リア王(訳:斎藤勇) の商品レビュー
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遺産分配の際に自分への愛を上手く伝えられないコーデリアを相続から外すリア王。フランス王と共にフランスに旅立つコーデリア。遺産分配後に2人の娘ゴネリス、リーガンに冷たくあしらわれるリア王。グロスター伯爵の元に身を寄せるが・・・。グロスター伯爵の庶子エドマンドの陰謀。陰謀により追放されたエドガー。ゴリネルの扱いに気がふれるリア王。リア王に追放されながらも忠誠を貫くケント伯爵。エドマンドにより追放されるグロスター伯爵。伯爵のために復讐を行うエドガー。上陸したフランス軍を率いるコーデリア。
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この戯曲はシェイクスピア中でももっとも心を刺す台詞の多い作品の一つである。 四大悲劇のハムレットの結末と同じく、救いはないのだが、そこはかとなくマクベスのような狂気もある。 また、この岩波のリア王は解説もまたたっぷりあって、脚注も本文の下に添えてあり、目に入らざるを得ないよう...
この戯曲はシェイクスピア中でももっとも心を刺す台詞の多い作品の一つである。 四大悲劇のハムレットの結末と同じく、救いはないのだが、そこはかとなくマクベスのような狂気もある。 また、この岩波のリア王は解説もまたたっぷりあって、脚注も本文の下に添えてあり、目に入らざるを得ないようになっているのだが、これはヘンリー四世の訳者が「まずは本文を読んで、解説はそのあとで」というようにいっていたのと対照的である。また、マクベスの訳者は当時のイギリスでの観劇者たちの理解は現代の文字をじっくり追う読者にまったく劣らないものだった、それは原文の言葉の絶妙な使われ方によると言っていた。が、このリア王の訳者はシェイクスピア劇は観るものでなく、読むものであるという意味に近いことを言っている気がする。こういう個性の洪水のような解説があるのもおもしろかった。
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常識として知っておくべきかと思って読んだ、ロミジュリ、ハムレットに次ぐシェイクスピア3作目。 残念ながら、深く物語の中に入り込むことはできなかった。初演されたという1605~1606年といえば、ちょうど日本では江戸幕府が開かれた頃だ。しかし以前アメリカ人に源氏物語を説明しようとして、現代語と古語はかなり違うと話したら、「僕達がシェイクスピアの時代の文を読むのと似たような感じだね」と言われたので英語圏の人から見たらそういう認識なのだろう。確かに事前知識無しで源氏物語のストーリーに引き込まれた、という人もなかなかいないだろうから、私と物語との距離は空間よりも時間の隔たりによる物だと思う。 読み終わってますます思うのは、シェイクスピアは人を殺して話を切り上げるのが好きなのではないかということだ。今まで読んだ作品にしてもこの『リア王』にしても、いくら悲劇とは言え、特に死ななくてもよいのではないかと思う人が死んでいる。またその死に方も、それまでの過程も昼ドラ並みのドロドロ感。キリスト教の教えにより自殺(日本なら切腹という手段があったが)が嫌われ、また仏教的な「輪廻」や「来世」という考え方もないからか、肉食的な争いだと思うのは気のせいだろうか。また世界史で学習したように王はあくまでまだ地位であり、日本での、神と同義語であった天皇の存在とは異なる。権力者に取り入るのはどこの世でも同じだが、複数の人間が天皇の命を、といった設定の話はまだ少なくとも私は聞いたことがないし(あるのかもしれないが)、仮に帝位を降ろさせたところで自分が天皇になれるわけではないのだ。そこが空間的に日本との違いを感じた部分であった。 私にとって、読む前の『リア王』の認識は、『赤毛のアン』でアンがマリラに向かって『コーデリアと呼んでくださらない?』と言った、そのコーデリアが出てくる話、というかなりズレたものだったが、空想好きで、思ったことがつい言葉や行動に出てしまうアンがリア王を読んで、孤児という自分の身の上をコーデリアに重ねていたのだということが分かったのは読後の収穫だった。有名な作品ほど、そして古い作品ほど(シェイクスピアやゲーテ、ひいては聖書など)引用されることが多く、やはりそういった作品に一通り目を通しておくのは、いつ・どこの作品を読む上でも重要なことであると思った。
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シェークスピアの4大悲劇の一つにも数えられ、確かに話し全体を見てみると悲劇であったが、所々に我々人類社会に生きる者に対して、というと大げさかもしれないが、教訓というか警鐘というか、何か伝えようとしている、あるいは皮肉っているようにも読め、非常によい作品であったと思った。。
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悲劇の、ラストに向かって雪崩のように突き進んでいくさまって、カタルシスだなあ・・・。リア王は、なんだかギリシャ悲劇っぽい。オイディプスとか。それにしてもなかなか卑猥な表現が豊かで、時代もあるのだろうけれど、シェイクスピアって大衆向けだったような気がしてならない。
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三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも...
