捕食者なき世界 の商品レビュー
北太平洋沿岸、アリューシャン列島の辺りには海藻が繁茂しないウニだらけの海域があったらしい。毛皮目的の乱獲のためウニを食べるラッコが減少したからだ。ウニは海藻を食べるから、数が増えると海藻は食べ尽くされ、その海は不毛の地と化す。その後の保護政策によりラッコの数は増加に転じた。ウニは...
北太平洋沿岸、アリューシャン列島の辺りには海藻が繁茂しないウニだらけの海域があったらしい。毛皮目的の乱獲のためウニを食べるラッコが減少したからだ。ウニは海藻を食べるから、数が増えると海藻は食べ尽くされ、その海は不毛の地と化す。その後の保護政策によりラッコの数は増加に転じた。ウニは食べられ、海藻も殖えはじめ、バランスの取れた豊かな海へと戻りましたとさ。めでたし、めでたし。 と、いう状況は長くは続かなかった。なぜかラッコの数が減りはじめた。人間による密猟でも、病気の蔓延でもない。年に数万単位でラッコが消えた。さて、なぜでしょう? 答えはシャチ。海の食物連鎖の頂点に立つトッププレデター。たった3.7頭のシャチが一日5、6頭のラッコを食べれば、6年間で4万頭減る計算。あぁ、恐ろしい! では、なぜシャチがラッコを襲いはじめたかというと、それはクジラが減ったから。クジラが減った理由は、はぐらかしているけれど、捕鯨が大きな要因といいたいらしい。 クジラのようなカロリーたっぷりの大型動物が容易に獲れなくなったことで、シャチはラッコを襲ってお腹を満たすようになった。 じゃあ、シャチを間引いちゃえばいいじゃん!と捕鯨国が言い出しかねないので、あまり声高には捕鯨が原因とは言ってない。 北アメリカでは鹿が増えすぎた。かつてオオカミ撲滅を懸賞金をかけて、徹底的にやったからトッププレデター(その地域の生態系の維持にとって特に重要で、その種がいなくなることによってバランスが大きく崩れる種のことをキーストーン種と言う。オオカミはこの場合、トッププレデターでありキーストーン種)がいなくなってしまった。そして訪れた悲劇は、鹿が増えすぎたことによる山や谷から植物が消えたこと。所々に残っている植物は鹿が食べないものばかり。多様性が失われた。さらには鹿に寄生したダニが原因のライム病などに罹る人も増えた。 もう一度豊かな自然を取り戻そうと、今度はGPSの首輪付けてオオカミを野に放った。いろいろはしょって結果だけいうと大成功!鹿は減り、食害も減った。 自然はバランスを取り戻した。めでたし、めでたし。 この他にもトッププレデターを人間の作為によって自然界から排除してしまったために起きた不均衡の例が多く紹介されている。人間の罪は重い。 日本でも鹿や猿による食害が深刻だ。オオカミ放せばいいのに! とは、言ってももうニホンオオカミ絶滅しちゃったし、代わりにハイイロオオカミ放すわけにも行かないし。 打つ手なし!
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生物多様性を束ねる食物連鎖、そのピラミッドはいかにして安定しているのか。頂点捕食者トッププレデターの不在でさらけ出す、その不安定の数々。ヒトデのいなくなった湾では、特定の貝が大発生して、他の種を追いやり、ラッコのいなくなった岸では、ウニが大増殖して、ケルプを食い尽くす。いくつもの...
