生の短さについて 他二篇 の商品レビュー
私の人生のバイブル。 「人生は短いのではなく、本人がそれと知らずに浪費しているだけ。金銭のように自分の時間を確固として守り、より良い生き方のために使うべき。」 まさに言うは易し、行うは難し。でも実践しなければ浪費する一方。やるしかない!
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I'm reminded of this book often in my daily life. since I had read this book, I came to find myself conscious about what I spent my tim...
I'm reminded of this book often in my daily life. since I had read this book, I came to find myself conscious about what I spent my time, not to consume for meaningless, irritating stuff.
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「われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのである。われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する」 古代ローマの哲学者セネカによる「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」の三篇が収められた本です。 最初は何となくパラパラと読ん...
「われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのである。われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する」 古代ローマの哲学者セネカによる「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」の三篇が収められた本です。 最初は何となくパラパラと読んでいたものの、気がつくと片手にペンを持ち、あらゆる文章を蛍光に染めながらページをめくっていました。「生の短さについて」では、老後まで閑暇の時を先延ばしにせず、哲学を追求し偉人の思想に触れることで人生は長く充実したものになると述べています。丁度、併読していた「DIE WITH ZERO」というベストセラーとの比較でいうと、「老後に計画を先延ばしにするな」というメッセージは同じである一方で、哲学に時間を使うべきと述べている点で異なっています。 二千年以上前の哲学者の言葉に触れることが出来るという読書の醍醐味を再認識したことに加えて、翻訳者の教養の高さが窺える文体も印象深かったです。人生において指針としたい言葉が数多くあり、この本に出会えて本当に良かったと思えました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
政治家であり、ストア思想の代表者として数えられるセネカの書。 ストア哲学はその実用性(?)がゆえに多くのビジネス書でも取り上げられるケースが多いですね(といっても、私はビジネスの領域で哲学の活用をうたう安直な言説には否定的なのですが。人間として日々の一瞬一瞬を哲学的に生きられない者が、ビジネスシーンで哲学的にふるまうことが可能なのでしょうか?)。 本書は表題にある『生の短さについて』のほか、『心の平静について』『幸福な生について』の三篇で構成されます。そのいずれを読むにつけ、身につまされる思いになります。。。 『生の短さについて』でセネカは、「我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費する」のであり、「全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている」と説きます。 時間がない(なかった)!と老齢になってから嘆く者についてセネカは言います。「彼は長く生きたのではなく、長く ”いた” だけのことなのだ」と。これはグサリときますね。。。 「怠惰な忙事」に陥らないよう、我々は誰と付き合い何をなすべきか?その心構えや態度が説かれます。 『心の平静について』は、セネカの弟子であり友人でもあるセレーヌスの悩みにこたえる対話形式で構成されます。 セレーヌスは素朴で倹約家であるものの、周辺で繰り広げられる豪奢な催し(パーティーですね)に心をざわつかせ、また一時的な気分から気宇壮大な態度になってしまう自身の浮ついた性格に不安を覚え、これをセネカに相談します(真面目だねぇ)。 これに対するセネカの助言や説明は非常に現実的であり、参考になります。 「・・・そういう人々の身体はねセレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ・・・自分が正道を行っていると信じることである」とセネカは言います。 国政に携わることは立派だが、「カルタゴの総監のような存在」のみが国事ではなく、「両手を切り落とされてもなお踏みとどまり、叫び声だけでも加勢しようとする者」も(なせる限りをなしているという意味で)立派である。 学問研究は立派だが、「読み切れない万巻の書にあたること」のみがこれに該当するのではなく、「少数の著作家に身をゆだねる」ことの方がはるかにマシである。 このような身の丈に合った現実的な思想は非常に参考になります。 『幸福な生について』では、世間で流布される幸福の基準に振り回されるのではなく、何が幸福なのか?を自身で見つめなおすことの重要さを考えさせられます。 「何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。」 一方でセネカは、富や名声を否定しませんし、むしろ肯定します。「賢者は財産に執着しないが、財産を持たないよりは持つに越したことはないと思うのである。・・・それを保管し、みずからの徳を涵養するためのより大きな資源として役立てようと望むものである」と。ここでもセネカの現実的で堅実な思想が読み取れますね。 本書を読んで感じたことは、まず自分の日常生活に照らして考えやすい、という点です。そもそもセネカも(古代ローマの生活を前提としていますが)日常生活に照らして思考や行動のあり方を説いていますので。 そして背伸びせず、今の自分にできる範囲での改善を説いている(と私には感じられました)点もとっつきやすいと思います。 自身の今後の「生のあり方」を見つめなおすのに、まず最初に触れていただきたい一冊だと思います。
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生は浪費すれば短いが活用すれば長い…スマホに時間を溶かされている現代人必読の書。 古代ローマの歴史ややギリシャ哲学についてもう少し勉強してから読み直したら、もっと面白いんだろうな…
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本棚整理していたら懐かしいと思って、以下感想(思い出し) 「ジャネーの法則」、一生における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというというものや、「光陰矢の如し」と言われる通り、月日や人生の流れが早い様をあらわす言葉や考えはこの世にたくさんある。 本書でセネカは、「われわれが...
