ローマ人の物語(38) の商品レビュー
コンスタンティウス、ひどい。むごい。それに対して、ユリアヌスの誠実な印象。20歳まで幽閉されていて、哲学を学ぶことでトラウマを作らずに過ごし、24歳から副帝。なんという人生。後に、背教者と呼ばれる所以は次の巻にあるのだろう。読むのが止まらない。
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キリストの勝利という題目だが、まだ上巻ではその色はあまり見えない。コンスタンティヌス死後の3人の息子の権力争い。そして辻邦生の「背教者ユリアヌス」の主人公が登場する。苦労人ユリアヌスの真っ当な行動が、どんな副作用を産むのか中巻へと進みます。
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何人もの分割統治のライバルを蹴落として、たった一人の皇帝としてローマ帝国に君臨した大帝コンスタンティヌスが没した。 あとは、三人の息子と二人の甥に分割統治させると公表していたが、どの口がそれを言うのか、と思って読んでいたら、案の定次男の一人勝ちらしい。 しかし、その流れは思っていたのと違った。 コンスタンティヌスの葬儀の晩、彼の後を継ぐはずだった甥二人のほか、異母弟二人や彼らの多くの側近たちが虐殺された。 コンスタンティヌスの長男と三男は遠方にいたため、この事件の黒幕は次男コンスタンティウスの可能性は大だ。 と、ここまでは想像通り。 しかしこの後、亡くなった二人の分の領地も含めて、兄弟三人が帝国を三分割して事はおさまる。 父の遺産は兄弟で分ける。他の人にはやらん、ということだったのか。 ところが長男コンスタンティヌス2世が不満を感じる。 自分は弟たち二人に騙されたのではないか? 長兄は末弟のコンスタンスに「北アフリカをよこせ」というが、当然相手にはされない。 だって話し合いで決めたじゃないか。 怒った長男は、末弟が留守の隙に攻め入るのだが、思い付きで攻め込んでみたところで戦には勝てない。 守備兵たちにあっさりと捉えられ、コンスタンティヌス2世は殺される。 領地は三男コンスタンスのものとなる。 軍事的成功にうぬぼれて、内政がおろそかになったコンスタンスは、部下たちの叛乱により殺される。 当然兄のコンスタンティウスは叛乱軍の討伐を行い、ローマ帝国は思いもよらずまたたった一人の皇帝を戴くことになった。 陰気で、猜疑心が強くて、決断力に欠けるという(ひどい言われよう)コンスタンティウスは、蛮族の侵入からローマを守った一方で、キリスト教を優遇するという政策で内側からローマ帝国を蝕んでいった。 そんなコンスタンティウスが最後に選んだ副帝がユリアヌス(従兄弟の子ども?)だ。 大帝コンスタンティヌスの葬儀の晩、当時6歳だったユリアヌスは虐殺はまぬがれたが、その後の人生は放置または軟禁され、学問以外の世の中を知らずに育った。 そして20歳でいきなり副帝として軍をひきいてガリア制圧に向かわされたのだ。 このユリアヌスの活躍が久々に面白い。 帝国は衰えていっているが、こんなに次巻が楽しみなのは久しぶりだ。 辻邦夫の小説『背教者ユリアヌス』も読んでみたいくらいの勢い。
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コンスタンティヌス亡き後、帝国はその3人の息子と2人の甥に5分されて統治される。 が、直後に甥2人が暗殺され、コンスタンティヌスの息子3人の統治体制に。さらに、兄弟間の争いでコンスタンティヌス2世が死に、その後、蛮族出身の将軍により、コンスタンスが死ぬ。残ったコンスタンティウスが...
コンスタンティヌス亡き後、帝国はその3人の息子と2人の甥に5分されて統治される。 が、直後に甥2人が暗殺され、コンスタンティヌスの息子3人の統治体制に。さらに、兄弟間の争いでコンスタンティヌス2世が死に、その後、蛮族出身の将軍により、コンスタンスが死ぬ。残ったコンスタンティウスがただ一人の皇帝となる。 反乱を起こしたマグネンティウスを倒すためにコンスタンティウスは発つが、東方に睨みを効かせるために、副帝を必要とし、自分の従兄弟に当たるガルスを選ぶ。しかし、ガルスは反抗的な態度を取り、最後は死罪となる。 代わりに立てられたのが、ガルスの弟のユリアヌス。コンスタンティウスの年の離れた従兄弟に当たるユリアヌスは、荒れ果てたガリアに送り込まれるが、そこで高い戦闘能力と統治能力を発揮し、蛮族に荒らされたガリアを再興する。 一方、コンスタンティウスは、父帝コンスタンティヌスの路線を引き継ぎ、キリスト教を優遇する政策を進める。
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歴史上の出来事は、その時の権力者によって意味合いが異なります。紀元337年に病死したローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教を最初に公認したことで後世から「大帝」の尊称づきで呼ばれるようになりました。何せキリスト教は今に至るまで世界三大宗教の一つですから、ローマ帝国が勃興した頃...
