教育の職業的意義 の商品レビュー
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若者の就職やキャリア教育のことについて、ここ数年夥しい数の書籍や雑誌の特集号が組まれている気がするけれど、とりあえず、皆が同じ土台で議論をしていくために知っておくべき情報が整理されている本。日本における就職事情の変化、職業教育・キャリア教育の変遷、世界の中での日本の職業教育・キャリア教育、就職事情の位置など、とにかく、「現在の」「日本における」就職事情、職業教育・キャリア教育事情の位置をきちんとマッピングしてくれている。
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淡々と。 読み物というより、論文的な構成ですので、楽しんで読む本でもないです。 まず現状として、 ・増加する非正社員側の苦境:低賃金と脱出の困難さ ・正社員側の苦境:過重労働化と、年功序列による賃金カーブの傾斜の鈍化 という事態が呈示される。 「若者」の中での非正社員の増加は最早一般常識として、 正社員側の労働環境の悪化についてはまだ浸透した認識とは言えないし、 個人的な実感としても議論の余地がありそうに思う・・・ 自分の勤め先について言えば、過去においては「実質」の労働時間と、データとして提出される額面上の労働時間とにかなりひらきがある。 まぁそういう(法律に引っかかるような状況は)10~20年以上前の昔話としてあって、この本で引用されているのは2002年/2007年の比較データだったりするから、そのスパンでは確かに正社員の実質労働時間は増えているのかもしれない。 ただ並べて呈示されている、労働災害請求数の推移(H13~19年度の増加状況を示す)を見て、「特に精神障害の増加の度合いが著しい」根拠にするのはどうかと思う・・・・ 「うつ病」という概念が浸透して、しかもそれを労働災害として広く認知されるようになってきたのも、この10年程の間のことで、それ以前にもデータに出てこないだけで「うつ病」的な労働災害が同程度が、それ以上に発生していた可能性は低くないように思う。 * 第2章は明治から現在まで、教育の職業的意義がどのように考えられてきたかを解説していて、ここは読み物としても面白い。 その中で、その後に使用する「教育の職業的意義」の二本柱になる概念として呈示しているのが、(職業への)「抵抗」と「適応」の為の教育、という考え方。 戦時中の職業への教育において反省的に語られているのが、「適応」、特に国策への人材の適応の為の教育に偏向して、労働者に自身の権利を守る為の抵抗のすべを教育してこなかったということ。 第3章は国際比較において日本の教育の職業的意義の低さを指摘するもの。 第4章・第5章が、いよいよこれからあるべき「教育の職業的意義」を語る章。 第4章は昨今流行の「キャリア教育」批判から入るわけですが・・・ このあたりの主張は、『軋む社会』あたりの主張と共通(同一著者なのだから当然)。 具体策として専門高校の復権を主張。 一方で、各専門職に特化した教育課程に一旦入った後、もしその学生がその教育・職に合わなかった場合の方向転換を可能にする余地と、大学受験等の制度整備とを求めている。 正直、これは『軋む社会』を読んでも思ったことだけど、ここの主張をどう実現していくか、具体策に乏しいという印象を否めない。 全体的に、職業教育が必要だという主張には賛成。 個人的な実感として、今の日本の(特に、自分がそうだったことも反省しつつ文系)大学生の9割9分は遊んでないでとりあえず働けというところでしょう・・・ 高い学費親に払わせて遊んでるとかマジ屑だよね、という非難を、しかし大学生個々人に向けたところで、 「せめて大学くらいは出してあげないと・・・(ろくに就職できないじゃない?)」っていう情勢の中では無駄。 だから制度から変えていきましょう、という主張としては賛成。 でも、じゃあ具体的にどう変えられますか?ていったら相当に難しい。 いまある専門高校がどういうものか、あまりイメージがないからかもしれないけど・・・
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弾性と開放性をもつ「暫定的な」職業的専門性を、「とりあえず」身につけること、そこを言わば基地として、隣接領域やより広範な領野への拡張を探索してゆくこと=柔軟な専門性 という論には共感した。タイミングに関しては、高校と大学の間に柔軟な専門性を身につけるのがよいと思う。身体に職業を通...
