生の短さについて 他二篇 の商品レビュー
誰もが他人のために自らを費消しているのである。 生きることにとって最大の障害は明日と言う時に依存し、今日という時を無にする期待である。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・幸福な生について 二〇 「自分は、死に直面したときも、死の話を聞くときと変わらぬ(平静な)顔で死を見つめよう。自分は苦難を、それがどれほど大きなものであろうと、精神で肉体を支えつつ受け入れよう。自分は富を、それがあるときもないときも同じように軽蔑し、他人のもとにあっても悲しまず、自分のもとで輝いていても得意にはなるまい。自分は幸運が訪れようと去ろうと意識するまい。すべての土地はあたかも自分のものであるかごとくみなし、自分の土地はあたかもすべての人のものであるかのごとくみなそう。自分がこの世に生を享けたのは他者のためであることを弁え、そのことで自然に感謝するような生を送ろう。自然が自分のためを思ってしてくれることで、これ以上に善い何がありえたであろう。自然は自分という一個人をすべての人に恵与し、すべての人を自分という一個人に恵与してくれたのだ。何を所有しようとも、見苦しく固守することも、湯水のごとく浪費することもするまい。善き配慮をもって(自然により)恵み与えられたもの以外、自分が本当に所有しているものは何一つないと信じよう。自分が施す恩恵の価値をその数や大きさ、その他、受け手の評価以外の何物によっても測るまい。受け手がふさわしいと評価できる人なら、どれほど大きな恩恵であろうと、大きいとは決してみなすまい。何事も、名声を得るためにではなく、良心に照らして行なおう。自分以外知る人のないことを行なうときは、何事も衆人環視の中で行っていると考えよう。自分にとって飲食の目的は、腹を満たしたり空にしたりすることではなく、自然の欲求を鎮めることとしよう。友には心地よい人間、敵には温和で寛大な人間となろう。人の願い事を知ったなら、求められる前に叶えてやり、誠意ある嘆願にはこちらから進んで応えてやろう。世界がわが祖国であり、その統治者は神々であることを弁え、その神々が自分の言動には目を光らせる監視官として、頭上に、また四面にたたずみたまうと自覚しよう。自然が生命の息吹を返すよう求めるか、理性がそれを解き放つとき、自分は良心を愛し、善き業を愛し、自分のせいで誰の自由も制約されたことはなく、誰かのせいで自分の自由が制約されたことも決してないと神明に誓った上で、この世を去ろう」。こうしたことを実行すると心に誓い、望み、試みる人は、神々のもとを目指す旅に出るのである。まことに、その人は、たとえ目的を果たさずとも、敢然と壮図に挑み、斃れけりである。
Posted by
今ではとても想像のつかないやうな激動の世界の中で生きてゐたのだと思ふ。だからこそ、セネカは生きることを常に問ひながら考へ続けてゐたのだと思ふ。 宮廷と呼ばれる人間の欲と思惑で満たされた世界の中で、彼のことばはただの理想論だとか、負け惜しみや言い訳のやうだと鼻で笑はれただらう。 実...
今ではとても想像のつかないやうな激動の世界の中で生きてゐたのだと思ふ。だからこそ、セネカは生きることを常に問ひながら考へ続けてゐたのだと思ふ。 宮廷と呼ばれる人間の欲と思惑で満たされた世界の中で、彼のことばはただの理想論だとか、負け惜しみや言い訳のやうだと鼻で笑はれただらう。 実際、どうやら中心地からの追放により長く耐へ忍んでの生活の頃書かれたもののやうであるから、ところどころで、まるで自分に言い聞かせるやうな、どこかかつての生活に引張られてゐるやうな感じがする。かつての生活にあこがれてゐるやうな、できることなら今のこんな生活はしたくないといふやうな。 彼の生き様は宮廷の思惑の真ん中で常に命に脅かされ続けるやうなものだつたと思ふ。それまでに何人もの皇帝たちの屍体が宮廷に転がつてゐただらう。その皇帝に仕へるといふことは、何かの折に皇帝の行ひに付きあひ、その皇帝の成したことをなすりつけられる可能性がある。彼もさうしたことを見聞きしてゐただらう。 それでも彼は自らその渦中にあり、彼自身のできることを最期まで続けた。自害を命じられた時も、下手な自己弁護や逃亡をせず、自分の命運を悟り、自ら命を絶つた。 彼はさうした中で現実を痛いほどに眺めてゐたからこそ、考へ続けることをやめなかつた。真理といふものを追い続けてやまなかつた。理想とは、それなしにひとは生きられない。どんなにあがいても逃れられない、人間が求めてやまないさういふものなのだと思ふ。
Posted by
煩雑な生活の中で、毎朝10分程度本書を読み且つ沈思する事で、その日自分が何を為すべきかをしっかり見据えることができる気がしている。
Posted by
ローマ時代から「時間の無駄遣い」に人は悩み人生を有意義に生きることを望んでいた。スマホゲームにハマってるいまの世代と、人間の本質は変わってないし変わらない。(本当に「それ」が人生にとっては必要かどうか悩むことと無駄かどうかは別問題) 無駄な時間を徹底的に排除し効率的に生きること...
