つながりの作法 の商品レビュー
身体障害者当事者と、発達障害当事者による、当事者研究の本。言葉が、資本主義が、効率化が、わたしたちをこんなにも分断してしまった。もともと脳には差異やネガティブな事の方がよく見えるソフトウェアが走っている。それに抗するための方策を案じた本だと思いました。やはり心理的安全性を持ってゆ...
身体障害者当事者と、発達障害当事者による、当事者研究の本。言葉が、資本主義が、効率化が、わたしたちをこんなにも分断してしまった。もともと脳には差異やネガティブな事の方がよく見えるソフトウェアが走っている。それに抗するための方策を案じた本だと思いました。やはり心理的安全性を持ってゆるく繋がれる場が必要だな、と従来からの自分の問題意識が浮き彫りになりました。
Posted by
とても面白かった。自己と向き合う、をビジネス書に書いてないアプローチで理解したい人にも良さそう。(でも抽象では同じこと言ってる)。 弱さは終わらない、と最後の章にあるように、一生付き合っていく自己との折り合いの付け方、がリアルでよい。 本質主義的にならない=決めつける、無理に...
とても面白かった。自己と向き合う、をビジネス書に書いてないアプローチで理解したい人にも良さそう。(でも抽象では同じこと言ってる)。 弱さは終わらない、と最後の章にあるように、一生付き合っていく自己との折り合いの付け方、がリアルでよい。 本質主義的にならない=決めつける、無理に答えを出すことを控える、は、深い。
Posted by
アスペルガーの方と脳性麻痺の方による、それぞれの特性について当事者の立場で考察した交換書簡。特に自閉についてとてもよくわかった。
Posted by
「第六章 弱さは終わらない」と、「あとがきにかえて」の内容が興味深かった。 綾屋さんが感じている「弱さ」は程度の差こそあれ、誰もが感じたことのあることだと思うし、「ここならいつでも話して大丈夫」という安全に語れる場がほしいというのも、ほとんどの人が同じではないかと思う。 そのこと...
「第六章 弱さは終わらない」と、「あとがきにかえて」の内容が興味深かった。 綾屋さんが感じている「弱さ」は程度の差こそあれ、誰もが感じたことのあることだと思うし、「ここならいつでも話して大丈夫」という安全に語れる場がほしいというのも、ほとんどの人が同じではないかと思う。 そのことに関して、ダルク女性ハウスの上岡陽江さんが仰ってたという内容も心に残ったので、次は『その後の不自由』(上岡陽江、大嶋栄子)も読んでみたい。 自閉症診断の急増についての綾屋さんと熊谷さんの仮説「社会の流動化」にもなるほどと思えた。ここでも、個人だけではなく社会の側にも原因を探そうとする彼らのブレなさ?が流石だと思う。当事者達からの目線であるからこそ、さらに説得力がある気がした。
Posted by
第六章「弱さは終わらない」は、すごかった。 綾屋さんのぐるぐる沼感。 (そこまでは、淡々と当事者としての自己分析でわかりやすい。別にアスペルガー症候群の当事者でなくてもわかるところもある。) 第六章はなかなか生々しく、これはこれでそういうことなんだろうなと思った。 としか、言え...
第六章「弱さは終わらない」は、すごかった。 綾屋さんのぐるぐる沼感。 (そこまでは、淡々と当事者としての自己分析でわかりやすい。別にアスペルガー症候群の当事者でなくてもわかるところもある。) 第六章はなかなか生々しく、これはこれでそういうことなんだろうなと思った。 としか、言えない 「誰にも言えない」から「私には話さねばならぬ責任がある」へ。 「相手に迷惑をかけたくない」「相手をいやな気持ちにさせたくない」と思って話せないでいるのに、そうして黙り込むことこそが加害行為になってしまうと。 話すのは怖いけど、沈黙の暴力をふるわないために、私には「話す」責任がある。そこまで来てようやく、人に打ち明けることができると。 傷つきが深いほど、人は何度も同じことを話さないと良くならないとか、結局ユングだなー。 中井久夫の訳も本に出てきてなんだか、おーと思う。 決してマイノリティのための本ではなかったと思う。 ぐるぐるモードと、あたふたモード、すいすいモード 777のスイスイ人を思い出した。 熊谷さんのあとがきもよかった。 一人で傷つきを抱えこまないこと。そのための一つの方法が当事者研究。
Posted by
自立とは依存先を増やすこと。熊谷が言ったこの言葉を深堀できるかと思ったが、話の内容が難しく読み解くことが出来なかった。 自分が苦しい時に人と繋がる方法は様々。これが正解という繋がりはない。ただ自分自身が自分を語る言葉をもって相手に伝えられる関係性が重要なんだと感じた。
Posted by
「人と違う事の自覚」は、基準と自らの差を理解し、一方を正しいと思い込む事から生じる。ならば、正しさは理解できており、その通りに振る舞えば良いのだろうが、そう、できない。あるいは、人に指摘されて初めて自覚する。そんな生き難さを感じる著者。アスペルガー症候群と身体障がい者。生きる難し...
