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清朝と近代世界 19世紀(1) の商品レビュー

3.5

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2024/01/21

清朝末期の事実をおさらいするのに良い。 アヘン戦争以降、下り坂一色で捉えていた清王朝だが、実は四方で自国の勢力圏を守るため列強と戦い、それなりに成果も収めていた部分もあるという事実が勉強になった。この時手放したモンゴルは独立国となり、そうではない新疆やチベット等が中国にとどまって...

清朝末期の事実をおさらいするのに良い。 アヘン戦争以降、下り坂一色で捉えていた清王朝だが、実は四方で自国の勢力圏を守るため列強と戦い、それなりに成果も収めていた部分もあるという事実が勉強になった。この時手放したモンゴルは独立国となり、そうではない新疆やチベット等が中国にとどまっていることからも、現代史に繋がる重要なポイントと思われる。 19世紀は、中国的価値観に基づく勢力範囲と、西洋のネイション概念が衝突した時代であり、この時の矛盾を今なお中国、世界は引き摺っており、これが中国に対する違和感の深淵かと。 中国の四方への広がりという奥深さ、ダイナミックさを考えると、日本から見た中国と、中国から見る日本の比重が当然違ってくるということに思い至る。 また、清朝末期においてなお、社会の規範として儒教の影響力が強く、歴史が長い国、文化であるがゆえに変革は困難だったのであろうと理解できる。

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2022/08/05

この本では清朝の繁栄とそれに隠された苦難について記載されている。その苦難というものは欧米との外交と国内での反乱に分けられると思う。外交についてはアヘン戦争、第2次アヘン戦争後の南京条約や北京条約によって清朝から利益を貪りとる列強たちに手を焼いた。 国内での反乱については18世...

この本では清朝の繁栄とそれに隠された苦難について記載されている。その苦難というものは欧米との外交と国内での反乱に分けられると思う。外交についてはアヘン戦争、第2次アヘン戦争後の南京条約や北京条約によって清朝から利益を貪りとる列強たちに手を焼いた。 国内での反乱については18世紀の人口増加に伴い、豊かな暮らしを手に入れた人々がいた一方でそうではない人々もいた。後者にとって洪秀全の教えは光り輝くものであり、後には太平天国の乱を起こした。それに連鎖する形で他の省でも動機は違えど反乱が起き、大地は荒廃していった。

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2021/02/10

中国とはどんな国かを知りたかった。 米ソ冷戦時代が終わり、「眠れる獅子」と呼ばれた中国がついに眠りから覚めた。日本を追い越し世界第二位の経済大国にのし上がった。 歴史学者アーノルド・トインビーは「世界政府ができるとすれば中国のリーダーが世界政府のリーダーになるだろう」と言った。 ...

中国とはどんな国かを知りたかった。 米ソ冷戦時代が終わり、「眠れる獅子」と呼ばれた中国がついに眠りから覚めた。日本を追い越し世界第二位の経済大国にのし上がった。 歴史学者アーノルド・トインビーは「世界政府ができるとすれば中国のリーダーが世界政府のリーダーになるだろう」と言った。 その中国とはいかなる国なのか。 中国を理解するために、清の成立から没落までの歴史を知る必要がある。 1840〜1841年:アヘン戦争(清vs英) 1856〜1860:第二次アヘン戦争(清vs英・仏)

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2020/10/18

日本の近代史を学ぶ過程で中国の近代史を併せて学ぶ。 ・清という少数民族が、なぜ中国を統一することができたのか? ・中国の近代化の遅れの理由は? 近代化に関しては、当時、中国は欧米諸国との接点が日本よりも厚く、人材の層も厚かったはず。 清が、中国という広大な地を統一していた、と...