弾性と開放性をもつ「暫定的な」職業的専門性を、「とりあえず」身につけること、そこを言わば基地として、隣接領域やより広範な領野への拡張を探索してゆくこと=柔軟な専門性 という論には共感した。タイミングに関しては、高校と大学の間に柔軟な専門性を身につけるのがよいと思う。身体に職業を通じた知恵が身に付いた人ほど、学問的な知識を身につけることができるはずだ。その知恵を学ぶ場としては、企業で事務や営業を学ぶのみならず、漁村や農村が考えられると思う。先人の生きる術が濃縮された空間だからだ。
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2011.09.30 就職難が続く現状の厳しい社会環境の中では、おっしゃる通り教育の社会的な意義を強化することは重要なんだと思います。ただ、企業側も採るにとれない理由があるわけで、教育側を変えるだけでは解決できないと思われます。この問題は本当に難しい難しい。 普通科オリエンテッド...
2011.09.30 就職難が続く現状の厳しい社会環境の中では、おっしゃる通り教育の社会的な意義を強化することは重要なんだと思います。ただ、企業側も採るにとれない理由があるわけで、教育側を変えるだけでは解決できないと思われます。この問題は本当に難しい難しい。 普通科オリエンテッドなこの環境を変えていく具体的な方法論にも、さらに迫っていく必要があると感じた次第です。
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マクロ的な視点で書かれている本ということでは、けっこうデータの裏付けはあって納得できると思います。ただ、職業的意義を持った教育の推進にはものすごく時間がかかるというか人の考えを根底から覆していかなきゃいけないので大変だと思いますね。あまり現実的ではないと感じます。教育を変えるとな...
マクロ的な視点で書かれている本ということでは、けっこうデータの裏付けはあって納得できると思います。ただ、職業的意義を持った教育の推進にはものすごく時間がかかるというか人の考えを根底から覆していかなきゃいけないので大変だと思いますね。あまり現実的ではないと感じます。教育を変えるとなると、働く現場の考えも変えていかなければならない。今、企業で中核を担っている「苦労した世代」が退出していく中で、新たな考えを少しずつ若い世代に広めていく手段を考えるべきかと思います。
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高校生・大学生の就職率が最悪の状況だ。それよりも、失業率も雇用状況も改善の見込みがない。そもそも中途採用の枠すらないのだから、新卒採用枠なんぞもっとないのが当然の成り行きのはずだが、雇用状況が悪い状況では、それに連動して教育も生活も悪くなるのは当然の帰結だろう。コロンブスの卵で...
高校生・大学生の就職率が最悪の状況だ。それよりも、失業率も雇用状況も改善の見込みがない。そもそも中途採用の枠すらないのだから、新卒採用枠なんぞもっとないのが当然の成り行きのはずだが、雇用状況が悪い状況では、それに連動して教育も生活も悪くなるのは当然の帰結だろう。コロンブスの卵ではないが、しっかりした収入がまず無ければ、生活することができず、同時に教育への十分な投資もできるはずがない。 著者は、若年層への過酷すぎる就労環境への風当たりの原因を、社会(国家政府・企業)、学校などが「教育の職業的意義」を軽視し、学校現場で十分な教育をしてこなかったからだと主張する(学校現場といっても、教育政策がまずありきだが)。 「教育の職業的意義」とは、序章で「教育の職業的意義」を教えることへの反論に答えている(=再反論)中から見ることができる。ざっくりまとめると、以下のようにでもなろうか。 ①これまで会社が大部分を請け負ってきたもので、今ではそれが不可能であること。 ②「専門な柔軟性(flexpecially)」を身につけること。 ③学校教育という「保護された段階」で選択の練習が可能であること。 ④働く者全員が身につけるべき労働に関する基本的知識(制度など…〈抵抗〉の側面)と個々の職業分野に即した知識(〈適応〉の側面)が求められていて、それらを駆使して自分の働き方をより良くしていくこと。 特に目を惹いたのが、各学校で「総合的な学習の時間」などに行われている「キャリア教育」の効果が実感できてないことについてだ。著者の論に、なぜキャリア教育の実効性が不十分と感じるのかという課題がクリアになった。つまり、著者の論を敷衍すると、自分探しや自己分析、自己PR、面接練習に始まり(特に自己分析などの時間がお喋りの場になりやすい)、職業体験、インターンシップ、ゲストティーチャーという活動でも、「将来のことを考えろ」、「将来の自分の進路は自分の責任で決めろ」と「善きものを持たねばならない」という規範をかざすのだが、「ではどうしたら自分の進路を決められるのか」、「どうすれば善きものを持てるのか」という手段・方法が示されず、目標を持ったとしてもそれが「善きもの」という保証を与えるわけではないというわけだ。ここに息苦しさや空虚さを感じてしまい、実感できなくなるわけだ。 「学校は社会の縮図である」と言われる。ならば、「教育の職業的意義」を社会でも再考し、新たなモデルを提示し実行することが急がれる。
