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グレート・ギャッツビー の商品レビュー

3.7

74件のお客様レビュー

  1. 5つ

    17

  2. 4つ

    19

  3. 3つ

    21

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

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2026/04/24

グレートギャッツビー、村上春樹のお気に入り 文体は違ったが、そのリズム感は確かに春樹に近いものを感じた。 色々な文化的、時代的背景を感じる描写がいっぱいでよくわからないところも多かった なんで言えばいいかな、この本は会話の同時性みたいなものを随所に感じる、それだけじゃなく、すごく...

グレートギャッツビー、村上春樹のお気に入り 文体は違ったが、そのリズム感は確かに春樹に近いものを感じた。 色々な文化的、時代的背景を感じる描写がいっぱいでよくわからないところも多かった なんで言えばいいかな、この本は会話の同時性みたいなものを随所に感じる、それだけじゃなく、すごくリアルなんだってことを。それは何かってノイズが含まれているってことかな?物語において語られることはすべて著者が意図を持ってきて書いているものなんだけど、物語とは関係ない話が多い。 つまりジェラルドはその現実感、現実に存在するノイズを表現しているんじゃないかな?って思ったり また読み直したい、僕はまだこの本を読める気がする

Posted byブクログ

2026/04/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

夢から覚めたような、どことなく寂しい読後感。 対岸からデイジーの住むイーストエッグを眺める景色は美しかったのだろうが、ギャッツビーは最後まで手に入れることはできなかった。緑の灯とは、ギャッツビーを導いたものであり、同時に手の届かない遠い理想、過去への執着だったのかもしれないと感じた。 ギャッツビーは金持ちにはなったが、元々金持ちのトムやデイジーとは明確に線引きされている。また、ギャッツビーはデイジーを愛してはいたが、デイジーと過ごさなかった過去を変えることはできなかった。ラストの段落は何度も読み返してしまう。 「だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へ流される」 理想を追い求め、過去への執着を捨てられない。それがギャッツビーの人間らしいところだと思った。

Posted byブクログ

2026/04/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

過去の恋人のために全てをかけた男の話。 結局なにも手に入れらず、死んだ後も葬式に誰も来てくれない。彼女のために品格を身につけ、富を築くも、結局過去は変えられず、彼女は夫と共に行ってしまう。生まれ持った貧富の差は決して覆らない虚しさ。あくまで傍観者とするも、最後は友人のために葬式を取りまとめようとする主人公は優しいなー。 なかなかインパクトがある面白さ、とは違うかもしれないけど、心に一筋残るような、物語だった。

Posted byブクログ

2026/03/30

アメリカの砂埃、陽射し、汗と車の匂いが感じられる。 ギャツビーがなぜあんなにも大掛かりなパーティーで彼女の来訪を待ったのかがよくわからない。 普通に会いに行くわけにはいかなかったのか? 人の人生や望みは思うようには行かない、ということごこの小説の言わんとしていることなのか それ...

アメリカの砂埃、陽射し、汗と車の匂いが感じられる。 ギャツビーがなぜあんなにも大掛かりなパーティーで彼女の来訪を待ったのかがよくわからない。 普通に会いに行くわけにはいかなかったのか? 人の人生や望みは思うようには行かない、ということごこの小説の言わんとしていることなのか それがどうもよくわからなかった。

Posted byブクログ

2026/01/31

 1920年代におけるアメリカの成金・ギャッツビーの最期を描いた物語。『ノルウェイの森』の主人公が大好きな一冊。個人的には、物語の中身や展開よりも、軽妙洒脱?な文章表現の方に何となく心が惹かれた。

Posted byブクログ

2026/01/11

タイトルが、何となくカッコいいと思いました。でも、何のことやらさっぱり分からず読みはじめました。ただ、GATSBY(ギャツビー)といえば、洗面台に夫のヘアスプレーみたいのを見たような... 読み進めるうちに、ギャッツビーとは人物であることが分かりました。そして生い立ちや、人とな...

タイトルが、何となくカッコいいと思いました。でも、何のことやらさっぱり分からず読みはじめました。ただ、GATSBY(ギャツビー)といえば、洗面台に夫のヘアスプレーみたいのを見たような... 読み進めるうちに、ギャッツビーとは人物であることが分かりました。そして生い立ちや、人となりが分かってくると、かなり謎めいている男。実家はサンフランシスコ。育ちはアメリカ。オックスフォードを出ている。31、2才。人柄は悪くなさそう。 1920年代のアメリカが舞台です。ギャッツビーは元カノであるデイジーの未練(5年も思い続けている)を断ち切れず、盛大なパーティーを開き、彼女を引きつけて取り戻そうとします。その経過を隣人、ニックが語ります。 デイジーの夫、トムは不倫をしている。そんな状況ですから、ギャッツビーの恋心が再燃するのも分からないわけではないですが、デイジーはそんなにいい女性か?と思ったり。1人の女性を巡る男の争いはすさまじかった。 ギャッツビーの蔵書の余白に残されていた、自分のスケジュールと心がけの記載。心に残りました。彼は自分なりの目標をもって、懸命に生きようとしていた。それなのに... アメリカンドリームと相反する、彼の最期は悲しすぎる。 冒頭の、ニックが父に言われた言葉 「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれてるわけじゃなかろう」 お父さん、いいこと言うなあ。ホントその通りだ! 村上春樹訳も気になるところですが、本書の小川高義訳は、短文で読みやすかったです。

