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我々はなぜ戦争をしたのか の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2021/05/12

ベトナム戦争に関する書籍というより、際立って立場の異なる者同士が如何に議論し、如何に合意していくかを示す、交渉・対話のお手本のようなストーリー。なお、両者は最後まですれ違いを解消できない。本対話の報告書のタイトルが「好機を逃したのか?missed opportunities」から...

ベトナム戦争に関する書籍というより、際立って立場の異なる者同士が如何に議論し、如何に合意していくかを示す、交渉・対話のお手本のようなストーリー。なお、両者は最後まですれ違いを解消できない。本対話の報告書のタイトルが「好機を逃したのか?missed opportunities」から「終わりなき対話 argument without end」に変えられたというのは味わい深い。 壮絶な殺し合いをした当事者が顔を突き合わせ、激論を交わす。 相手の意図の読み違い、過小評価・過大評価、さまざまなすれ違いが泥沼の戦争へ両国民を引きずり込んでいく。 ベトナム側が一貫して「我々には戦う以外の選択肢はなかった、戦争を避けられたとしたらアメリカ側に責任がある」という姿勢を示すのに対し、アメリカ側は「お互いが好機を逸したmissed opportunities」を主張する。 感情的なぶつかり合いを経て、少しずつ両者の理解が深まる、だが最後には決定的な溝を確認して終わる、このプロセスは圧巻。言葉が出ない。

Posted byブクログ

2018/11/05

NHKスペシャルの書籍化。 マクナマラは相互理解の欠如が戦争突入の主要因と言う仮説で臨んでいるが、ことはそう簡単でもなさそうだ。確かに米はベトナムと中ソの連携を過大評価していたが、後知恵での評価でもって当時の意思決定を評価するのも危険だ。それにベトナムにとっては相手の理解もへっ...

NHKスペシャルの書籍化。 マクナマラは相互理解の欠如が戦争突入の主要因と言う仮説で臨んでいるが、ことはそう簡単でもなさそうだ。確かに米はベトナムと中ソの連携を過大評価していたが、後知恵での評価でもって当時の意思決定を評価するのも危険だ。それにベトナムにとっては相手の理解もへったくれもなかったというのはごもっとも。ぎりぎりラオス会議は和平のための「失われた機会」であったと言えそうだが、その後両国はクーパー氏が指摘するようにお互いの行動(北爆&ベトコン支援)に不信感を持ち、不信感を持つがゆえにそれぞれの行動を止められないピットフォールに陥ったわけだ。互いの国には軍部など強硬派もいるわけで、ある程度まで行ってしまうと和平は望みようがない。 ベトナム側から不適切との指摘を受けたため議論されなかったようだが、アメリカが中ソ参戦を避けながら勝利をおさめられたかという「失われた機会」、なぜこの機会を失ったかも別のテーマとして興味深い。ともあれ、シルバーバレットはない、とにかく対話するしかないという結論は妥当なのかもしれない。

Posted byブクログ

2016/05/12

ベトナム戦争をめぐる、アメリカとベトナムの政治の当事者たちの対話。読み終えて感じるのは、小国と大国、戦場と遠隔地で、全く「信念」や「常識」、「守りたいもの」が異なるのだという、当たり前だが見落とされがちな事実の大きさ。今でも他の場所で同じことが繰り返されているように思えてならず、...

ベトナム戦争をめぐる、アメリカとベトナムの政治の当事者たちの対話。読み終えて感じるのは、小国と大国、戦場と遠隔地で、全く「信念」や「常識」、「守りたいもの」が異なるのだという、当たり前だが見落とされがちな事実の大きさ。今でも他の場所で同じことが繰り返されているように思えてならず、実際に私の専門でいえばハマースとイスラエルの停戦をめぐる双方の考え方とシンクロして見えた。和平を現実的に考えたい人に、何よりまず勧めたい一冊。

Posted byブクログ

2016/04/27

戦争が終わった後の、指導者の感想戦。フィクションではともかく実際にはめったにないものが、あのベトナム戦争である。うちふるえるほど素晴らしい。 全く無いわけではないだろう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いの感想戦をやっただろうし、榎本武揚と薩長高官だって話はしただろうし、第二次世界...