生物多様性を束ねる食物連鎖、そのピラミッドはいかにして安定しているのか。頂点捕食者トッププレデターの不在でさらけ出す、その不安定の数々。ヒトデのいなくなった湾では、特定の貝が大発生して、他の種を追いやり、ラッコのいなくなった岸では、ウニが大増殖して、ケルプを食い尽くす。いくつもの事例をあげて、著者らが明らかにするのは、食物連鎖のピラミッドが、実は下位によって生物量を基底されるだけでなく、上位によって多様性をコントロールされているということである。「その地域の種の多様性は、環境の主な要素がひとつの種に独占されるのを、捕食者がうまく防いでいるかどうかで決まる。」そして、そのタガが外れると、ピラミッドは、いとも容易く瓦解してしまう。次点の捕食者を頂点として、同じピラミッドを維持することはできないのである。また、一度、崩れてしまったピラミッドを元に戻すのは並大抵のことではない。近年、アメリカのイエローストーン公園では、非常に注目される実験が行われている。ここでは、オオカミがいなくなったことで、シカが大繁殖し木々を根こそぎにしてしまった。そして、それでも増え続けるシカに打つ手は無く、政府はついに、カナダから代わりのオオカミを連れ込んだのである。結果は劇的であった。シカが減って、植生が戻り、動物相も豊かになったのだ。ただし、今のところはである。この実験の成否を、現時点ではまだ評価できない。生物多様性や、食物連鎖のピラミッドは、けして安定的なものではなく、むしろ壊れやすく移ろいやすい。そもそも、ありうべき自然状態を、人間に決められるのかという問題もある。ただ、今この瞬間も、地球上で多くの頂点捕食者が絶滅に瀕しているに際し、彼らへの敬意と畏怖をあらたにするものである。なお、サルの話が印象的だったので最後に引いておく。 「恐ろしい捕食者(ジャガー、ピューマ引用者注)から解放され――しかし、空腹に悩まされ――グリ湖のアカホエザルはもはや群れを作らなくなり、別々の木々で眠るようになっていた。接触がないため、毛づくろいもめったにしない。珍しく一緒にいると思えば、激しい喧嘩をして傷つけあう。赤ん坊ザルはまったく遊ぼうとしない。サルたちは日に日に痩せていく。子殺しが頻発する。そしてグリ湖のアカホエザルは、もはや吠えなくなっていた。」「ホエザルのお気に入りの木々さえも、サルたちに復讐しはじめていた。葉という葉を食べつくされた木が新たに出す芽には、苦くて吐き気を催させる毒素が多く含まれるようになった。朝食は服毒の時間となり、サルたちは哀れにもがつがつと新芽をむさぼっては、決まってそれを吐き出すのだった。表向きは捕食者によるトップダウンの支配から解放された彼らだったが、植物によるボトムアップの調整というはるかに残酷な時代に踏み込んでいた。」
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チープな「人類への警告」みたいな感じがしなくてよかった。 生き物を殺すというのはどういうことか、 生き物に殺されるというのはどういうことか、 これは哲学ではあまり見かけない問いかけだと思う。 そういった面で議論が深まれば多様化を維持できるだろう、 などといっているほど残された...
チープな「人類への警告」みたいな感じがしなくてよかった。 生き物を殺すというのはどういうことか、 生き物に殺されるというのはどういうことか、 これは哲学ではあまり見かけない問いかけだと思う。 そういった面で議論が深まれば多様化を維持できるだろう、 などといっているほど残された時間がないのはわかった。 で日本ではどうなのだろう。 思ったのはイエローストーン国立公園から ノウハウごとオオカミを輸入する案はオレ的にいい感じがする。 あとクマの害について、情緒的で深みのない報道しかできない、 知能の低いマスコミって、もしかして日本の自然にとって一番の害獣じゃね?ということ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2010年刊。著者は元「ネイチャー・コンサーバンシー」編集長のサイエンスライター。◆テーマは明快。捕食者(特に頂点捕食者)の乱獲が生態系、特に植生生態系を完膚なきまでに破壊する状況・メカニズムを、ロジックと観察結果をもとに検証。昨今のナチュラル・ドキュメンタリー同様、捕食者が生態系安定に多大な寄与をしてきた事実につき、空海陸の実例を多数紹介。その中で①捕食者間の連鎖(狼→コヨーテ→家猫)、上位者が下位捕食者の爆発的増加を未然防止、②頂点捕食者の消滅による鹿害(米が中心だが、解説者が国内の事情を紹介)、 さらに、③ペットの猫による大量捕食と生態系・生物多様性の破壊(猫のハンターとしての力を過小評価は禁物。驚愕)、④古人類学において、ヒトは捕食者+被食者であった事実を証拠をもとに解説する等、なかなか広範囲に叙述展開。④につき、被食者であったことはこれまでにも解説書があるが、捕食の事実を狩りの方法論から解明したのは個人的には未見。長時間追いつめ続けることで獲物を疲れさせる、つまり長距離ランナー能力(マラソン選手)と槍投げ選手の技能が複合すれば、捕食可能とは卓見。同様の方法の狩猟民族が現存とは心強い補強証拠。 食物連鎖の具体的実相を知るには格好の書。そして、生態系保全とは、頂点捕食者を含めて肉食動物も統合的に保全する必要があるのは、困難な課題を人間に突き付けてはいないだろうか。日本の鹿害も軽視できないようであり、鹿の捕食者(二ホンオオカミ)の復活をどうするかは重要な課題のようだ(もっとも、解説者が言うように不明な点も多いそうだが)。また、海の捕食者、サメ、シャチ、そしてクジラ(あるいはマグロも)の保全問題も、捕鯨・水産資源保全問題との絡みで悩ましい状況を想起できそう。発展性の高い書である。
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素晴らしい本です! 捕食者(大型肉食動物)が生態系を守っていると言う考えにとても共感。ハイイログマやオオカミ、ピューマやトラやライオンが戻ってくることを夢見るけれど、道は厳しい。 この考え方が動物や植物に興味のない層まで広がるとは思えないし、その人たちにとっては大型肉食動物は排除...