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抽象的で大枠の話。具体的になにをどうすりゃいいのかわからん。 そもそも誰に向けた本かわからなかった。困ってる学生じゃないし、なにをどう教えりゃいいか迷っている教育者でもない。むしろ教育学関係者向け? いきなり「予想される批判への反論」からはじまるのもわけわからんし。
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本書を通じて「適応」と「抵抗」という言葉が幾度も出てくる。この2つの言葉を各人の置かれている立場で考えてみてほしいということが、最終的なメッセージと認識した。 ・キャリア教育:社会や職場への適応のため。いかなる変化・領域にも対応可能な汎用的・一般的スキルをつけておけばいいという発...
本書を通じて「適応」と「抵抗」という言葉が幾度も出てくる。この2つの言葉を各人の置かれている立場で考えてみてほしいということが、最終的なメッセージと認識した。 ・キャリア教育:社会や職場への適応のため。いかなる変化・領域にも対応可能な汎用的・一般的スキルをつけておけばいいという発想。しかし!自己実現アノミー昂進の問題あり! ・労働の基本的知識・政策・法律:しんどい現実や理不尽な事象に抵抗するため この2つを各段階の教育機関やらなければならないのだから、かなり周到にカリキュラムを組まねばなるまい。浮ついたスローガンや理念から、地味で着実で堅牢な知識・技術の習得にシフトせよといっている(p.161).。まず仕事の担い手としての足場を固めてから、市民教育を施さないといけないと思う。 加えて、現実に抵抗すらできない層もあることを再認識した。 それは、非正社員であり、正社員の雇用や処遇を守るバッファーの役目を果たしているという。このようなパラドキシカルことは、多くの職場であるだろう。 高校段階の事例として、以下に留意したい。 ・アメリカでは日本の12単位に相当する職業科目が提供されている。 ・カナダの高校の多くは総合学科 ・シンガポールの職業高校(成績下位の者がいくことが多い)ITE生徒は、学校での学習を肯定することが多い。→敗者復活トンネル 柔軟な専門性(Flexpeciality) ある、専門分野に特化しすぎずに、他の専門分野の学習を端緒・入り口・足場として、隣接する分野、より広い分野に展開できるポテンシャルを組み込んだカリキュラムが必要だという。造語の語源は(Flexibility+Speciality)だそうだ。本書ではp.197にこの事例が紹介されている。 ちなみに、EU/デンマークでは、労働市場政策で「柔軟な安定性(Flexicurity)」(Flexibility+Security)が使われている。
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多くの教育関係者、企業人、そしてふつうのお父さんお母さんに読んでいただきたい本です。 「このままでは、教育も仕事も、若者たちにとって壮大な詐欺でしかない。私はこのような状態を放置している恥に耐えられない(p.214)」 本田先生の主張は熱いです。
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労働環境(日本型雇用慣行)の変化と、そこから表出する現状の教育問題、そして対案。 昨今話題の「キャリア教育」の課題も明確にしており、勉強になった。 高校段階からの専門教育(職業)を意識した学校・学会・コース再編や、就職後を含む柔軟な移動など、賛同するものも多かった。 社会に出ても...
労働環境(日本型雇用慣行)の変化と、そこから表出する現状の教育問題、そして対案。 昨今話題の「キャリア教育」の課題も明確にしており、勉強になった。 高校段階からの専門教育(職業)を意識した学校・学会・コース再編や、就職後を含む柔軟な移動など、賛同するものも多かった。 社会に出ても、十分に職業教育を期待できない現状を知り、また、改善の策を見つけられる一書。
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