戦争が終わった後の、指導者の感想戦。フィクションではともかく実際にはめったにないものが、あのベトナム戦争である。うちふるえるほど素晴らしい。 全く無いわけではないだろう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いの感想戦をやっただろうし、榎本武揚と薩長高官だって話はしただろうし、第二次世界大戦だってあったと思う。 しかしこれが、きちんと読める形であるのはすごい。 中身も実に面白い。一気読みした。 一気読みするのがもったいないのでゆっくり読もうと思ったがそれでも一気読みしてしまった。 戦争目的に関する双方の無理解、相手の意図の読み違い、交渉の設定の難しさなど、教訓だらけである。 また、90年台だからこそベトナムと米国がこういう形で対話できただろう。80年台でも今世紀に入ってからでも無理だと思う。 また、双方ともに真摯に対話しているのだがそれでもなお、外交と歴史の駆け引きがあるのも、それもまた興味深いと思う。 この対話およびこの本を低く見るつもりは全く無いが、それでもなお読み終わって疑問に思ったところを書いておこうと思う。 それは、「何が話されなかったか」ということだ。 マクナマラということもあるだろうし、冷戦終了後とか、ベトナムのドイモイ以後の政策というのもあるのだが、それにしても、イデオロギー的に脱色された国際政治論になりすぎているように思う。 もちろん、それをここで議論しても仕方がなかったと思う。しかしそれは、あらかじめ取り除かれたのだろうか。それとも、米越ともに重要だと思わなかったのだろうか。 これを思うのは、その論争が聞きたかったからではなくて、「この戦争の教訓を未来に活かす」と考えた時に、それを抜きで考えれるのだろうか、と疑問だからだ。 イデオロギーというのは、なにも共産主義vs自由主義だけではない。 たとえば、南北ベトナムといとこの関係にあるといえる朝鮮半島で、もしこの教訓が活かせるのならば、イデオロギー、そして双方の体制に対する思想的な嫌悪感や恐怖心を抜きにして語れるのかと思うからだ。 これは、もっと言うと「恐怖」に関する話である。 この対話は、お互いが当時抱いていたであろう「恐怖」に対する言及が少ないと思う。北爆に対するマクナマラと、北ベトナム高官の感覚の違いは、この「恐怖」だと思う。 また、この対話では触れられていないが、北ベトナムが南ベトナムで散々行ったテロルに対して、北ベトナムの当事者たちはどう思っているのか、それも聴いてみたかった。 なぜなら、それが今世紀に関しての核心だと思うからだ。 結局のところ、北爆・・・交渉テーブルにのせるために相手を空襲することは、効果的なのだろうか。そうではないのだろうか。テロはどうなのだろうか。 それは知ってみたくはある。また知るべきではないのか。 「思っていたほどの効果はなかった。交渉にテロルを活用することは逆効果であった」という言葉が効いてみたいものだけれども、それは事実と願望をごっちゃにしている。「効果的だった」ならば、それはそれとして史実として記録するべきだと思う。 おそらく、こんな「感想戦」は、歴史上空前だ。そして、残念ながら、絶後だろう。 だから、それを知りたかった。

Posted byブクログ

2013/02/15

今日、同僚から借りて一気に読んでしまった。 ひさびさに面白いノンフィクションを読んだ。 なんとなくニュースで聞いて知っていたベトナム撤退と戦争の終結 なぜ和平交渉が何度も失敗したのか双方の主張がそれぞれの立場では正論で、1997年の対話において互いに理解できないのが興味深い。 ...

今日、同僚から借りて一気に読んでしまった。 ひさびさに面白いノンフィクションを読んだ。 なんとなくニュースで聞いて知っていたベトナム撤退と戦争の終結 なぜ和平交渉が何度も失敗したのか双方の主張がそれぞれの立場では正論で、1997年の対話において互いに理解できないのが興味深い。 しかも停戦条件は双方ともだいたい同じという。 マクナマラの想いというよりアメリカの文化なんじゃなかろうか 読んでてアフガン、イラク戦争(第二次湾岸戦争)の時のブッシュJrの顔が輝いているシーンが思い浮かんだよ

Posted byブクログ

2012/06/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「我々はなぜ戦争をしたのか」 全ての「戦後」において当事者達が検討・議論すべきテーマでありながら、そのハードルの高さからかあまり積極的には行われていないのではないだろか。アメリカとベトナム、WW2後最大の戦争を行った両国(の一部)がお互いに向き合ったハノイ対話をまとめた一冊。良書。 対話が進む中でアメリカ側が自らのアジアへの無知・無関心を、ベトナム側が己の外交努力の不足を省みる場面には強い興味と興奮を覚えた。対話は万能ではないし、譲れないラインは確かに複数存在する。事実として米越は殺し合った。しかし、無駄ではない。無駄にしない事は出来る。その可能性がここに見られた気がする。 自陣営の正当性をぶつけ合うだけでなく、認識の違いや事実の確認を行いながら進む対話を見て、自分を含めた日本人の討論力の低さを痛感。そして「機会を取り逃がしたのか」という問いにもこの国はまだきちんと向き合っていない事も確信した。

Posted byブクログ