歴史上の出来事は、その時の権力者によって意味合いが異なります。紀元337年に病死したローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教を最初に公認したことで後世から「大帝」の尊称づきで呼ばれるようになりました。何せキリスト教は今に至るまで世界三大宗教の一つですから、ローマ帝国が勃興した頃からの八尾萬の神の信仰を認める大らかな宗教観を持つ国から、排他性の強い一神教の国へと変貌を遂げていったわけです。 大帝の死後間もなく、大帝の葬儀に出席していた弟、甥たち5人と高官多数が粛清されるというショッキングな事件がおこります。しかし、史料が殆ど残されていないため、詳細の判らない歴史上の闇の事件、正にヤバい時代になっていました。葬儀に出席していた中で虐殺を免れたのは次男のコンスタンティウスと少年だった甥のガルスとユリアヌスだけでした。 生前、帝国の防衛と統治を任命されていたのは、実子3人と甥の2人の5人、甥2人が殺されてしまったので、3人の息子たちが帝国を統治することになります。 3兄弟の物語は、性格の違いなどを引き合いにして古今東西数多ありますが、この場面でも筆者はまず長兄のコンスタンティヌス二世の性格を描写しています。後悔人間で被害妄想に陥り易いタイプ。帝国の三分割の統治システムになってから間もなく、彼は担当地域の分担の不満から末子と争いになり、結局殺されてしまいます。 そして、それから10年余り経ち三男のコンスタンスは、部下の陰謀により殺されます。彼は狩など自分の好きなことを優先させるタイプで気のゆるみがあったとか… 残った次男のコンスタンティウスは、副帝を父親が粛正の犠牲になった甥の兄(ガルス)の方に託します。しかし、長く幽閉生活を課せられていた彼は、性格の破綻をきたしており、周囲の高官との軋轢を生み最後は冤罪により処刑されるという悲惨な運命を辿ります。 父の葬儀の際の虐殺に関わっていたのでは?と筆者に指摘されるコンスタンティウスの性格はおっちょこちょいで苦笑するしかないとのことですから、凄惨な事件のイメージとは異なり意外です。結局、肉親を殺し過ぎて人材が不足、後々統治に苦しむ事態になる羽目に。 コンスタンティウスの下に残ったのは甥の一人、ガルスの弟、ユリアヌス。20歳になるまで幽閉生活を強いられた彼は副帝になると、誰もが予想出来なかった目覚ましい活躍をして国を統治します。戦闘も政治も全くのシロウトだったユリアヌスが何故それを成し遂げたのか。筆者はそこに才能より動機を挙げますが、私もそれにはなるほどと納得、何と言っても若い。解き放たれた高揚感は確かにあったように思います。
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ローマ人の物語再開。 衰退する一方の話なので、気が重くて、しばらく手に取っていなかったが、ここまで来たら完読しておかなければ。 ユリアヌスの副帝時代のガリア戦線での活躍。 ひさびさの明るい話題を描いて、著者もなんだか楽しそうだ。
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【内容】 コンスタンティヌス大帝の後、皇帝コンスタンティウスについて描いた一冊。 大帝亡き後、大帝の息子3人と甥2人で統治するようにとの遺言があったものの、まずは甥が排除され、その後、兄弟たちも、直接コンスタンティウスが手を下したわけではないものの、次々といなくなり、最終的にはコ...
【内容】 コンスタンティヌス大帝の後、皇帝コンスタンティウスについて描いた一冊。 大帝亡き後、大帝の息子3人と甥2人で統治するようにとの遺言があったものの、まずは甥が排除され、その後、兄弟たちも、直接コンスタンティウスが手を下したわけではないものの、次々といなくなり、最終的にはコンスタンティウスが一人で、ローマを統治することになっていく。 コンスタンティウスは父親と同様に、キリスト教を奨励し、他の宗教を排除する方向にもっていく、これにより、ローマのキリスト教化が進み、ローマらしさが消え去っていく。 【得たもの?やってみること】 ・特になし 【感想】 ローマ人の物語もいよいよ終盤になってきて、キリスト教にローマは占領されてしまう。 はじめは統治者の手段として、キリスト教が導入されたのに、そのうちキリスト教が主役をとってしまうようになるのは、宗教の力(価値観)は大きいのだろう。 ローマが滅んで、現在に至るまで、この時にキリスト教を導入したことが、歴史に連なっている。この時に別の選択がなされいればどうなったのだろう。 また、ローマでも最初はキリスト教を弾圧していた。日本でもキリスト教を弾圧した時期があったが、統治者にとっては、キリスト教の考えは危険な思想に見えるのは、東西で共通しているところが面白い。
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自分に自信を持つ人だけが、他者に対しても公正になれるのである。 名言だらけの一冊。いよいよキリスト教を容認したコンスタンティヌス・コンスタンティウス父子の時代へ。身内を皇帝として擁立させるための言い訳として、「神が選んだから」という理由が必要になる。また、庶民と違う「神」として...
自分に自信を持つ人だけが、他者に対しても公正になれるのである。 名言だらけの一冊。いよいよキリスト教を容認したコンスタンティヌス・コンスタンティウス父子の時代へ。身内を皇帝として擁立させるための言い訳として、「神が選んだから」という理由が必要になる。また、庶民と違う「神」として、皇帝は一部の取り巻き以外と容易に口をきかなくなる。そして、疑わしき者の粛清による、ゆるぎない皇帝の地位確立。どこかの国に似ているような…。いつの時代も、社会が不安にさらされている時は、強いリーダーが求められる。さらにスピリチュアルな方向に民衆が進む。この時は蛮族の侵入により、世界最強のローマ帝国に穴が開き始めた時期。強いリーダー+スピリチュアルの結果が、神に選ばれた皇帝の誕生であったのではないか。それにしても、ローマ帝国崩壊のきっかけの一端を担い、さらには暗黒の中世を築き上げたにも関わらず、今でも尚キリスト教は世界の大多数から支持される宗教であることを不思議に思った。
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