本棚整理していたら懐かしいと思って、以下感想(思い出し) 「ジャネーの法則」、一生における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというというものや、「光陰矢の如し」と言われる通り、月日や人生の流れが早い様をあらわす言葉や考えはこの世にたくさんある。 本書でセネカは、「われわれが人生を短くしているのだ。」、「われわれが人生を浪費しているのだ。」と述べている。 人生をどう捉えるかは本人次第、加えて、運命の支配下にある未来に何もかも託したり、そのような未来のために今多忙を極め、月日を無駄にするのではなく、確定した過去と向き合い、今を生きる大切さを説いているように感じた。 未来への自分への投資も立派だが、今自分が何をしたいか、それに時間やお金を使うことは全くもって人間の性たる軽忽な行いのひとつではないことが分かる。 キリスト教や古代ギリシア・ローマに文化的背景をもつ欧米圏の人々と違って、仏教や儒教の影響を受けてきた日本人からすると、アジアとヨーロッパとで分けてしまう人もいるかもしれないが、それらは全く対極にあるというわけではなく、むしろそれらで通ずるところは多いにあって、「無為自然」を説いた「老荘思想」なんか特にそれ自体にこういう考えを見出すことができる 決して、流れに身を任せて生きるという部分だけを強調するのではなくて、(難しくなりそうなので簡単に言うと)今の自分を生きて、その後のことを流れに任せようということ 古い道徳感を今更押し付けるなよとか、2000年も前の哲学に興味ある方にはオススメ
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生は浪費すれば短いが、活用すれば長い。人は、時間が無形であるため、時間の価値を見誤り、浪費してしまうことがほとんどである。 ここまでの主張はとても刺さる。心に留め置きたい。 しかし、真に生を活用できるのは哲学のために時間を使う人のみというのはどうだろう。90歳になっても弁護士をし...
生は浪費すれば短いが、活用すれば長い。人は、時間が無形であるため、時間の価値を見誤り、浪費してしまうことがほとんどである。 ここまでの主張はとても刺さる。心に留め置きたい。 しかし、真に生を活用できるのは哲学のために時間を使う人のみというのはどうだろう。90歳になっても弁護士をしている人も、他人に時間を奪われているとバッサリ切り捨てられていたが、本当にそうだろうか。最後まで人の役に立つことを願って生き続けるのも、案外悪くないんじゃないかと思うが、この答えは実際に死期を迎えないとわからないことだ。 いずれにせよ、今を主体的に、大切に生きるということは忘れないようにしたい。
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人は長生きする保証はない。有益な計画を50.60歳までも延ばしておいて、わずかな者しか行けなかった年齢からはじめて人生に取りかかろうとするのは、何か人間の可能性を忘れた愚劣なことではないか。 毎日に意味を見い出して、生きようと思う。
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光文社の古典新訳文庫版を読みましたが、とてもわかりやすい訳でした。2000年前以上前の先人達の言葉にたくさんのヒントを得るなんて素敵なことだと思います。ギリシャ古典文学も色々読んでみたいと思いました。
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君たちは永久に生きられるかのように生きている。▼忙しさで心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。そして、すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまう。p.37▼生きることの最大の障害は期待である。それは明日に依存して今日を失うことである。...
君たちは永久に生きられるかのように生きている。▼忙しさで心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。そして、すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまう。p.37▼生きることの最大の障害は期待である。それは明日に依存して今日を失うことである。セネカ『生の短さ』 無為に過ごした80年は何の役に立つというのか。その人は生きたのではなく、人生をためらっていたのだ。死ぬのが遅かったのではなく、長い間死んでいたのだ。▼運命は望む(志ある)者を導き、望まぬ(志のない)者を引きずっていく。▼どこにでもいる人はどこにもいない。旅に人生を送る人たちは、多くの歓待を受けるが、友情を結ぶことはひとつもない。▼不要なものは一文でも高い(大カト)。セネカ『倫理書簡集』 人の命を奪うことはできるが、死を奪うことはできない。セネカ『フェニキアの女たち』 怒りは必要である。怒りは気概に火をつける。ただし、怒りを指揮官ではなく、兵士として扱わねばならない(アリストテレス)。セネカ『怒りについて』 財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあるが、愚者にあっては支配者の地位にある。セネカ『幸福な生活について』 所有の少ない人が貧しいのではない。渇望が多い人が貧しいのだ。セネカ『手紙』 恩恵を施す者はそれを隠せ。恩恵を受けた者はそれを公にせよ。セネカ『恩恵について』 一度も不幸な目に遭わなかった者ほど不幸な者はいない(デメトリオス)。セネカ『摂理について』 難しいからやろうとしないのではなく、やろうとしないから難しいのだ。セネカ ※セネカ。道徳哲学。皇帝ネロ(在位54~68)の先生。属州ヒスパニアのコルドバ生まれ。 竪琴を弾いて歌う人は、自分独りで歌うなら不安を感じない。しかし聴衆の前に出ると、たとえ非常に声が良く、竪琴を見事に鳴らしても不安になる。なぜなら彼は見事に歌いたいだけでなく、拍手喝采もされたいから。しかし「拍手喝采」は彼がどうにかできるものではない。p.171.▼自分ではどうにもならない意志外のことには大胆に、自分の意志でどうにかなるものには細心であれ。死に対しては大胆に、死の恐怖に対しては細心であれ。p.125-127.▼君は私の足を縛ることができる。しかし私の意志はゼウスでも征服できない。p.17エピクテトス『人生談義』 自分自身を統治できない者は自由ではない。エピクテトス『断片』※ローマ帝政、ネロ時代。 死を安らかな心で待て。死は生物を構成する要素が解体するにすぎない。万物の変化と解体は自然による。自然によることに悪いことは一つもない。私の魂も物質も消滅して無になることはない。私のあらゆる部分は変化して、宇宙のある部分に配分され、それが新たに宇宙のほかの部分に変えられる。▼何かをしたために不正である場合だけでなく、何かをしなかったために不正である場合もある。▼すべて君が苦手だと思うものに慣れよ。左手は習慣のないために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。これは慣れているからだ。▼もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。▼得意にならずに受け、いさぎよく手放せ。▼苦しみには限界があり、恐怖に想像を加えることしなければ、堪えられないことはなく、また永続するものでもない。マルクス・アウレリウス『自省録じせいろく』
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