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おせっかい教育論 の商品レビュー

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33件のお客様レビュー

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2010/10/11

びっくりである。内田樹さんのおっかけをはじめてから、Webもみるし、本も乱読しているから、相変わらず読むたびに共感の嵐ではありつつも、さすがに樹さんの言いたいことの勘所は事前に見当がつく。びっくりしたのは鷲田清一さんの文章。p86-p105の「中入り」と銘打たれたinterlud...

びっくりである。内田樹さんのおっかけをはじめてから、Webもみるし、本も乱読しているから、相変わらず読むたびに共感の嵐ではありつつも、さすがに樹さんの言いたいことの勘所は事前に見当がつく。びっくりしたのは鷲田清一さんの文章。p86-p105の「中入り」と銘打たれたinterludeの文章は、指摘されている内容がいちいちうなずけることであるだけでなく、同じことを言うのに、なるほどこのような日本語表現があるのか、と深く打たれた。哲学者おそるべし。 これはシティズンシップ教育なのではないか、今後、またぞろ出てくるであろう教育改革論議のなかで、中心的教義になることを期待しつつ、今はメモのみ。

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2010/10/07

以前から共感している内田樹さんの新刊です。 大阪市長、大阪大学総長、僧侶と異色メンバーの対談。 amazonの内容紹介には 「知識を得たり、技術を身に付けたり、資格を取ったりして、 それで高い年収を得たり、社会的地位や威信を獲得したり、 そういう自己利益を達成するために人は教育...

以前から共感している内田樹さんの新刊です。 大阪市長、大阪大学総長、僧侶と異色メンバーの対談。 amazonの内容紹介には 「知識を得たり、技術を身に付けたり、資格を取ったりして、 それで高い年収を得たり、社会的地位や威信を獲得したり、 そういう自己利益を達成するために人は教育を受けるのだという 思想が広まってしまった。 それが教育崩壊の根本にあると思います(本文より)」という 内田樹氏の問題提起に始まり、教育を通してニッポン社会の歪みを ズバズバ指摘していく、「目からウロコ」の1冊。 とあります。 まさに。 で、内田さんの従来の主張も座談メンバーの同意を得て 冴え渡りまくってました。 いわく、 子どもの成長には「見て見ぬふり」をしてくれる大人がいる場で 子供同士、あれこれ試行錯誤しながら遊び、感じるのが不可欠 だろうと。。。また、 「守らなくてはいけない大切なもの、 あってもいいけれど無くてもいいもの、 単に無くていいもの 絶対にあってはならないもの」の 4つの判断が出来る人間に育てることが大切、と。 自分で考える事ができる子供を育てる責務、 大人たちは果たせているのだろうかと もっともっと多くの人に気がついてもらいたいことが詰まった本でした。

Posted byブクログ

2010/10/04

【付箋をいれたところ】 ・「どういう教育であるべきか」という問いは、何よりも「共同体が生き延びるために」という目的が掲げられなければならない。 ・教育というのは、子供の言い分なんか聴いてる暇はないんです。 ・「まなび」というのは知識の習得ではない。人に何かを諭されることだ。口で、...

【付箋をいれたところ】 ・「どういう教育であるべきか」という問いは、何よりも「共同体が生き延びるために」という目的が掲げられなければならない。 ・教育というのは、子供の言い分なんか聴いてる暇はないんです。 ・「まなび」というのは知識の習得ではない。人に何かを諭されることだ。口で、ではない。その人のふるまいや佇まいに諭される、そういう経験のことである。諭されるという言葉が硬ければ、ベルクソンにならって、だれかとの出会いのなかでじぶんが「打ち開かれる」経験だと言ってもいい。 ・実在の、あるいは書物のなかのひととの出会いをきっかけに、それまでより「もっと見晴らしのよい場所に出る」ということが、「まなび」の意味だと、わたしはおもう。 ・「じぶんはだれか?」と問う時には、じぶんがこれまで出会い、それを機にじぶんが打ち砕かれてきたその不連続の出来事、そしてじぶんを打ち砕いた相手の名前を列挙する ・「まなび」は他者をとおして起こるものであり、あのときはわからなかったが今だったらわかるというふうに、長い時間のなかでじっくり醸成されてゆくものなのだからだ。 ・「まなび」が、このように「魂が打ち開かれる」あるいは「動かされる」経験だとすれば、それはこれまでのじぶんが砕け散るという体験をつねにともなう。壁にぶち当らずに、道を逸れずに、まっすぐ進むというのではなく、つまずく、揺れる、迷う、壊れる・・・ということ、そこからしか「まなび」は始まらない。その意味では、落ちこぼれや挫けもまた、大事な「まなび」のプロセスなのである。 ・期待のしすぎでもしなさすぎでもない上手な期待というのは、期待への応え方にある裁量の余地を残すものだ。 ・学力も同じだと思うんですよ。「学ぶ力」なんだから、その力を使って何を学ぶのか、学んだことをどんなふうに生かすのかが問題なのであって、「学ぶ力」自体は人と比べるものじゃない。それより、どうやれば「学ぶ力」は活性化するのか、それを考えたほうがいい。 ・僕はもう、「教育」という言葉自体が昔から嫌いでね。「教える」も「育てる」も他動詞でしょ。僕は教育者がするのは教えることやなくて、子供がここにいたら勝手に育つという場をどれだけ用意できるか、それだけやと思うんですよ。 ・人間っていうのは自己利益を追求するだけじゃ限界を超えられないんですよ。「他人のため」という動機がないと技術的な限界は超えられない。 ・エリートは、自分が超えられない、自分を超えた存在があって、自分のすべきことはそれに奉仕することだと考える。逆に自分を超えるものはないと思い込んでいるのが大衆。 ・教育とか学術とか芸術とか、そんなクリエイティブな仕事には、達成度評価というのはなじみません。だって、達成度は計画に対して測られるもの。けれども創造的な仕事とは、想像だにしていなかったものが生まれることだからです。 ・教育危機の現況に臨んで、私たちがまずなすべきことは、なによりも教育現場に「誇りと自信と笑い」を取り戻すことである。

Posted byブクログ