偉大な記憶力の物語 の商品レビュー
強大な記憶力を持つ男を、30年にわたって観察した記録。 記憶できる量に限界がなく、どんなに長い文字列であっても比較的短時間で難なく記憶ができ、しかも15年ほどたってもその記憶が鮮やかに再生されるというのだから、忘れっぽい私としてはまったく驚きでしかないのだが(しかも羨望の限りなの...
強大な記憶力を持つ男を、30年にわたって観察した記録。 記憶できる量に限界がなく、どんなに長い文字列であっても比較的短時間で難なく記憶ができ、しかも15年ほどたってもその記憶が鮮やかに再生されるというのだから、忘れっぽい私としてはまったく驚きでしかないのだが(しかも羨望の限りなのだが)、ことはそれほど簡単ではない。彼の生活を様々な側面からみたとき、この華々しい記憶力とは裏腹に、かなり困難な実態が浮かび上がるからである。簡単に言ってしまえば、彼は人間としてアンバランスであり、生きにくそうである。 30年間、記憶力の面だけではなく、ある意味“ホリスティック”に観察し、記録した本書は世界に珍しくまた貴重な書籍であるが、この本が「びっくり!世界の超人!」みたいな民放の安いバラエティー番組のような切り口で終わっていないのは、著者ルリヤ教授の人間をみる眼差しと、人間とは何かを問う深い視座があったからであろう。ただ欲を言えば、この超記憶力が人格にどのような影響を及ぼすのかについて、もっと立ち入った研究や記述があっても良かったと思う。 ところで、本書に出てきた日本人で超記憶力を持つという「石原」という人物に興味津々。ちょっと調べてみよう。
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図書館で借りて読んで、人間の可能性の凄さにかなり驚いた本。自分が物忘れの天才なので、ついこの様な本に、興味を持ってしまう。
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ロシアの、何でも・いつまでも記憶できる人の調査記録です。 学術的調査に基づく内容でした。彼がどのようなプロセスを経て記憶しているか、努力をしているのか、検索はどのように行っているのか。 プロセスは想像を超えていました。イメージ・音・味覚に変換するというか、しなければいけない、という、???(=一般人にはわかならい)の仕様です。 数字でも、文字でも映像や音、味覚として記録するということは、text を jpg で保存するというような、極めて検索しにくい形の保存であり、結果として彼は汎化が苦手になっていました。そうなるとどこに歪が出るかというと、人の顔の識別が人より苦手になるんですね。彼と汎化についてのお話をもっと分かりやすく書いた本があっと思うのですが、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
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いかに「暗記力だけが試される学校の勉強なんて価値がない」と貶められようとも、圧倒的なまでの記憶力にはひれ伏すしかなく、「天才」と形容したくなるのもよくわかる。 人並み外れた記憶力を持つ「シィー」は記憶術者として生計を立てるようになり、生来の圧倒的な記憶力に加え、彼はさまざま...
いかに「暗記力だけが試される学校の勉強なんて価値がない」と貶められようとも、圧倒的なまでの記憶力にはひれ伏すしかなく、「天才」と形容したくなるのもよくわかる。 人並み外れた記憶力を持つ「シィー」は記憶術者として生計を立てるようになり、生来の圧倒的な記憶力に加え、彼はさまざまな工夫を凝らすこととなる。 生来の記憶力のベースにあったのは「共感覚」と「直感像記憶(見たままをそのまま覚える)」である。その像をシンボル化(省力化)していく過程は人間の認知機能の過程の興味深いサンプルである。 しかし、言葉を「共感覚(視覚と聴覚がリンクしている)」ととらえる彼には含みや余韻を味わう「詩」の鑑賞が苦手であり、同時に物事を忘れられないという悩みもあった。 そして、最大の困りごとは彼の現実生活は、安定したものでなかったということだろう。他人とのコミュニケーションが苦手であり、職を転々としていた。 頭の中の世界のリアリティが強すぎて現実に対応する柔軟性がなかったのかなーと感じた。 参考 共感覚と天才 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35503
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彼はルリアに人の顔の記憶について愚痴をこぼしていたそうです。「人の顔は、人の気持ちの状態や、どういうときに会うかによってしょっちゅう変わり、そのニュアンスはメチャメチャになります。」と。長い物語や詩の理解も、彼にとっては苦手なもののひとつでした。つぎつぎに浮かび上がってくる視覚像に邪魔されて、本質的なものを抽出し非本質的のものを捨て、話や詩の流れを追うことが困難になるためでした。 シィーの記憶は、ルリアが十数年後にテストしたときも全く完全で、忘却のない完璧は記憶でした。しかし、それと引き換えに彼は、つぎつぎと生じる視覚像のために抽象的な思考は妨げられ、また、しばしば、現実と想像の世界の区別を失うという異常な世界に生きていたのです。 引用元 http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/46/index-46.html
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オリバー・サックス「妻を帽子と間違えた男」に度々名前が出てくるルリヤ先生の著書。 奇人・変人扱いではなく、大きな特徴を持った人が、その特徴にどう向き合っているかに注目する。オリバー・サックスほど患者に寄り添う感じはなく淡々とした印象だが、読後感はよく似ている。 前半は、記憶力の凄さと、凄い記憶力を生み出す原因について。写真並に想像できるほどの強力なイメージ力と、共感覚。 後半は、強力なイメージ力と共感覚を持った人間が、どう生きてきたか、どんな困難があるか、どういう人格になっていったか。
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実に驚くべき本である。舞台は1920年代のソ連。まだ20代の若き心理学徒であったルリアのもとを、一人の同年代の男性が訪れる。ラトビア生まれのユダヤ人シィーは、当時新聞記者をしていたが、デスクからの指令を一切メモに取らないことを上司に指摘され、その記憶力を調べるために研究室にやって...