素晴らしい本です! 捕食者(大型肉食動物)が生態系を守っていると言う考えにとても共感。ハイイログマやオオカミ、ピューマやトラやライオンが戻ってくることを夢見るけれど、道は厳しい。 この考え方が動物や植物に興味のない層まで広がるとは思えないし、その人たちにとっては大型肉食動物は排除したい危険物でしかないだろう。 もしかしてハチが消えたのも農薬だけの問題じゃなく、頂点の捕食者の不在が原因なのかもしれない。 そして西山のカタクリや福寿草の保護を思い浮かべる。増えすぎたシカをコントロールするには、オオカミやクマの力が必要なのかもしれない。 そうすると、安易に山歩きができなくなるのだけれど。それでも私はこの考えを指示するのであった。
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おもしろかった! ねずみに支配された島と同じ作者の本です。 ねずみに~は捕食者のいない島に捕食者が入ってきて生態系が崩壊する話で、この本はもともといた捕食者が排除されて生態系が崩壊する話です。 いろんな事例が紹介されていておもしろかったです!
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頂点捕食者は、生態系を維持するために不可欠である、ということ。 でも、生態系のメカニズムから考えれば新たな捕食者が生まれても良さそうだけどね? という素朴な疑問。
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地球的規模で生物の多様性が失われているのは、人間が次々に大型捕食動物を殺していったからだという仮説が生まれ、反発され、じょじょに立証されていく過程が描かれている。実例が豊富に紹介されていて興味深い。 たとえばウニが繁殖しすぎて「海の熱帯雨林」と呼ばれるケルプが食い尽くされた北...
地球的規模で生物の多様性が失われているのは、人間が次々に大型捕食動物を殺していったからだという仮説が生まれ、反発され、じょじょに立証されていく過程が描かれている。実例が豊富に紹介されていて興味深い。 たとえばウニが繁殖しすぎて「海の熱帯雨林」と呼ばれるケルプが食い尽くされた北の海に、乱獲で減ったラッコを戻したところ、ケルプが復活しさまざまな生物が戻ってきたたという例。捕鯨により獲物が減ったシャチがラッコを狙うようになり、再度危機が訪れているというのは皮肉だが。 シカが増えすぎて森の若芽が食い尽くされた米イエローストーン国立公園にオオカミを戻したところ、森が復活の兆しを見せたという例も興味深い。たとえわずかな数でも、年中脅威となる捕食動物がいることで、シカが「落ち着いて食べられない」地域が生まれる。それが、ハンターによる間引きとの違いだという。 ところが、大型捕食動物を環境に戻せという主張は、「映画『ジュラシックパーク』のような惨劇をもたらすつもりか」と厳しく非難されることもあるという。頂点捕食者を追放してしまったせいで、海にはクラゲが満ち、森はシカにより食い散らかされ、どんどん環境は単調になっていく。 たんに大型の肉食獣をこれ以上殺すなという本ではなく、生物多様性というものがなぜ必要か、どうすればそれが守れるのかという読み方からも得るものが大きい。生物の食べる・食べられるというカスケードの複雑さ、それゆえの環境保全の難しさも印象に残った。読みやすく、意外でおもしろく、さまざまなところへつながる。たいへんすぐれた科学読み物だと思う。(2010年11月17日)
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懸念は解説にあるとおり、この本のとおり上手くいくかは怪しいが、魅力的な説で読んでいてかなり面白かった 日本にもオオカミ入れたら大騒ぎおきそうだが楽しそうやなあ
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食物連鎖の頂点にいる生き物が姿を消すとどうなるか、多くの観察から下位捕食者が一旦大量発生することがわかっているがその後の道筋はいくつかにわかれている。 ある磯でひたすらヒトデを海に投げ込んだ実験ではヒトデの餌となるフジツボが増殖し最後はイガイが占めつくした。 本筋からははずれるが...
