つながりの作法 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
アスペルガーと脳性まひを「つながりにくさとつながりすぎ」で表現するのが面白いなぁと思った。また、生きづらさを感じた人間が、自身の仲間を見つけることによって自分の存在を再認識して、そこのグループでまた疎外感を感じるようになるという流れがあること発見だった。最後の部分にある自閉症が1970年代から増えているっていうのは元々単純作業なら出来ていた人が、サービス業や複雑な作業をする割合が増えてきて、生活に支障が出る人が増えてきたのかなと思った。生きづらさを抱えているけど病名がついていない方にも読んでもらいたい。
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とてもツラい時期にこの本に救われた。(お二方と同じ状況、境遇なわけではないけれど)わたしの孤独をわかってくれるひとがここにいたんだ、と。当時、暗くて出口のないトンネルを歩き続けているような日々だったけど、この本が理解者として優しく寄り添ってくれた。いまでも読み返すと涙が止まらない...
とてもツラい時期にこの本に救われた。(お二方と同じ状況、境遇なわけではないけれど)わたしの孤独をわかってくれるひとがここにいたんだ、と。当時、暗くて出口のないトンネルを歩き続けているような日々だったけど、この本が理解者として優しく寄り添ってくれた。いまでも読み返すと涙が止まらない。
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当事者研究、熊谷先生、「つながり」に関心があり手に取った。 ASD当事者と脳性麻痺当事者の、身体の中の「つながり」、他者・社会との「つながり」をベースに当事者研究について綴られていた。 自分の弱さをそのまま他者やコミュニティに共有し、少し心が軽くなる。また、それを経て自己の理解...
当事者研究、熊谷先生、「つながり」に関心があり手に取った。 ASD当事者と脳性麻痺当事者の、身体の中の「つながり」、他者・社会との「つながり」をベースに当事者研究について綴られていた。 自分の弱さをそのまま他者やコミュニティに共有し、少し心が軽くなる。また、それを経て自己の理解を更新し続ける。当事者研究のあり方をそう理解するならば、心や身体の状態に疾病や障害の名がついていなくても、苦しいと感じることがある人なら誰でもこの取り組みに共感し、実践していけるものだと思った。自分自身、何度も救われてきた友人との対話がこれに近いのではと感じた。 何度か引用されていた「その後の不自由」も読みたい。 印象に残った箇所。 ・ネガティブな話は他者に話してはいけないものだという規範に生き… そうした規範こそが家族という密室の中で支配や暴力を生み出すカリクリとなっている… ・「横の笑い」は「あんたもやっぱりそうか」という仲間同士の共感 ・身体や世界の不確実性に怯え続けている人は、不確実性を減らそうとして過剰に規範的になる場合も多い ・痛みの記憶は消えることはない。でも痛みが静かな悲しみに変わるということはあり得るのかもしれない
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勧められた本だったが、思っていた内容と良い意味で全く違っていて興味深かった。 「マイノリティ」と言われる属性当事者の感じ方が具体的に記述されていて、世界の見え方がほんの少し変わる、気がする。
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「当事者研究の可能性」という章の中に、「所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定が文化人類学者の大村敬一さんにならって「構成的体制」と呼ぶことにして紹介されているが、この「構成的体制」と、「個人の日常実践」との相互循環という考え方が読後に一番印象に残った...
「当事者研究の可能性」という章の中に、「所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定が文化人類学者の大村敬一さんにならって「構成的体制」と呼ぶことにして紹介されているが、この「構成的体制」と、「個人の日常実践」との相互循環という考え方が読後に一番印象に残った。個人間の差異だけ見る、木だけ見るのでもなく、構成的体制という全体としての森だけを見るのでもなく、木のために森を見て、森のために木を見るというような印象を受けた。また、この構成的体制というのは、普段「当たり前」としていて意識にものぼらないもののことで、構成的体制を無意識に受け入れられているときは人は自由に思考できるという内容を読み、ある程度縛られている環境の方がより自由を感じやすいという自分の感覚にも合うと感じた。 また、それより前の章の「つながりすぎる身体の苦しみ」という章では、睡眠•覚醒サイクルの話が書かれていて、身体が日中に取り入れた情報は夜間に睡眠時という密室で処理•統合されるという話だった。 安定した「私」を手に入れるためには、「わたし」が得た情報と「わたし」が上手くつながる必要がある。上手くつながるためには、安心できる森の中の一本の木としての「わたし」が、日中に取り入れた情報を夜間健やかに眠ることで処理するというようなイメージが生まれた。
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冒頭では、そもそもアスペルガーとは、自閉症とは何かを、筆者の日常とシナプスの結合という科学的な仕組みにより、非常にわかりやすく、イメージされやすく解説している。 その後、個と集団の両立の難しさや、同族感による安心感と煩わしさなど、私にも共感出来るような形で書いている。 個人的...
