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反哲学入門 の商品レビュー

4.1

91件のお客様レビュー

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2012/05/30

87点。不幸にも哲学なんかに興味を抱いてしまう人にはオススメ。西洋哲学の流れとそれを断ち切ろうとしたニーチェ以降の反哲学の動きを区別しわかりやすく説明してくれている。 ニーチェというと思想詩的文体や中期の著作のアフォリズム集的な構成のために、文学的で、抽象的思索や体系的思索を嫌っ...

87点。不幸にも哲学なんかに興味を抱いてしまう人にはオススメ。西洋哲学の流れとそれを断ち切ろうとしたニーチェ以降の反哲学の動きを区別しわかりやすく説明してくれている。 ニーチェというと思想詩的文体や中期の著作のアフォリズム集的な構成のために、文学的で、抽象的思索や体系的思索を嫌った「詩人哲学者」イメージが一般的だけど、そんなことはない。 彼はもともと古典文献学をやってた人で、彼がやろうとしたことっていうのは「プラトン以前に戻ろうぜ」ということである。ヨーロッパが行き詰まると見えたニーチェは「神は死んだ」といって超自然的原理を否定しギリシアの古い思想を復権しようと試みた。つまりニーチェ以降は哲学ではなく反哲学なのである。 思想史上とっても大事なエッセンスがつまっていて、とりあえずの入門編には最適。

Posted byブクログ

2012/05/04

そもそも「反哲学」という木田哲学の用語を知らないままに本書(http://www.shinchosha.co.jp/book/132081/ )を読み始めましたが、最初からすんなりと読み進めることができました。キリスト教と哲学の関係性をギリシアからの西洋史をたどることでときほぐ...

そもそも「反哲学」という木田哲学の用語を知らないままに本書(http://www.shinchosha.co.jp/book/132081/ )を読み始めましたが、最初からすんなりと読み進めることができました。キリスト教と哲学の関係性をギリシアからの西洋史をたどることでときほぐしていく点が、私自身にとってはよかったのかもしれません。歴史であれば嫌いではないので…。 木田さん自身の生い立ちから、philosophyから哲学の誤訳、そしてその道に進んで今にいたるまでの半生の振り返りは、学問に対する自由な姿勢と、哲学の奥深さにはまれたことへの感謝と喜びが正直に現れているようで羨ましくも思えました。この人は極めるべきものを自分自身を高めることで掴みとることができたのですから。 プラトン、アリストテレスからたどって、宗教と生命観との融合から生まれた西洋哲学が、そもそも異なる価値観を有する私たち日本人となぜなじまないかを第一章のタイトルから喝破してくれるので、悶々と悩んでいた喉にささった小骨のような手詰まり感をすっきりと取り除いてくれた感覚も持てたのでした。しかし、いくら口語を書き起こした文体といえども、近代哲学に入るととたんに難易度が上がる感じがするのはやはり、西洋哲学の発展がいよいよ始まり宗教と対立する側面が出てくるあたりからですね。 宗教を軸にして語られていたものを、それに頼らずにしかも耐えうる思想を言葉にしなくてはいけないのは大変な作業だったことが、研究者:木田元氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%94%B0%E5%85%83)の言葉からひしひしと伝わります。しかし、一方で宗教の切り口に依存しない哲学、人生観、生命観は逆に日本人に馴染みやすいことも分かります。後半に語られる「ライプニッツ→カント→ショーペンハウアー→ニーチェ→ハイデガー」というドイツ哲学の系譜が比較的近づきやすいのはそんなことも関係しているのだなと学べました。 カントの『純粋理性批判』を72回読んでみてもわからない哲学の大家が、73回目を読んでいるとのエピソード。自分の読書にはまだ知ったフリの部分が多く、深みがないなと恥じ入ったのでした。その他にも、いろいろご紹介したいポイントはありますが、薄くて濃い1冊です。著者は母校で教鞭を取られていながら、自分が在学時にはそんなすごい先生がいたなんて知る由もなく今になって生の講義を聞いておけばと激しく後悔したりもしたのでした。

Posted byブクログ

2012/04/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

筆者は日本の思想界において、西洋哲学というものが 必要以上に絶対視されている、という。 もともと古代ギリシアでの哲学は、 人間は自然の中に含まれるものであり、 他のものと同様に「ある」あるいは「成り出でてある」ものであった。 ソクラテスの出現によって、人間は自然の外にあり、 自然を客観視できる唯一特別な存在となった。 存在とは「つくられてある」とする考え方である。 その考え方はプラトン、アリストテレスという系譜に継承され、 やがてキリスト教の教義に採用されたことで西洋社会の基盤となる 哲学、神学となってゆく。 19世紀にニーチェがプラトニズムを批判し、 20世紀にハイデガーが脱哲学を主張するまで、 この考え方は連綿と続いてきた。 ハイデガーによって、再び 「ある」という存在は 「成り出でてある」ものなのか、あるいは 「つくられてある」ものなのかという議論が可能になる。 彼は人間よりも「存在」が先んじ、存在の住み家である「言葉」が 先んじる、と主張する。 この考え方が、人間よりも「構造」が先に存在するという構造主義へと 継承されていく。 ...薄い本だが、内容がずっしりと重く、読み応えがあった。 この後「ブッダ」を読んだのだが、東洋の哲学との比較をするのにも 大変役に立つ名著であると思う。

