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臨床とことば の商品レビュー

4.6

21件のお客様レビュー

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2013/10/07
  • ネタバレ

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本棚から出てきた。河合さんの文章は読みやすさと変な説得力がある。対談もきっと力があるんだろうな。 臨床の力,価値に遅ればせながら気づけた気がする。 トイレの中でちまちまと読めなくなって一気に読む。 今行き詰まっていることに多くの示唆を与えてくれた対談だった。研究,教育,プライベート,あらゆる場面で自分に欠けている(自覚できない)認識のフレームを示してもらえた。次に読むときもおそらく新たな気づきをもたらしてくれそうな予感がする。人間関係を切り離すと臨床ではなくなり,世の中は人間関係無しに語る(存在)することができないのであれば,臨床の知の特殊性と普遍性を避けて考えることは不可能と思った。 「同じものを宛がっていると受け身になる」 なぜ受け身になるのか,受け身の姿勢が継続するとどうなるか。 思考のテーマとして面白かった。

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2013/06/26

河合隼雄というひとはもしかするとあらゆる意味で異端だったのかもしれない。そう考えると鷲田先生はもっとも相応しい「後継者」である。 「聴く」ということの怖ろしい深みと凄み。

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2011/10/14

ここで言う「聴く」とは、相手の世界に入っていくということ。 決して、相手をその世界から引き出すものではない。 聴いてもらうことによって、その人は自分を客観視し、 自分から外へ出てくる。 それは、自分を意味ある存在とみなし、 他人に関心を持つことにつながる。 それこそが、生きる力と...

ここで言う「聴く」とは、相手の世界に入っていくということ。 決して、相手をその世界から引き出すものではない。 聴いてもらうことによって、その人は自分を客観視し、 自分から外へ出てくる。 それは、自分を意味ある存在とみなし、 他人に関心を持つことにつながる。 それこそが、生きる力となるのである。

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2011/10/03
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対談の本の中では「恐ろしく」素晴らしい。魂が触れる皮膚に生まれる、と鷲田清一さんが語る場面は、それを読んでいるわたしにも魂の陰が見えるような…。お二人が語る臨床とことばは、何だろう頭ではなく身体に響いてくる。ゆえにわたしには時に恐ろしく感じてしまう。今度の出張のときにまた読もう。楽しみ。

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2011/08/28
  • ネタバレ

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難しい。普段、患者さんや御家族と接していて、どうしたら少しでも良い方向にもっていけるか考えるのだけど答えがでない。自分にできるのは、できる限り相手を「聴く」こと。だけど患者さんの思いが必ずしも医学的にいい方向ではないから(逆の方が多い)、どう流れを断ち切らずにこちらの思いも受け入れてもらうか。ケアとは。臨床の難しさを再認識させられた本。

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2011/08/26
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鷲田清一さんと今は亡き河合隼雄さんの対談。大震災前に一度読んでいたんですが、再読しました。 最初の方、以下の話に膝をうつ。 「臨床の根本はクライアントにお会いすることなので、このために相当な時間とエネルギーを必要とする。とすると、読書のための時間が少なくなるのだ。臨床の現場で生じる問題を哲学的に思索し解明することは、重要なことであるが、下手をすると、そのための読書と思索の方に時間をとられ、臨床の実践がおろそかにになる。このようなジレンマは実に大きい。(25ページ)」 そう、そうですよね。ほんとにそう思います。河合先生にしてそうなんだったら、僕がそう思うのは当然でした。なんてちっぽけな自分。 僕は若い頃に河合隼雄先生の著作を読みあさっていたのですが、その頃には、先生の偉大さの1%もわかってなかった。臨床医として17年働いた今は、多少わかる気がします。世の中には、実際に体を張って経験してみないとわからないことがある。いや、むしろ、ほんとうはそういうことばかりなのに、分かった気になっているだけなのかもしれない。 「距離感の話」がメインなんですけど、今回再読してお二人の言葉が上品であることに感銘を受けました。ツイッターで飛び交っているやりとりがいかに美しくないか、それはなぜなのか、腑に落ちるところが多かったです。

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2011/06/27

うーん、すごい。僕がふだんもやもやと思い悩んでいることのほとんどは、本書に書いてある。圧巻です。 科学性とは何かという原理的なところを、哲学、心理学からアプローチしている。それも臨床的に。 何か見えそうになったが、まだことばはでない。

Posted byブクログ

2011/06/20
  • ネタバレ

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>>あるとき彼がふともらした言葉に目からウロコが落ちました。と言いますのは魂の話で、僕はずっと、心とからだの関係を哲学史の中でいろいろ勉強してきたわけです。心とからだの関係があって、魂はからだと別のところで考えてたんですけど、彼がボソッと変なこというんです。これはユング心理学の理論に入っているかわからないんですけど、「からだが魂ちゃうか」と。で、その中を私というのが出入りしているんちゃうかと。今までそういう発想をしたことがなかった。自分と魂をくっつけて考えるけど、自分と魂を離し、魂と身体をくっつける。その河合君の言葉と、ミシェル・セールという哲学者の言葉が、僕の頭を本当に切り替えてくれました。デカルト以降、ものには大きさがあり広さがあり場所がありかたちがある、でも心にはそれがない、だから心には場所はないのだ、昔から心はハートにあるとか、のどにあるのか目にあるのかとやってきたけど、本当はそんなのないんだ、という理論です。それに対してミシェル・セールは、皮膚と皮膚が合わさるところに魂があるといいました。僕らが思うに、それは考えているところにある。足を組んでいたら太ももにある。目をぐあーとあけたら、目にある。唇をかみしめたら、唇にある。魂というのは、からだの折り合わさった、自分と自分が接触するところ、そこにあって、たえず身体のいろんなところに移動しているんだと。 (略) そして、それの地図を書いたのが、刺青だと。つまり日本の物語絵の刺青ではなくて、プリミティブな社会の、幾何学模様の。あれは実は魂の地図を描いたんだと。 >>それにしても、ひとはじぶんが浸りきっている存在の世界がじつは世界ではないということに、どこで気づくのだろうか。このなぞをわたしはいまだ解けないでいる。画、ただひとつ、そのためには、そのひとがそれまでの人生を何を軸としてじぶんが納得できるようにまとめてきたかを考える必要がありそうだということ、そのことだけは予感としてある。「物語」という支店がいろいろに問題を含みながらも、どうしても棄てられない理由のひとつはそこにあるような気がする。 >>呑み込まれる言葉、それがひとの前でこぼれ落ちてくるまでには、気の遠くなるような過程がある。その過程をくぐり抜けて、それがさらに痛みを加重するのであってもそれでも聴き取られなければならないのは、じぶんの痛みについて語るということが、その痛みへのじぶんのかかわりを変えようとしはじめることだからだ。語る者と語られる者へとじぶんを多重化し、痛みのなかに陥没していたじぶんに距離を置こうとしはじめることだからだ。陥没じたいに距離をとる、この能動性の芽というべきものがそこに現れようとしているからだ。

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2011/03/12

河合先生も、鷲田先生もどちらも大好きで憧れの人。とても興味深かった。最後の方の鷲田先生の書き下ろし?がかなりいい!

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2010/10/04

聞く、訊く、聴く、きく。 これだけではない言葉を聴く能力は、 鍛えなくては手に入れることはできない。 自分がどれだけ「きく」という行為が出来てないのか、 よくわかってしまった。 もう少し、丁寧に聴くことが出来るように がんばりたいものです。

Posted byブクログ