「私」時代のデモクラシー の商品レビュー
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ちょうど同著者の『民主主義とは何か』を読み終えたところで、およそ3年ぶりに再読。せっかくなのでここ数年の間に流行したAdoの『うっせぇわ』と簡単に絡めてみる。 「私が俗に言う天才です」と自分は特別であると思おうとすると同時に、「私も大概だけど」と心のどこかでは他人と何ら変わらないことを感じている。そして「ちっちゃな頃から優等生」「社会人じゃ当然のルールです」と押し付けられる理想や自己犠牲に強い不平等感を感じるのである。 「でも遊び足りない/何か足りない」と満たされない思い。それを「困っちまうのは誰かのせい」として、自分の生きづらさを外部のせいにし、「うっせぇわ」と排除しようとするのである。「何か足りない」のは社会における自分の位置や役割、他者から自分へのリスペクトなのかもしれない。 特別でありたいけれども、他者と何ら変わりのない〈私〉。不平等を感じ、不満をもつ〈私〉。そんな〈私〉時代に必要なのは、「うっせぇわ」と他者を遠ざけることではなく、むしろ対話、即ちデモクラシーなのだ。
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江戸・明治の身分社会や家制度がなくなり、令和の現在、ネットが普及し「個」が尊重されるようになった。その中で社会とその社会をつくる「個」とのかかわりについて考察する本。 福祉の充実を求めながら、税負担は許容できない、という調査結果について、著者は行政・政治不信と分析しているが、私は...
江戸・明治の身分社会や家制度がなくなり、令和の現在、ネットが普及し「個」が尊重されるようになった。その中で社会とその社会をつくる「個」とのかかわりについて考察する本。 福祉の充実を求めながら、税負担は許容できない、という調査結果について、著者は行政・政治不信と分析しているが、私は「個」は認めてほしいが、その「個」が「社会」をつくる負担を負いたくないという無責任さの表れと感じる。 自身の「個」は「社会に」不平等に扱われるべきではない尊重してほしい、が、自分が所属する「社会」が曖昧になったことで、「社会」に対して自分が担っている意識が少なくなり、かわりに「社会=自分より上の誰か、政治家や行政や上級国民」がつくっており、そこから少しでも阻害されたら、「自分より上の誰か」の責任にしたい、という感覚があるのでは。
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democracyは私ではなく、私たちの力によるもの 市場化、民営化、選択制→行き過ぎれば社会を無意味化する、私たちの力で社会を変えることが不可能に P.4 ブレジンスキーの発言 平等社会の個人にとっての「多数の暴政」問題 苅谷剛彦 「閉じた共同体的空間」内部における差異、...
democracyは私ではなく、私たちの力によるもの 市場化、民営化、選択制→行き過ぎれば社会を無意味化する、私たちの力で社会を変えることが不可能に P.4 ブレジンスキーの発言 平等社会の個人にとっての「多数の暴政」問題 苅谷剛彦 「閉じた共同体的空間」内部における差異、外は奇妙な無関心さ 努力の平等主義⇔結果の平等 日本 「小さな福祉国家」にして「大きな土建国家」、その下の「仕切られた生活保障」 平等意識と時間感覚「いま・この瞬間」 佐藤俊樹 戦後の不平等感の消失 →不平等に敏感 2 ウルリッヒ・ベック「社会的不平等の個人化」 ロベール・カステル「負の個人主義」 社会問題の心理化→公共的課題が個人で処理しなければならなくなり負担を強いられ、その状況が受容される テイラー 「自分自身に忠実」は自由なわけではない 問いの地平→自己定義、探究 社会 ラテン語「ソキエタス・キウィリス」 古代ギリシア語「ポリティケ・コイノニア」 →ポリス的共同体 アダム・スミスらのスコットランド 「civil society 市民社会」 ↑ヘーゲル「欲望の体系」 ピーター・ドラッカー 機能する社会の必要性 ピエール・ブルデュー 文化資本の世代的継承による階級構造の再生産 希望の分配のメカニズム エルンスト・ブロッホ 希望は「まだない」=宗教的希望の変種 【私時代のdemocracyの課題】 答えのない時代を受け入れ、自律・自己反省の契機とすること 自己完結的な安定性でなく、自己批判と自己変革を目指すこと 必要な他者を見出し、ともに議論し続けるための場をつくり続けること
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トクヴィルの「平等化」の時代・・・人々の平等化が実現し、安定したじだいのことではなく、人々の平等・不平等が意識化し、結果的に声をあげるなどすることで既存の秩序が動揺していく時代のこと。 近代の個人主義・・・伝統的な共同体や宗教などの束縛から解放され、自らの自分の運命を決められる...