Posted byブクログ

2012/03/10

冒頭の章で著者の主張が分かりやすく書いてあるので、そこが理解出来た辺りで満足。入門と言うには難しかった。

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2012/01/24

最近、経営関連の様々な分野で感じられる生態型のモデル―やや範囲を広くとるとソリューションフォーカス、河瀬氏の経営戦略本、脱予算会計等の考え方に共通して感じられるもの―に関心を持っているなかで面白いと思った一冊。 西洋哲学の根本にある考え方とそれをニーチェやハイデガーの思想がどう...

最近、経営関連の様々な分野で感じられる生態型のモデル―やや範囲を広くとるとソリューションフォーカス、河瀬氏の経営戦略本、脱予算会計等の考え方に共通して感じられるもの―に関心を持っているなかで面白いと思った一冊。 西洋哲学の根本にある考え方とそれをニーチェやハイデガーの思想がどう乗り越えていったかという筋道が、まさに経営の領域での考え方の推移にかぶって見えてきて個人的には一つ頭がすっきりさせられました。 欧米の思想界で、20世紀になって仏教思想が非常に大きなインパクトを与えた理由も本書を読めば良く分かります。

Posted byブクログ

2012/01/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「形而上学」「私は考える、ゆえに私は存在する」「超越論的主観性」―。哲学のこんな用語を見せられると、われわれは初めから、とても理解できそうにもないと諦めてしまう。だが本書は、プラトンに始まる西洋哲学の流れと、それを断ち切ることによって出現してきたニーチェ以降の反哲学の動きを区別し、その本領を平明に解き明かしてみせる。現代の思想状況をも俯瞰した名著。 (アマゾンより) 一回書いたにも関わらず、まさかのデータが消えたので、要約は割愛して印象に残った部分だけを再度。 入門書とはいえ難しい。そもそも、簡単であるということは、何かを捨象しているということである。 「”簡単”であるということこそ、最も理解するのが難しい」という言葉を教えてくれた恩師もまた著者と同じハイデガー研究者であった。 1、哲学は不治の病? 著者は、「哲学という麻薬」という題の箇所で、哲学は不治の病であり、哲学から抜け出せないことは不幸なことであると述べる。すごい言いようだなと思ったが、これは「日本には哲学が存在しない」とった主張に対する批判であると同時に、哲学が生半可なものではないということ、一生をかけなければ分からない(もしくは一生をかけてもわからない)タフなものであるということなのだろうと感じた。 当方は、大学二年に純粋理性批判の序文を読むのに2週間かかり、なおかつ20%も理解できずに哲学を専攻することを挫折したので、どうやら不治の病とならずに済んだようだ。 2、日本には哲学がない。 正しくは西欧的哲学は日本には存在しないということ。丸山眞男の「つくる」「なる」といった概念を用いて、日本では「つくる」のではなく、「なる」のパターンに分類される、と著者はいう。西欧が超自然的原理を想定し「自然」を単なる物質的存在と捉えるようになったのに対し、日本では、自然とは生きて生成したものであると捉えていた。glass is green(草は緑色である)が前者であるならば、glass greens(草は緑色を自ら発している)が後者といえる。 だから日本には哲学がない、という主張は妥当である。ただ、だからとって悲観すべきものでもない。 3、無知の知と愛の論理 ソクラテスの「無知の知」は有名。ただその真意まで理解している人は少なく思える(自分も含め) 愛する者は、その愛の対象を自分のものにしようとする。好きな人がいれば手に入れたいとみんな思うはずだ。すなわち、愛し求める者は、その愛する対象をまだ手に入れてない、ということになる。 philosophyとは、知を愛することを意味する。知を愛する者は、いまだに知を手に入れることが出来ていない、持っていないからこそ、ひたすらそれを愛し求めるのだ、というのがソクラテスの愛の論理だそうだ。 愛知者とは無知であり、無知だからこそ知を愛し求めるのである。 この「愛し求める」の部分は新鮮だった。今まで無知の知は、自分の怠惰の言い訳にしている部分があった、たとえば知ったかぶるよりも知らないほうが偉い、みたいに。それも間違いではないのだろうけど、ソクラテスの意味していた「無知の知」は、「知を愛し求める」ことであり、知らないという現状に満足することなく、知を愛し求め続けることを意味していたのである。 特に関係ないけど、愛知県の愛知はどこから来たのだろう。これが語源ならば、いいねを押してあげたい。 「哲学」とそれを乗り越える形で生まれた「反哲学」のダイナミズムを感じることが出来た良書だった。

Posted byブクログ

2012/01/01

タイトルの印象に反して、割ときっちりした哲学史の本。読み易くてお勧め。 口語で書かれているので、くだけた文体が読むハードルを下げてくれる。それでいてしっかり著者の主張が盛り込まれており、読み応えもある。 ただぼくは、反哲学についてじっくり読みたかったので、ニーチェ以降の文量が少な...