Posted byブクログ

2025/09/14

この小説は村上春樹が人生で最も影響を受けたものらしく、いつか自分の手で翻訳したいと目標にしてきたということだ。 あとがきには、原作(英文)の文章の素晴らしさがまだ日本の読者の中で正当な評価を得ていないとの思いと、自分が四十年以上にわたってこの小説を宝玉のようにいつくしんできた理由...

この小説は村上春樹が人生で最も影響を受けたものらしく、いつか自分の手で翻訳したいと目標にしてきたということだ。 あとがきには、原作(英文)の文章の素晴らしさがまだ日本の読者の中で正当な評価を得ていないとの思いと、自分が四十年以上にわたってこの小説を宝玉のようにいつくしんできた理由を少しでも理解し、読者のみなさんと温かくわかちあい たい、との思いが綴られている。 私は、さして村上春樹の小説を読んでいるわけでもないが、この小説は私の好みになかなか合うものだった。 訳者の言うとおり、原作を読んでいないながらも、冒頭と結末の部分は名文だろうと思う。 本屋さんで立ち読みした冒頭部分ですぐに引き込まれ購入したのだから。 このタイトルになっているギャッツビーという人物が語られる形で物語は進んでいく。 彼は何年もの間、一人の女性を胸に抱いて、ようやく彼女のそばに辿りつくのだけれど…。 ストーリー自体は特に面白い、というわけではないが、人物描写が優れていて引き込まれる。 そして、静かな雰囲気を底流にたたえながら、全体的には流れるようにテンポよく進んでいく。 ギャッツビーの人生は数奇なものであり、どんちゃん騒ぎのパーティーや豪華な暮らしぶりがよけいに 彼の孤独や寂しさを浮き彫りにさせるようだ。もっともそれを象徴しているのは彼の最後だろう。 過去と向き合いながら、どう前へ進んでいくのか。過去の記憶は長い間自分の中で抱き続ける過程で、 自分の都合のいいように変形していくものなのかもしれない。 そして、自分の抱いた理想の過去に戻ろうとしたって、それは出来るはずもなく、 現在を過去と同じ状況に変えることもできない。 そんなことを考えさせられ、最後の結末部分が心に残る。 『だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、 絶え間なく過去へと押し戻されながらも。』

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2025/09/12

村上春樹が好きだと言っていたのでフィッツジェラルドを読んでみた なるほど村上節に通じるおしゃれさがあった 村上作品のアメリカっぽさはこうゆうのから影響を受けているのかな ついでにディカプリオ主演の映画も見た 内容としてはまずまずかなあ

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2025/08/10

メモ ニック・キャラウェイ 語り手 ウエストエッグ住まい ギャッツビー ウエストエッグの豪邸住まい ニックの隣人 トム・ブキャナン 友人 イーストエッグ住まい デイジー・ブキャナン 親戚 トム婦人 ジョーダン・ベイカー デイジーの幼馴染 ジョージ・B・ウィルソン 車屋 灰の谷住...