実に驚くべき本である。舞台は1920年代のソ連。まだ20代の若き心理学徒であったルリアのもとを、一人の同年代の男性が訪れる。ラトビア生まれのユダヤ人シィーは、当時新聞記者をしていたが、デスクからの指令を一切メモに取らないことを上司に指摘され、その記憶力を調べるために研究室にやってきたのだった。シィーはそれまで、それが当たり前のことだと思っていたのである。シィーについて簡単な実験を行ったルリアは、その驚くべき能力にすっかり当惑させられることになる。本書は、この人類史上で最も優れた記憶力の持ち主を、30年間にわたって詳細に調べた、稀有の記録である。 シィーは苦もなく、無意味な文字列をいくらでも長く記憶し、それを再現することができた。ただし、そのような記憶術者は当時何人か知られていた。そのうちの一人は、石原という日本人であった。(この石原なる人物についての記録は、1930年代に出版された書物に書かれているらしい。)シィーが、それまでに報告されたどの記憶術者よりも優れていたのは、彼が決して忘却しないことであった。シィーは、1ヶ月後、1年後、いや、10年後にテストしてみても、何百もの文字からなる無意味な文字列を、記憶した当初と同じ正確さで再現してみせたのだ! 一体どうしてそんなことが可能なのか?シィーは、読み上げられた無意味な文字列を、その文字列からイメージされるモノの映像に置き換え、それを空間に配置していった。それを再生するときには、ただ、その映像を見れば良かった。だが、そんな彼も、ごくたまに間違えることがあった。それは、その変換されたモノを、暗い所や、背景と同じ色のところに置いてしまった場合で、見落としてしまったというのだ。 シィーはまた、五感の全てが入り交じる共感覚の持ち主であった。そのため、記憶を再現するときには、視覚だけでなく、聴覚・触覚・味覚・嗅覚からもたらされるすべての情報を動員することができた。記憶の誤りは、感覚間の不調和として検出されるのだ。それぞれの感覚で二重三重に記憶していて、余剰的な情報があるので、その想起は非常に正確なものになるである。シィーはやがて職業的な記憶術者になり、その中で、さらに様々な記憶術のテクニックを開発していった。一方でシィーは、例えば詩を鑑賞したり、複雑な文章を理解することが非常に困難だった。個々の単語が特異な映像やその他の感覚を生み出してしまい、それが本来の意味と衝突してして、全体的な理解を妨げるのである。 本書は、シィーの記憶のメカニズムだけでなく、さらに踏み込んで、彼の知性や人格までをも理解しようと努めている。実際のところシィーは、脳の中で生み出された感覚世界と、現実世界との区別が、あまりついていなかったようなのである。このような研究が、1世紀近く前のソ連でなされていたというのは驚きである。逆に現在では、こういうプライバシーに関わる、個人の全人格的な研究はもうできないのかもしれない。そういう意味でも貴重な記録と言える。
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いやー、すごい人もいるもんだ。 残念なのは、古い話なもので脳の構造とかそういうところには踏み込んでいなかったこと。 あと本書の「売り」である、異常な記憶力が人格にどのように影響を与えているかの記述が、とても薄いこと。 とはいえ、単純に「いやー、すごい」という感じで楽しめました。
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記憶のしかたにバリエーションがあることがよくわかった。それと共感覚の研究が、1800年代の後半には始まっていたらしいことに、驚き。共感覚の最新の研究について書かれた本を読んでみたい。
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強い記憶力と、共感覚を持つ記憶術者・シィーを30年間に渡って観察・分析した記録。 研究書という体裁だが、物語として非常に興味深く読んだ。 彼の頭の中では街のかたちをした記憶が際限なく、忘却されることなく広がり続ける。語に味を感じ、音に色を感じる。そして現実と想像との境界を失った世...
強い記憶力と、共感覚を持つ記憶術者・シィーを30年間に渡って観察・分析した記録。 研究書という体裁だが、物語として非常に興味深く読んだ。 彼の頭の中では街のかたちをした記憶が際限なく、忘却されることなく広がり続ける。語に味を感じ、音に色を感じる。そして現実と想像との境界を失った世界はいったいどんな風に見えるのだろう。 読むことで、彼の見た世界をほんの少し垣間見たように思えた。 この本の存在を知った経緯もあるが、円城氏の「良い夜を持っている」の副読本に最適だなぁと思ったりした。
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