タイトルの印象に反して、割ときっちりした哲学史の本。読み易くてお勧め。 口語で書かれているので、くだけた文体が読むハードルを下げてくれる。それでいてしっかり著者の主張が盛り込まれており、読み応えもある。 ただぼくは、反哲学についてじっくり読みたかったので、ニーチェ以降の文量が少ないのがちょっと残念だった。実質、反哲学についてはニーチェとハイデガーを紹介するのみ。しかも、ハイデガーの思想そのものについてはあまり触れられていない。

Posted byブクログ

2011/12/30

難解な「哲学」というものをわかりやすく説明し、哲学史、そして現在の思想状況を語る。木田元だからこそ書けた本。 圧倒的な知性の前に跪くこの快感! 世界の秘密、叡智を知りたいと願いながら、同時にわたしなんかでは伺い知ることの出来ない深遠さを期待するこの気持ちに、見事に応えてくれていま...

難解な「哲学」というものをわかりやすく説明し、哲学史、そして現在の思想状況を語る。木田元だからこそ書けた本。 圧倒的な知性の前に跪くこの快感! 世界の秘密、叡智を知りたいと願いながら、同時にわたしなんかでは伺い知ることの出来ない深遠さを期待するこの気持ちに、見事に応えてくれています。 デモクラシーへの疑問、一票が平等で良いのか?衆愚政治に陥るのでは? という箇所を読んで、集団として生きることは古代から最高峰の知性を以てしても未解決である、本当に困難な問題なのだなあと思った。知性も意欲もバラバラな個人が集まった社会を運営する厳しさ。しかしデモクラシーへの疑問は突き詰めると全体主義に陥る恐れがある。 上記に関連して、アリストテレスの講義録の逸話「残るべきものが残る」ことについて。出版業界の衰退が顕著な昨今、時々いますよね、淘汰されて良いものが残る、って言うひと。でも知性には個人差がある。良いものを判断出来るだけの知性と、精神的・経済的余裕を持った人が一定数いないと成り立たない理想だし、そもそも流通システムが崩れてしまったらそのような知性を養うことも出来なくなるし、知性ある人に判断される機会も失うのではないか。つまり集団に期待しすぎてはいけないのでは、と思います。むつかしいね。 カントのコペルニクス的展開。「対象がわれわれの認識に依存している」これだ、と、思った。その通りだ。 ただしその後のヘーゲルの楽観的な理想主義は賛成出来ないし、何だか切なさすら感じる。人間精神の苦難の歴史は未だ幕を閉じていないし絶対精神は訪れていない。わたしだってそんなのあるなら欲しいよ。誰だって欲しいと思う。 「反哲学」:ニーチェ以前の哲学、その知の本質は、まず超自然的原理を立て、それを媒介にして自然を見て自然と関わるような思考様式にある。最高諸価値の喪失、心理状態としてのニヒリズム。神は死んだ。これを乗り越えるには、最高諸価値を、そんなものはもともとなかったのだと積極的に批判、否定しなければならない。 ハイデガーが意外と俗物で親しみを覚えました。偉大な思想家だって人間だね。人間としての社会的生活、身体性を伴った生活が無ければ多くの人に影響を与えるような精神性も獲得出来ないのだと思います。きちんと生きよう。

Posted byブクログ

2011/11/06

西洋哲学と呼ばれるものの外観および歴史等が自然主義、反自然主義、 なるもの、作られるものというキーワードによって非常にすっきりと整理されている。

Posted byブクログ

2011/11/03

タイトルから想像されるような、哲学に対する批判の本ではありません。 でも、哲学者である木田氏が第一章で「(哲学は)社会生活ではなんの役にも立たない」、「人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめることに等しいふるまいだ」、「しかし、哲学という病にとり憑かれた人はもう仕方ありません...

タイトルから想像されるような、哲学に対する批判の本ではありません。 でも、哲学者である木田氏が第一章で「(哲学は)社会生活ではなんの役にも立たない」、「人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめることに等しいふるまいだ」、「しかし、哲学という病にとり憑かれた人はもう仕方ありませんから、せめてそういう人たちを少しでも楽に往生させてやろう」、と仰るはおもしろいです。 本の大半は、ソクラテス・プラトン・アリストテレス、デカルト、そしてカント・ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーと、哲学史に沿ってそれぞれの立ち位置を社会的・宗教的な背景も踏まえつつ紹介していくという流れです。 はっきり言って、一回では内容を飲み込めませんでした。 もう一回読みます。

Posted byブクログ