トクヴィルの「平等化」の時代・・・人々の平等化が実現し、安定したじだいのことではなく、人々の平等・不平等が意識化し、結果的に声をあげるなどすることで既存の秩序が動揺していく時代のこと。 近代の個人主義・・・伝統的な共同体や宗教などの束縛から解放され、自らの自分の運命を決められるようになった個人化のことを指す。 現代の個人主義・・・社会的不平等の個人化など否定的な個人主義の側面が強い。
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民主主義について「私」という観点から論じているやや抽象的な内容が多く難しい本だった。フランスの政治学者トクヴィルの研究家だそうで、彼の言葉が再三登場するが、「平等化進展のゆえに、自他の違いに敏感になる」、それだけに人間の孤独が進んでいるのだと痛感した。こういった文脈の中で2009...
民主主義について「私」という観点から論じているやや抽象的な内容が多く難しい本だった。フランスの政治学者トクヴィルの研究家だそうで、彼の言葉が再三登場するが、「平等化進展のゆえに、自他の違いに敏感になる」、それだけに人間の孤独が進んでいるのだと痛感した。こういった文脈の中で2009年の政権交代のこと、その前の小泉・安倍時代のことが説明されていることが非常に分かり易く、「小泉首相の人気が自分の思いを前面に出していたから」という説明は今さらながらそう思う。「アメリカ後の世界」が「アメリカの没落」ではなく、「その他の全ての国の台頭」という説明もこの背景の説明として分かり易い。
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#学術会議 で排除されて注目されているのか否かは定かではないが、これは著者の代表作と言えるのではないだろうか(あくまでも「庶民」感覚として)。結局、人生とは「個人」と「社会」の折り合いをどうつけていくのかという葛藤である。そこで「政治的」に問題になるのは、肥大化した<私>の処理で...
#学術会議 で排除されて注目されているのか否かは定かではないが、これは著者の代表作と言えるのではないだろうか(あくまでも「庶民」感覚として)。結局、人生とは「個人」と「社会」の折り合いをどうつけていくのかという葛藤である。そこで「政治的」に問題になるのは、肥大化した<私>の処理である。哲学上の最大の問題は<私>とは何かであり、政治学上の最大の問題は<社会>とは何かである。本来は両者を架橋する学際的な「哲学」が模索されるべきだろう。とはいえ、著者は政治学者でありトクヴィルの専門家である。そのトクヴィルの懸念した状況が加速しているのが現代社会である。すなわち、著者は公共精神を失った現代社会を懸念しているわけであり、学者としては「ある意味」真っ当な部類である。そういう著者ですら国家から排除される状況とはいったい何なのか?現政権を考える上でも必読の書と言える。まず、「はじめに」だけでも読んで欲しい。で、心がざわついたなら本文を読んでみて欲しい。
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近代化がある程度達成されることで、人びとが自分を他者と平等であるような存在だと考えるようになり、そのために自他の違いについてますます敏感にならざるをえないことが、現代の社会のさまざまなひずみを生み出していることを、トクヴィルをはじめ現代の多くの社会学者たちの議論を参照しながら考察...
