感染症は実在しない の商品レビュー
病気は実在しないということを認識すること、 価値交換としての医療の模索すること、自分も医療人のはしくれとして、自分なりに考えていきたい。 あと、学術論文は英語で読む。やっぱり、これが今の自分の課題。
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この題名は、誰が言い出したのだろう? かなり大胆で、驚く でも、内容を読むと、その通り お腹の中では思っていても 患者に対しては言えないこと 薬を飲まなくても、9割の人は大丈夫って 医療費を削減しなくてはいけないのに 無駄な薬を飲んでいる人がほとんどってことだよね
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題名が面白そうなので読んでみました。著者が岩田先生なのもあります。 岩田先生の感染症の本はすごい好きで勉強になります。これだけは始めに言っておきたい。 この本はタイトルの通り、病気一つ一つが、そういうものが実在するわけではなく、「恣意的に」医療者が、グレーゾーンを有する現象...
題名が面白そうなので読んでみました。著者が岩田先生なのもあります。 岩田先生の感染症の本はすごい好きで勉強になります。これだけは始めに言っておきたい。 この本はタイトルの通り、病気一つ一つが、そういうものが実在するわけではなく、「恣意的に」医療者が、グレーゾーンを有する現象に名前をつけただけで、そういうものが存在するわけではないという論理を展開している本で感染症の勉強になるものではないです。哲学的な本です。(タイトルから察せよ!って?) ①説明がくどい ②「構造構成的」に考えるメリットの展開がなさすぎる。 ③人間の思考には時間軸があることをあまり考慮されていない。 など、多々思うことあり。あまり読解力のない自分なので、読みきれてないところもあるとは思いますが。 興味のある人は読んでもいいかなという感じの本です。
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病気・医療について根源的に考察された本。 「病気は実在せず、医者に意図的に、恣意的に認識された現象である。」 (p.185) という言葉に集約されると思います。 これについて感染症のみならず、高血圧、糖尿病、メタボリック症候群、癌、精神疾患などを例に挙げて説明しています。 また...
病気・医療について根源的に考察された本。 「病気は実在せず、医者に意図的に、恣意的に認識された現象である。」 (p.185) という言葉に集約されると思います。 これについて感染症のみならず、高血圧、糖尿病、メタボリック症候群、癌、精神疾患などを例に挙げて説明しています。 また、そう捉えることによって医療の目指すべき方向性について「個人個人の価値観との交換行為」(p.189)というキーワードで論じています。 医療とは本当はどういうものなのか、についてとても勉強になります。 医療者だけでなく、もっと一般の方に読まれてほしい本です。
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価値観の交換としての医療、そしてそのための情報開示なのだが、 ここで想定されている患者はあまりにも決定力がある。実際には医療を受ける弱った状態での逡巡や責任を他人に預けたいという依存、引き受けるべき状況への否認・・・とのせめぎあいともたれあいをなくせという著者の主張はきついなあ ...
価値観の交換としての医療、そしてそのための情報開示なのだが、 ここで想定されている患者はあまりにも決定力がある。実際には医療を受ける弱った状態での逡巡や責任を他人に預けたいという依存、引き受けるべき状況への否認・・・とのせめぎあいともたれあいをなくせという著者の主張はきついなあ 医者ってそこも込みでの医は仁術だといままでの経験から思っていたのは甘えでしたか
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キーワードは「価値交換行為としての医療」。 「病気は実存しない、現象である」という仮説に基づかれて書かれています。
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あらゆる病気は実在せず、現象であることを論証した本。 さすがわ、岩田健太郎先生。切れ味抜群で分かりやすい。 ドラッグラグ・薬害のところなんかは特に共感した。 本書の提示する解決策しかないだろうと思う。 また、病気が実在せず現象であることに対して深く体感的に学ぶことができた。 人に...
あらゆる病気は実在せず、現象であることを論証した本。 さすがわ、岩田健太郎先生。切れ味抜群で分かりやすい。 ドラッグラグ・薬害のところなんかは特に共感した。 本書の提示する解決策しかないだろうと思う。 また、病気が実在せず現象であることに対して深く体感的に学ぶことができた。 人に薦めたくなる一冊。 免疫学をかじっている人間としては病気だけでなく、免疫反応も実在しないのだと思った。 非自己を排除する現象であり、ものとして実在はしない。
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http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a7d3.html
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
診察の合間に、少しずつ少しずつ読み進めてきました。臨床に携わって5年が経過し、自信の持てる部分もできました。けれども言い表せない不安もまた然り。これで良いのか、という問いとこれで良いのだという問いはどちらも良い、悪いという二者択一の中に答えがあるという観点でほぼ同じような答えしか見いだせない。死と生のめまぐるしく入れ替わる日常において、そんな禅問答のようなループを考えてしまうこともあります。若い、といえばそうなのでしょう。けれどもわたしは日頃抱えている悩みを一端括弧に入れて少し考え直してみたくなりました。この本は、適度にシニカルで適度に正当性を俯瞰しています。医療に携わる者としてのあり方、そして姿勢を整えるさせてもらえた気がします。
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池田清彦や内田樹のファンである医師による,病気の実在を否定する本。…といっても別に冷笑的でも無意味な不可知論でもなく,結構有益だった。 病気が実在しない,というのは,病気は「もの」でなく現象,すなわち「こと」にすぎない,ということ。病気と健康の切り分けは,医師や社会によってか...