ローマ時代から「時間の無駄遣い」に人は悩み人生を有意義に生きることを望んでいた。スマホゲームにハマってるいまの世代と、人間の本質は変わってないし変わらない。(本当に「それ」が人生にとっては必要かどうか悩むことと無駄かどうかは別問題) 無駄な時間を徹底的に排除し効率的に生きることが大切なのではなく、こうして悩み推敲し自分の人生を点検しながら生きることが大切なのだろう。
Posted by
原書名:Annaei Senecae dialogorum libri duodecim 生の短さについて 心の平静について 幸福な生について
Posted by
人間は2000年前から何も変わっていないということがよくわかったし、その点は面白かったが、かといって人生の参考になるかというと微妙。
Posted by
ストア学派に興味があったので読んだ。 やはりまどろっこしいとは思ってしまう。 あとはこんな昔の人なのに今と変わらない部分もあるというのは感銘を受けるしいろいろ考える。 でも読んでてなんかしんどくなるかな。、 いまにはまるまる反映はできないかも。 いまはもっと違うアプローチができる...
ストア学派に興味があったので読んだ。 やはりまどろっこしいとは思ってしまう。 あとはこんな昔の人なのに今と変わらない部分もあるというのは感銘を受けるしいろいろ考える。 でも読んでてなんかしんどくなるかな。、 いまにはまるまる反映はできないかも。 いまはもっと違うアプローチができると思う。死からもにげれるようになったし。 でもまぁ姿勢は大事。 いまに生きるひととしてすごいチャンスを感じたし今を有意義に過ごそうと思うこともできる。
Posted by
セネカ「生の短さについて(他二篇」読了。後期ストア派。およそ二千年前の文章と思えない現在でも十分通じる処世訓であった。一例として、「生きることにとって最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である」繰り返し読み続けていこうと思う。
Posted by
ローマ時代の哲学者セネカ。皇帝ネロの先生だったが、晩年ネロから自死を言い渡される。 モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」の中では立派なようでちょっと煙たがられる微妙な役どころ。実際はどんな考えの持ち主だったのだろうと思い読んでみた。 彼の考える幸福とは、やはり、智を愛し、真...
ローマ時代の哲学者セネカ。皇帝ネロの先生だったが、晩年ネロから自死を言い渡される。 モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」の中では立派なようでちょっと煙たがられる微妙な役どころ。実際はどんな考えの持ち主だったのだろうと思い読んでみた。 彼の考える幸福とは、やはり、智を愛し、真理を追究することだったようである。 世事にあくせくして時間を浪費しないように説いている。 まあ、ローマ時代の賢者のボヤきとも言えるが。 共感することもあるけれど、時代の大きな違いを感じることも時々出てくる。 50,60歳まで幸運に生き延びたとして・・みたいな言葉もあって、80歳が常識だと思ってる我々からすれば、ちょっとびっくり。 だからこその表題で、セネカにしたら長生きしたかったことだろうと思う。学問は長し。 この間から「奴隷制度」っていったい何だったのだろうと考えていたのだけれど、丁度答えになるような引用があった。 ある賢者の奴隷が逃げた。しかし賢者は奴隷を連れ戻しに行かなかった。なぜかというと、「奴隷は私を必要としていないのに私が奴隷を必要としているのは恥ずべきことだ」だからだそうだ。 奴隷制度が当たり前の時代にこの発想はなかなか出来ないと思う。さすが!
Posted by