「人と違う事の自覚」は、基準と自らの差を理解し、一方を正しいと思い込む事から生じる。ならば、正しさは理解できており、その通りに振る舞えば良いのだろうが、そう、できない。あるいは、人に指摘されて初めて自覚する。そんな生き難さを感じる著者。アスペルガー症候群と身体障がい者。生きる難しさは、よくわかる。人と同じように行動したり、言葉を理解し合うのは、いつだって難しい。ボーっとしていても話は進むし、かと言って同じ事を繰り返し言われているようで、そう感じてしまうと注意力は続かないし。油断してボーっとすると、隙をついて重要な事が述べられていたりするのだ。 そんな事を繰り返すと不安になるだろうし、更にできない自分を自己暗示し、強化学習してしまい、泥沼化。グループカウンセリングや当事者研究は、そうした自己意識を加速させないのだろうか。どんどん自分自身を規定してしまう気がする。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「個々人の差異はそのままに、同時に差異を超えた共感と合意を立ちあげる」これがなかなか実現できないのが実際の社内であり、だからこそ諦めずに追求していく大きな価値がある課題。
Posted by
常識やコモンセンスといった液体で満たされたグラスの中に、マイノリティー成分とでも呼ぶべき固体(氷みたいなもの)が沈んでいる。 恐らくはこの液体・固体両者を含めてのものが「私」。しかし色のついた液体は容易に固体を覆い隠す。またその状態こそが正解だと思い込まさせられる。結果、固体...
常識やコモンセンスといった液体で満たされたグラスの中に、マイノリティー成分とでも呼ぶべき固体(氷みたいなもの)が沈んでいる。 恐らくはこの液体・固体両者を含めてのものが「私」。しかし色のついた液体は容易に固体を覆い隠す。またその状態こそが正解だと思い込まさせられる。結果、固体をもった私は「悪い私」となってしまう…。 「対話」の場は、そんな「私」達が集い、氷を中央のボウルへと入れていく「場」である。このボウルは、安全安心という規則のもとで、出来るだけ常識・コモンセンスという液体が混ざり込まないように工夫されている。そこに集められた氷達は、ゆっくりとボウルの中でとけだし、緩やかに混ざりあう。 これは、従来の個々人の中では決してみられなかった現象だ。個人のコップ内にある限り、その固体は決して溶けない。異物として、マイノリティーとして残り続け、「悪い私」を産み出し続けてしまう。 となると、この液体自体が強固な固体を作り出す作用を持っていると言える。固体の輪郭線を厚くするのは、固体そのものではなく、液体のほうの作用ということになる。 そしてボウル内でとけだして混ざりあった新たな成分は、再び個人というコップに戻されていく。その結果生じたのは、もはや常識・コモンセンス色に染まったかつての「私」ではない。化学変化を起こした「変化し続ける私」なのだ。その中でマイノリティーとして沈められてきた固体成分が、私の一部として緩やかにとけだしていく。 そういうイメージだ。
Posted by
私と似通った特性の綾屋紗月さんの当事者研究、パートナーの熊谷氏との共著。 自らの特性を深く追求し、研究し続けるさまに、頭が下がります。 多くの発達特性の人は、自らのセルフモニタリング能力が難しい中、綾屋紗月さんは、当事者研究に立ち向かっている生き様に、あこがれをいだきました。 私...
私と似通った特性の綾屋紗月さんの当事者研究、パートナーの熊谷氏との共著。 自らの特性を深く追求し、研究し続けるさまに、頭が下がります。 多くの発達特性の人は、自らのセルフモニタリング能力が難しい中、綾屋紗月さんは、当事者研究に立ち向かっている生き様に、あこがれをいだきました。 私のこれからにも、 当事者研究のスタートラインに立てたように思えました。文中のなかの、独特な表現に、「わたしも、あるよな〜で、おうちで、ぐったり」とうなずける部分あり。 熊谷氏のつながりの研究にも、頭が下がります。 当方、福祉の仕事についているため、利用者様に寄り添い、ただつかずはなれずてきにも、支援しようと学びの機会になりました
Posted by