日記をつける の商品レビュー
読んでいて面白い日記を書きたくて久しぶりに読んでみたが、前に読んだ時の評価は正しかった。 情緒的な紹介文ばかりで参考にならない。 今ひとつ。
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作家や画家などの日記を引き合いに出しながら、日記を「つける」ことについて詩人でもある著者が語ったもの。ここで紹介されているいくつかの日記を読んでみたくなった。
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「興味を持つ」ということは、いったん<ことば>になるということである。というフレーズが印象的。読んだ本の感想も日記の範疇と言えるのかどうかわからないが、自分の記録である事は間違いない。また、いつか振り返る事があった時に何か発見があれば変化や成長を感じる事もできるだろうし、気負わず...
「興味を持つ」ということは、いったん<ことば>になるということである。というフレーズが印象的。読んだ本の感想も日記の範疇と言えるのかどうかわからないが、自分の記録である事は間違いない。また、いつか振り返る事があった時に何か発見があれば変化や成長を感じる事もできるだろうし、気負わずにやっていこうかと思う。
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現代詩人であり随筆家である荒川洋治氏がやさしく説く『日記学』。 小学校時代からずっと日記をつけている著者だからこそ書ける日記をめぐる情景をすくい取り、あれこれを綴る。日記のつけかた、日記のことば、日記のつける順序等シャープな視点で日記を解剖した指南書。 日記…と、ひとことで...
現代詩人であり随筆家である荒川洋治氏がやさしく説く『日記学』。 小学校時代からずっと日記をつけている著者だからこそ書ける日記をめぐる情景をすくい取り、あれこれを綴る。日記のつけかた、日記のことば、日記のつける順序等シャープな視点で日記を解剖した指南書。 日記…と、ひとことで言っても、子どもの頃の夏休みの絵日記、中学生になれば交換日記、異国の地でのひとコマを記した旅日記、昨今のブログまで時代・年齢・状況によって、その姿を変える。 まず「古今東西、人はどんな日記をつけてきたのか?」をテーマに文学者の日記を渉猟する。 所謂「日記文学」の考察。 武田百合子(武田泰淳の妻)は、移住先の富士山麓の山小屋での13年間にわたる家族の日々の営みをのびのびとした筆致で記した。内田百閒は齢八十になっても食への欲求が尽きることなく毎夜の献立を几帳面に記載。美味だったものには「○」、そうでなかったものには「×」の評価 まで付けている様子が眼前に浮かび上る。徳富蘆花は恋心のみならず自身の性愛までを大胆に綴る。 著者の考えに倣えば、日記は残しておかないといけない。散逸四散しないように1ヶ所に保管しておく。何かの拍子に過去の自身に確認を取らないといけない時に日記の出番となる。そう、日記は集積してこそ、その効力を発揮する。 そのことは本書表題の『日記をつける』の「つける」にもつながる。では、なぜ「日記をつける」なのか?著者は『「つける」は“しるしをつける” “しみをつける”がそうであるように、あとあとまで残す感じがある。いつまでも残るようにつける。ゆえに日記は「つける」なのだ』と導く。 我が意を得たのは「人間は疲れると、文章中に「とても」「たいへん」「非常に」「いちばん」「ものすごく」等の副詞が多くなる。激しく首肯。 僕も定期的に日記を無性につけたくなり、それは大体1年ぐらい続く。そして、何もなかったようにある日静かに日記帳をほっぽり出す。その間、必ず惰性で書く時が現れ、字は乱れ、描写はぞんざいになる。とにかく仔細に書くのが面倒くさくなる。 その「しんどい時の日記との向き合い方」について言及する。内面を綴るのはしんどい。それを避けようとする。 著者は以下の見解を示す。 (日記では)自分をよく見せたりする。本当はこんなことではなく、別のことで辛かったのにその別のことをつける勇気はない。義務もない。日記は自分のものだから。感情面の出来事についてはいつもほんのちょっとだけ事実とずれたものになっている。だから、本当のことはちょっとだけかけ離れれたところにあるのだ。そう思えば元気も出る。日記への疑いの半分は消える。 まぁ、日記なんて書きたいと思ったことない方にとっては関心外でしょう。もし「マツコの知らない世界」で、「日記の世界」を取り上げるなら、誰をさしおいても著者だと断言できるぐらい『日記を科学』している。実用性が高く、日記が頓挫しそうになった時に必ず下支えしてくれる一冊。
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さまざまな人が記した日記を紹介しながら、日記の魅力をつづったエッセー。 日記に対する著者の視点があたたかい。古今東西、スタイルはいろいろ。自分の好きなように書けばいいと思う。続けることが大切。もちろん振り返ることも(これは「能率手帳の流儀」の野口晴巳さんが一番伝えていたこと)。
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この読みやすさは何だろう、するすると読み継いでいける。 いろいろな日記作品を引いては思うことが綴られていて、書いた人にとって日記がどういうものだったかを何となく受け取れるような味わいがある。書かれたものがひろがる。 ・「書く」と「つける」 「書く」に対して「つける」は、しるしを...
