性を世界に向かってアナウンスしていくという、なんだかめちゃくちゃな構図になっている。(P.43) それで一方の原発反対派のほうにも心理的に危ない部分があって、「原発は危険だ!危険だ!」って言ってるわけだから、内心ではね、いつか重大な事故が起きてさ、「ホラ見たことか」っていう日が来るのを待っているわけだよね。これって「狼少年のパラドクス」なんだけど、「狼が来るぞ」って言う少年は最初は村の安全を願ってそう叫んでいるんだけど、誰も信じてくれないでいると、こうなったら村に狼が来てみんなを食い殺してくれれば自分が正しかったことをみんなもわかってくれるだろう…というふうに、無意識的に最悪な事態の到来を願いようになっちゃうんだよ。(中略)左翼的な危機論って、ぜんぶそういう構造じゃない。(P.44)
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暮れの図書館で、面陳されていたのを見かけて借りてきた。3月11日から3週間ほどだった4月5日に、Ustreamで配信される「ラジオデイズ」という番組で三人が大震災と原発事故について語り合う機会をもった。それを本にしたというもの。 いくつか印象に残ったうちのひとつは、内田が子ど...
暮れの図書館で、面陳されていたのを見かけて借りてきた。3月11日から3週間ほどだった4月5日に、Ustreamで配信される「ラジオデイズ」という番組で三人が大震災と原発事故について語り合う機会をもった。それを本にしたというもの。 いくつか印象に残ったうちのひとつは、内田が子どもの頃の社会の教科書に「日本の電力は水力発電が主体です」って書いてあったでしょ、という話。 ▼内田…「日本は急峻な山岳があって、雨量も多く、それが世界に類を見ない水力資源を作り出しています」って、ダムの絵が描いてあるの。それがいい絵でさ。山があって、そこに雨雲からじゃんじゃん雨が降っててさ。ダムでタービン回して発電して、そこから送電線がずーっと続いて、都会まで通じてるの。そこでみんなが電灯の下でにこにこ笑っている。ぼくはその説明を読んでさ、ああ日本に生まれて本当によかったと思ってたんだよ。だっていいじゃない。山から流れてくる水でクルクルと発電機を回すだけで電気ができて、もうまったく環境に対する負荷がないって。山が急で雨の多い国って、なんて素晴らしいんだろうと、幸せな気分だったのね。(p.25) 1950年生まれの内田が子どもの頃のカリキュラムがどんなものかわからないが、それが小学校5~6年か中学生の頃だったとして、1960年代の前半になる。この内田の話は、それがあるとき「これからは火力だ」という話になり、次は「原子力だ」と変わっていったのだと続く。そのことを振り返って内田はこう言う。 ▼…わかったのはさ、新しいテクノロジーを持ち込むとき、そのたんびに「これは完全無欠の素晴らしいエネルギー源だ」っていうこと。そして、ぼくらはそのつどそれにころりと騙されてきたってこと。火力にシフトするときは、水力発電がいかにハイコストで、無駄の多い発電方法かということがうるさく言われた。原子力にシフトするときは、火力発電がいかにハイコストで、入りすくな発電方法かということがうるさく言われた。 だから、つぎに何が来ても、太陽光でも地熱でもバイオマスでも、ぜったいそれは「完全無欠のエネルギー源だ」っていう鳴り物入りで喧伝されるとぼくは思うよ。…(pp.26-27) そのことをふまえて内田は、テクノロジーの未来予測や新しいテクノロジーの導入に際しては「人間というのは、つねに安全性を過大評価し、コストを過小評価する生き物」であるという人間学的事実を勘定に入れて制度設計すべきだと言う。 私は、中学1年のときの地理の教科書が「進出」「侵略」問題で騒がれたものだった、という体験のせいか、社会科の教科書や資料集、ノート、ファイルの一部はこれまでなんとなくとってある(妹の分もいくつか)。それ以外には、男女別修時代の家庭科の教科書とか。長いことしまい込んだままだが、自分はどんなことが書いてある教科書でベンキョウしたのか、というのは今更みてみたい。 国のいうことは時に大きく変わるし、国そのものが滅ぶこともある、ということを主には社会科で習ってきたんよなあと思うが、目の前にみえるのは、なんだか違う光景に思える。 巻末では「鼎談までの経緯とその後」として、平川がこう書いている。 ▼…今回の問題で、原発を損得の問題、つまりは経済効率という観点からのみ見ることの背後にどれほど重大な見落としがあったのかが露わになりました。この問題を考えるということは、私たちの世界には、私たちが想像もできないような出来事があり得るという科学技術の限界の問題について考えることであり、同時に人間はよかれと思ってしていても、必ず過ちを犯すものだという人間の行動の限界について理解を深めることだろうと思います。私たちは、なにが解っていて、なにができるのかということを考えると同時に、なにが解らなくて、なにができないのかということを考える謙虚さを欠いていたのです。…(p.114) 「想像もできないような出来事」に思いを飛ばすことができるには、なにが要るんやろと思う。 (12/30了)
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3月以降、原発震災のことが頭から離れない一年でした。 原子力以前のエネルギーはすべて生態圏の中から得ていた。しかし、原子力エネルギー(核分裂)は生態圏の外にある。 ところで、一神教の神は生態圏(人間世界)の外部にいる。だから原子力というのは一神教の神に類するものである。 ...
3月以降、原発震災のことが頭から離れない一年でした。 原子力以前のエネルギーはすべて生態圏の中から得ていた。しかし、原子力エネルギー(核分裂)は生態圏の外にある。 ところで、一神教の神は生態圏(人間世界)の外部にいる。だから原子力というのは一神教の神に類するものである。 本性がアニミズムである日本人は、全く別種の一神教の荒ぶる神をどう扱うかについて、ノウハウを持っていないから、原子力エネルギーの扱いもうまくできない。 と、中沢新一と内田樹の両氏。
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