脳はなぜ「心」を作ったのか の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
心とか意思とかって結局何なの?について述べた本。 私はテッドチャンの本を読んで以来、自由意志にすっごく興味があって、何冊か読んだ結果、「自由意志ってないかもな…」って思ってるんだけど、この本もそういうスタンスで、頭の中の「こびと」が色々やってるんだって話だった。自分の感覚もなんかそんな感じなので、すーっと理解できた。 私は本当に専門外で、尚且つゴリゴリの文系なので、難しい理系の話はからっきしなんだけど、この本はそんな私にもわかりやすく書いてくれててありがたかった。
Posted by
自我=エピソード記憶のことで、「私」はニューロンの働きを眺めているだけの存在だという話。私が漠然と考えていた「意識とは」と近く、「あーやっぱりそうだよね」と納得させられる感じがあった。あとがきによるとこの本を読んで空しくなる人と心が軽くなる人がいるそうだが、私は軽くなるほうだった...
自我=エピソード記憶のことで、「私」はニューロンの働きを眺めているだけの存在だという話。私が漠然と考えていた「意識とは」と近く、「あーやっぱりそうだよね」と納得させられる感じがあった。あとがきによるとこの本を読んで空しくなる人と心が軽くなる人がいるそうだが、私は軽くなるほうだった。軽くなるというよりは、腑に落ちてスッキリという感じかな。
Posted by
悲しくつらい出来事がある時に「この苦痛を感じている自分の意識や人格が消えて別の誰かがこの身体に芽生えてくれないだろうか」などと日頃から考えている私にとって本書は非常に面白く読み進めれた。脳のこの辺が言語野、この辺は運動野というように意識や人格についても司る部分が存在しているのかと...
悲しくつらい出来事がある時に「この苦痛を感じている自分の意識や人格が消えて別の誰かがこの身体に芽生えてくれないだろうか」などと日頃から考えている私にとって本書は非常に面白く読み進めれた。脳のこの辺が言語野、この辺は運動野というように意識や人格についても司る部分が存在しているのかと思っていたがそうではなかった。 仏教的、東洋的世界観を持つ日本人には心の地動説は受け入れやすく理解しやすいが、欧米諸国ではどうだったのだろうか気になる
Posted by
「意識」が生まれたしくみや、意識は錯覚という仮説は理解できるが、なぜ私が私なのかという私の疑問に関しては、納得するようなことは書いていなかった。 ところどころに、決めつけてるような表現があったのが気になった。
Posted by
機能として分解し、機械的に再現可能としても、その「説明」により「理解」されるわけではないと思われる。幅広い読者に向けるためにはしょうがないかもしれないが、より広範な議論を把握するためには他の書籍にも目を通すとよいかもしれない。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
反論はたくさんあるのだろうが、画期的な考え方だと感じた。受け入れれば生きるのが楽になるだろう。 著者いわく、自由意思は錯覚である。自分で意図したつもりでも、それは無意識の小びと(ニューラルネットワーク)たちが行った処理であり、意識はただ行動や思考を自ら行ったと錯覚しているにすぎない。ではなぜ、自分で決めたように錯覚するのか。それは、生存に必要なエピソード記憶をするため。「りんごは食べ物だ」は意味記憶、「今朝はりんごを食べた」はエピソード記憶。エピソード記憶ができないと、場当たり的な行動しかできなくなる。膨大な小びとの処理を必要十分に記憶にとどめておくには、その処理を個人的な体験としてまとめる必要がある。そのフィルターとなるのが意識である。 この、人間に自由意志がないという考え方は、完全に納得するのは難しいが、実感として理解できる部分もある。瞑想をしていると、思考は自分が意図しないのに勝手に浮かんでくる。また、それに対する反応(感情)も自分で選択できず、自動的に決まる。なにか嫌なことが頭に浮かんだ瞬間、もう気分を害している。ここまでは、著者のいうとおり、無意識の小びとの処理という説明で納得できる。だが、この思考と感情に気づき、観察している意識もある。著者の説に則ればこの意識すら小びとの処理ということになる。しかし、「今日はこれをしよう」という意識と、自分の思考や感情に気づいているメタ認知の意識は、少し違うように感じる。
Posted by
人間の心について哲学者の視点ではなく、ロボット工学としての観点、システム論としての観点で合理的に説明。極めて腑に落ちる分析だ。 報酬系についてはマークトウェインが「不思議な少年」で書いていたこととだいたい重なる。筆者が言う脳の中の小人たちの協議の結果、一番とされた意見が反映され...
人間の心について哲学者の視点ではなく、ロボット工学としての観点、システム論としての観点で合理的に説明。極めて腑に落ちる分析だ。 報酬系についてはマークトウェインが「不思議な少年」で書いていたこととだいたい重なる。筆者が言う脳の中の小人たちの協議の結果、一番とされた意見が反映されて行動や感想が生じること。 本書では一歩進んで、意識やクオリアの正体を説明する。錯覚としての自意識、自我。 読了90分
Posted by
受動意識仮説は、受動意識解釈なのではないか、と常々思っている。(量子力学におけるコペンハーゲン解釈などに見られるように、解釈は仮説とは違い、立証不可能なものを指す)前野先生は幸福学に専門を移られて、受動意識理論の構築にはもう精を出してはくれないのだろうか。
Posted by
面白かった。仏教の「非二元」を別の方角から見直すことができた感覚。やっぱり、真ん中は空洞なんだな〜。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この本を読んだ私なりの理解では、この本には「我れ思う故に我れあり」の我れって、どこに在って、どんな実態のものなんだろうということが書いてある。思っている我れという存在は確かに在るんだけれど、案外ぼーっとしているもののようだ。ものを考える時に本当に頑張っているのは、我れからは気づき難い小人たちらしい。 この本を読んで、トイレの中や、風呂の中、散歩中などにとつぜん名案が浮かぶ原因がわかった気がする。とつぜん名案を思いつくのではなく、我の気づかないところで、課題の解き方を考え続けている小人たちがいるんだろう。棍を詰めて考えている最中や自動車の運転中、ジョギング中は、脳の中のゆとりがなくて、小人たちが考えるのを阻害したり、小人たちが我れにかけてくれる声を聞き取れなかったりするのだろう。1日のうち何十分かは、ボーッと生きているのがいいと思う(私の場合は、最近そんな暮らし方だ)。
Posted by