この読みやすさは何だろう、するすると読み継いでいける。 いろいろな日記作品を引いては思うことが綴られていて、書いた人にとって日記がどういうものだったかを何となく受け取れるような味わいがある。書かれたものがひろがる。 ・「書く」と「つける」 「書く」に対して「つける」は、しるしをつける、しみをつける、のように、あとあとまで残す感じがある。 また、「つける」は、決まったスペースがあると、力を発揮する。という話がおもしろい。 一日単位という枠、日付、曜日、天気、気温。 決まっていることを習慣的に記すこと。 「書く」は形式が自由だけど、「つける」には残すためのかたちがある。 ・記号について ふつう作品には「」『』をつける。けれど、樋口一葉は日記の中に記号を持ち込まずに流れるように綴る。 「にごりえよりつづきて十三夜、わかれ道、さしたることなきをば、かく取り沙汰しぬれば、われはただ浅ましゅうて物だにいいがたかり。」 記号をつけると、文章の流れがとまる。という話。 「ひところまでは、何もなかったのだ。文章をまっすぐに、どこまでも伸びていたのだ。「赤松谷」ではなくて、赤松谷なのだ。何もないほうが、日記らしいともいえる。いまも、何もつけない人がいることだろう。」
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今年の始めからリアル日記をつけ始めたので、なにかの参考になればと思って読む。いつもながら荒川洋治の筆は平たくそして深い。様々な日記や文学を引用しながら、日記の真髄に迫っていく。日記の旨味/醍醐味とはなにか……個人的には『ゴンクールの日記』を読みたくさせられた。敬遠していたのだけれ...
今年の始めからリアル日記をつけ始めたので、なにかの参考になればと思って読む。いつもながら荒川洋治の筆は平たくそして深い。様々な日記や文学を引用しながら、日記の真髄に迫っていく。日記の旨味/醍醐味とはなにか……個人的には『ゴンクールの日記』を読みたくさせられた。敬遠していたのだけれど、本書の解説文を読んで非常に興味を惹かれたのだ。それだけでも収穫というもの。あるいは百閒の日記も読んでみたくさせられる。本書から様々な日記や文学に触れていくのもひとつの読書の遊びとして有益だろう。荒川洋治、ナメてはいけない詩人だ
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"日記を見つめたエッセイ。自分を見つめるため?日記を書いてみようと思ったからか、手に取ってみた。多くの人が、いろいろなスタイルで日記を書いてきた。基本的には、人に見せるものではないので、スタイルも様々のはごくごく自然なこと。 日本で日記を書いている人は何人くらいいるので...
"日記を見つめたエッセイ。自分を見つめるため?日記を書いてみようと思ったからか、手に取ってみた。多くの人が、いろいろなスタイルで日記を書いてきた。基本的には、人に見せるものではないので、スタイルも様々のはごくごく自然なこと。 日本で日記を書いている人は何人くらいいるのでしょうか? ペンや鉛筆を手にする機会が減っているので、手書きで初めて見るのもいいかなぁ と思った。"
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公開されている日記文学や著者の経験から、「日記をつける」ことについて、述べられている。 結局のところ、ライフログ=人生の記録=日記。 そして、そこでは、第三者の視点も意識したい。それが、自分とは少しずれた自分であっても。 岩波アクティブ新書で出ていたものの、文庫増補版。 ...
公開されている日記文学や著者の経験から、「日記をつける」ことについて、述べられている。 結局のところ、ライフログ=人生の記録=日記。 そして、そこでは、第三者の視点も意識したい。それが、自分とは少しずれた自分であっても。 岩波アクティブ新書で出ていたものの、文庫増補版。 ライフログノートに触発されて、日記があらためて気になったので購入。 [more] (目次) 1 日記いろいろ(絵日記 日記へ ほか) 2 日記はつけるもの(「書く」と「つける」 日付と曜日 ほか) 3 日記のことば(手書きの文字 はじめての日記 ほか) 4 日記からはじまる(まず、つけてみる 夕立の二人 ほか) 5 あなたが残る日記(一〇大ニュースを決める 東京の日々 ほか)
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長年にわたって日記をつづけてきた著者が、みずから考えたことや文豪たちの日記に関するエピソードなどを参照しながら、日記をつける楽しみについて語っている本です。 2002年に「岩波アクティブ新書」から刊行された本の増補版ということですが、日記の書き方を解いたハウツー本ではなく、日記...
長年にわたって日記をつづけてきた著者が、みずから考えたことや文豪たちの日記に関するエピソードなどを参照しながら、日記をつける楽しみについて語っている本です。 2002年に「岩波アクティブ新書」から刊行された本の増補版ということですが、日記の書き方を解いたハウツー本ではなく、日記をめぐる著者自身のさまざまな思いをつづったエッセイというべき内容です。 ブログについて否定的な意見が述べられていますが、これは本書が執筆された時代を反映したものとみなすべきでしょう。たしかにブログにもさまざまなものがあり、いちいち拾いあげて文句をつけることは可能でしょうが、本書に書かれていることは古びてしまったというよりも、誰もが当たり前に受け入れていることになってしまっており、それについてあらためて言及する必要性をだれも感じなくなってしまったといったほうが当たっているように思います。
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