食物連鎖の頂点にいる生き物が姿を消すとどうなるか、多くの観察から下位捕食者が一旦大量発生することがわかっているがその後の道筋はいくつかにわかれている。 ある磯でひたすらヒトデを海に投げ込んだ実験ではヒトデの餌となるフジツボが増殖し最後はイガイが占めつくした。 本筋からははずれるがヒトデがイガイを襲う様子の描写が面白い。ヒトデはイガイの蝶番をしたに抱きしめると貝殻を両側に引っ張り続ける。疲れたイガイの貝柱の力がゆるむと隙間から胃液を注入し貝殻の中で消化し最後に体の中心の口から胃を貝の中にすべりこませ貝殻の中で吸収する。ちなみにイガイだらけ磯の写真も見つけた。 http://www.solpugid.com/cabiota/california_mussel.htm アリューシャン列島では毛皮を目当てにラッコが取りつくされた島と地理的な関係でラッコが繁殖する島が有る。ラッコはよく知られているように海底のウニや貝を食べるのだが皮下脂肪がほとんどなく毎日体重の1/4の食料を食べる。ケルプにくるまって浮かんでいる姿もよく知られている。ラッコのいない島ではウニが増えケルプを食べつくした。ケルプの森はいろいろな草食動物とそれを目当てに集まる肉食動物を育て北の豊穣な海になるが一方でラッコのいない海はウニだけが繁殖する。 乱獲から回復したラッコには新たな危機が訪れている。1994年の調査では20年前に7000匹以上いたアムチトカのラッコが3000匹に減っていた。アリューシャン列島全体では過去6年に約4万匹のラッコが姿を消している。90年代からケルプの海に現れたのはシャチだがその総数はわずか数百匹。シャチの1日必要なカロリーとラッコ1匹分のカロリーを計算した所例えばシャチがラッコだけを食べるとすると1日あたり4〜5匹食べることになる。4万匹のラッコを6年間で食べ尽すのに必要なシャチは何頭か?1日あたり18匹のラッコはわずか4頭のシャチの餌と言う答えになる。いなくなったのはラッコだけではなくアザラシやトドも姿を消している。1992年に打ち上げられたシャチの死骸の胃袋にはトドのひれにつけられた認識タグが14個も入っていた。なぜシャチはトドやラッコを食べるようになったのか?一つの仮説は50年前から30年前に大規模に行われた50万頭の捕鯨の影響だ。アリューシャンからアラスカ周辺だけでも160万tのクジラが捕鯨により姿を消している。これはあくまで仮説で証明はされないだろうがクジラの数だけで捕鯨の可否を決めるのは間違ってるのではないかと言う問いにはなっている。 ベネズエラではオリノコ川に巨大なダム湖ができた際にいくつかの元は同じ生態系に属する島が取り残された。最大の島ではジャガーなどの大型肉食獣が住めたが小さな島では狭すぎ、以前の動物種の3/4が姿を消した。いくつかの島では オマキザルが増え卵を食べられた鳥が消えた。本土では家族で群れをつくるアカホエザルが1本の木に5匹にまで増え、群れをつくらなくなり毛づくろいもやめたが食料不足のために痩せて行く。そして最も暴れたのはアルマジロがいなくなった島のハキリアリで、ひたすら切り取った葉をくわえて巣に戻りジャングルの緑は刺だらけのツタだけが残った。 シカの食害は日本でも問題になっているが、アメリカではイエローストーンなどでオオカミの再導入が行われ効果を見せている。単純にオオカミがシカの個体数を制限するだけではなくその食べ残しを狙って様々な生き物が餌にありつき、シカが水場に長時間いることを避けるようになるため水辺の植生の多様性が増えそれにつられて動物の多様性も増えて行っている。オオカミの再導入に一番反対したのは地元のハンターで個体数の制限は自分たちでできると言ったがハンターたちは秋の狩猟期にしか活動せず水辺の植生を守るためには役に立たない。 日本のシカの食害を守るためにオオカミを再導入すると言う話は受け入れられないだろうし、例えばサメを保護しろと言う話もなかなか身がはいらないだろう。一方でクジラが増えると小魚の資源量が減少すると言う報告も有るがクジラは循環して底生生物の餌になる。ハブを退治するマングースはそのものが害獣になってしまったりとか生態系のバランスを人間の都合の良いように保つと言うのは難しい問題のようだ。
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