近代化がある程度達成されることで、人びとが自分を他者と平等であるような存在だと考えるようになり、そのために自他の違いについてますます敏感にならざるをえないことが、現代の社会のさまざまなひずみを生み出していることを、トクヴィルをはじめ現代の多くの社会学者たちの議論を参照しながら考察している本です。 ウルリッヒ・ベックによって焦点が向けられて以来、さかんに論じられてきた再帰的近代化の一つの側面を、わかりやすくていねいに論じています。著者は、単に問題の所在を指摘するだけでなく、それに対する処方箋を提示することもみずからの責務だと考えているようですが、結論としてはやや弱いと感じられます。また、かならずしもそうした処方箋を示す必要があるとも思えません。 とはいえ、全体を通じて関心を惹かれた論点がいくつもあり、興味深く読みました。
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政治思想史、政治哲学研究者による、現代社会における諸問題を概括した新書。本当にこれはすごい。 多様な社会学的文献を引用し、今日本で起こっていること(政治の混迷、プリナショナリズム、自分探し、主体性の賛美等々)がどのような文脈の中で起こってきたことなのか、具体例に寄り添いながら丁寧...
政治思想史、政治哲学研究者による、現代社会における諸問題を概括した新書。本当にこれはすごい。 多様な社会学的文献を引用し、今日本で起こっていること(政治の混迷、プリナショナリズム、自分探し、主体性の賛美等々)がどのような文脈の中で起こってきたことなのか、具体例に寄り添いながら丁寧に書かれている。 信仰が失われ、家族制度が崩れ、不平等が明確には意識されない、〈私〉という個人に重きが置かれるこのポストモダンの世の中でニヒリズムに陥るのか、それとも未来に希望を持って生きて行くのか。 目指して行くべき明確な方向性がない中、どのように模索するのか、そもそも模索を放棄するのか、個人的にずっとモヤモヤしていただけに、解決策が得られたわけではないが、モヤモヤの社会的文脈を改めて見直すことができた。 はじめに、の文章がいいので一部引用したい。 消費者の「自分らしさ」意識を満足させるための商品が、次から次へと生み出されています。とはいえ、それらは綿密な市場調査によって割り出された、類型化された「自分らしさ」に他なりません。「あなたらしさを演出する、定番アイテム!」などという吊り広告を見ると、なんともいえない気分になります。
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現代の日本人、特に若者の抱えているもやもやとした感情や思いを、社会学としてトクヴィルの平等理論を柱に用いて説明。 ・〈私〉であることを強く求めるようになっており、そのため〈私たち〉というデモクラシーを起こす事が難しくなってしまっている。社会の中で以前は機能していた、公私をつなぐ中間の存在が、企業など、役割を縮小していることが一因 ・一方で、〈私〉であろうとするには、社会が機能していなければならない。なぜなら、〈私〉であるためにはどうしても他との比較が必要であり、かつ、〈私〉でいてもよいという承認機能を持つのは社会であるから。 など。 他、印象に残ったこと。 ・社会問題が個人問題として現出する。 ・ノブレスオブリージュや名誉、といった概念は階層がある、つまり不平等を前提にした社会において成り立っていた ・グローバリゼーションにより、国家は「美観」を気にするようになり社会との差異を生んでいる。美観を気にする事により、そこについてくる事の出来ない国民を気にかけている余裕がなくなっている
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【読書その74】SMAPの「世界で一つだけの花」のように「ナンバーワンよりオンリーワン」。一人ひとりが私という存在を強く意識する社会。その中にあっていかに「私たち」の問題を解決するデモクラシーを実現するか。郵政選挙での自民党の圧勝時の中曽根元首相による「粘土が砂になった」という言...
【読書その74】SMAPの「世界で一つだけの花」のように「ナンバーワンよりオンリーワン」。一人ひとりが私という存在を強く意識する社会。その中にあっていかに「私たち」の問題を解決するデモクラシーを実現するか。郵政選挙での自民党の圧勝時の中曽根元首相による「粘土が砂になった」という言葉は極めて重い。
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