梁塵秘抄 の商品レビュー
かの有名な「遊びをせんとや生まれけむ…」が収録された梁塵秘抄。しかし、自分の解釈=遊びをするために生まれたのだ、というのが誤っていたことを確認。白拍子、遊女、傀儡が謡う今様という当時の流行歌を、芸術の域に引き上げようと尽力した後白河院だったが、鎌倉時代に衰微してしまう。梁塵秘抄お...
かの有名な「遊びをせんとや生まれけむ…」が収録された梁塵秘抄。しかし、自分の解釈=遊びをするために生まれたのだ、というのが誤っていたことを確認。白拍子、遊女、傀儡が謡う今様という当時の流行歌を、芸術の域に引き上げようと尽力した後白河院だったが、鎌倉時代に衰微してしまう。梁塵秘抄および口伝集20巻のほとんどが散逸し、謡い方も伝わらなかったのは惜しいことだ。後白河院というと陰の権力者というイメージがあったが、宗教心が篤く、芸能に関しては上下の身分を問わない人柄に好感が持てた。
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遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ 10年ほど前の大河ドラマ『平清盛』の挿入歌にもなったこの今様が好きで、そのうち読みたいと思っていた。後白河法皇の集めた当時の流行歌は、言葉遊びやファンタジー、エロティックなものもあ...
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ 10年ほど前の大河ドラマ『平清盛』の挿入歌にもなったこの今様が好きで、そのうち読みたいと思っていた。後白河法皇の集めた当時の流行歌は、言葉遊びやファンタジー、エロティックなものもあれば、俗物でも成仏できるとするものなど、とても俗っぽく、それがために、読んでいて気楽になれる。 法華はいづれも尊きに この品聞くこそあはれなれ 尊けれ 童子の戯れ遊びまで 仏に成るとぞ説きたまふ 『梁塵秘抄』の今様の中でも、こうした子どもの遊びを歌ったものが、特に好きだった。子どもたちの遊ぶ姿を見て、そこに仏との縁を感じる。そうした大人視線には、何となくおおらかな心の余裕のようなものを感じる。 現代社会の中で窮屈さを感じている人たちに読んでほしい。どことなく感じる身の周りに対する、おおらかで、気楽な視線。そういったものを感じられる古典だった。
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後白河法皇が心血を注いで書き残した「梁塵秘抄」「梁塵秘抄口伝集」合わせて20巻だが、欠けた形で4巻しか残っていないとは、後白河法皇は泣くに泣けないだろう。いつか残りの巻が発見されるのを望む。 とにかく今様は素晴らしい。平安時代末期ながら、諦観めいたものはなく、庶民の持つ活力に満ち...
後白河法皇が心血を注いで書き残した「梁塵秘抄」「梁塵秘抄口伝集」合わせて20巻だが、欠けた形で4巻しか残っていないとは、後白河法皇は泣くに泣けないだろう。いつか残りの巻が発見されるのを望む。 とにかく今様は素晴らしい。平安時代末期ながら、諦観めいたものはなく、庶民の持つ活力に満ち、その面白さは比類がない。後白河法皇が今様に狂ったのも頷けるのだ。 ・仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ ・遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ ・舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん 踏み割らせてん 実に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん この3歌が飛び抜けて有名だが、どうしてどうして他にも、素晴らしいこちらを唸らせるものが目白押しだ。「このごろ京に流行るもの…」のような決まり文句は今様から出ていたんだなあ。 「紫式部日記」に若者のはかない戯れごととして出てくる今様が、後白河法皇の時代には世間を席巻し、後の「徒然草」にも記述が出てくるくらいであったが、それを最後に忘れられていったのだ。 今様の解説、当時のこと、梁塵秘抄の歴史的なこと、後白河法皇のことなど、分かりやすく書かれていて、読み物としても面白い本だ。
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お堅い文学作品感が全くなく、軽くて汚くて面白かった。後白河院は覚えることが多すぎて受験期は嫌いだったが、いいひとなのかもしれない。梁塵秘抄口伝のほうはあんまだった。
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梁塵秘抄から、代表的な歌を集めたアンソロジー。 解説から、詞章の訳だけでなく、需要のされ方、歌い替えなどのパフォーマンスの様態などのことも知ることができる。 恥ずかしながら、いくつかの有名なもの以外、この作品のついても、今様という芸能についても全く知らなかった。 あの、舞へ舞へ...
梁塵秘抄から、代表的な歌を集めたアンソロジー。 解説から、詞章の訳だけでなく、需要のされ方、歌い替えなどのパフォーマンスの様態などのことも知ることができる。 恥ずかしながら、いくつかの有名なもの以外、この作品のついても、今様という芸能についても全く知らなかった。 あの、舞へ舞へ蝸牛の歌。 長年、どういう状態のことを言っているのか疑問だった。 舞ふとは、角を出したり引っ込めたりするのをいうそうで。 いやはや、こんなことさえ知らなかったのだ。 巻末の後白河院による口伝も興味深かった。 若いころから昼も夜も歌い、喉が腫れてものが飲み込めなくなるほどだったそうだ。 傀儡の乙前を師と仰ぎ、六十過ぎるまで歌い続けた。 そして、生涯かけて身につけた芸が、声の芸ゆえに死んだら無に帰すことが悔しくて仕方がなく思っている。 あの、怪物のような人物の、単なる酔狂と思ってきた今様への情熱が、こんなにも一途なものだったとは。 この本のおかげで、色々な意味で、自分の見方を変えることができた。
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後白河院の夢中になった今様を集めた作品。 乱世を生き抜いていく中で必ず荒んだ心が芽生えてしまうだろうがそんな時に支えとなるのがこの今様だったのだと思う。 自分が特に気に入った歌としては、 熊野へ参らむと思へど 徒歩より参れば道遠し 優れて山厳し 馬にて参れば苦行ならず 空より参...