メモ ニック・キャラウェイ 語り手 ウエストエッグ住まい ギャッツビー ウエストエッグの豪邸住まい ニックの隣人 トム・ブキャナン 友人 イーストエッグ住まい デイジー・ブキャナン 親戚 トム婦人 ジョーダン・ベイカー デイジーの幼馴染 ジョージ・B・ウィルソン 車屋 灰の谷住まい マートル・ウィルソン ジョージ婦人 トムの浮気相手 T・J・エクルバーグ博士 灰の谷にある眼鏡屋の看板 ・頻出する「忘れた」「浮かれている」「ぼんやり」「意味のない」「いきなり」「立ち消え」「からっぽな」「あやふや」「あたりさわりのない」 ・宴会のお開き前に対立する男女 ・ちぐはぐな場面(ほかにもたくさん) 「名高いテノール歌手がイタリア語で歌い、評判の悪いあると歌手がジャズ風に歌っていた。」(第3章、78p) ・時系列が時々飛ぶ→回顧録の体裁 現在書いている私「当時の私「さらに過去の私」」 現在からだけでなく、当時から現在に向かうような表現も挟まる ・第四章の冒頭ギャッツビーの饗応を受けた人々の名前の羅列には背景となる物語の欠落を感じる。箇条書きみたい。 ・ギャッツビーがグレートであった理由。  言葉が途切れ、ギャッツビーは行ったり来たり歩きだした。パーティが終わったあとのことで、フルーツの皮、捨てられた景品、踏まれた花が、さびしい小径をなしている。 「デイジーに無理な注文をするのもどうだろうね」と、私はあえて口出しめいたことを言った。「過去を繰り返すことはできない」 「できない?」ギャッツビーには心外のようだ。「できるに決まってるじゃないか!」  そう言って、あたりを見やる。つかみそこなった過去が、まだ遠くへは行かず屋敷の陰にひそんでいるとでもいうのだろうか。 (第六章、179p) ・書き手は最後から最初へ戻ってループする。循環してしまう記憶。  ギャッツビーは緑の灯を信じた。悦楽の未来を信じた。それが年々遠ざかる。するりと逃げるものだった。いや、だからと言って何なのか。明日はもっと速く走ればよい、もっと腕を伸ばせばよい……そのうちに、ある晴れた朝が来て――  だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へ戻される。(第九章、295p)  まだ大人になりきれなかった私が父に言われて、ずっと心の中で思い返していることがある。 「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれているわけじゃなかろう」 (第一章、9p) 去年の秋、私は世の乱れを嘆くような心境になって東部から戻った。もっと襟を正して、まっすぐな姿勢を保つべきではないのか、という思いをした。浮かれた遠足気分で人の心をのぞきに行ったようなもので、そういう結構な立場には懲りて帰った。(第一章、10P) どこまでも絶望しない才能なのである。精神がロマンチックにできていた。あんな男には会ったことがないし、これからまた会うとも思われない。いや、結局まともだったのはギャッツビーだ。私があきれたのはギャッツビーに食らいついた側である。(第一章、11p) ・感想 父親の忠言を心に刻んでいるニックにしてみれば、ギャッツビーが夢破れる原因となったトムとデイジーなどは恵まれている階層の人々だったことは、受け入れがたい現実だったのではないか。 過去へ戻るために書かれた小説かと思う。ニックが意図せずにギャッツビーの志を引き継いだように見える。ギャッツビーだけを肯定するとはそういうことかもしれない。ニックは故郷へ戻ったにもかかわらず、いまだギャッツビーという夢に心が囚われている。だから書いたのかもしれない。

Posted byブクログ

2025/03/11

『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。 原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。 舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリ...

『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。 原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。 舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。 自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。 しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。 誰も彼の出身や経歴について知らず、「夜な夜な屋敷で豪華なパーティーを開く謎の大富豪」としか認知されていない。そのパーティーに招待されるのは、よほど特別な人物とされている。(パーティーは、基本的に飛び入り参加自由) ギャツビー邸の隣に引っ越してきた青年キャラウェイは、ある日ギャツビーからの招待を受け、以降交流を深めていくことになるが… 「人間には四種類しかない。追われる、追う、動きたがる、動きたがらない」(P 130) 小説の登場人物というのは、ルックスや動向を通して、読者側に手に取るように伝わってくるものだ。一方でギャツビーは…映画版でギャツビーを演じたレオ様を何とか当てはめたものの、読書中はイマイチ手応えがなかった。 だが物語が進行するにつれ、実は意中の人を射止めようと、あらゆる策を講ずる情熱家であることが明らかになっていく。それまで大富豪の余裕をちらつかせていたのに、段々と落ち着きのなさも露呈していく…。(事故の後、かの女性の邸宅前に佇む場面が今も忘れられない) 経済も恋愛もイケイケどんどんな時代に、珍しく純情な男がいるもんだと妙に感心したし、ようやく実態という名の尻尾を掴んだ気分だった。 結局キャラウェイほか一部の人間(読者含む)を除き、誰も本当のギャツビーを知らないまま、彼は物語から退場する。 どことなく記憶に足跡を残したものの、まだ何か物足りないような感覚が残っていて、本編終了後はいささか不安になっていた。そんななか、面白い切り口の視点が訳者あとがきに書いてあったので、最後に引用したい。 ギャツビーのことばかり書いてきたけど、本書は彼のような富裕層と庶民階級との対比がはっきりと描かれており、特にそれぞれの立場によって自動車との関わりが違っているのだとか。 前述の通り自動車は20年代の産物で、ギャツビーもまたカーライフを謳歌している。現代のガソスタ的役割も果たす自動車修理屋のウィルソンは、ギャツビーらとは対極の位置にあった。当初サービスする側だった彼は、ある自動車事故を機に車に関わることを放棄する。 新興成金のギャツビーとはまた違う形で、ウィルソンも時代への反乱を起こしていた、という見解には、目から鱗がボトボト落ちたな…。 これで私のギャツビー考が終わったとは思えないから、いつかまた考察本を持ち込んでくるだろう。その時はどうか、ギャツビーのような温かい眼差しで見守ってください…。

Posted byブクログ