日本の近代史を学ぶ過程で中国の近代史を併せて学ぶ。 ・清という少数民族が、なぜ中国を統一することができたのか? ・中国の近代化の遅れの理由は? 近代化に関しては、当時、中国は欧米諸国との接点が日本よりも厚く、人材の層も厚かったはず。 清が、中国という広大な地を統一していた、という実態はそもそもなく、分権化が相当に進んでいた、ということなのだろう。 歴史を見ると、どうしても時の権力者しか表面的には出てこないので、このあたりの実感を得ることが難しいような気がする。 清朝が潰れても、新たな勢力が取って替わって出てくるという状況からも、それが説明できる。(国家が破綻したわけではない) また、強い地方分権と共に、個人主義の強さがあるのだろう。(華僑もその文脈で説明できるのだろう。彼らは国家を信じない) 個人主義には家族主義や民族主義は入ってくるのかもしれない。何れにしても国家の概念は異なる。 李鴻章にしても、国家を代表しているとは言い難い。 国家として富を蓄え、それを国家として投資に回す、という発想、仕組みがなかった。 この点が、日本の近代化と大きく異なるところ。 中国は、清朝後半に反植民地化となるのだが、国家としては衰退するも、個人として懐を厚くしてケースは幾らでもあったと思う。 これは現在の中国にも当てはめることができる。 共産党一党独裁政権ではあるものの、経済活動は日本よりも自由に活発に行われている。起業家精神も旺盛だ。 中国のこの二重構造を理解しないと、状況を読み誤るし、中国は近代化が遅れた、と安易に結論づけるのは正しくないと思う。 以下抜粋~ ・清朝の人材登用のすぐれた点は、科挙の成績や旗人の家柄だけでは必ずしも高い地位が保証されず、これらの人材の集まりのなかから、仕事のできそうな者を皇帝が適宜に使ってみて昇進させていくという点にある。 ・清朝の版図についてみれば、その拡大の経緯からして、多様な人々を各様の仕方でつなぎとめることで成立し、広大な内陸を含みこんでいた。19世紀中葉の危機を乗り越えた清朝は、イギリスが覇権をにぎる近代世界に対応するなかで、新局面を沿海部で開いていった。

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2014/03/30

中国の近現代史を勉強しようと思っていたところ、ネットで岩波のシリーズが比較的よくまとまっているということで挑戦。 この本は清朝末期の状況についての概観。列強の進出に加え、内部でも反乱が起こる。国ってこうやって崩れていくんだ。 とはいえ、ただ崩れるに任せていただけではない。清朝...

中国の近現代史を勉強しようと思っていたところ、ネットで岩波のシリーズが比較的よくまとまっているということで挑戦。 この本は清朝末期の状況についての概観。列強の進出に加え、内部でも反乱が起こる。国ってこうやって崩れていくんだ。 とはいえ、ただ崩れるに任せていただけではない。清朝も洋務運動・変法運動など近代化の模索を続けていく。ただいずれも支持基盤は盤石ではなく、成功することはなかった。

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2013/11/23

中国近現代史の起点として、19世紀の清朝を多面的に描いている。混乱と没落というイメージで捉えられがちの清末だが、自己変革の試みがいろいろ展開されていたことが述べられている。清朝曾国藩の日本観が興味深かった。沖縄県の成立を巡る過程についても記述されていて、沖縄問題を考えるうえで参考...

中国近現代史の起点として、19世紀の清朝を多面的に描いている。混乱と没落というイメージで捉えられがちの清末だが、自己変革の試みがいろいろ展開されていたことが述べられている。清朝曾国藩の日本観が興味深かった。沖縄県の成立を巡る過程についても記述されていて、沖縄問題を考えるうえで参考になった。新書ということもあり読みやすく、非常に水準の高い清末史の概説書である。

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2012/06/29

19世紀、清朝末期の歴史を外交、社会、文化等を中心に概説する。 清朝末期には太平天国の乱を筆頭に他にも数多くの騒乱が散発しており 清朝政府は逐次対応できていた点など はじめて知るような内容も多く、楽しむことができた。 何より本書は語り口が非常に平易で読みやすかった。

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2011/03/30

後書きに「清朝の後半期について、その生き生きとした時代像を描き出したいというのが、本書執筆の最大の動機だった。ともすれば単に衰亡の過程とみなされがちな歴史をとらえ直したい。」(231頁)とあるように、康煕・雍正・乾隆3代の聖君の時代が終わり、白蓮教の乱とともに18世紀を終えた清朝...