冒頭では、そもそもアスペルガーとは、自閉症とは何かを、筆者の日常とシナプスの結合という科学的な仕組みにより、非常にわかりやすく、イメージされやすく解説している。 その後、個と集団の両立の難しさや、同族感による安心感と煩わしさなど、私にも共感出来るような形で書いている。 個人的には、人と違うことは不安だけれど、かといって同調しないといけないのは面倒だという人間関係にはすごく納得がいった。 ―――――― 綾屋さんは、アスペルガー症候群と自分が気づくまで、自分と周りとの違い悩んだ。 やっと同じ症状の人がみつかり安心感を得られ、アスペルガー症候群への理解高まり、生活しやすくなるだろうと思ったら、そうでもなかった。 今度は集団の中でアスペルガー症候群らしくしなければならないこと、型にハメられる気がし、そもそも障害者と健常者の区別は何を持ってして決められたのかそもそもその基準を疑問に思う。 アスペルガー症候群と症状を括って、症状に対して社会的なアプローチをかけるのではなく、都度都度発生したパターンに応じてよりよい対処をしていくのがよいと考えた。 そうして、綾屋さんは、当事者研究として、自分の内面と外部環境を改善していくしくみを考えた。 観者的な役割と自信の経験を都度都度フィックスさせて、当事者研究を進めることで、自分への気づき、周りへの変化をもたらすと考えている。 ―――――――――― 章立てで流れるように記述されており、2人の著者の内容が、上手く絡まっており大変読みやすく、理解もできた。 1度読み、やっと自分なりにこの本を要約できだが、文の中にはたくさん心に残るワードが記されていたので、再度読み直そうと思う。
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抽象的で難しい本だった。 綾屋さんのあまりに細かな語りには、なぜか同族嫌悪的な苛立ちも感じた。(ここは言語化が難しい) 終盤にある「話さねばならない責任」というくだりが胸に沁みた。問題を開示せず不機嫌に振る舞うことは相手を脅かす。沈黙は加害行為。 その後の何度も話すことを肯定する...
抽象的で難しい本だった。 綾屋さんのあまりに細かな語りには、なぜか同族嫌悪的な苛立ちも感じた。(ここは言語化が難しい) 終盤にある「話さねばならない責任」というくだりが胸に沁みた。問題を開示せず不機嫌に振る舞うことは相手を脅かす。沈黙は加害行為。 その後の何度も話すことを肯定する引用の一文も好きだ。「同じ話ができるようじゃないとよくならないわよね」
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過剰につながれない綾屋と,過剰につながりすぎる熊谷の両氏が,それぞれの立場から,多様な他者を他者として認めた上でどのようにつながれるのかを考察した一冊。 どのようにしたらつながることができるのか(つながりの作法)についての著者らの考えは大きく4つにまとめられる。 1...
過剰につながれない綾屋と,過剰につながりすぎる熊谷の両氏が,それぞれの立場から,多様な他者を他者として認めた上でどのようにつながれるのかを考察した一冊。 どのようにしたらつながることができるのか(つながりの作法)についての著者らの考えは大きく4つにまとめられる。 1. 世界や自己のイメージを共有すること 2. 実験的日常を共有すること 3. 暫定的な「等身大の自分」を共有すること 4. 「二重性と偶然性」で共感すること これらのポイントはなかなか実践するには困難があるものの,ポイント自体は納得できるものであるので,興味のある人は本書で確認してみてほしい。 個人的にはつながりの作法よりも当事者研究の成果としての本書に感銘を受けた。 ・自分の経験を経験として終わらせず,体系化した「知識」にまで昇華し,他者と共有できる形にしたこと ・その「知識」を得るために,自身の経験をどのように捉えたら良いのかについての視点 ・両極の経験から同じ現象を考える方法 など,自分の悩みをモヤモヤした曖昧なものに終わらせず,悩みを解消し,あわよくば他者の悩みを解消するきっかけになるものへと発展させている。本書で最も魅力的に感じたのはその点である。 読めば読むほど,つながるのが簡単ではないと感じるかもしれないが,味の出る一冊であるように思う。
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アスペルガー症候群と脳性麻痺の二人が、マイノリティの立場で自らの事情や経験を語り、外界の人々(マジョリティ=「健常者」)との繋がり方を述べたもの。個人個人をみていくと究極的にはその人一人であり、誰もがマイノリティとも言える。また、多様性や変化を善しとする社会においては、主流である...
アスペルガー症候群と脳性麻痺の二人が、マイノリティの立場で自らの事情や経験を語り、外界の人々(マジョリティ=「健常者」)との繋がり方を述べたもの。個人個人をみていくと究極的にはその人一人であり、誰もがマイノリティとも言える。また、多様性や変化を善しとする社会においては、主流であることすら大変な作業であり、そうでない人々があたかも落伍しているような捉え方すらある。このような中で人々とつながることの大変さを正直に述べ、成功体験、工夫、ある種の諦めなどを使い分け、最悪の事態を避けている著者らの社会に向き合う姿勢がとても参考になる。
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ロボットプログラミングするときにいくつもの条件を複雑に入れると失敗するのと似てるなって思った。当事者研究はきっと人工知能研究にもつながるんだろう。
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