池田清彦や内田樹のファンである医師による,病気の実在を否定する本。…といっても別に冷笑的でも無意味な不可知論でもなく,結構有益だった。 病気が実在しない,というのは,病気は「もの」でなく現象,すなわち「こと」にすぎない,ということ。病気と健康の切り分けは,医師や社会によってかなり恣意的に行なわれており,病気と元気の境界は科学的に確固としたものではまったくない。 著者はまず結核の例を挙げている。昔は結核とは症状がバッチリ出て,苦しくていかにも病人という状態だった(労咳)。でも結核菌が発見されて,検査によってそれが検出されるようになると,風邪くらいの軽い症状の患者も「結核患者」ということになってしまった。さらに自覚症状がまったくなくて,結核菌も検出されない,そういう場合でも,免疫反応を調べることにより,結核菌がいるらしいと推測されるケースも出てきた。これは潜伏結核と名づけられ,アメリカではこれを治療の対象にして結核撲滅を図ってきた。結核菌が検出できなくても結核とは。 それにどんな検査も,決して確実ではない。本来陽性のものを陽性と判別できる感度をとっても,陰性のものを陰性と判別できる特異度をとっても,絶対に100%にはならない。「本来陽性である」,「本来陰性である」ということも絶対に分からないから,感度も特異度も正しい値は分からない。 畢竟,世の中に「本当の病気」なんて存在せず,皆が「病気と呼びましょう」と合意すればそれが病気になる。結核に限らずインフルエンザも,感染症に限らずメタボも癌も,糖尿病も鬱病も,脳死だって,どれも社会的合意に基づいて,「病気」であるとか「人の死」であるとされるのである。 それで問題は,「病気」かどうかの判断基準が国によってまちまちだったり,「病気」とされたときに即「治療」という選択がされがちなこと(特に日本)。世の中にゼロリスクがない,というのは今回の原発事故でも散々言われているが,震災前のこの本も口を酸っぱくして述べている。 治療をするにもリスクがある。副作用や通院の負担など。だから病気の程度によっては,治療をしないという選択肢もあるのだが,「みつかったのなら治したい」とばかりに治療に突き進むケースが多い。詳細な検査によって,ごく初期の段階で癌細胞が見つかったとして,それを放置しても,癌は一向に大きくならず何も起こらない,ということもある。でも癌細胞が見つかったら怖いので,治療が選択されることが多い。病気が実在するという勘違いのため,それを除去しなくてはならないと誤解する。 検査もリスクゼロではない。レントゲンを取れば被曝するし,もっと詳細にCTを撮れば被曝量も多い。採血も痛い。それを押して検査をするという選択をするのは,問診触診聴診等で医師が検査のメリットがデメリットを超えると判断した場合。軽いインフルエンザなどのように,検査する前に治療が不要と判断すれば,あえて検査を行なわないということもできる。検査してしまって,陽性反応が出て「インフルエンザ」と診断がついてしまうと,治療をしなくてはならなくなるから。その治療をしても,5日で治るのが4日で治るという程度。 新薬の臨床試験の話も面白い。臨床試験は人体実験。大規模な臨床試験は,それだけサンプルを集めないと有意な差が検出できない,効能の薄い医薬であることの証拠。そんな臨床試験,被験者には過度の期待を持たせずに倫理的に行なわなくてはならない。試験の内容,条件を患者はすべて知らされなければならないし,参加は完全に自由意思に基づき,途中撤退も自由。副作用が出たら,それに対する治療を受ける権利がある。そういう条件を満たしたうえでないと,人体実験たる臨床試験は到底許されない。 実在しない病気。では医療行為とは何だろう。それは,個人個人の価値観と交換する為に行なわれるという。患者の価値観は人それぞれ。長寿に価値を見出す人もいれば,短くても,痛みに苦しまない穏やかな日々に価値を見出す人もいる。飲酒や喫煙に重きを置く人もいる。 そういう人々の価値観を,医師は尊重して,治療行為を提案し,施していく。それがあるべき姿だという。自分のことでも患者はうまく考えられないかもしれない。リスクとベネフィットを比較して,その人の価値観にあった治療を医師と患者で見つけていく。医師はアドバイザー。 ただ,現状はそうでもない。医師の方で「この病気にはこの治療」ということでお仕着せの医療をしてしまうことがよくある。多くの医師は病気が本質的に恣意的であることを認識していない。曖昧な医療の中で医師は日々決断していかなければならず,問題の先送りはできない。
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