後書きに「清朝の後半期について、その生き生きとした時代像を描き出したいというのが、本書執筆の最大の動機だった。ともすれば単に衰亡の過程とみなされがちな歴史をとらえ直したい。」(231頁)とあるように、康煕・雍正・乾隆3代の聖君の時代が終わり、白蓮教の乱とともに18世紀を終えた清朝は、まさに坂を転げ落ちるように19世紀を通過したような印象を持ちます。アヘン戦争と南京条約、虎門寨追加条約に望夏条約・黄埔条約、アロー戦争(第2次アヘン戦争)と天津条約・北京条約でヨーロッパ勢に蚕食され、頼みのロシアもアイグン条約・北京条約で東北地方に進出してきます。同治の中興・洋務運動と入っても後人からみれば不徹底な改革で清朝の限界を感じ、西太后が政治の混乱に拍車をかけ、極めつけは日清戦争による敗北とその後の列強による中国分割。高校世界史に登場するこの頃の中国の事項を並べたら、まさに19世紀の清朝は「衰亡の過程」です。しかし、中央政府の混迷は必ずしも国全体の衰退というわけではありません。この時期の中国における「地方分権」的性格は溝口雄三先生が『中国の衝撃』(東京大学出版会 2004年)などで述べているところですが、会館・公所や郷勇など地方による自助・自衛など地方の動きはむしろ活発な動きをしています。さまざまな立場の人が、それぞれの状況に応じてヨーロッパの「近代」と対峙または適応しようとし、そして激しく移りゆく流れにのまれ、逆らおうとする、19世紀の中国とはそんな時代だったのでしょう。 それにしても、この時期における世界の一体化は近年授業でも必ず取り上げられるテーマですが、この本を読みそれをつくづく感じました。フランス革命に対し対仏大同盟を提唱したイギリスのピット首相は実はマカートニーを清朝に派遣した人物であったり、アメリカの黒人奴隷使用によるプランテーションで栽培された綿花を購入する際の決済として発行された手形が巡り巡って中国貿易を行っているイギリス地方貿易商人の本国への送金手形になっていました。アヘン戦争には自由党の大人物グラッドストンが反対し、アロー戦争には穀物法廃止で授業でも登場するコブデンが反対しています。同治の中興の背景に、オーストラリアやカリフォルニアで金鉱が発見されたことによる銀余りがあったことも目からウロコでした。

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2011/02/26

中国近現代史の始まりを清朝後半の歴史からスタートさせることは、そう自明なことではない。日本史の場合、徳川日本を近代国家の始まりと見なせないのと同様でもあり、またそれとは大きく異なるとも言える。そこが難しい。 本書は清朝後半から日清戦争までが叙述されているが、アヘン戦争から一直線...

中国近現代史の始まりを清朝後半の歴史からスタートさせることは、そう自明なことではない。日本史の場合、徳川日本を近代国家の始まりと見なせないのと同様でもあり、またそれとは大きく異なるとも言える。そこが難しい。 本書は清朝後半から日清戦争までが叙述されているが、アヘン戦争から一直線に滅亡へと傾いていったわけでは必ずしもないことがよくわかる。清朝もさまざまな近代化への挑戦をおこないつつ、続く「中国」へと変貌を遂げていくのであるし、清末の経済発展の動向も見落とせない。#釐金(通行税の一種)などもこの時期に登場した比較的新しいものであることをはじめて知った。 またハワイの王様も清朝を訪問し、アジアの連帯を説いたりしたなど、周辺地域やそれと関係の深い諸国の叙述も興味深い。

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2010/12/20

 イギリスからアヘン戦争で攻め込まれた清朝の歴史。衰退していく国権の象徴のようなイメージだったが、実は立て直した人々の努力と忍耐の歴史である。  他人にかまっている暇のないくらいの厳しい経済環境と、中国で必ず起きる人口急増に伴う国内情勢不安。それを外に向けるようにロシアや東南アジ...

 イギリスからアヘン戦争で攻め込まれた清朝の歴史。衰退していく国権の象徴のようなイメージだったが、実は立て直した人々の努力と忍耐の歴史である。  他人にかまっている暇のないくらいの厳しい経済環境と、中国で必ず起きる人口急増に伴う国内情勢不安。それを外に向けるようにロシアや東南アジアに矛先を向ける。  間に合わずに、崩されていく国力と厳しい政治環境。最終的には、海外に出て、いろいろなことを学んできた人間が少なく、それが今の日本の海外に出ていく力の無さに重なる。

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