後白河院の夢中になった今様を集めた作品。 乱世を生き抜いていく中で必ず荒んだ心が芽生えてしまうだろうがそんな時に支えとなるのがこの今様だったのだと思う。 自分が特に気に入った歌としては、 熊野へ参らむと思へど 徒歩より参れば道遠し 優れて山厳し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽たべ 若王子 という歌である。 この歌は熊野に参ろうとしたけれど歩きは道が遠い、けれど馬では苦行にならない。 じゃあその間をとって空を飛んで参詣しよう。という歌である。 現実感のある二つのものの間に飛ぶという現実味のないものを位置付けている。 肉体に負荷がかかる空を飛ぶことを馬で参詣するより負担がかかるという発想がとても好きである。 現実感のなさもあって、自ら飛ぶことのほうが楽だと勝手に思ってしまう自分がいたが、肉体にどれだけ負荷がかかるかという観点で見たら確かに飛ぶほうが大変なようにも思えた。 常識を覆すようなこの歌に心を奪われた。
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ビギナーズクラシックのシリーズなので収録されている今様の数は少なめ。初学者の背景理解の伴う鑑賞にはもってこい。
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現代の皇族の方々も、それぞれのジャンルで研究を行って論文を発表なさっているが、後白河院の場合はその対象が今様だったのだなと。 どんな歌い手からも(身分が低い人からも)熱心に教えを請い、声が出なくなるまで歌い、更に、普通なら歴史の隙間に埋もれてしまっていたような当時の流行歌を千年後...
現代の皇族の方々も、それぞれのジャンルで研究を行って論文を発表なさっているが、後白河院の場合はその対象が今様だったのだなと。 どんな歌い手からも(身分が低い人からも)熱心に教えを請い、声が出なくなるまで歌い、更に、普通なら歴史の隙間に埋もれてしまっていたような当時の流行歌を千年後まで伝えたとあらばもう、誰も「今様狂い」とは呼べないであろう。 また、『梁塵秘抄』というタイトルは、梁の上の塵が美声の持ち主による歌声の響きで舞い上がって、三日間とまらなかったという中国の故事に由来するというが、今様そのものも、歌い手がいなくなり、その音はもう永遠に消えてしまって二度と同じものは甦らないという点で、正に梁の上の塵のようだと思った。 このことは、院自身も『梁塵秘抄口伝集』の中で、「こゑわざ(声技=歌い方)の悲しきことは、我が身隠れぬるのち、とどまることのなきなり。」と嘆いておられるが、本当にその通りで悲しく惜しいことだと思う。
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最近、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」という歌が、脳内でリピートされている。 ということで、その出典の「梁塵秘抄」を読んでみることに。 梁塵秘抄は、当時の流行歌ともいうべき「今様」を集めたもの。今様は、いわゆる流行り...
最近、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」という歌が、脳内でリピートされている。 ということで、その出典の「梁塵秘抄」を読んでみることに。 梁塵秘抄は、当時の流行歌ともいうべき「今様」を集めたもの。今様は、いわゆる流行りもので、和歌と比べると、シンプルで、芸術性は低いのかもしれないけど、庶民というか、人間の根源的な感情をストレートに表現しているものが多くて、共感できるものが多いですね。仏教的な救済をせつに求める気持ちとか、子を思う親の気持ちとか、ぐっとくるな。 たとえば、 「わが子は十余になりぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むといかに海人集ふらん 正しとて 問はずみぶるらん いとほしや」 「わが子は二十になりぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎かなし 負かいたまふな 王子の住吉西宮」 という2首は、自分の子どもが、巫女になったり、博打打ちになったりして、漂白して、どこでなにをしている分からないなか、つらい思いをしていないだろうか、と思う気持ちを読んだ歌で、とても切なく、胸を打たれました。 と素晴らしい作品集なのだが、和歌はのこったのだけど、今様は、衰退して忘れ去られ、梁塵秘抄も歴史のなかに埋もれてしまっていたそうだ。それが明治時代に本が一部発見されて、日本の近代文学に大きな影響を与えたらしい。 というのも、とても面白いことだな、と思う。 この本は、ビギナーズということで、とても分かりやすい現代語訳と解説がついているので、だれでも安心して読めると思う。 推薦です。
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舞え舞えかたつむり、から入ったけど、そのフレーズがファンタジーというか、幼い頃の懐かしさというか、そんな世界を思い出させられて好き。宗教なんかキチガイのやることだと思ってたけど、のめり込む人の気持ちも少し分かった
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