1,800円以上の注文で送料無料

街場のマンガ論 の商品レビュー

3.5

43件のお客様レビュー

  1. 5つ

    6

  2. 4つ

    11

  3. 3つ

    18

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2020/07/15

「顔を描く」画力において、日本のみならず世界のマンガ家の中でも井上雄彦に伍する描き手はもういない。そのことは誰しもが認めるだろう。 でも、井上雄彦の天才性は、その「キャラ」以外の誰も口にすることがなく、それを口にしたことによって、その「キャラ」が「その人」自身になるような決定的な...

「顔を描く」画力において、日本のみならず世界のマンガ家の中でも井上雄彦に伍する描き手はもういない。そのことは誰しもが認めるだろう。 でも、井上雄彦の天才性は、その「キャラ」以外の誰も口にすることがなく、それを口にしたことによって、その「キャラ」が「その人」自身になるような決定的な一言を探し求める真摯さのうちにむしろ存すると私は思う。(p.15) 人が20歳になるかならぬかで、ばたばたと死んでゆくような時代の「子ども」は、短期間に一気に「おとな」になる以外に生き延びる術がない。 『バガボンド』は「一気におとなになる以外に生き延びる道がない子ども」を主人公にしたマンガである。それは人格的成長を遂げることによって「豊かな人生を送りましょう」というような牧歌的な話ではなく、「おとなにならないと、死ぬ」という、ヴァイタルに切実な「ビルドゥングスロマン」なのである。(p.23) 日本は漢字とオリジナル文字の併存を維持している例外的な国である。どうしてこういうことが起きるのか。 それがわが国のリテラシーの異常な高さと関係がある。 私たちは日常的には非識字者というものにほとんど出会うことがない。 だが非識字というのはヨーロッパでもアメリカでも重大な社会問題なのである。非識字者の存在がプロットの鍵になるような物語(ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』など)に類するものを私は日本の小説のうちには知らない。(p.45) 少女マンガは古代から未来まで、メイドから能楽師まで、あらゆる時代の、あらゆる主人公を受け容れ、あらゆる手法を駆使して、それを滑車してきた、きわめて自由な表現ジャンルです。そのような桎梏からも解き放たれた自由な少女マンガが、「アメリカのハイスクールを舞台にしたマンガ」にだけは手を出すことを控えている。これを「徴候的」と言わずして、何と言うべきでしょう。(p.131) 武道家は「石火の機」を重んじる。 訊かれたら即答。 その場にあるものをためらうことなく「それ」と指さして、「これだよ」と言わなければならない。 石火の機で「これ」と言い切れるのは、まさしくそのような問いがなされる当のそのときに他ならぬ「これ」の前に私はいるように宿命づけられているという絶対的な確信がその前段にあるからである。(p.142) 世界は十分に美しく、それはどのような人間にとっても生きるに値する。これが宮崎駿の究極的な映画的メッセージだと私は理解している。そして、このようなメッセージは、現に世界を最高度に愉悦的に享受している存在を経由してしか伝わらない。「空飛ぶ少女」はその理想型である。ひろびろと遮るもののない視野、人工的騒音をはるか眼下に見下ろすほとんど無音の聴覚野、肌に触れる風の爽快な冷気、そこに身を浸すことの快楽を宮崎駿は私たちに伝えようとして、それに成功した。(p.155)

Posted byブクログ

2010/10/14

10/10/13。春樹の対談集と同時に購入。 10/10/14。昨日の帰り、喫茶店と電車内、帰ってから、今朝読み、読了。 少女マンガについては、わしやっぱわからん。

Posted byブクログ

2011/02/09

なんだろう、ちょっと感想が書きにくい。 『街場のメディア論』でもマンガについて少し書かれていたが、それを拡張した感じ。『メディア論』で取り上げられていた養老孟司さんとの対談もそのまま収録されている。 意外だったのは少女マンガについてかなり詳しいということ。 ■この本を知ったき...

なんだろう、ちょっと感想が書きにくい。 『街場のメディア論』でもマンガについて少し書かれていたが、それを拡張した感じ。『メディア論』で取り上げられていた養老孟司さんとの対談もそのまま収録されている。 意外だったのは少女マンガについてかなり詳しいということ。 ■この本を知ったきっかけ  著者のブログ「内田樹の研究室」の新刊案内で ■読もうと思ったわけ  著者がマンガについてどう語っているか興味があって。  街場シリーズなので。

Posted byブクログ