わたしたちに許された特別な時間の終わり の商品レビュー
「わたしの場所の複数」では体のままならない饒舌な語り手になんとなくベケットを思い出させられながら、起こっていることと考えていることは同時に・同列に語れるし、語り手はそれこそマイクの前にかわるがわるひとが立ち、しかもその語りが物語上重要かどうかは問われないように、誰が担ってなにを語...
「わたしの場所の複数」では体のままならない饒舌な語り手になんとなくベケットを思い出させられながら、起こっていることと考えていることは同時に・同列に語れるし、語り手はそれこそマイクの前にかわるがわるひとが立ち、しかもその語りが物語上重要かどうかは問われないように、誰が担ってなにを語ってもよいのだということを思った。けどすごく好きなのは「三月の5日間」だった。でもなんでか全然うまく説明できない。
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古代の歴史書には「いつも通り」の物事は記録されない。記録されるのは何か異例のことが起こったりしたとき。 この本の中には、ちゃんと意識したことないけど日常の中に確かに存在してるもの(そしてそれらは歴史書を綴るときにはまず書かれない)が意識的にたくさん描かれていた。 「部屋の天井...
古代の歴史書には「いつも通り」の物事は記録されない。記録されるのは何か異例のことが起こったりしたとき。 この本の中には、ちゃんと意識したことないけど日常の中に確かに存在してるもの(そしてそれらは歴史書を綴るときにはまず書かれない)が意識的にたくさん描かれていた。 「部屋の天井の蛍光灯のうち、外側に据え付けられている大きな円の方」「直径二十センチほどの、滑り止めのための環状の模様のへこみ」「帰り際に客がトレーをそこに自分で重ねて片付けるための置き場」などなど。 実をいうとこのことに気付いたのが2篇目の後半を読んでいる時で、それ以降にそういう表現に出逢ったらメモろうと思ったのだけど、マジでめちゃくちゃ出てきて書き切れなかった。 それは物の名前以外にも、何でもない動作とか、感情とか、「わざわざ小説に書くほどではないけど間違いなく存在すること」が十分な分量で書かれていて、そのためか読んでいて気持ちが良かった。
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トヨザキ社長オススメから。中編2作品からなる小品。でも会話も地の文で繰り広げられつつ、改行も最小限で語り進められるから、読み応えはかなり大。思ったことをそのまま文章にしてるみたいなとりとめなさを感じさせつつ、でも読み進めるのに難儀しないっていう難解な業を、矢継ぎ早に繰り出されてい...
トヨザキ社長オススメから。中編2作品からなる小品。でも会話も地の文で繰り広げられつつ、改行も最小限で語り進められるから、読み応えはかなり大。思ったことをそのまま文章にしてるみたいなとりとめなさを感じさせつつ、でも読み進めるのに難儀しないっていう難解な業を、矢継ぎ早に繰り出されている感じ。いつの間にか語り手が変わってたりするけど、それを込みでもリーダビリティは意外に高い。前半の、どことなく村上春樹な雰囲気も感じる作品の方が、個人的にはより好み。でも後半の退廃的夫婦の物語も味わい深し。
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john gastroの純文学コーナー「J/B」で購入。 本質ではないけど、映画館で会った女の子の突き抜けた痛さが心苦しい。
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全ての思考や行動があっちにいったりこっちにいったりする、でも語られないところは必ずあってその空白が気になってしまう。三月の五日間の映画館にいたブサイクな女の子の痛さが、自分か!と思って直視できなかった。直読。
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なかなか話の中に浸るには 難解な小説だった。 非日常な2編の主人公たちの 「特別な時間」は、自分が経験したいか・・・と問われれば、(したくない)時間の過ごし方だけど、 私が気づかないだけで、案外 そこらへんに歩いている人たちは そんな時間を過ごしたことがあるのかもしれない。 ...
なかなか話の中に浸るには 難解な小説だった。 非日常な2編の主人公たちの 「特別な時間」は、自分が経験したいか・・・と問われれば、(したくない)時間の過ごし方だけど、 私が気づかないだけで、案外 そこらへんに歩いている人たちは そんな時間を過ごしたことがあるのかもしれない。 文章はとても映像的で、肉感を感じさせる。 とくに2編目の中にあった 「右足の親指の裏側の脇のほうが、いつのまにか、人差し指の上に乗っかるような感じ」 上手いなぁ・・・と思う。 でも 一人語りのくどさとの戦いでした。
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収録された二編とも起伏のないストーリーで、人称や視点がころころ変わり、決して読み易くはないはずなのに、不思議と引き込まれた。大江健三郎による巻末の解説も、濃密で読み応えがあった。
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脚本は前に読んでいてそっちの評価文等は読んでいたのだけど、なのに小説は全然読み進まなくて、買ったときに観に来ていたチェルフィッチュの舞台も身が入らずじまいで挙句寝てしまって、多分そのだるさみたいなものが取れたから今回読み終えられたような気がする。 読めなかったのは、やはり緊密性が...
脚本は前に読んでいてそっちの評価文等は読んでいたのだけど、なのに小説は全然読み進まなくて、買ったときに観に来ていたチェルフィッチュの舞台も身が入らずじまいで挙句寝てしまって、多分そのだるさみたいなものが取れたから今回読み終えられたような気がする。 読めなかったのは、やはり緊密性があるのだと思う。本来あるはずの文末・句点やが流れまくった口語の文章は、そのモダリティすら浮遊感と空虚をちゃんと演出する。頭は使わされる。かわいこぶってないけど面白く読めて、一読の価値は間違いなくある。 読み返しもしたいところ。
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久々に文学っぽいものを読んだなあという感じ。 同名の映画に興味があって、小説を読んだ。 出てくる固有名詞にも、六本木のスーパーデラックスとか、なじみがあってというか、むかしをおもいだして、あーきもちわかるよというか、わかりたくないというか、閉塞感への親近感はもてた 物語ではなく...
久々に文学っぽいものを読んだなあという感じ。 同名の映画に興味があって、小説を読んだ。 出てくる固有名詞にも、六本木のスーパーデラックスとか、なじみがあってというか、むかしをおもいだして、あーきもちわかるよというか、わかりたくないというか、閉塞感への親近感はもてた 物語ではなくて、ある雰囲気の切り取りを読んだようなきもち。 骨組みとしては?時間軸と語り手の視点がねじれていって、それが絶妙なうまさというか、気持ち悪さを醸し出してるのだと思った
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イラク戦争下。タイムアウトを迫る世界から遠く離れ特定の行為に埋没し、その世界からもまた日々の生からも離脱することを許された特別な時間はやはり終わり、剥き出された赤裸の日常性に否応なく巻き込まれる(「三月の5日間」)。 あるにのはただ無為と倦怠が偏在する複数の場所であって(「わたし...
イラク戦争下。タイムアウトを迫る世界から遠く離れ特定の行為に埋没し、その世界からもまた日々の生からも離脱することを許された特別な時間はやはり終わり、剥き出された赤裸の日常性に否応なく巻き込まれる(「三月の5日間」)。 あるにのはただ無為と倦怠が偏在する複数の場所であって(「わたしの場所の複数」)、悪意と諦念の瀰漫する日々の中でさえ、ふいに「良質の悲しみ」(©大江健三郎)が現れる。
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