三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇。
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とりあえず訳注、読みやすい構成だったし文章だとわからない細かい舞台の仕草とか宗教上の比喩とか教えてくれるのはありがたかったんだけど、後々の展開までネタバレするのはやめて! こちとらあらすじもロクに知らずに読んでるんだよ! 訳者の想定より無教養なこっちが悪いのかもしれないけどさぁ...
とりあえず訳注、読みやすい構成だったし文章だとわからない細かい舞台の仕草とか宗教上の比喩とか教えてくれるのはありがたかったんだけど、後々の展開までネタバレするのはやめて! こちとらあらすじもロクに知らずに読んでるんだよ! 訳者の想定より無教養なこっちが悪いのかもしれないけどさぁ。 また読めば理解が深まって印象が変わるのかもしれないけど、初見では虐げる者が虐げられる者に変わっていった印象。リア王にあんまり同情できなかったのは読みが甘いせいなのかな。自分から権力手放しておいて偉ぶってたらそりゃ嫌われると思うんだけど。 リア王は末娘コーデリアを虐げ、残った姉二人に虐げられる。グロスター公は庶子エドマンドの前でエドマンドの母親との情事を語るという無神経な振る舞いをするが、後にリア王への忠義を見せ両目を抉られる。姉二人はエドマンドに弄ばれる。コーデリアは終始父思いだが、しかし父にねだられて唱えた愛の言葉は、いささか言葉足らずだったのは否めない。 善と悪、加害者と被害者、賢者と道化が移り変わる。なるほど、普遍的で面白い。
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●高慢だったリア王が、2娘に虐げられて自身の短慮を知り、卑屈になっていく様は衝撃的だった。立場や環境の変化が、こうも短期間に人の本質を変容させるのか。言い換えれば、幼稚ともいえるような本性が露顕したものが、苦難を経て今あるものを受け入れる心境に成長したのか。 読了日:2011...
●高慢だったリア王が、2娘に虐げられて自身の短慮を知り、卑屈になっていく様は衝撃的だった。立場や環境の変化が、こうも短期間に人の本質を変容させるのか。言い換えれば、幼稚ともいえるような本性が露顕したものが、苦難を経て今あるものを受け入れる心境に成長したのか。 読了日:2011/06/22
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シェイクスピアの名言は、たくさんあるよね。 シェイクスピアの本を、小説で読みたいと思った時期もあったけど、 きっとこういう演劇台本のような形だから、 名言が背景とともに美しく浮かび上がるんだろうね。 人間の想像力の力に、乾杯!
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リア王が、自分に対する愛を娘三人に競わせ、言葉で愛を表現しなかった末の娘に怒るという有名なシーンから始まる悲劇の物語。 「原本が残っていない」というこのリア王には、非常に多くの解説や批評があるようで、お世辞にも読みやすいものではない。この本では、巻末ではなく脚注として多くの情報...
リア王が、自分に対する愛を娘三人に競わせ、言葉で愛を表現しなかった末の娘に怒るという有名なシーンから始まる悲劇の物語。 「原本が残っていない」というこのリア王には、非常に多くの解説や批評があるようで、お世辞にも読みやすいものではない。この本では、巻末ではなく脚注として多くの情報が提供されており、それを手掛かりに読み進めることになる。日本語訳にされてるとはいえ、リズムのいい、詩的な訳文である。 「運命の女神の車」、すなわち上のものが下になり、下のものが上になるという価値観の逆転を多用し、登場人物たちがそれぞれの運命に翻弄される。多くの含蓄を含んだ大いなる文学、という点を放っておいて、一つのストーリーとして読んでも十分、面白い。
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